第5話
怖かった。そして、理桜はゆっくりと俺の方を向いた。その表情は汗をかき、ありえないものを見るような目だった。
『裕哉くん、不正はしていないんだよね?』
なんだ?不正?不正なんて行為二人が見ているのにどうやってしたらいいんだ?
「してるはずがないだろう。そんなことよりも結果見せてくれよ」
『満点』
「えっと…冗談ですよね?」
『これが冗談に見える?」
そう言った理桜の顔は真剣そのものだった。
『マジよ。裕哉は満点なのよ!満点!すごいわ!本当にすごいわ!』
そう言い終わる前に二人の体はさっき成長した時と同じように体が光に包まれた。
そして、それが終わった時そこにいたのは高校生くらいの二人だった。本当に綺麗で抱きしめたい。それくらいだった。ここまでくると本当にもう意識せずにはいられない。
『最終形態ね。これで多分私たちの成長も最後』
「その…すごく綺麗だ」
バカか俺は。何を口走ってるんだ!
『えっと…ありがと』
あの翼が罵るような上からな言葉を言わなかった。理桜は顔を赤面させていた。
思わず二人をぎゅっと抱きしめたくなった。二人の体温に触れたい。強くそう願った。それがこの空間ではできる。
だが、もう体は動いていた。
『ちょっ…何を!』
『ダメだよ裕哉くん…』
二人とも言葉では否定的だったものの体はまんざらでも無い様子だった。
だが、神は…神かどうかすら分からないが、運命は、この場合は過去問は時として、非常な事をする。それ程に残酷な事があるだろうか。
俺は予期などしていなかった。今から起きることに対して。いや、幸福の絶頂にいる人間がそんなことを考えるはずもない。
『ありがとう。私、楽しかったよ』
「突然だな。どうしたんだ?」
『どうも無いわよ。ただ理桜は言いたかっただけなのよ。でも、私は言わないわ』
「どういうことだ?」
『終わりなのよ』
『つまりね、タイムアップ。もうあなたはこの空間にはいられないと思う。だって私たちの願ったことが全部叶えられたから』
何を言われているかまるで分からず、それを理解してくれた理桜が説明してくれたが、頭が真っ白になって血の気がなくなっていくようだった。
「もう、終わりなのか?」
この空間は楽しかった。多分俺にとっては一生忘れることのできない経験となったと思う。だけど、理桜と翼とはずっと一緒にいたい。俺の側にいてほしい。そう感じるようにもなっていた。
『ありがとう。私たちのことを大切に思ってくれて。丁寧に扱ってくれるようになったんだもん。嬉しいよ』
『とりあえず感謝しておくわ。これで本番失敗したら許さないんだからね。もう呪ってやるから』
「呪われるのはやめてほしいな」
笑った。笑うことしかできなかった。別れるのが辛いのではない。怖いのだ。
『でも、私たちがいなくても、もう裕哉くんは大丈夫だから』
そんな理桜の声がした。だが、その時には既に俺は白い光に包まれ、俺自身の視界もかすれ始めていた。見えたのは少し笑っていた、理桜と翼だった。それだけだった。それだけだったが、俺には十分だった。涙は出ない。涙での別れは違うと感じた。
最高の時間だった。俺にとっては本当にかけがいのない時間。
それを胸に刻み込んでいた。
「…ここは?部屋か」
どうやら俺は部屋に戻ってきたらしい。カレンダーを見ると、どうやらあの日に戻ってきている。あの空間では時間は関係ないと言っていたのはどうやら本当のことだったらしい。
「ごめんな」
俺はかがんで、目の前に投げ捨てられていた過去問を手に取った。それをパラパラとめくると不思議と懐かしさを感じる。椅子に座り問題を解くと解けた。どうやらあの空間であったことも夢ではない。自分はみっちりと勉強をしていたらしい。
「…さて、勉強するかな」
二人の存在がいたから勉強できた。今は俺はこう思っている。きっとあの二人は俺のために現れて愛してくれた存在なんじゃないかって。俺自身も好きになっていた。だからそれに報いるためには結果で返すしかないんだ。そう思うと勉強にも気合が入った。正直周りは驚いていた。当然だと思う。だって、ついさっきまで全然できていなかった人間が、一時間やそこらで満点取るようになったのだから。驚かれない方が無理があると思う。
これは、きっと翼と理桜からのプレゼントでもあるのだろうなと俺は感じている。そうじゃないと説明出来ない。俺は、理桜と翼が好きだ。もう一度会いたい。できるなら、会って抱きしめたい。二人にもっとお礼を言いたい。…でも、それはもう叶うことはない。二人は元いる世界に戻った。あれは、あくまでまも過去問なのだこら。それが擬人化しただけ。人間ではない。
だから、この思い出は胸に刻み込んでしまっておくべきなのかもしれない。そうじゃないと、俺は悲しくなって喪失感で溢れてしまうだろうから。少なくとも、入試までは絶対に会えないものと考えた方がいいかもしれない。
今は夏休みだ。まだ、時間はある。約束を果たすためにも、期待を裏切らないためにも、もっと努力しないと。
「やるぞ!!」
それからというもの、俺はそれこそ本当に、時間の感覚がなくなるほどに勉強に勤しんでいた。入試の時には、更にパワーアップしていた。
そして、努力の甲斐もあり、当初目標としていたよりも数段上の大学を受け、無事に合格することができた。あれから半年近くだったが俺は理桜と翼に会うことはできていない。
でも、今日合格発表だった。だからこそ、なのかもしれない。俺は手持ちの過去問を床に全て並べた。
そして、
「ありがとう理桜。ありがとう翼。二人のおかげで俺は大学に合格することができたよ」
報告をした。その行動は会いたいから、というわけではなく、二人に…俺を支えてくれた二人に俺の現状を報告したかったのだ。ただそれだけだった。俺が言い終わった直後、白い光に包まれた。この感覚一度経験したことがある。
奇跡というものは起きるタイミングは誰にもわからない。もちろん俺にもだ。
『たまにはやるじゃないの』
『おめでとう、裕哉くん!ずっと見ていたよ!』
そこにいたのは、会いたいとずっと願っていた二人だった。
俺は言葉を出すことすら忘れていた。ただ嬉しさのあまり二人に向かって駆け出していた。
『もう…私たちは逃げないからそんなに慌てなくても大丈夫だよ』
『今日くらいは許してあげる』
俺が抱きついたハグをしたというのに、二人も嬉しそうだった。突然すぎて少し驚いていたみたいだったが。
『よく…頑張った。見ていたよ。裕哉くんが必死に私たちを解くところを。使ってくれて嬉しかった。幸せだった』
『使うために生まれてきたもんに最大の敬意を裕哉は払った。だから、もう裕哉はバカじゃない。汚名返上したんだ!』
あ、完全に翼はデレたな。これは見たらわかる。でも、俺もそんなこと言ってくれて嬉しかった。自然と涙が出てきた。
『でもね…私たちも、裕哉くんもいつまでもここにいるわけにはいかない。私たちの役目は終わった。役目がなくなったものは、消える』
「はっ?」
衝撃発言だった。もうこれ以上にないくらい世界の全てが止まり、自分の目の前にある空気が淀み、音は全て雑音に聴こえて、五感を通して伝わってくる全ての情報に悪意を感じてしまった。
『信じられいのは当然だと思うわ。でも事実なのよ。認めないといけないこともあるの。私だってもう少し裕哉と遊びたいわ。でもね、世の中には時間がある。いくらあなたの時間を捻じ曲げた私たちでも、自分の時間に、役目が終わったことに対して、干渉することはできない。だから、裕哉の手で私たちをきっちりと処分して欲しいんだ。そうしたら私たちは役目をすっぱりと終われて、過去問として華々しく散れるから』
言っていることはとても悲しいことだ。でも、不思議と理桜と翼の顔からは朗らかな雰囲気が感じられた。自分たちの役割を果たせて幸せなのだろう。
でも、それだったとしても俺は、認めたくはない。認めたくはないが、それをしないと、二人は悲しむだろう。迷っていると肩のあたりに何かが置かれた感覚があった。
『迷う必要はないよ。私たちは裕哉くんの心の中に永遠に存在し続けるんだから』
『でも、私達はあくまでも人間じゃない。だから現実を大切にしてほしいわ』
翼は笑った。ここまでされたら、俺も腹をくくるしかない。
「分かった。でも最後に一つこれだけ聞かせてくれ」
俺の言葉に二人は頷いた。
「二人とも俺は大好きだ。だから…その、忘れないでほしいんだ。俺のことを」
自然に言おうとしているのに、涙が出てきた。もう本当に会うことはできないという切なさからだ。そして、本当に言うことができてつまり、告白することができてよかったと感じたから。その喜びだ。
突然の告白に二人は、驚いていた。
『と、突然何言ってんのよ!!』
翼は驚き、首をブンブンと振り、髪の毛を乱している。それが何を意図しているのかは俺には理解不能だが、顔は少し赤くなっていた。理桜に関しては、沸騰しているようだった。
『あ、あ、あ、あの……えっと、うまく言えない…』
そして、何も言えないみたいだった。少し経ち落ち着いたのか、翼は言った。
『バカなことをするのね。でも、嬉しいわ』
『私も嬉しいよ。本当に嬉しい!!これは私からの感謝の気持ち』
そう言って、理桜は俺に近づいてきた。
そして、大胆にも俺の頰に暖かい唇を軽く当てたのだ。
『なっ!?抜け駆けは許さないわ!』
なんだか、翼が怒って俺に近づいた。そして、やはりというか、予想通り、俺の頰に唇を押し当てた。長かった。嬉しかった。もしかしたら今の俺の顔は紅潮しているかもしれない。それでも恥ずかしさよりも感じている。
俺は今すごく幸せです!!
『…もう時間だね。ありがとう裕哉くん』
『楽しかったわ。裕哉と過ごした時間。忘れないでね』
「俺も、ありが……」
最後まで言うことはできなかった。だが、気持ちは伝わったように感じる。
白い光に包まれた俺は、自分の部屋に戻ってきた。
目の前には過去問が並べられている。俺はその過去問を全部持つと、庭に出た。そして、庭の隅っこに過去問を置くと、新聞紙とライターを家からとってきた。
「俺はどう処分したら最善なのか、よくわからないけど、俺の考える最善の方法で処分する」
そう言って俺は軽く息を吐いた。過去問の間と頭に、丸めた新聞紙を挟み込むと、ライターでその新聞紙に火をつけた。まだ、二月。冬場で乾燥しているからか、よく燃えた。その煙からは、理桜と翼が笑っているように見える。この二人の寿命を今、俺は見ている。感謝しながら。
そして、その煙は俺にこう言っているようだった。
『これから頑張って!裕哉くん期待してるから』
『頑張らないと承知しないんだからね!裕哉が幸せにならないと許さない!』
二人は絶対にこう言っていると確信している。しばらくして、煙の勢いが収まった頃には、そこにあったのは過去問は燃えて灰になっていた。
その灰は丁寧に庭に埋めた。庭に埋めれば、いつでも思い出せるような気がした。
灰を埋め終わり振り向いた時には俺の心は新生活に対する不安もあったが、何よりも楽しく生活しようも心に誓った。そうでないと二人が悲しむ気がしたから。
俺はその言葉を聞いた二人が、いつまでも微笑んでいるような気がしてならなかった。
貴女がいて俺がいて 藤原 @mathematic
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