天使は空から堕ちて

 戦争が終わり五年が過ぎた。

 人類の生存圏の多くでは、まだ毎日のように戦いが続いている。だが少なくとも、人類そのものの根絶を目的にする種族は打破された。あとに残った戦いは、誰がそこにあるパンを食べるかというような日常的なものでしかない。どうせ誰かの口にパンは入る。敵を殲滅せずとも、限られたパンの数まで人が減ればそれは自然に終わる。

 非日常的な、未知との戦いは終わった。

 それと同時に、私の日常も終わったのだ。1号機はふとそう思った。

 日常が終わった先に何があったのだろう。1号機は目の前の赤茶けた地面を見つめた。これが自分の選んだ場所なのだろうか。こんな寂しい、生命の存在しない場所が自分の次の日常なのだろうか。

 そこは小さな惑星だった。重力は地球の三分の一以下でその為大気も存在しない。見渡す限り赤い地表だけが続き、かろうじて存在するのは希少金属の採掘施設だけだ。1号機は、その希少金属の坑道の底にいた。

 巨大なドーム状の空間には1号機の他に動くものはない。

 聞こえるのは、宇宙服の内側で響く自分の呼吸音だけだ。

 またなのか。1号機はそう思いゆっくりと歩き出した。

 やがて辿り着いたドームの中央に、機械虫たちは転がっていた。戦後五年経った今も、機械虫の残党は散発的に発見された。ただそれらはかつてのような驚異的な数を持たず問題にはならなかった。人類にとって、もはや機械虫は大きな害虫程度の存在になっていた。

 機械虫は、1号機が到着した時点で既に活動を停止していた。どの個体にも、剣銃のものと思われる鋭い切創と、複数の弾痕が残されている。1号機はナイフを取り出し頭部の切創に差し込むと核を引き抜いた。

 そして分析機に核をセットした。それは陸軍の研究所から盗み出されたもので、分析に時間はかかるしろくな働きをしなかったが少なくとも1号機が知りたいだけの情報を手に入れることは出来た。

 分析が続く間、1号機は傍の岩に腰を降ろした。

 まるで追いかけっこのようだと1号機は思った。自分が到着した時点で、機械虫の残党が破壊されていたのはこれが初めてではない。それどころか、ここ最近は大半がそうだった。先を行くのが誰かは分からない。だが相当の腕利きらしい。

 不意に1号機は頭を振った。自分が正体の分からない先行者に誰の背中を投影しているか分かったからだ。もう五年も経つのに、自分はまだふっきれていないのだろうか。

 思わず考え込みそうになって、分析終了を知らせる音で現実に引き戻された。

 分析機のディスプレイに表示されたのは、三組の数字だけだった。

 機械虫は行動不能に陥った時、一定の範囲内に存在する友軍に救難信号を発する。それがこの数値の指す位置だ。つまりそこには確実に行動可能な機械虫がいるということになる。

 1号機は自分の端末を取り出し、その座標を入力した。

 今度こそ追いついて、自分の先に虫を処理しているのが誰なのか突き止めてやる。だがその勇んだ気持ちも、惑星の情報が表示されると同時に忘れ去られた。

 ランダニア、1号機はその惑星に行ったことはない。だが、その銀河系有数の人口の少ない田舎惑星のことはとても良く知っていた。それこそ自分の家のように、その星の

景色まで知っている。

 1号機はぎゅっと胸を締め付けられるような気がした。

 そこに行ってしまったら、もう二度と戦いの中に帰ってこられないのではないかと思っていた。だからずっと避けてきたのだ。妹たちからの何通ものメールに添付された、彼女らの安住の地へ向かうことを。

 1号機は目を閉じ、そしてまだ見ぬ故郷を思った。

 そこには、どこまでも続く広大なひまわり畑が有り、その間に背の高い発電用の風車が立ち並んでいる。空は抜けるように青く、それを水面に写す小川は畑の中央を横切る道と並行に流れている。

 最後に、その黄色い景色の中に小さな家が見えた。

 それがみんなの家だ。

 5号機から来たメールには最後に、一部屋空いています、と書いてあった。


 数時間後、上空に待機していた紫雲に戻った1号機は天体観測室へと向かった。

 人類の生存圏の外側での活動の為に、紫雲には各種の研究施設が設けられていた。しかしリッチマンたちに盗み出された以後は全く利用されていない。ただ天体観測室だけは、プラネタリウムとしてではあるが、唯一使われていた。

 部屋に足を踏み入れると、そこは既に星空の世界だった。

 灯りは殆どなく、足元から天井まで全方位が星に包まれている。幾つか置かれた椅子と、星の隣にそれぞれの恒星系についての情報が表示されていなければ、宇宙空間に放り出されたのだと錯覚してしまいそうだった。

 リッチマンは中央のリクライニングチェアに座りぼんやりと宙を見上げていた。

「戻りました」

 敬礼と共に1号機が言うと、リッチマンは口の端を上げた。

「おかえんなさい。もう軍隊じゃねーんだから、かしこまらなくていいって」

 だらけた調子でリッチマンは言って、隣に座れと指さした。

 どうやら飲んでいるらしい。リッチマンは胸に酒瓶を抱くようにしていた。陸戦以外の知識が全く無いリッチマンとっては船の航行中はやることがないらしく、いつもそうだった。

 そもそも1号機は紫雲のクルーでさえなく、その必要も無いのかもしれなかったろうが、一応地上で起きたことを報告した。そして最後に、ランダニアに向かうので次の寄港地で降りると伝えた。

「そうか」

 呟いて、ウィスキーをあおるとリッチマンはしばらく黙っていた。

「ランダニアに行ってその先はどうすんだ。もう仲間と暮らすのか?」

 1号機は思わず黙り込んだ。

 リッチマンが1号機に立ち入ったことを聞くのは、これが初めてだった。

 機械虫の残党を狩り始めてしばらく経ってから、偶然再開したときにも1号機が自発的に話したこと以外何も聞かなかった。ただ、昔からの仲間であるように親切に、出来るだけのことをしてくれたのだ。

 それが、リッチマン自身の人間性によるものなのか、自分を気遣ってくれてのことなのかは1号機には良く分からない。あるいは男所帯で生きてきて、女と喋るのがそう好きじゃないのかも知れない。

 だが少なくとも、その親切さは阿具への義理から出たものだと思っていた。

 それなのにリッチマンは心配するように自分を見ている。

「わかりません。自分の気持ちに整理が付くまで、戻らないとは思ってました」

 1号機は取り繕うことをせずに、思うままに話した。

 深くリッチマンは頷き、また酒を飲むと視線を星空へと向けた。

「整理なんて、ずっと付かねェんだよ。きっとな」

 酒の匂いのする深い溜め息と共に、リッチマンは呟いた。

「ただ諦めるだけだ。出来ないことは出来ないって、出来ないことを追っかけるより、手の届く範囲の大事なものを守った方が良いって思ってな。なんせ、俺たちは生きてんだ。そうだろ?」

 1号機は頷いたが、リッチマンはずっと空を見たままだった。

 その真っ直ぐな瞳から、1号機はリッチマンが何を諦めたのか分からなかった。

「色々なことがあるぜ。出会ったり、別れたりな。すごく嬉しい時もありゃ、すごく悲しいときもある。ただ、なぁ、そういう何かと何かの間ってのが人生の大半なんだよ。なんもねえ、こういう寝そべってるような日々の暮らしってのがな」

 リッチマンはポケットを探って煙草を咥えた。

「そういう普通の時間が、悪くなきゃそりゃ幸せだぜ。そうじゃなきゃ、どっか間違ってるんだよ。お前無理してんだろうが、ツラに出てるぜ」

 そうなのだろうか、1号機はうつむいた。

 考えてみれば、もう長いこと鏡を見ていなかった。着飾る必要が無いという以上に、微少機械の助けなしに続けた長い戦いの日々で追った沢山の傷を見るのが嫌だった。

 煙草の火だけが、ぽっと明るく室内を照らした。

「幸せになれよ、1号機」

 とても穏やかにリッチマンが言った。

「一緒に居たいって思う奴が、お前にも同じように思ってくれて、それで一緒に居られるならそれ以上に幸せなことなんてないだろうが。なあ、お前にだって分かんだろ」

 1号機には答えられなかった。分かってはいた。だが、どうしても胸のうちには強いしこりが残っていた。戦わずには居られない気持ちが有った。

 そんな気持ちさえ理解しているのか、リッチマンは強く言わず、ただ悲しそうに見えた。自分の言うことが無駄だと分かっていても、言わずにはいられないという風に。

 しばらく黙り込み、やがてリッチマンは立ち上がった。

「何やってたって、不安も悲しみも消えることなんざねえんだぜ」

 言い残すとリッチマンは部屋を出て行った。

 1号機はずっと、そのまま座り込んでいた。

 周囲に広がる宇宙空間はどこまでも広く、数多輝く星々さえとても寂しげに見えていた。


 * * *


 夕焼けの中、ヒマワリ畑の上を穏やかな夏風が吹いていた。

 毎日ずっと変わらない夏の夕暮れだ。惑星の公転面と垂直に交わる地軸は、この地に永遠の夏を約束している。だが、今日はそれでも特別に気持ちが良い日であるような気がした。4号機の運転するボロのトラクターも心なしか調子が良いみたいだ。

 きっとそれは、抱えた紙袋から香ってくる甘いパンの匂いのせいもあるだろう。

「ねえ4号、自分のぶんならちょっとだけ食べても良いよね?」

 荷台の上の5号機は、4号機に向かって言った。

 4号機はちらりと肩越しに振り向き、少し考えてまた前を向いた。

「メロンパン」

「はい。私はあんパンにする」

 4号機にメロンパンを手渡すと、自分もあんパンを取った。

 頬張ると、分かっていたことだが思わずため息が出た。こんなド田舎の惑星の農耕地帯の小さな店なのに、5号機はこれより美味しいあんパンを食べたことがない。

「あー、この星に住んでて良かったな」

 ぽつりと4号機は呟いた。5号機も同じ気持ちだった。

 5号機はふと顔を上げて、風が過ぎていくのを見た。地平線まで続くヒマワリの花たちが過ぎていく風に葉っぱの手を振っている。ここでは風が見えるのだ。次々にヒマワリはその葉を揺らし、気付けば風はもう遠くにある。

 ヒマワリの花は、山の向こうに沈もうとする太陽を惜しむように見つめていた。

「ほんとうに、良いところだもんね。ここは」

 5号機の言葉に、4号機は頷いた。

「そうだなー。あとはもうちょっと生活が楽になれば良いんだけどな」

「売れないもんねえ、ヒマワリ」

「そりゃあ、星中に自生してるからなあ」

 ため息混じりに4号機は呟いた。

 農園と言えば聞こえは良いが、実際の所は花による稼ぎは無いに等しかった。

 理由は4号機が言った通りで、どれだけ大ぶりで美しいヒマワリであったところで、

それは星中に生えているのだ。どういう訳かこんな田舎の市場を訪れた観光客がたまに買っていく以外には全く売れる訳もない。

 4号機は家で定食屋をやっていたが、それも数キロ先まで隣家さえないこの場所では客が来るほうが不思議な有様だ。だから現金収入はもっぱら、3号機がこの行政区唯一のラジオ放送局でDJをする給料と、2号機がネット経由で受託する情報処理の報酬に頼っていた。だがそれもそんなに数が多い訳ではなく、生活は楽とは言えない。 

「生きていくのにこんなにお金がかかるなんて考えもしなかったんだよな」

「ヒマワリがこんなに売れないなんて考えもしなかったしね」

「だよなあ。今思うとそんじゃ何を考えてたんだって思うけど」

 また4号機はため息を吐いた。

 この星に来たばかりの頃、何を思っていたか。4号機は忘れたのかもしれないが、5号機は覚えていた。思ったというより、それはみんなで真面目に話し合ったことなのだ。

「やったあ、こんなに売る物が勝手にそこら中に生えてくるなら大丈夫だ、って」

 5号機が言うと、4号機は考えるように首を傾げて、それから納得したように頷いた。

「ああ……そうだった。それと、全く食堂が無いからこれは儲かる、って」

 思わず5号機は吹きだした。4号機はちらりと振り返り、それから肩を振るわせ始めた。気付けば、二人で声を出して笑っていた。自嘲のつもりはなく、ただ面白かった。

 みんな世間知らずだった。でも、それを差し引きしてもあんまりにもうっかりし過ぎている。そんなことを、真剣に話し合っていた自分たちを思うとおかしかった。

 だが、こうして笑っていられるのは、生活は苦しくてもきっと幸せだからなのだろうと5号機は思う。飢えない程度に食べ物が有って、一緒に居たい人たちが居る。それだけあれば充分なのだろう。

 そう思って、しかし不意に、5号機は笑えなくなった。

 5号機が黙り込んだことに気付いて、笑うのを止め4号機が振り向いた。

「どうした?」

 不安そうに4号機が聞いたので、5号機は慌てて首を振った。

「えっ、何でもないよ。今日の晩ご飯どうしようかなって思った」

 咄嗟に吐いた嘘に、4号機は訝しげな顔をしたが、追及せずただ首を少し傾げた。

「今日は2号機がシチューを作るって言ってたけど」

「わあ、……あんまり楽しみじゃない」

 思わず本音を漏らすと、4号機は小さく笑ってまた前を向いた。

 本当は1号機のことを思い出したのだった。一緒に居たい人には、当然1号機も入っているのに1号機だけがここに居ない。1号機はここに来る前に居なくなってしまった。

 1号機は簡素な書き置きだけを残して出て行った。今どこで何をしているかもしれない。メールを送っても返事はいつも同じだった。私は元気でやっています。それだけだ。

 何を思って1号機が出て行ったのか、5号機は分からなかった。ただ、他の特機たちはなんとなく理解しているらしく、1号機について深く話題にすることはなかった。自分だけが精神的に幼いからなのだろう。自分だけが仲間はずれにされているようで、その時にそれがとても悔しかったのを覚えている。

 数年が経ち、少しは5号機も成長した。1号機の気持ちはまだ良く分からないが、なんとなく分かったこともある。たぶん、みんなもそんなに大人っていうわけでもないんだ。口には出しこそしないが、みんな上手く処理出来ない思いを抱えている。

 おそらく、それは阿具少尉が死んでしまったことと関係があるのだと思う。

 自分はまだ幼かったから、阿具京一郎というとんでもない人が居て、それが自分たちを助けてくれて、そして死んでしまったということに実感が持てなかった。その頃の自分にとって大人はとても遠い存在だった。

 しかし時折顔を見せる由梨先生との距離が、年を重ねる毎に少しずつ縮まっていくように感じるのと同じに、1号機たちにとって阿具隊長はもっと近い人だったのだろう。

 その近い人が、ある日帰らぬ人となる。それはとても辛いに違いない。

 今も、死んでしまったわけでもないのに、1号機が居ないというだけで胸にどうしたら良いのか分からない喪失感を感じるのだから。

 夕暮れの中を、鳥の群れが巣へと帰っていく。それぞれに、けれど方向だけは同じにして飛んでいく。まだ風が吹いている。揺れながら、地表を埋め尽くすヒマワリたちは皆、落ちていく太陽を見つめていた。

 ここはとても美しい世界だ。それなのに1号機とこの光景を見ることが出来ない。

 どうしようもなくて、ただ5号機はヒマワリと同じように夕日を見ていた。

 その時、4号機が思い切りブレーキを踏んだ。

 5号機はつんのめって、思わずパンの袋を落っことしそうになり、文句を言おうと前を向いた。だが4号機は体を硬直させて、5号機の方を振り返りもしなかった。

 見ると正面に人影があった。どうやらヒマワリの間から誰かが道を横切ろうとしたらしい。ずっと太陽を見ていたせいで、最初は誰なのか良く分からなかった。

 トラクターの前に立ち、こちらを見ているのは女の人だった。

 黒い服に飾りっ気はなく、大ぶりなリュックを担ぎ、金属製の長いトランクを下げている。全身は鍛え上げられていて引き締まり、離れていても無数の傷跡を体に残しているのが見えた。軍隊で育ってきた5号機にはすぐに分かった。間違いなく沢山の戦いをくぐり抜けてきた強者だ。

 しかし最後にその顔を見て、5号機は言葉を失った。

 それは、毎朝5号機が鏡で見る顔とそっくりだった。すぐに5号機はそれが誰なのか分かった。ただ信じられない気持ちだけがあった。たそがれ時が見せた、一時の幻なのではないだろうかとさえ思えた。

 そこに立っているのは間違いなく、1号機だった。


 1号機は、トラクターに乗ってきてから殆ど喋らなかった。

 言葉に困っているのだろうと5号機は思った。それは自分自身も同じ気持ちだった。ついさっきまで1号機のことを思っていたのに、自分と1号機の間に距離があるような気がしてならない。

 顔にまで及ぶ傷の数々や、脱力しながらも決して緊張を解いていない姿が、昔リッチマンの部隊で見た熟練した兵士を思わせた。彼らは休んでいる時でも、次の戦いの為に休んでいるだけで常に戦いの中に有った。1号機も同じように見える。

 いったい1号機は何と戦っているのか。5号機には分からなかった。

 ぎこちない空気の中で、トラクターがいつもより遅く感じた。

 それから一時間ほどをかけて、トラクターは家に着いた。もう日は山の向こうに隠れ、やがて来る夕闇に備えてか辺りはやけにひっそりとしている。家の玄関からはすりガラス越しに灯りが漏れていた。

 入るとすぐに食堂がある。3号機がテーブル席の中のひとつに座っていて家計簿らしきものを付けていた。いつも通りに、おかえりと言った3号機は5号機の背後を見て、そのまま黙り込んだ。そして目を大きく見開いて、立ち上がった。

「おかえりなさい」

 店の奥から声が聞こえて、階段から2号機が降りてきていた。

 2号機も1号機を見ると驚いたらしく、僅かに表情を動かしたまま動きを止めた。だが3号機がそれきり動けないで居るのと対照的にすぐに階段を降りて、1号機の目の前まで来た。

 きっと2号機なら上手く話してこの気まずい空気をどうにかしてくれるだろう。5号機の期待とは裏腹に、2号機は1号機をじっと見つめたまま何も言わなかった。誰一人声を発さぬまま、じっと時だけが流れていた。

「ごめんなさい」

 1号機は静かに、だがはっきりとそう言った。

 だけど2号機はそれにも答えないで、まだ動こうとしない。

 5号機は思い出した。2号機は1号機が出て行った後、とても怒っていたのだ。きっと何も言わないで出て行った1号機に裏切られたように感じたのだろう。2号機は何日も殆ど口を利かず怒っていて、そのあとまた長い間ふさぎ込んでいた。

 外では、ひそやかにヒグラシの声が聞こえ始めていた。

 それなのに5号機の肌はじっとりと汗ばみ、息苦しさまで覚えた。

 何か言えることはないのだろうか。そう考えてみても、色々なことがぐるぐると同じ所を回るだけで一向に答えに辿り着きそうになかった。2号機も同じなのだろうか、表情は消していても瞳の奥には沢山の感情が渦巻いているように見えた。

「本当に、ごめんなさい」

 再び1号機が言った。

 その時、2号機が手を振り上げた。だがそれは宙に止まったまま、動かなかった。2号機の表情は辛そうに歪んでいた。力を込められた手は微かに震えていた。

 私たちの関係はこんな感じだったろうか。5号機は思った。もう元には戻れないんだろうか。本当は昔のように戻れることをみんな願っているはずなのに、この距離はなんなのだろう。そこに居る1号機が、とても遠い。

 2号機が大きく息を吐いた。ゆっくりと手を下ろして、そのまま1号機に差し出した。

「おかえりなさい。1号機」

 5号機は、はっとした。1号機も驚いたように目を見開いていた。

 それが2号機の結論だったのだろう。2号機は、数年の間にあった、1号機と自分を隔てる思いの全ての上を越えて手を差し伸べているのだろう。2号機の表情にはもう揺れはなく、ただしっかりとしていた。

「2号……わたし、私ね」

 動揺していたのはむしろ1号機の方みたいだった。1号機は2号機の手を前に、視線を逸らし不安そうな表情を浮かべた。だが2号機は動かない。

「おかえりなさい」

 もう一度2号機は言った。1号機はまだ答えない。

「おかえりなさい」

 2号機はさっきより大きな声で言った。その目には涙が溜っていた。

「ただいまって言って。1号機」

 懇願するように2号機は言った。

 祈るような気持ちで5号機は1号機を見ていた。ただいまとただ言って欲しい訳じゃない。2号機は帰ってきてくれと言っているのだ。もう何処にも行かず、また昔のように一緒に暮らそうと言っているのだ。

 1号機はずっと迷っているようだった。

 だけど長い間考えた最後に、ついに1号機は2号機の手を取った。

「ただいま」

 それが全てだった。

 5号機は反射的に、1号機に抱きついていた。すぐに4号機も3号機もそれに続いた。

 1号機が帰ってきた。1号機の言葉とともに、そこにあった距離は無くなってすぐ傍に1号機は居た。それがただ、嬉しかった。思いもしなかったが、涙が溢れた。自然と出てしまう涙は、止められないのだなとなんとなく思った。

 3号機も4号機も泣いていた。

 ひとりだけ1号機の手を握っただけで離れている2号機も、ずっと鼻をすすっていた。1号機は目に涙を溜めたまま、さっきまで感じた緊張感を溶かして、とても安らかな表情をしている。傷はあっても、それは昔の1号機の表情だった。

 ほんとうに涙が止まらなくて、5号機はずっと泣いていた。

 1号機は、ずっと優しく5号機の頭を撫でてくれていた。


 どれだけ感動していてもお腹は空くんだと5号機は思った。

 むしろ、長い間泣いて疲れたせいか、そのあとの食事はとても美味しかった。スパイスの利いたカレーはまるで心の隅々まで満たしていくような気さえした。

 美味しいだけじゃなく、食事をしている時間そのものが楽しかった。いつもよりもみんながお喋りで、なにか安心しているようだ。

「――電気が来てないって知った時は大変だった。通信公社がサービスを提供してても、さすがに電気が無ければどうにもならないもの。仕方がないから走ったの」

 2号機は1号機に来たばかりの頃のことを話していた。

「走ったって、映画とかでやるみたいな自家発電装置の上とか?」

 1号機はおかしそうに話を聞いている。

「まさか。ただ気分を紛らわせようと思っただけ。でも、あんまりにも走りすぎて、お腹がすくからご飯を一杯食べてたら、3号機に家計を圧迫してるって怒られてやめた」

「だって2号機、三人前くらい一人で食べるんだもん」

「でもあれは三人前相当より多く走ってたから当然だった」 

「走る意味がないでしょう」

3号機が声をあげると、みんなどっと笑った。

 番号が早いというだけの理由で、1号機が居なくなってから2号機がみんなを引っ張ってきた。だが2号機の性格からすれば、それにはだいぶ無理をしていたのだろう。好き勝手言っている今の2号機の方がずっとらしい感じがした。

「それくらい、電気が来てないのは大変なことだったってこと。ねえ、4号機」

「うん? おれ、今聞いて電気来てなかったんだって気付いたよ」

「それはそれでどうかと思うけど……」

 3号機は肩をすくめている。1号機は本当におかしそうに笑い転げていた。

 5号機はそれが、1号機が居ることが、当然のことであるように感じ始めていた。昨日まで1号機が居なかったことが信じられないくらいだった。それくらいに、1号機の存在はぴたりとみんなに溶け込んでいる。

 そうか、私たちは欠けていたんだ。今さらながらにそう思った。

 環境の急な変化や、毎日の生活に流されて気付かなかったんだろう。生きていくのが大変なのも、先行きに言い知れない不安を感じることがあるのも、全ては当然のことに思えていた。

 だが必要だったのは、お金でも、将来の保証でもない。ただ1号機だけだったんだ。

 今、こうして全員が揃うと、もう怖い物なんてないように感じた。

 もちろんこれで全てが解決された訳じゃないだろう。苦しい日々の生活が楽になる訳じゃなく、むしろ食費は一人分増えることになった。それに大変なことは放っておいてもどんどんやってくるのだろう。だがこれでやっと、大変な日々と戦っていくことが出来る。5号機にはそう思えた。

「やっとだよな」

 隣の4号機がぽつりと小さな声で呟いた。

 向かい側の1号機達は、まだ楽しげに今までのことを話している。

「やっと、1号が帰ってきた?」

 5号機が聞くと、4号機は少し黙って首を横に振った。

「やっと幸せになるための準備が出来た。家族がさ、一人だけ空の向こうで戦い続けてるのに、自分たちだけ美味しい物食べて笑って過ごしている訳には、いかないもんな」

 珍しく饒舌に4号機は喋ると、恥ずかしそうに頬をかいた。

 4号機も同じように思っていてくれたことが嬉しくて、5号機は大きく頷いた。

「大変なことが有っても、きっとどうにかなるよ、きっと」

 言いたいことは沢山有ったが、想いが溢れてそれ以上は言葉にならなかった。

 だが4号機は全てを察しているように、深く頷き返してくれた。

 とにかく幸せで、楽しい夜だった。食事の後もお喋りはずっと続き、みんなで布団を持ち寄って電気を消した後にも延々と絶えることがなかった。これから新しい日々が始まるのだという興奮から、5号機はなかなか寝付けなかった。

 やがて眠りが意識を持ち去るその時まで、5号機は1号機たちのお喋りに耳を傾けていた。そして訪れた眠りは、今までで最も深く心地の良い物だった。


 * * *


 吹きすさぶ風の中をどこまでも1号機達は飛んでいった。その時、1号機は何か光り輝くものが塊の中心から、空へ向けて飛んでいったように見えた。まるで死んだ人の魂が空へと帰って行ったようだった。しかしそれはあまりにも一瞬で、1号機はきっとそれは光の反射か何かだろうと思った。

 だが再びその光景を前にして、疑念が痛みを伴って1号機の胸を焦がす。

 あれはなんだ。なんだったのだ。

 本当に戦争は終わったのか。

 焼け跡の下でいつまでも種火がくすぶっていることがあるように、巨大な残骸から放たれた火はどこか宇宙の片隅で燃え続けているのではないのか。静かに、しかし再び大きく燃えさかる時を待って。


 胸を締め付けられるような不安を感じ、1号機は唐突に目を覚ました。

 まだ周囲は薄暗く、夜明けには幾ばくかの時を待たなければならないようだった。常夏の惑星だと言っても、朝は冷え込むのか1号機は微かに寒気を感じた。

 夢だ。1号機は自分に言い聞かせる。だがそんなことはとうに理解していた。

 これまでに何度も同じ夢を見ていた。そして決まって、この夢で目覚めた朝には不安が付きまとった。何か良からぬことが起きようとしているのではないか、と。

 1号機は、勇気づけるようにぎゅっと自らの両肩を掴み、それから体を起こした。

 そこは家の二階にある大きな居間だった。半円形の大きなソファの上で特機たちが静かな寝息を立てている。1号機は足音を殺して、部屋の隅まで歩くと自分の荷物を取った。そして部屋を出て一階へと降りていった。

 昨日あんなに賑やかだった食堂が、人の気配がないと何とも寂しかった。

 不慣れな室内から、手探りで電灯のスイッチを探した。やがて室内に明かりが点くと、1号機はテーブル席のひとつにトランクとリュックを下ろして中を開けた。

 現れた銃器と防具は、この暖かい家には似つかわしくないように感じられ1号機は唇を噛んだ。平和に暮らす家を、血で汚したように思えた。だが、いつまでも落ち込んでいる訳にはいかない。1号機は手早くそれらを身につけ始める。

 馴染んだ武具の感触が身を包み、反射的な安堵を覚えると1号機はまた重い気持ちになった。唯一救いがあるとすれば、今の自分の姿を他の特機に見られていないことだ。 準備が整いライフルを担ぎ上げた。それから顔を上げて、1号機は動きを止めた。

 視線の先にある階段に、2号機が頬杖をついて座り込んでいた。

 眠たいのか、特に表情は無くじっとこちらを観察しているような目付きだった。

 思わず心臓が強く打ち、何か言おうとして1号機は口ごもった。2号機はそんな様子を見ると立ち上がり1号機に歩み寄った。ゆっくりと2号機は手を挙げ、1号機は殴られるのを覚悟して身を硬くした。

 だが2号機の手は、そっと両側から1号機の頭を包むように添えられた。

「あ、あのね2号」

 弁明の言葉は最後まで続けられなかった。

 1号機が口を開いた瞬間には、2号機の頭突きが顔面に叩きつけられていた。

 重たい音と共に手加減のない強烈な痛みが、1号機の鼻っ面を襲う。

 わざわざ相手の頭を固定した上での豪快な頭突きを繰り出しておきながら、2号機はあっさりと1号機から離れて、そのまま食堂の奥にあるキッチンへと歩き去った。

 突然のことに1号機は自分の顔を押さえたまま立ち尽くしていた。

「コーヒー飲むー?」

 やはりまだ眠いのか、妙に間延びした声で2号機が言った。

 そのキッチンから振り向いた表情にも、声にも怒っている様子は微塵もなかった。1号機はもはや2号機の真意も、頭突きを食らった理由も良く分からず、ただ、うん、とだけ答えた。

 2号機は返事もせず頷くと、豆を挽きコーヒーを煎れ始めた。

 何だかその背中には、はっきりとした意思があるように感じた。1号機は何をすべきかも分からずテーブル席の椅子に座ったまま、じっと待っていた。どちらが姉か分かったものじゃないな、と1号機はぼんやりと思った。

 さほどの時間も掛けずに、2号機はコーヒーを持って戻ってきた。そして1号機の向かい側に腰を降ろした。少しは目も覚めたのか、2号機はさっきより少ししっかりした顔をしている。

 深い深いため息を、口から漏らして2号機はちらりと外を見た。未だ暗い。

「昨日は久しぶりにあって少し感情的になったけど、納得は出来ているつもり」

 そう言って2号機が1号機に向けた顔は、とても大人っぽい表情だった。

「私は、みんなと居られたら良いって思う。でもどういう生き方をするかは、貴方が決めること。ただ黙って出て行こうっていうなら、頭突きの一発も食らわせる」

 にっと2号機は笑った。その顔に遠い面影を見た気がして、1号機は目を細めた。それから目を閉じて大きく息を吸った。どこかで鳥が鳴き始めている。

「夢をね、見るんだ」

 話し始めた1号機に、2号機は少し驚いた表情を見せた。

「あの私たちの最後の戦いのときのこと。そのときの夢を何度も見るんだ。忘れてはいけないとでも言うみたいに。何度も何度も、繰り返して」

 1号機は言葉を切って少し黙った。

 まだ迷っていた。話すべき事ではないのかもしれない。話せば、自分が抱いているような不安を感じさせてしまうかもしれない。そう思って今までずっと黙ってきた。

 だが2号機はじっと1号機の言葉を待っていた。今の2号機になら話しても良いのかもしれない。そう思わせるだけの何かが、2号機には有った。

「私はそのとき見たんだ。見たと、思うんだ」

「いったい、何を」

「何かは分からない。ただ光を帯びた球に見えた。それは壊れ始めた塊の中心から、空へ逃れて行くみたいに飛んでいったんだ」

 2号機は表情を変えずにただ頷いた。

「それで、どうなったの?」

「それで全部。でもそれを見たせいで、私は今も戦ってるんだと思う」

 意味を判じかねてか、2号機は目を細めた。

「死んだみたいに見えたけど、本当は、仕留め損なったんじゃないかって思った。それで、あれは今も宇宙の何処かで自己修復を行ってるのかもしれない」

「つまり、1号機はそれを防ぐために、平和のために、戦っているってわけ」

 まったく納得がいかないという風に、肩をすくめて2号機は聞いた。

 1号機は首を横に振った。たしかに自分はもしも戦争がまた起こるならそれを止めたいと思っていた。だがそれは世界平和を願ってではない。もっとくだらない理由だ。

「私はたぶん、あの隊長殿のことを上手く割り切ることが出来なかっただけなんだ」

 死んだ阿具について、2号機に話したことは無かった。2号機もまたそのことを口にすることはなかったし、特機は誰も同じだった。

 2号機はただまばたきをして、口をつぐんでいた。

「あの戦争を終わらせたのは多分隊長殿なんだ」

 表情を変えなかったが、2号機は驚いているのだろう。

 リッチマンたちもあの戦争について話すことは殆ど無かった。だが断片的に兵士達の話を聞いて、1号機はあのとき、意識を失う寸前に見た天使は阿具だったのだと確信していた。あの塊は勝手に崩壊したといことになっているが、きっとそれは阿具がやったことなのだろう。

「突拍子もない話」

 随分長い間黙った後で、2号機はそれだけぽつりと言った。

「隊長殿は人間じゃなかった。そう考えれば、そう突拍子もない話ではないと思う」

「誰かが人間じゃないなんて、それだけで突拍子もない話なのよ」

 ぴしゃりと2号機は言った。だが反論しようという意図は見えなかった。

「戦争が終わってから色々調べたんだ。それで最初に調査団が遺跡から持ち帰ったのは、私たちが見た天使とそっくりの生き物だってことが分かった。旧蓬莱はそれを元に色々研究をしていたみたい。でも天使から取り出された核を埋め込まれた実験体が研究室を破壊して逃走したのと、機械虫の侵攻が重なってその研究は立ち消えになってしまった」

「そのレポートは私も由梨先生に見せて貰ったことがある。でもその実験体は処理されたとも書いてあった」

「うん、でもそのレポートには、近くの病院から死体が一体消えて、数日後に宇宙港で目撃されたなんていう都市伝説じみた話は載ってない」

 予想通りに、2号機は目を見開いて少し驚いた表情を浮かべた。

「それから、幾つかの死体消失事件と、その死体が遠隔地で見つかる事件が、途切れ途切れに報告されている。そして辺境地周辺でその報告は終わる」

 1号機が話している間、じっと2号機は考え込んでいるように見えた。

「そして阿具京一郎が異常な戦績を上げ始めるひとつ前、つまり二度目の出撃の時、阿具京一郎は戦闘中に行方不明になって、60時間後に死亡認定が降りたずっと後なのに無傷で帰還してる。ちなみに最後に無くなった死体が、その戦域まで移動したとしたら、ちょうどそれくらいの時期に辿り着くはず」

 話し終えて2号機を見ると、2号機はまた無表情に戻って黙り込んでいた。

「バカバカしいし、どうだっていい話ね」

「それ自体は、私もそう思う」

 1号機は同意して頷いた。全ては推測に過ぎず推測にしてもやはり突拍子もない。

「それが事実かはね、確かめられないしどうだって良いんだ。でも私たちが何から作られたのかって分かった時に、なんとなく、やっぱりそうなのかって思ったんだ」

「そうか。私たちは最初に見つかった天使の研究を元に作られたっていうのね」

「身体の組成に関しては、ほぼ模倣しただけだって報告書には書いてあった。それがどれくらいの意味を持つなんて分からないけど、でも私は初めて会ったときから隊長殿に、不思議な親しみみたいなものを感じてたんだ。この人は私たちを守ってくれる、いい人なんだって、何の根拠もないのに信じてた」

「そういえば、初めて会った時から、1号機は隊長殿になついていたものね」

 過去を思い出しているのか、2号機は目を細めた。

 頷いて、1号機も不意に阿具と出会った時のことを思い出した。その雰囲気も、何を話したかも鮮明に思い出せた。だが、阿具がどんな声をしていたのか、どんな顔をしていたのか、ちゃんと思い出そうとすればするほど霞んでいくように感じる。

 時間を重ねれば、更にそれはおぼろげになっていくのだろう。1号機はそれが怖かった。いつか本当に忘れてしまうかもしれない。もしもそうなのだとしたら、阿具京一郎という人が成したことだけでも残しておきたかった。

「それ自体も、本当かどうか分からない。でもそれでも良いんだ。私は隊長殿がとっても好きだったんだ。その隊長殿が、命を賭けて守ったものを私も守らなきゃって、そう思ったんだ。そうじゃなきゃ、隊長殿が居た意味が、無くなっちゃうんじゃないかって」

 思いのほか胸が詰まって、感情的な声が出た。そのことに動揺して1号機は黙り込みゆっくりと息を吐いた。外の風景はいつのまにか夜のそれから、朝へと近付いている。時が自分を置いて行こうとしているように感じた。早く出なければ、他の仲間達が起きてきてしまう。

「だから戦う? 死んだ人のため、あるかどうか分からない危機と戦い続ける?」

 焦っていることを見越してか、2号機は初めて問いを口にした。

 1号機は再び大きく深呼吸をした。それは自分自身何度も自問してきたことだった。

 ほんの一時の沈黙であったはずなのに、時間が縮尺を間違えているように酷く長かった。だが時は決してその速度を変えては居ない。朝がじりじりと近付いている。立ち止まっていることなど、もう出来ないのだと1号機は思った。

「今日で、もう終わりにする」

 その言葉に、間を置いてから2号機は深く頷いた。

「それで良いの?」

「それで、たぶん良いんだろうと思う。どこかで終わるしかなかったんだ。何年探しても何も無かった。この先も、こんな思いをしてずっと生きていきたくない」

 それはきっと自分が弱いからなのだろう。1号機はふと思った。だがそれでも、弱くてもみんなと生きていたいと思った。

 1号機は真っ直ぐ前を見て、2号機と向き合った。

「今日で最後。今日だけは、気持ちの整理を付けるために、行かせて」

 そう言うと、2号機は眉間に皺を寄せ黙り込んだ。

 怒っているのかとも思ったが、すぐに思い出した。それが2号機が表情に困っている時にする顔だった。

「心配だけど。でも、とても嬉しい」

 軽く目頭に指を触れて、2号機は呟くように言った。

「納得は出来てるとか、貴方の自由なんて行ってたけど、やっぱりみんなで一緒に居るのが一番だって思ってた。力ずくでも、泣き喚いても一緒に居て欲しかった。ずっとそんなことばっかり考えてた。物わかりの良い顔をしていたけど、全部嘘だった」

 2号機はほんのり頬を染めた。

 そんな言葉を2号機から聞くとは思わず、1号機はしばらく何も言えなかった。

「……すごく成長したって感じがする。私は、ずっと子供だったのに」

「そうかな」

 2号機は肩をすくめて、ずっと置いたままだったカップに口を付けた。

「全然成長しない部分もあるんだけどね」

 それが何を指しているのか良く分からず、1号機は曖昧に頷いた。

「なるほどね」

 それから自分のコーヒーに手を付けたあとで1号機は呟いた。

 コーヒーは、ちゃんとしたコーヒーメーカーで煎れられたにも関わらず、全く何か分からない味をしていた。これをコーヒーと呼ぶなら、全宇宙の大半の飲み物は全てコーヒーになるだろうと1号機は思った。

 やがて、少しの時間をかけてその液体を胃に流し込んでから1号機は立ち上がった。

 本当はもっと2号機と話していたい気持ちだった。だが時間が待ってくれない。それに帰ってくればまたどれだけでも話すことは出来るだろう。自分の前には、新しいまっさらな時間が広がっているのだ。だから、今は過去と別れを告げなければならない。

「1号機!」

 入口の引き戸に手を掛けたところで、2号機が呼び止めた。

 振り向くと、2号機は迷うように唇を噛んで、それから1号機の目を見た。

「阿具隊長は、きっとこの世界の平和なんて守ったわけじゃない」

 はっきりとした声で2号機は言った。

「きっと、私たちを守ってくれたんだよ」

 その言葉を聞いて、1号機は自分の気持ちに最後まで残っていた後悔が、すっと溶けたような気がした。そうか、そうだった。あの人は戦争が大好きで、ずっと戦い続けていたい人だったんだ。世界の平和を守るなんて、ガラじゃない。

 きっとそうだろう。その為に、あの人は戦ってくれたのだろう。

 不意に泣きそうになって、1号機はそれを堪えた。帰ってから思い切り泣こう。そう思った。

「ありがとう。行ってくる」

 1号機はそう言って踏み出した。

 外に出ると太陽がもう山の向こうに有るのが分かった。風景が夜の闇の中から徐々にその輪郭を明らかにしようとしていた。鳥が起きてもう空を飛び始めている。この惑星の朝は、長く暮らした蓬莱のそれより遥かに強く眩しかった。

 朝が世界の眠りを覚まし始めている。

 長い夢が終わったのだ、なんとなく1号機はそう思っていた。


 日を受けた土と、花の香りが満ちている。

 目的地までは早足でも半日はかかる程度の距離だったが、1号機はひまわりの花の間を抜けて行くにつれ、その穏やかな風情にゆっくりと歩いていきたい心境にかられた。だが既に予定から一日遅れている。目的地がこれほど家に近いのも、4号機たちと出会ったのも予想外のことだったのだ。本当は、昨日のうちに目的地にたどり着き機械虫を駆除して、それから家に帰るか考えるつもりだった。

 どうせこの先ずっとここに居ることになる。そう割り切って、1号機は先を急いだ。

 肩が触れると、1号機より少し背の高いヒマワリたちは体を揺らして道を空けた。その花は等しく1号機の背後にある太陽に向いている。1号機は首筋に熱を感じ始めていた。もう陽が上がったらしい、ヒマワリの茎の間を縫って自分の影が長く伸びている。

 ヒマワリ畑はそれから一時間あまり続き、最後に小川にあたって途切れた。

 土手を降りていくと、草むらの中から驚いた蛙が川へと飛び込んだ。澄み渡った水の中には魚も泳いでいる。見回しても橋らしきものは見当たらない。だが歩いて渡ることは出来そうだ。1号機は軍用のブーツを脱ぐと川へと踏み込んだ。

 水の冷たさも、足の裏に感じる川底のごつごつとした感触も、心地好かった。

 考えてみれば、今までこんな風に川に入ったことなどなかったかもしれない。

 川を渡ると、その先には木々が生い茂り山へと続いていた。目的地はその山を越えた所にあるはずだった。地図によれば、その先は複数の山が交叉する位置で殆ど人が立ち入ることもないらしい。1号機は足を拭いて靴をはき直すと歩き出した。

 手つかずの山に道は存在せず、1号機は方角だけを頼りに突き進んでいった。

 背の高い木立は日の光を遮っては居たが、道の険しさに汗が滲み出た。

 やがて四時間ほどかけて、山頂付近で1号機は岩に腰を降ろして一休みした。蝉の声がさざめくようにどこかで響いている。大して高い山でも無かったが、それでも空気はさわやかで汗が引いていくのが分かった。

 そこからの展望は素晴らしかった。見渡す限りヒマワリ畑がどこまでも続き、遠目に白い柱のように見える風力発電の柱が幾つも立っている。そのなかに、白い木造の家がひとつだけ建っていた。

 それが自分のこれからの家なのだ。そう思うと胸が高鳴り、1号機は深呼吸をして山の空気を吸い込んだ。まるでピクニックにでも来ているように、楽しく穏やかな気持ちが胸の中に広がっていた。

 きっと、本当のピクニックに来ることもあるだろう。

 それだけじゃない。あちこちに生えている花や草の名前を知ることや、この未開の山を探検して地図を作ることだとか、沢で釣りをしたり、虫取りをしたり、どんなことだって出来る。川を裸足で渡るみたいに、小さい頃出来なかった全てが、ここでは許されている。

 そんな沢山のことを、姉妹と共有して生きていくのだ。きっと幸せだろう。

 ずっと幸せはここに有った。気付かずに、或いはそれを受け入れることが出来ずに、ずいぶん長い時間をかけてしまった。みんなにも心配をかけただろう。これからそれを、少しずつ埋め合わせていかなければならない。

 1号機はそのまましばらく考え込み、充分な休息を取った後で再び歩き始めた。

 今こうして戦いに来ているのも、心配をかけているのかもしれない。だが、自分の過去と決着を付ける意味だけでなく、周辺の安全を確保するためにも機械虫を駆除する必要が有った。それが終わって初めて、全てが始まるのだという気がしていた。

 目的地まで、先はまだまだ長かった。だが存在しないものを追い続けた数年に比べれば、どうということのない距離だ。

 それから五時間ほども山道を行き、1号機は目的地に辿り着いた。

 着いてみると、すぐに目的地は分かった。鬱蒼と茂る木々に隠れるように、古びた洞窟らしき穴が口を開けている。内部に光はなく、ただ冷たい風が吹き出してきていた。

 ライフルの安全装置を外し、1号機はしばらく目を閉じた。

 沢山の思いや、考えなければならないことが身を潜めていく。代わりに、遥かに五感は研ぎ澄まされ、次に目を開いたときには1号機はいつでも戦える状態になっていた。

 全てを終わらせる。1号機は心の中で呟き、洞窟へと足を踏み入れていった。


 1号機はボディーアーマーの肩にライトを取り付けて進んでいった。

 百年少し前に、ランダニアは希少金属の産出地として地球化された惑星だ。おそらくこの洞窟はそのときの鉱山なのだろう。もっとも地球化されて間もなくその金属には希少価値は失われ、ランダニアの開発は中止されたと聞く。そうして、大地には変わり者と貧乏人だけが残り、この星は忘れ去られたのだ。

 この坑道もずっと放置されたままらしく、固められた洞窟の内壁さえ経年劣化であちこちがひび割れ、配管か何かが破れているのか天井近くの壁には錆色の染みがこびりついている。入口から数百メートルも進むと外界の音も届かず、何も聞こえなかった。

 それでも1号機は注意を怠らず、周囲を警戒しながらゆっくりと進んでいく。

 集団からはぐれ、近くに攻撃目標を見つけられない場合、機械虫は地下など環境の変化を受けにくい場所で休眠状態に入る。そのため、機械虫の残党はこんな場所に潜んでいることが多いのだ。

 坑道は延々と続き、やがて少し開けた空間に出た。

 そこには一匹の侍蟻が1号機を待ち受けるようにして居た。侍蟻の装甲には銃弾に依るものらしき歪みがあちこちに有り、表面は傷だらけだった。恐らく激しい戦闘中に逃げ延び、親玉が破壊されたことも知らず眠り続けていたのだろう。

 自分と似ている。1号機はそう思いながらも、銃を構えた。

 それと同時に侍蟻は長い顎を構え、悠然と1号機に突進する。1号機のライフルは火を吹き侍蟻の頭を捉えるが、侍蟻は衝撃で頭を揺らしながらも止まることはなかった。

 もとより民生品の打撃力に劣るライフルで機械虫を止められる訳もない。1号機は慌てずに銃身の下に装着されたグレネードランチャーの狙いを定めて引き金を引き、発射と同時に横に飛び退いた。

 爆発で進路をずらされ、侍蟻はそのまま壁へと激突した。

 1号機は避けた後も休まずにライフルに徹甲弾を装填すると、背後を見せた侍蟻へと

走った。そして目標を見失い一瞬動きを止めていた侍蟻の背中に飛び乗ると、1号機は首と胴体の継ぎ目に足を絡めて座り、銃口を機械虫の後頭部へ向けた。

 熟練してしまえば、機械虫との戦闘はそう難しい物ではなかった。元々が、機械虫は多人数の人間を蹴散らすように設計されているのだろう。その頑丈さと物量こそが最大の武器であり、一人の特別に強い人間を相手に戦えるほど器用には出来ていないのだ。

 これで終わりだ。そう思って1号機は引き金を引いた。

 銃口が火を吹き蟻の頭部に鋭角の歪みが発生すると共に、侍蟻は暴れ始める。首を振り体を壁にぶつけ、苦しむように地面を踏みならした。それでも1号機はしっかり足で体を支えて狙いを外さなかった。

 その蟻の様を見て、胸にかすかに痛みのようなものが走る。

 だがそれは感傷だ。この生物は殺す以外の目的を持たない。意志と呼べるものさえ持ち合わせては居ない。彼らにとって終わりとは、殺し尽くした後か、自らが機能停止することのどちらかでしかない。

 もう戦争は終わった。もう終わりを迎えても良い頃合いだ。

 いつまでも来ない仲間を待ち続けるなんて、哀しいことでしかない。

 気付けば弾倉は空になっていた。だが侍蟻は未だに動きを止めずに暴れ続けている。1号機はライフルを投げ捨てると、超硬合金のナイフを抜き両手で振り上げると銃創に向けて思い切り振り下ろした。火花が散り、ナイフが装甲に突き刺さる。だがまだ貫通しない。1号機は再び大きくナイフを振り上げる。

 では、自分はどうなんだ。1号機はナイフを侍蟻に打ちつけながら思う。

 自分は阿具の幻を追い続けてきたんじゃないのか。本当に阿具の遺したものを守りたかったのか。ただ、自分は阿具に誉めて欲しかっただけじゃないのか。既に死んでしまった大好きな人のことを想い続けるのは、哀しいことじゃないのか。

 死ぬときまで戦い続けるしかない機械虫のように、自分も死ぬときまで想い続けるしかないのではないか。本当に過去を忘れて新しく生きていくことなんて出来るのだろうか。出来たとして、それは自分なのだろうか。今のこの想いはどうなる。こんな想いまで忘れてしまうのに、それ以外に何が残っていくっていうんだ。

 哀しいことを忘れて、楽しく生きて、そのあとに何が残る。

 楽しかった時間の後には、それと別れる哀しみが来るんじゃないのか。

 それさえも忘れるのか。何もかも忘れてしまうのか。

 それが生きていくっていうことなのか。

 そうまでして生きて行かなきゃならないのか。

 一撃加えるごとにナイフは深く食い込んで行き、最後に侍蟻が動きを止めた。

 それまで激しく足掻いていた侍蟻は、糸が切れたように地面に突っ伏して倒れた。

 1号機は投げ出され、地面に転がった。そしてそのまま仰向けに倒れた。

 天井を見上げ、1号機は立ち上がらずに荒く息を吐いていた。

 きっと悲しみを忘れるコトなんて出来やしない。それでもみんな生きていくんだろう。共に食事を摂り、川で遊び、山を散策し、花を育て、楽しく日々を暮らして行く。やがて深い悲しみと共に別れが来る。それでも、また楽しく生きていくのだろう。悲しみを心に抱きながら。その悲しみが薄れてしまうことにさえ、悲しみを覚えて。

 やがて呼吸が収まってから、1号機は体を起こした。

 帰ろう。これからのことは、これから考えれば良い。

 1号機は停止した侍蟻に歩み寄ると、頭部からナイフを引き抜いた。

 何もかもが終わったのだと思った。だが1号機は侍蟻の体に触れて、ふと目を留めた。それは一発の銃弾だった。節と節の間に刺さったその銃弾は、殆ど劣化している様子がなかった。ごく最近撃たれたものに見える。

 どういうことだ。目を細めた1号機の耳に、遠くで爆発音が聞こえた。

 誰かが戦っている。1号機の脳裏に、いつも自分の先を行く者のことがよぎった。

「まだ終わってない……」

 1号機はライフルを拾い上げると、銃弾を装填しながら走り出した。

 行く手には、闇がぽっかりと口を開けていた。


 間もなく、坑道はさっきより大きな空間につながった。

 かつてそこは貯蔵庫か何かだったのだろうか。天井も遥かに高く、紫雲の天体観測室が優に二つは収まりそうなだだっ広い場所だった。何者かが投下した複数の発炎筒が、赤い光で室内を照らしている。

 そこに辿り着くと同時に1号機は息を呑んだ。

 人影は見えない。揺れる赤い光の中で照らされていたのは、床を埋め尽くすほどの機械虫の死骸だった。1号機は虫の間の隙間を縫うように歩いた。虫たちは絶命しているように見えたが、折り重なっているものも居る。安心は出来ない。

 これだけの死骸が転がっているせいか、どこか見られているような気がして落ち着かなかった。だが少なくとも見える限りでは生きている機械虫は存在しないようだ。

 ぐるりと一周回って、やっと1号機は少しだけ緊張を解いた。

 機械虫の数が多いこと自体はさして驚きはしなかった。散発的にではあるが、今でも集団で機械虫が発見されることはある。それよりも驚くべきは、これほどの数と、この密閉空間で戦って人間側の損害の痕跡がないことだった。

 かなりの手練れの集団なのだろうか。すくなくとも、一人の強い人間が自分の先を行っているという想像は外れた。機械虫の破損は、ランスで突かれたものもあれば、剣銃で斬られたものも、大口径のライフルで撃たれたものもあり様々だった。一人の人間がこれほど多くの武装を持ち歩くことはまず有り得ない。

 だが1号機は、自分の先を行くのが誰なのか余計に分からなくなっていた。

 一人くらいなら、自分の知らない強い人間が居ても不思議ではないだろう。だが部隊となると、これほどのことが出来るのはリッチマン率いる旧突撃隊か、自分たち特機くらいしか思いつかなかった。それもどこで聞いても、自分の先行者の姿を見た者は居らず移動の痕跡さえ見つからない。大人数であると想定するなら、そんなことが可能なのだろうか。

 1号機は考えてじっと立ち止まっていた。

引き返すべきなのかも知れない。痕跡を消して移動しているのだとすれば、それは自分たちの存在を知られたくないということだろう。今このまま進めば、必然的にその見つかりたくない者たちに出会うことになる。

 迷う1号機は、そのとき不意に血の臭いをかぎ分けた。

 1号機はそのまま匂いの方へと歩いた。そこは広間から繋がる通路への出口のすぐ傍で、見回すと何匹も折り重なった機械虫の脇にたしかに人の血痕が残っていた。

 血痕は点々と通路へと続いている。

 さあ、どうする。再び1号機は考え込んだ。

 しかし今度は、長く考える時間は与えられなかった。

 僅かな気流の乱れを先に感じた。だから1号機は、暗い通路の奥に針の先ほどの光を目にしたときには、既に回避行動を始めていた。それでも完全には避けきれなかった。回転して飛び退いた1号機は体勢を戻した瞬間に肩に痛みを覚える。

 光線兵器で撃たれたのだと1号機は思った。だが反射的に手をやった肩の傷は鋭利な刃物で切られた時のそれだった。バカな、そう思いつつ顔をあげて、1号機は言葉を失った。

 1号機の脇を過ぎた光の塊は、そのまま反対側の壁の近くまで飛び、そこから方向を変えて上へと飛び上がっていった。優雅に、羽を広げて、それは遥かに高い天井付近を旋回していた。

 恐怖と痛みが、一度切り離された筈の左腕から全身へと広がった。

 それは間違いなく、あのとき見た天使と同じ種類の生き物に見えた。

 優雅に羽を広げる天使は、くるりと円を描くと次の瞬間には再び1号機へと向かってきていた。考える間もなく1号機は機械虫の上を転がった。天使の通過と共に、今度は左腕に痛みを覚える。二の腕に深い切創が刻まれた。

 それから数度の攻撃が行われ、その度に1号機は体に傷を増やした。

 1号機が放つライフルの弾は天使に軽々と避けられ、続けての攻撃で1号機はまた地面に倒れ込んだ。今度はライフルが真っ二つに切り裂かれた。

 そのことから、どうやら攻撃を避けることが出来ている訳ではないらしいと1号機は気付いた。敵は慎重に、自分が反撃されないようにこちら側の損害を増やしているに過ぎない。

 このままではやられる。1号機は歯を食いしばって立ち上がった。

 だがどうやって戦えばいいのか、1号機には分からなかった。 

今まで天使と戦って勝った人間など居たのだろうか。そう考えてみて、1号機はやっと思い出した。そういえば、リッチマンに一度だけ聞いたことがあった。

 本当に天使と出会うと思っていた訳じゃない。自分が人より遥かに強かった時にも、一人倒すのがやっとだった天使を、どうやってリッチマンが倒したのかということが純粋に疑問だったのだ。

 リッチマンはただあっさりと相手がどう動き、自分がどうしたのかだけを話してくれた。だが、それで1号機には充分理解できた。人類より早く、強く、賢い生き物に勝つために、リッチマンはただ壊れるかも知れない自分の命を軽く投げて、賭けをしたのだ。

 捨て身でかかるわけでも、死にたくないと渇望するわけでもなく。

 何の気負いもなく、命を秤に乗せたのだ。

 何も考えていなかった。だが相手が一瞬、ほんの少しだけ遅れたから俺が生き残ったのだと、リッチマンは言っていた。その遅れはおそらくどんな生物でも持つ、生き延びる確率が高い方を選択しようとする本能のようなものだろう。

 天使は身を翻して真っ直ぐに1号機へと向かってきていた。

 傷ついた足では逃げ切れそうにもない。1号機はナイフを構えて身を低くした。

 そんなやり方をしなければ倒せない生き物なのだ。覚悟を決めるしかない。

 天使は息を吐く間もなく、一瞬で1号機の眼前へと迫っていた。

 無理だ。私には出来ない。恐怖が1号機の身を満たしてた。

 生きようとせずに戦える生き物など居ない。リッチマンは特別なのだ。

 避けるな。ただ前に進め、意識は強く叫んでいた。だが1号機は同時に理解していた。そんな風に思う時点で自分はもう躊躇っているのだ。

 反射的に体は避けるように動き、ナイフは刃を狙って振るわれた。だが天使の勢いを押さえ込める訳もなく、1号機は体当たりを受けて吹き飛び機械虫の死骸の上に叩きつけられた。

 すさまじい衝撃に襲われながらも1号機は更に体を捻った、直後に天使の刃が機械虫の体にいとも簡単に突き刺さる。1号機はそのまま逃げようとしたが、天使の手が1号機の頭を掴み、力任せに機械虫の体へと投げつけた。

 後頭部をしたたかに打ちつけて、視界が歪んだ。

 天使は休む間もなく、そのまま1号機の顔を殴りつけた。数度殴られた後には、もう痛みもなかった。ただ強い衝撃が意識を揺らしているようにしか感じなかった。強化骨格でなければ、既に死んでいただろう。

 だがどちらにしても、もう長くはないだろう。1号機は不思議と冷静にそう思った。

 天使が刃を抜いて振り上げるのが見えていた。

 しかしもう体に力を入れることすら出来なかった。

 機械虫の終わりが死ぬことしかないように、自分にも死ぬこと以外に終わりは用意されていなかったのかもしれない。もはや恐怖は無かった。あきらめと、かすかな安堵だけがあった。もう悩むことも苦しむこともないのだ。

 ただ姉妹に申し訳ないと思ったのを最後に、1号機の意識は闇の中に消えて行った。


 * * *


 ふと目を開くと、姉妹たちがみんな1号機の方を見ていた。

 咄嗟には状況が理解出来ず、1号機はぱちぱちとまばたきをした。なぜ自分はここにいるのだろう。どうしてみんなが居るのだろう。そう思ってみて1号機は急に自分の考えがバカバカしくなった。

 ここは特機隊の隊室なのだ。まだ仕事が終わった覚えもないのだから、ここに居て当然じゃないか。それにみんなが居るのも当たり前だ。いつも殆ど一緒で、一人になることなんて寝ている時なんだから。

 そこまで考えて、やっと1号機は気付いた。

「わたし、寝てた?」

「うん。すやすやと、きもちよさそうに」

 3号機が微笑みながら答えた。その隣の4号機は面白そうに目を細めていた。

 自分の隣には2号機が座っていて、見ると肩をすくめた。

「……あはは、ちょっと気が抜けたのかな」

「良い天気だもの。5号機が寝てるのはいつものことだけど、わからなくない」

 2号機はあっさりと同意して、窓の外を見た。

 たしかに曇りばかりのこの惑星に於いては、穏やかな陽気の日だった。

 だがそれとは裏腹に、1号機の気持ちは晴れないままだった。

 眠る前と後の記憶がうまく繋がらず、奇妙にふわふわとした気持ちが自分の中を漂っている。たぶんとても怖い夢を見ていたのではないだろうか。どんな夢を見ていたのかは覚えていないが、そんな感じがする。

 時刻はそろそろ昼休みに入ろうかという時間で、窓の外の巡回兵もすこし気の抜けた顔をして歩いてた。室内を見回すと、阿具と由梨は席を外している。

 まだ釈然としないまま、1号機はぼんやりと2号機と3号機の会話を聞いていた。

 二人ともやけに真剣で声を潜めて喋っていた。

「今日、隊長が呼ばれたのは、うちの隊の編成が変わるって話だと思ってる」

「ええ……うちは人員が出入りするようなことはないんじゃないの?」

「出ることはない。でも入るなら有るかも。少し前に、通常の区分外で兵装が発注されてる。その届け先はたぶんうちの隊。不思議なのは人数が私たちより多いこと」

「ど、どこからそんな情報を」

「うちの情報管理をやってる文殊だけども、最近全権を掌握した」

無表情ながら得意げにしている2号機に、3号機は言葉を失っていた。

 1号機は話の内容に興味を惹かれながらも、今の会話はどこかで聞いたことがあるような気がして黙り込んでいた。やがて彷徨わせた視線の先で、4号機が眠り込んでいる5号機の髪を暇そうに三つ編みにしているのを見て、やはり同じように感じた。

 ただ4号機が5号機にちょっかいを出していたり、2号機が機械の話をしているのがいつものことだとだった。きっと寝起きの変な気分をひきずったままだからこんな風に思うのだと1号機は自分を無理矢理納得させた。

「だいじょうぶかな、人なんて増えて。ほら、最近阿具隊長なんか疲れてる感じがするんだよ。どんな人が来るにしても、最初は色々大変だろうし、心配だなぁ」

「阿具少尉に限って、疲労とかストレスでどうにかなるなんてことはないと思う。腹が立ったらガマンするよりは暴れ出すような人だもの」

 そのことを決して不愉快には思っていない柔らかい口調で2号機は言った。

「でも、確かに何となく疲れてる感じだけはする。不思議だけど」

 2号機はそう言って目を細めた。

 二人は考え込んで黙ってしまった。そうだったろうか、1号機は良く思い出せずにまたぼんやりとしていた。今朝にも阿具に会ったはずなのに全く思い出せない。頭が鈍っているのだろうか。よくわからない。

「ねえ、1号機はどう思う?」

 少しして3号機が1号機に話しかけた。

 何かを考えるよりはやく、1号機は立ち上がっていた。周りの視線が1号機に集まるのが分かった。5号機が静まりかえった周囲に目を覚まし、驚いて見上げた4号機の手の中では5号機の髪がするすると滑らかにほどけていった。

 だが1号機は自分がどうして立ち上がったのか分からないで居た。自分の意志ではないようにさえ感じた。まるで体が誰かに操られたようだ。

「クッキー作ろう」

 ぎゅっと握り拳を作って1号機は言った。

 まわりの表情が疑問でいっぱいになった。それは1号機も同じ気持ちだった。全く自分の意志とは関係なく、口は動き言葉は発せられた。

「聞いて良い? なぜ」

 至極まともな2号機の言葉だったが、1号機も同様に聞きたかった。

「クッキーの素なんかじゃなくて、小麦粉とバターと卵と、ええとエッセンス? わかんないけど! ちゃんと最初から作ろう。きっと楽しいよ、小さい頃に作ったけどすごく楽しかったもん」

「質問の答えになってない」

 首を傾げて2号機が呟いた。しかし隣の3号機の表情は明るくなった。

「なんか楽しそうだね。やろうよ、私調理室の使用申請しておく!」

「まぁ、なんだ。何故か私もレシピ持ってるような気がするよ」

 照れくさそうにそっぽを向いて4号機も賛意を示した。

「クッキー食べたいですの。作るのも、お手伝いしますわ」

 ぐしぐしと顔をこすりながら5号機も同意する。

「じゃあ私も補給物資の余剰分が計算違いでこっちに回ってくるようにする」

 最後まで首を傾げたままだった2号機も、やっと頷いた。

 さっきまで穏やかだった隊室は、一転して楽しげな明るい雰囲気に変わった。

 ずっと立ったままの1号機は、やっと、ああそうかと思った。

 これは夢だ。夢で昔の光景を見ているだけだ。

 気付いてしまうと、急速に世界は色褪せて行き声はひたすら遠く離れていく。

 自分の話したことにも、それに対する周りの反応にも、全て覚えていた。

 なぜ自分がクッキーを焼こうと言ったのかも当然覚えている。翌日は阿具の誕生日だったからだ。そして翌日何度も失敗しながらクッキーを焼いたことさえ覚えている。それを阿具がとても喜んでくれたことも、そのあと阿具が死んでしまったことも覚えている。息を吐く間も無いくらいに、すぐに敵が来襲して最後の戦いが始まった。そしてたった二日で終わった。

 それからのことは記憶に有っても、ただただ曖昧だった。

 悲しむ間も無いほど、日常はめまぐるしく変わり、色々な出来事の中でただ時間だけが消費されていった。そして今に至る。

 駆け抜けるように記憶が過ぎていき、最後には闇の中に再び辿り着いた。そして1号機は改めて感じた。自分は阿具少尉に会いたいのだ。

 ずっと阿具少尉に会いたかった。自分は天使になった阿具が死んだ所を見た訳ではないし、戦いの中に身を置いていれば、いつかどこかで会えるんじゃないかと思っていたのかもしれない。

 言葉にするのもはばかられるほど、バカバカしい考えだから一度だって真剣にその思いを考えてみようとはしなかった。ちょっとした気の迷いくらいに思っていた。だが、本当はすごく会いたかった。

 もう一度頭を撫でて欲しかった。

 平和過ぎる毎日にぶつぶつ文句を言うのを聞いていたかった。

 しなやかに戦うあの姿を見たかった。

 そのことを思うと愛おしい気持ちと、寂しさで胸が一杯になる。

「隊長殿……」

 つぶやいた声さえ、暗闇の中に吸い込まれていき自分の耳にさえ届かない。

 あのまま夢だと気付かずに居れば、生きていた頃の阿具に出会えただろうか。もしそうなら、きっと幸せだったろう。

 だが自分は気付いてしまった。夢の中でさえ、もう会うことは出来ないのだろう。

 やがて1号機は意識が夢から引き剥がされていくのを感じていた。

 夢が終わる。今度こそ、本当に最後なのだろうか。

 消えていく意識の中で、1号機は疑問に思った。

 死というのはこんな風に夢から覚めるように訪れるものなのだろうか。


 * * *


 死んでいない。

 目覚めた1号機は最初にそう思った。

 さっき気を失ってからどれほどの時間が経ったのだろう。まださっき叩きつけられた頭の痛みと酷い吐き気が思考を遮り考えがまとまらなかった。見上げた天井から、視線だけを動かしてみても、周囲に天使の姿は見えない。

 とどめを刺すのをやめて何処かに行ったのだろうか。そんなバカなことがあるはずがない。そう考えたときに、ようやく1号機は自分の体がおびただしい血に濡れているのに気付いた。既に刺されてしまっていて、これから死ぬのだろうか。

 だがそれも違った。服の上から確かめてみても、意識を失う以前に負った怪我以外存在しない。じゃあこれは誰の血なのだろう。1号機は吐き気を抑え、必死の思いで体を起こした。そしてすぐにその答えを得た。

 自分から数メートル離れた地面に、天使が胴体を真っ二つにされて転がっていた。

 誰がやったのか。その問いも直後に得られた。

 同時に現状に対する結論も、1号機には見えた。

 これは夢の続きだ。そうに違いない。

 こんなこと、ただの願望でしかない。

 こういうバカなことは、現実には決して起こりはしないのだ。

 そう考えても、世界はさっきのように色褪せることも、感覚から遠ざかっていくことも無かった。ただ心臓が体を揺らすほどに強く拍子を打ち、全ての思考が停止し、あらゆる音が周囲から消えたみたいに感じた。

 1号機の視線の先には、阿具が座り何事も無かったように煙草をくゆらせていた。

「大変だったぜ。リッチマンに戦後に身を隠す術だの、追跡をまく手立てなんてのを仕込んだは良いが、あんまり上手くやりすぎて俺も追えねーんだからよ」

 音の消えた世界の中に、たしかに阿具の声が静かに響いた。

「もっとも、心配はしちゃなかったさ。お前らは充分お前らだけでもやってけるって思ってたからな。それにどっかで会えるとも思ってた。根拠なんて有りゃしねえけど、そんな風に思ってた。なあ、そうだろ1号機」

 阿具はそう言って立ち上がった。

こんなに長い時間経て、傷だらけになっているのに、阿具少尉は自分が1号機だと何の疑いもなくあっさりと言った。間違いない、こんなに自分たちを見分けられる人は阿具少尉しかないない。

 ずっと停止していた思考が、一気に雪崩をうって溢れた。

 話すことはあるはずだった。沢山のことがあったのだ。色々なことを考え、思いもした。阿具少尉に話したいことも山のように有った。いやそれより先に、会えて嬉しいことを伝えた方が良いだろうか。阿具少尉は黙り込んでいる自分を見て、変な奴だと思っているんじゃないだろうか。

 思考はてんでバラバラに色々なことを言い、阿具がすぐ傍にまで歩いてきても、1号機はまだ一言も発せなかった。阿具は黙っている1号機を見て、肩をすくめた。

「なんだ、その、悪かったな。俺が先に進んで天使を始末するプランだったんだが、一匹かと思ったら二匹いやがったんだ。だからうっかり一匹逃しちまった。まあ、お前がやられる前に戻ってきたんだから、大目に見てくれよ」

 阿具はそう言って、それから1号機の頭を昔のように軽く撫でた。

 同時に1号機の目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。

「阿具少尉ぃ……」

 それだけが、やっとのことで1号機が言えた言葉だった。

「こんなこと俺が言っても信じないかも知れないが、また会えて嬉しいぜ、1号機。心底な。みんなも元気でやってんだろうな?」

「はいっ……はい! みんなでこの惑星に住んで、お花を……」

 声が何度も詰まりながらも、必死に1号機は言った。

 阿具は今まで見たことのないような、安らかな笑みを浮かべて頷いている。

 伝えたいことが溢れて、何から話せば良いのか分からなかった。話さなくちゃ、そう思うと気ばかりが急いて言葉がまとまらなかった。だが阿具は待ってくれている。優しい表情で、じっと1号機の顔を見ていた。

 しかし、やっと話すべきコトを決めて、1号機が口を開きかけたその時、阿具の表情が急に真剣みを帯びた。そして1号機の腕を掴んで引き寄せると、庇うように1号機の前に立った。一体なんだというのだろう。そう思った瞬間、阿具の背中ごしに、広間の出口に光が煌めくのが見えた。

 もう一匹居たという天使だ。1号機は直感的に理解し、思わず悲鳴をあげそうになった。阿具の剣銃は1号機を襲った天使に突き刺さったままだ。阿具はただ小さな拳銃ひとつを持っているに過ぎなかった。

 光は一瞬で阿具の眼前まで迫っていた。

 1号機が居なければ、阿具は避けることなど容易かっただろう。だが阿具はそうせずに、ただ目の前に迫った天使に向かって拳銃を向けた。あんなもので天使に勝つのは不可能だ。

「逃げて!」

 咄嗟に叫んだその声を、銃声がかき消した。

 阿具は動かなかった。そして、予想に反して天使は阿具まで到達することなく、絶命して地面へと落ちた。1号機は目を大きく見開いて、ただ驚きに身を固くしていた。

「逃げてちゃ、敵は倒せねえってな」

 振り向くと、笑って阿具は言った。そして周りを見ろという風に首を振った。

 1号機は周りを見て、また驚いた。もう今日一日で一生分の驚きを使い果たしてしまったんじゃないだろうかとさえ思った。

 周囲に居たのは、間違いなく自分や姉妹達にそっくりな特機たちだった。だがその面影は現在の自分たちより若く、数年前の自分たちと殆ど同じだった。

 機械虫の下に隠れていたのだろうか。広間中に点々と散らばった彼女らは、全員が軍用の狙撃中を抱え落ちた天使の方に狙いを付けていた。阿具だけじゃなく彼女らも撃ったから天使は落ちたのだ。1号機は理解して、再び阿具の方を向いた。

「言ったろ、俺が先に行った、って。仲間が他にも居るって話だったんだよ」

「それは、良いですけど……彼女たちは?」

「次世代機が作られてたんだよ。まあ、戦争は終わっちまったし、下手すりゃ全員殺されてもおかしくないってんで連れてきた。もうちょっと戦争が長引けばうちに配属されて、あれももう少し楽だったんだろうけどよ。おいみんな集まれ!」

 そうか、2号機と3号機はそんな話をしていた。そう気付いても、1号機はただただ驚くばかりで呆然としていた。若い特機たちは、それぞれに周りに集まって来ている。

 特機たちは整列して、阿具の隣に並んだ。ちょうど自分たちと同じ五人だ。

「そういうわけで、6号機から10号機までだ。仲良くしてやってくれ」

「は、はい!」

 未だに感情に頭がついていかず、思わず1号機は大きな声で返事をした。

「よし……ところで、1号機、お前この惑星に住んでるって言ってたよな」

 確認するように言って、阿具は少し言い辛そうに視線を逸らした。

「俺と特機たちもさ、そこで厄介になる訳にはいかねえかな? もちろん働くぜ」

 戦争が終わって何年も過ぎている。だから阿具がそれを言うのに躊躇する気持ちは分かった。だが1号機にとっては、それは聞かれるまでも無いことだった。もしも阿具がこのまま行こうとしても、きっと引き留めただろう。

「もちろんです。……おかえりなさい、隊長殿」

 また泣き出しそうになるのを堪えて、なんとか1号機はそう言った。

「ああ、ただいま、1号機」

 阿具は目を丸くして、それからふっと笑って言った。周りの若い特機たちは、やったあ、と歓声を上げた。みんなが盛り上がる中で、その中の一人が1号機の目の前に来た。

「その、妹ともどもよろしくおねがいします。その……お姉ちゃん」

 恥ずかしそうに言う少女は、たぶん6号機なのだろう。

 涙が今にも出てきそうで、1号機は顔を慌ててぬぐって無理矢理の笑みを浮かべた。そうだった、自分はいつも明るく頼れるお姉ちゃんなのだ。初対面の妹たちに泣き顔なんか見せる訳には行かない。

「大変なこともいっぱい有るだろうけど、がんばろう! 大丈夫、いつでも私が助けてあげる、みんな私の妹だもん。いつでも頼ってくれて良いからね!」

 大きな声で言うと、みんなから元気な返事がすぐに返ってきた。

 良い子たちだ。とっても良い子たちだ。そう思った。泣き顔を見せる訳にはいかないと思っていたのに、自然に涙が溢れた。やがて他の特機たちが周りに集まってきて、それぞれに自己紹介をした。阿具は囲みからはずれた所で煙草を吸っていた。

 本当にこれから新しい日常が始まるのだ。

 今朝思ったことを、本当の意味で強く思った。きっとこれから大変なのだろう。だが今度はそれを恐れる気持ちは少しもなかった。もう自分の前には未来以外何も待っていない。今この瞬間から、それはもう始まっている。

 やがて自己紹介も終わり、戻り始めた頃になって阿具が1号機の肩を叩いた。

「頼りにしてるぜ、さすがにあんまりにも人数が多いんでよ。俺も大変だったんだよ」 それだけ言うと、阿具はさっさと歩いていった。

「はい!」

 1号機は阿具の言葉の意味もさして考えずに元気よく答えた。

 それから、人数が多すぎる、という部分にちょっと首を傾げたが、周りに置いて行かれそうになって、慌てて走り出した。

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