興味深く読ませていただきました。
いつも「詩?」の「?」を取り除いてほしい、と思っているのですが、でも、そんなことはどうでもいいような気もしてきました。
そのくらいすごい世界をもってらっしゃると思うので、これからも心底、楽しみにしています。
作者からの返信
あ、どうもありがとうございます……読み返してみると大したこと書いていないし、いきなりヒップホップがどうとか言い出して支離滅裂ですが、せっかくコメントなどをいただいているので、しばらく残しておこうかと思います……
あんまり世界観とか考えていないのですが、そう言っていただけると「うーんそうなのかな?」みたいに錯覚してしまいます。とはいえなるべく自分ができることをひろげるために、マイペースでお勉強をしていきたいとは考えております。あんまりよろしくないやつや明らかに発展途上のものも出してしまうかとは思いますが、いい感じに見守っていただけますとありがたく存じます。
読む人いますよ。
参考になります。
私も最初に文章を投稿したのは、ストレスが溜まってた時だと思いだしました。
なるべく溜めないようにはしてるんですけど、思わず引きずられちゃう感じです。
忠臣蔵さんの作品はやはり詩だと思います。
生活と不可分な言葉が読み手の心を動かすのだと思います。
私のような者が言うのもなんですが、もっと自信を持たれていいかと思います。
作者からの返信
あ、すいませんいつもありがとうございます……とりあえず知り合いにでも読ませようかといつも思うんですが、いきなりこういうものを押しつける口実が見つけられず今に至っている感じです。
でもなんかこう、生活と不可分っていうのはすごくいいですね(ストレス云々の話もそことつながっているのかもしれません)。もちろん生活から切除されたものを書いてみたい気持ちもあるんですが、今はちょっと、自分の地金が出るものを敢えて、みたいなテンションが強い感じなので、ひとまずこのスタンスで道路を走っていきたい感じです(崖に向かって暴走してる可能性もありますが……)。
でも本当に、語弊があるかもしれませんが、あまり詩のようなものにご興味を持たれていなかった方の気持ちを、曲がりなりにも拙作で巻き込むことができたというのは、ほんとうにうれしいです。
小説ではいつもそういうことを目指してきましたし、非常に知的で誠実な友人に対し自分の書いたものがいまいち届かず「悔しいッッ!!」となった時期もあったのですが、もうちょっといろいろやっていこうかと思います。ありがとうございます。
正直コメント書くとき、「おまえごとき、詩のなんたるかもわかっていない者がコメントなど残すな」とか言われるんじゃないかとどきどきしていました。詩に偏見があるのかなー自分が。楽しみに読んでってます。このページありがたいです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。いや、でもそんなこと赤の他人にいきなり言うひと、さすがにいないんじゃないかな~という気もするんですが、どうなんでしょう……まあインターネットっていろいろ変なひといますからね……知人友人との連絡ツールとしてはすばらしいんですけど……
でもなんか、たとえば東大の教授とかがプロの人の書いた詩について講評しているのとかを読んだことがありますが、難しすぎて意味がわからないとかいうこともなく「なるほどな~」となる講評だったので、あんまり高踏的なスタンスを取るひとも実はいないんじゃないかという気もしますが……
でも本当に、田村隆一の『四千の日と夜』はヤバいので超おすすめです(急に話が変わる)。いちおう引用ということで一篇(「幻を見る人」)を貼っておきますので、ご興味がありましたらぜひ図書館などでお探しください。
空から小鳥が墜ちてくる
誰もいない所で射殺された一羽の小鳥のために
野はある
窓から叫びが聴えてくる
誰もいない部屋で射殺されたひとつの叫びのために
世界はある
空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか墜ちてこない
窓は叫びのためにあり 叫びは窓からしか聴えてこない
どうしてそうなのかわたしには分らない
ただどうしてそうなのかをわたしは感じる
小鳥が墜ちてくるからには高さがあるわけだ 閉された
ものがあるわけだ
叫びが聴えてくるからには
野の中に小鳥の屍骸があるように わたしの頭のなかは
死でいっぱいだ
わたしの頭のなかに死があるように 世界中の窓という
窓には誰もいない
萩原朔太郎 月に吠える 青空文庫、でググって、北原白秋による「序」、朔太郎自身による「序」、やはり朔太郎自身による「再版の序」に、何が書かれているか、ほぼ100年前の大正時代の詩人たちはどのような状況に囲まれていたのか、そこで彼らはどのようにして詩を書き続けたのか、etc.・・・
ぜひ読んでみて欲しいです
作者からの返信
すみません、コメントありがとうございます。ご紹介の文章について、自分なりに読ませていただきました。
ポエムもどきを書いている身分でこんなこと言うのもアレなのですが、実は荻原朔太郎は古本の詩集をいちど読んだきりでして、文学史的にどこに位置づけられる人なのかも把握していなかったので、自分の不勉強を恥じつつ、ある意味新鮮な気持ちで読むことができた気がします。
再版の序が1922年ということで調べてみたのですが、ちょうど日本共産党が結党し、ジョイスが『ユリシーズ』を、芥川が「トロッコ」を発表した年だったみたいです(Wikipedia情報)。詳細な分析をする能力が今の自分には無いのですが、政治にしろ文芸にしろ、自由主義的な気運が盛り上がっていた時期なのかなと思います。
もちろんこの後、〈大日本帝国〉を含めた世界ぜんたいにファシズムや軍国主義が蔓延していくわけで、「我々の芸術は日本語の純真性を失つてゐた。言ひ代へれば日本的な感情――時代の求めてゐる日本的な感情――が、皮相なる翻訳詩の西洋模倣によつて光輝を汚されて居た。」という記述も不穏な言明に見えてしまうのですが、まあそれは後だしジャンケンというか、現在を生きている人間からすればそうだという、ある種ズルい見方なのかなとも思います……そもそもファシズムについて何か言うとすれば、むしろ現在を生きる自分(たち)こそが引き受けるべき課題という気もしますし……
とにかく、自分がぜんぜん勉強が足りてないことがあらためてよくわかったので、もう少しいろいろなものを吸収できるように努力していこうと思います。とりあえず、近代~戦後詩にまつわる日本文学史をざっくり描けるように、というのを目標にしていこうかなと……この目標そのものがざっくりですが……
わざわざご紹介いただき、ありがとうございました。長くなってしまってごめんなさい。