第1話の2『ゴードン総合生命は迅速丁寧、そして残酷』

「保険金詐欺は撲滅すべきである。そうだな? エグゼリカよ」

「もちろんです、社長」


 ゴードン総合生命の末端審査員エグゼリカは、育ての親である社長、ロジャー=ゴードンからのシカト通信を前に、宇宙事務所船の中で直立し頷く。


「自社調べによる不可解な審査結果は実に五件余り。他社ならいざ知らず、わが社の威信にかけてもふざけた詐欺師にはしかるべき鉄槌を下してやらねばならぬ。そうだな? エグゼリカ」

「はい、社長」


 ゴードンの獣じみた風貌は、誇張じゃない。牙に赤銅の肌、爛々とした黄色い眼球に血の瞳はエニグマのもの。猪首にのったその顔が試すようにエグゼリカを映像越しに見下ろす。彼女はその視線に耐えられずに一度ごくりと息を飲む。怖い。


「ふむ」


 そこでゴードンはやや背もたれに体を預けるように離れると、一息ついて彼女の緊張を逃す。ほっとする一瞬が作られた。


「わが社の営業圏のほぼ外側にある、古い人工恒星が浮かぶ星系。そこで五件だ。額は大したことはないが、ここ一年余りに五件だ。百人も住まぬ恒星系でこれは多すぎである」

「はい、社長。報告書は受け取りました」

「宜しい。では、重複するが辞令を言い渡す。エグゼリカ=キュトレイ、地球の薮崎なる医者を見張れ。奴が関わった事案は五件。つまり、奴が引き金で我らの金が不当に支払わせられた疑いがある」


 忌々しげに顔をしかめるゴードン。まだ怖くはない。


「遠く離れたお客さまが、わざわざ無名の星系まできて――事故にあう」


 鬼が牙をむいた。これが怖い。


「随分舐めた商売をしている。我が社の損失は我が社員への冒涜。いいかエグゼリカ、藪崎医院を見張れ! その星系にはひとりうちのお客様がいる。顧客データは送ってある通りだ。……怪しいことがあればすぐに査察だ。いいな?」

「はい社長、万事抜かりなく。不当な請求には断固たる対応を」

「我が社の『社訓』は!」

「迅速! 丁寧! そして厳格!」

「よろしい。後は頼んだぞ」


 通信が切れるや、エグゼリカは宇宙船の落とし穴ピットフォールにすとんとへたり込む。緊張のあまりに脂汗が滲むが、呼吸自体はゆったりとしている。落ち着こうと頑張っていたのだ。


「駄目ね。社長直々の通信は肝が冷えるわ」

「エグゼリカ、では辺境の恒星系に向けて出発か? 決めるのは社長のオーガ……鬼のゴードンではなくあくまでもお前だ」


 コックピット後部から、この船のマザーコンピューターである少女が現われる。銀の髪とふさふさの緒を持つ、金の瞳を持つエニグマの少女だった。凄くかわいくて、撫で回したくなる。愛想は少なかったが。


「オクさん、目的地までどのくらい?」

「シュレディンガーワープとシカト航法、どっちをつかう? リカ」


 エニグマはその言語体系からマシン魂と相性が良く、マザーコンピューターとして働く者も多い。オクさんもそのひとりで、エグゼリカ――彼女リカと組んで長い。縁があって身寄りのないリカの姉がわりとして組み、こうして働き生計を立てている。家族のような存在だった。


「ワープは費用がかかるし、シカト航法なら――」

「三日もかからない」

「じゃあシカトで」


 シュレディンガーワープは送り元と送り先の『観測機』を利用し星系間はおろか大銀河中を短時間で飛べる航法。全宇宙の観測者を騙し、そこにいる者を余所にいる者として観測させる。元と先、同期を図るのも手間がかかる。つまり、お金がかかる。

 シカト航法はふと視線を外したとき、再び見ると驚くほど場所を移動している赤ちゃんの動きからヒントを得た航法で、わざと無視する――古い古い言葉でシカトをするという――それを利用し驚くほど遠くへ移動できる手段である。だます観測者は船員と周囲のみ。金はあまりかからない。


「そんなにお金を貯めてどうする。いや、愚問だったな。星を買いたいんだったな」

「そうよ」


 リカはゴードンから受信したデータをオクさんに渡すと片手を振って追い返す。オクさんも心得たとばかりに彼女の落とし穴ピットフォールへと移動する。


「ここが居場所にはならないか? リカ」

「宇宙船に住むのも悪くないけど。やっぱりくうと、地面と、水を楽しみたい。そこで結婚して、子供をもうけて、育てて、許されるなら壮年期までデータとして眠って、子孫たちと過ごしたい」


 その言葉には、覇気があった。

 目は輝き、頬は紅潮し、うんと頷きながら準備を進める。

 オクさんはそんな心折れぬリカが好きだった。見守っているといってもよかった。だからこそ、自分自身でもある宇宙船をついの棲家にしないかと誘っているのだ。何度も。


「データを見てるんだが、リカ。このハヤテ=ヤヴサキなる男、聞いたことがあるな」

「藪崎ハヤテよ。……聞いたことがあるって?」

「この前の戦いで、名を馳せた男だ。卑怯極まりない狙撃手で、何百という同胞を撃ち抜いたクソ野郎だ」

「先の大戦で?」


 長寿のエニグマには昨日のことに思えるだろう。リカが物心ついた頃には終わっていたエニグマ戦争のことだ。


「見ろ、リカ。私もここを撃たれた」

「その腕の傷、そうだったの?」


 もっとも戦争従事者だったオクさんの話は聞いているし、お互いの背中を流す入浴時に体中にある無数の傷については聞いていた。彼女にも歴史があるのだし、エニグマの社長がやっているこの会社に流れ着いたのだそうだ。

 傷痍軍人も、多い。

 そのためにこの会社が出来たといってもいいらしい。


「スナイパーっていうのは、命を奪わない。エニグマはしぶといし、即死させるのは困難極まるからな。腕や足を撃つ。助けに入る仲間の足や腕を撃つ。どんどん撃つ。なぶり者にし、助けに入る者をあざ笑う。戦闘不能者を増やし、戦力を削ぐのが奴らスナイパーだ。……だった」

「殺さなかったの?」

「そうだ。だからこそ、手間がかかる。死体は捨て置けるが、負傷兵は運び治療しなければならないからな」

「そんな兵士が、なんで医者に。……相続? もともと両親はお医者さまだったらしいわね。皮肉なものね? 傷つけていた者が治す者になったなんて。贖罪のつもりかしら」


 知らんよと、にべもなくオクさんが肩をすくめる。

 もともと戦争を知らぬリカが思うのは、野蛮な男が保険金詐欺に加担しているか、主謀しているかという事実。


は監視して、何もなしという判断が下るまで監視して、監視して、たまにある審査をこなし、もとの業務に戻ることを早く早くと祈るのみよ。だからオクさんも申しつけられた仕事に邁進して。ね?」

「わかっている。戦場の倣いだ。恨みはない。……だがまあ、斟酌すべきにや、か。納得いかぬ部分がないといえば嘘になる」

「ちょっと、暴力沙汰はやめてよ!? 査定に響くじゃないの」

「しないよ。もう戦争は終わったんだ」

「たのむわよ?」


 動力が満ちた。エニグマであるオクさんの妖力が切り替わる。


「出発する。三日間、寝てるか?」

「ううん、オクさんと映画を見てる」

「私も付き合うのか? あのつまらない時代劇に」

「アンドロメダの古典よ? 今度は面白いから」

「そう願いたいね」


 微かなうなりを上げてエンジンが稼働する。


「藪崎ハヤテなる元狙撃手スナイパーが実家の診療所を継いだのが――五年前。戦後暫くは大銀河を彷徨っていたのね。ご両親が亡くなっていたけれど、顕性遺伝で受け継いだ知識と従軍経験から医学知識を活かすことに道を見出したんでしょうね。ずいぶん借金もあったようだけど、去年返し終わってるようね? 怖いわね、保険会社にかかったらこんな情報まで筒抜けになるなんて」

「公開情報だ。まあ、限られた門戸にだけだが。ほら見てみろ、ヤヴサキが軍から借りていた金の返済が五回、疑わしい案件の時期や回数と似通っている。ゴードンが疑うのも当然だろう」

「社長と呼ばないと。いくら古い付き合いだからといって、従業員が他の従業員の前で……」


 そこまでいって、エグゼリカは思った。


「もしかして、この一件が始まる前から社長は藪崎ハヤテを見張ってた? 戦争の後からずっと?」


 オクさんからは沈黙が返ってきた。


「個人的恨み?」

「違う。種族エニグマの恨みだ。まあ、ヤヴサキのほうは鬼を知らぬと思うがな。ただ、鬼は恨みを忘れぬ。それを表に出さぬように今を生きている。……巡航モードに移行、つまらない映画を見るなら付き合うぞ? リカ」


 話はここまでだという姿勢だろう。リカは降参した。興味のない話だし、試算した賃金を賞与込みで夢想する方が有益だった。


「異なる言葉を扱う種族たちには、思うところがあるのでしょうね」

「お前はニンゲンだ、リカ。だが身寄りのないお前を引き取った社長の庇護の元、私たちは家族だ。そうだろう?」

「疎外感なんて覚えてないわよ。ただ――」

「ただ?」

種族エニグマの恨みだけは、私には共有ができないけれど」

「それはいい。恨みなんか持つものじゃない。持たれるのは別だ。人は皆恨みを買って生きる」

「契約者から買ってるわよ、恨みなんて。アレが少ないコレが少ない、保険料が高い内容がよく分からないってね。しかし……恨みを買って生きるかぁ~……みんな買っていくものなら、みんな誰かを恨んでるんじゃないかしら。ねえ、オクさん」

「違いない」


 落とし穴ピットフォールの中でオクさんはすっぽり収まる自分の足先を動かす。操縦席を掃くように尻尾が揺れる。


「斟酌……斟酌すべきにや、か」


 もう一度、オクさんは呟いた。

 リカの言葉を首肯したということは、自分もまた誰かに、何かに、恨みを持っていることを認めたことになる。


「エニグマには、色々あるのだよ。リカ」

「自分たちをエニグマなんて――」


 エニグマはまだ『敵』としての意味合いが強いニュアンスがある。

 大銀河の女王アコンカグアは終戦後すべてを我が民として認めたが、まだまだ馴染むには時間がかかる。それは連綿と続く歴史が証明している。


「エニグマという呼び方だって、気がついたら付けられていた名称だよ。気にするな、リカ」

「恨みか~……」


 エグゼリカも落とし穴ピットフォールの中で大きく伸びをする。後は船に任せて三日待つだけ。任務は……仕事はそれから始まるのだ。


「それじゃあとりあえず三本連続で見ましょうか、アンドロメダ古典三部作」

「今お前は確実に私の恨みを買ったぞ」


 尻尾をゆっくり振ったオクさんは、ふふと笑うと個人端末のパスを開けてエグゼリカに投げる。

 長い三日になりそうだった。

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