第1話の3『生きてくだけでもたいへんだ』

「ただいま、ネルコ」

「おかえりなさい、ボイルド」


 遠くまで薬の処方箋をもらいに行った夫の帰りを待っていた、猫のような耳と尻尾を持つエニグマが、タタタと小走りに玄関まで迎えに出る。藪崎診療所からの受診の帰途、端末から循環器を助ける働きのある薬をもらってきてある。それを手に、彼はひとつ頷いた。


「結婚したてで疲れたんだろうって。ネルコが激しいからかな?」

「もう!」


 とうぜん保険金についての一件は、ヒミツだった。

 子供を作れぬ夫婦生活だけど、ネルコは満足していたようだった。年若く見えるが、ネルコは大戦経験者で、従軍もしていたらしい。中央から逃げるように辺境に来て、働き口を求める際にボイルドと出会い、熱愛の末に結ばれたそうだ。


「……そんなににおいを嗅ぐなよ」

「女の匂いがするかと思ったら、いつもの男臭さなのね」

「安心したかい?」

「まあ、そんなお店に行けるくらいの体力はないはずだし」

「だから医者も結婚したてで疲れたんだろうって。ネルコが激しいから」


 そうはいっても、子供の出来ぬ行為にいちばん心を痛めているのはネルコだったと思う。だからそのぶん、激しくなってしまう。エニグマであることは関係なく、とにかく情熱的な女性だったようだ。だからこそ自分の生まれと育ちから、子供を授かることは高望みであることを知っていたのだろう。


「……お腹すいたよ、ネルコ」

「ああ、ごめんなさい。もう温めるだけだから」


 台所へと踵を返すネルコの後ろ姿が、いちど振り返る。


「もうすぐ電池が心許なくなるわ、そろそろ太陽に行かないと」

「ああ、そうだったな」


 ふふと笑うネルコを見送りながら、ボイルドはふと表情を硬くした。

 予定であれば、あの古い人工恒星――太陽と大仰にエニグマたちは言う、あの星の近くまで行き、充電をすることになる。芋の収穫にも使うため、大容量のものを運ぶことになる。


「そこで僕は、新しい体を手に入れるよ」

「なあに?」


 振り向く妻に「腹の虫さ」とごまかして荷物を下ろす。

 台所に顔を出し、食卓へと向かう。――ひじょうに簡易な家屋だった。ボイルドの親が、そのまた親から、彼らもそのまた親から受け継いできた家のようだ。でも、古いがしっかりした物らしい。

 裕福ではないが余裕があるため、何度か過ごしやすい家に建て替えようという話は出したのだが、機械と相性がよい生来の巫女とされるエニグマ、そんなネルコからしてみたら、様々な思いの染みついた古い家はそれだけで居心地がいい物らしい。家の改築を考えることも多いが、三つに割れた尻尾を揺らす彼女を見るたびに、縁側で日向ぼっこをする彼女を見るたびに、ボイルドは考え直すようになった。


「戦争がなくなってよかった」


 しかし、大戦と言うほどではない小さい争いはまだこの世界には多い。呼吸をしているように、平和と争いが交互に起こる。誰もが知っていること。小さい子もなんとなくだがそういうものだと信じる。

 だからこそ世界は魂の保管所であるムラクモ天国を作ったし、生きる時期を選べるようになった。『葬式アップロード』を挙げ、あらかじめ決めていた時期に『生まれなおしダウンロード』をして生き返る。少年期、青年期、壮年期、肉体の設定はデータに準じてさえいれば好きに選べる。

 だからこそ世界は魂を掛け合わせて、子供を作ることができるようになった。

 どれも、エニグマには認められないものだった。

 認められていないのは、大戦の責任からその権利を奪われたからではない。エニグマは天国を初めから認めてはいなかったのだ。

 だからこそ、そんな世界を、大銀河女王アコンカグアを否定したからこそ、先の大戦は起こったのだという。


「戦争がなくなって、よかった」


 もう一度、食卓に着きながらボイルドは呟いた。

時代や歴史で在り様を変えて生きるエニグマたちが、いつどこで生まれたのか、誰も知らない。ただその在り様から大銀河の中央で発生した種族であろうと言われている。

 多大な代償を払い、そんなエニグマたちが獲得したものは、自然な生活だった。原始的な生活だった。


「古い家、原始的な繁殖、か」

「またブツブツ言って。なあに?」

「え? ああ、いや」


 温かいシチューが盛られた深皿がふたり分。それを置き席に着く妻の顔を見つめる。光で千変万化する瞳を持つ彼女が小首をかしげるさまに、ちくりと胸の奥が傷むのだろう。隠し事はしたくないが、いえばきっと彼女は怒り自分自身を責めるだろうし。そんなことはしたくないしさせたくもなかった。


「一日二日はにゃんにゃんを控えなさいっていわれたんだが」

「それはだめ」

「だめかぁ」


 それはそれ、ということなのだ。


「シチューの中身、うちの芋と何が入ってるんだ?」

「体にいい物。へそくりで奮発したの。疲れなんかふっとぶわよ」

「そいつは楽しみだ」


 たぶん、自然由来のエニグマに伝わる何かが入っているのだろう。この赤黒い肉なんか特に怪しい。


「いただきます」

「はい、いただきます」


 意外に美味かったようだ。

 そしてその夜はいっそう燃えたのだろう。




***




「いやあ、うちのカミさんがねえ」


 かわいい仔犬の一匹を連れてやってきた常連のゲンさんと診察室で雑談をしながら、いつもの薬を処方する。ハヤテは、古代よりなくなることのない神経痛という病に効果のある、どこにでもあるありふれた粉薬の処方を端末越しに命じる。するとそこにアゲハが姿を現した。


「ポチ、おいで」


 彼女がかがみ込むとゲンさんの腕の中から白い犬が飛び出し、アゲハに抱かれる。ちぎれるほど尻尾を振っている犬をガシガシ撫で回しながらその看護婦はカルテをピピっと更新する。


「腕の調子はどうです? ゲンさん」

「アゲハちゃん、良い調子だよ。ほら、右と左、見た目も変わらないけど最新式だ。犬も撫でられるし」

「なによりですわ。ただ、神経痛だけが心配です」

「それはしょうがない、長いことかけて慣らすしかないわな。ガハハハ」


 ゲンは壮年期を何年もやっている、もと軍人だった。大戦からこっち、各地の小さな戦争で両腕を失ったため、傷痍軍人に支給される義手を使っていたが、神経と合わず接合部が壊死しかける不具合を起こしていた。

 義手はアンドールメイトによる介護に変わり、とうぜん軍人としては退役を余儀なくされ、貴重な年金をやりくりしながら藪崎診療所に助けを求めることに。うさんくさいこと甚だしいが、財布に心許ないゲンは、ハヤテの仕事に掛けることにしたそうだ。

 何不自由のない、脳波直結の介護用アンドールメイトは快適な生活を約束してくれたが、両腕で犬を抱くことは自分の手でなければできないからだろうか。


「神経系に金を使えるくらいの蓄えがあればなァ」

「貧乏軍人が何いってやがる」


 ゲンの愚痴にハヤテもげらげらと笑う。


「軍人なんか宵越しの金を持たず、飯と酒と女に消える。年金だって、スズメの涙さ。……でもだいぶ調子は出てきてるじゃないか。具合もよさそうだし」

「先生のおかげだよ。……で、ソーラーパネルを使いたいって?」

「安く頼むよ。まああれだ――」


 ハヤテは右腕をわざとらしく曲げたりひねったりして、まるで義手の具合を確かめる様な仕草をする。

 ゲンも心得たように膝を打つと、「長い時間は無理だぞ、センセ」とにやりとする。

 義手――ゲンが保険金詐欺を依頼して手に入れたもの。つまり、新しいハヤテの仕事のために、そのときその場所にハヤテがいていい理由を与えてほしいとの申し出に、ゲンは快諾をしたことになる。黒い取引だが、まだ灰色だろう。いや、子犬くらいの白かもしれない。たぶん。


「正味の話よォ、センセ」


 アゲハの腕から尻尾を振りながらゲンの腕に戻ったポチが、クンと鼻を鳴らして飼い主を見上げる。アゲハの顔は少し寂しそうだった。


「なんでこんな商売してるんだ?」

「儲かるからなあ。借金も返せたし、この星系あたりには五十人くらいしかいないし、なによりただの診療所経営はすごく楽だしな」

「神経痛の薬以外は、セロガンしか出さないだけじゃねえか」

「数少ない名産品なんだぞ? この世に三台あるかないかの機械のスイッチを押すだけだがな。腹具合には古来よりセロガンが効く」

「あっちの仕事の理由は儲かるからか。……そうは見えねえがなあ」

「借金返し終わったのはこの前なんだよ。でもまあ、慣れたもんだろう?」


 ポチもワンと応えるように吠える。


「ちなみに私はまだ一回もお手伝いしたことありません。えっへん」

「アゲハちゃん、なんであんたのようながこんな場末でチンケな誰も来ないような辺鄙な星にいるんだよ。戦闘用なんだろう?」

です。もしくは! ここにいる理由は……うう、それは聞かないでください」


 ハヤテは思わずぷっと吹き出してしまう。


「諸国漫遊の巡検師といえば、引退貴族の道楽。そのために誂えられた最高級汎用鳳型巡検アンドールメイト№ヘ-128『アゲハ』64号改五、それが彼女だ」

「先生、それ以上いわないでください」

「で、巡検師のじいさん、このあたりがあまりに田舎すぎて絶望し、残りの業務をアゲハに託して隠遁したんだ」

「棄てられたのか、アゲハちゃん!」


 ワンと、ポチもゲンの言葉に同調するが、返ってきたのはさすが戦闘用と覚しき気迫のこもった視線。ふたりとも尻尾が丸まる。


「そーなんだよ、こいつ。なもんで、星系でいちばんの役職持ちの俺ん支配下になっちゃうんだなコレが悲しいことに……っておいおいおいおいおい、宇宙船の主砲をこっちにむけるなよ!」


 ハヤテの体内センサーが、アゲハの船が主砲を起動させたのを察知する。かつてない殺気だったので、思い切り手を振って降参する。怖い。


「命令は絶対なんです。解除するにも、巡検師さまが直接するか、いっかい本星の工場でリペアるしかないですし」

「勝手に帰ることもできないしなあ」とゲン。


 それを受けて「俺は帰れっていってるんだけどな」とハヤテ。「巡検期間が終わらないと帰るに帰れないんだわこれが」と諸手を挙げる。

 その通りなのでアゲハもこうして居座っているわけで、それは彼女のなりのプライドに則っての行動だったのだろう。とにかく、役に立つ仕事をしなければ気が済まないのだ、このアンドロイトの少女は。


「業腹ですがね」

「やっぱ納得してないんじゃないか……って、そうだな、すまんすまん。降参だ」

「ともあれ、今は藪崎診療所の看護婦です。存分にお使いくださいませ、先生」

「へいへい。ってことで、カミさんや、診療所の充電プラントのスケジュール入れといてくれ」


 カルテが光り、カミさんが現われる。


「――もうすでに、予約は入れておきました。ゲンさん、ごきげんよう。調子がよさそうで何よりですわ」

「あいよ、カミさんは今日も美人だねえ。マザーコンピュータってのは歳取らないのかい?」


 と返しながらも、ゲンは所有のソーラーパネルの利用予約にカルテ越しに許諾サインを送信する。これで準備はほぼ整ったようなものだった。


「カミさんも、あれだろう? もともとはこの星のプラントマネージャーだったんだろう?」

「――はい。もともとは古代植物型宇宙船の管理プログラムです。素体の生産も遙か昔に終わりましたし、以後は診療所の端末の管理下に入っております」

「なんでこんな辺鄙な診療所にアンドロイ……いや、アンドロイに、プラントマネージャーがいるんだろうねえ」

「ほんと、けが人はともかく病人なんてあんまり来ねえのになあ」

「先生がいわないでください」


 今度は握りこぶしで威嚇するアゲハ。


「まあそういうことで、これからも従業員に給料を払っていかなきゃいけないので、モグリの――……は続けていかなきゃいけない。ゲンさん、あんたも……」

「俺ァし~らね」

「だよなぁ~」


 男ふたりはハハハと笑い合う。

 男たちの、明確な一線が引かれた一瞬だった。と思う。


「よし、今日の診察はあと何人だ?」

「――ゲンさんで終わりです。往診の予定もありません。商売あがったりですね」


 カミさんが笑いながらそう告げると、カルテが切り替わる。


「――しかし、旅行者が一組。……あら?」


 旅行者は旅客健康保険の適用範囲が切り替わるたびに、担当施設に通知が来る。そんな自動化された電子情報を、マザーコンピューターのカミングスーンが受信したのだ。

 普段ならば必要になってからアクセスする情報だが、カミングスーン――カミさんはその優秀さ故に流すことなくピックアップしたのだろう。


「――ゴードン総合生命の審査官がやってきます」

「ぁあん? 何故この時期に? 旅行者? ……そんなはずはないよな」


 言葉とは裏腹に、ハヤテの表情が引き締まる。当然だろう。


「あの野郎、感付いたか?」


 そこまでは分からないが、当たらずとも遠からずだったように伺える。

 エグゼリカが乗るオクさんの宇宙船が、この星系内にやってきたのだ。

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