第13話 料理と歌とパーティジョーク

 少女は研究室の廊下をぱたぱたと走っていた。両手で小さな包みを大事そうに抱え、頬を上気させている。少女はひとつの扉の前で立ち止まった。扉は開いたままになっている。扉から覗いてみると、中には誰も居なかった。

 少女はそれを確認して部屋の中に入り、自分の背と殆ど同じくらいの机の列を見回した。

 やがて自分の探している机が見つかった。少女は精一杯背伸びをすると、やっとのことで小さな包みを机の上に置いた。

 その時、遠くから2つの足音が近付いてくるのが分かった。少女は慌てて部屋から駆け出していった。

 廊下の角を曲がり、息を吐く間も無く、少女は今来た廊下の向こうをうかがう。

 髪が長く眼鏡に無精ひげの男と、髪が短く背の高い男が談笑しながら歩いてきた。二人は同じように白衣を着ていた。少女は髪の短い方を見るとほんのりと頬を赤くした。

 二人はそのままさっきの部屋に入っていった。

 少女は足音を殺して部屋に近付くと扉の脇にくっついて中の様子を伺った。

「本気であの時代遅れな窓を至上のOSだと思ってるなら、正気を疑うね」

 眼鏡の男の声が聞こえた。

「しかし歴史的に言えば、あれの果たした役割は大きいだろう。その昔には、人と機械は果てしなく遠い場所に居たんだから」

 髪の短い男はそう言いながら奥に向かって歩いているようだ。

「歴史と製品的完成度は関係しないだろう」

「それはそうだが、だがその功績を忘れることは…」

 髪の短い男の言葉は途中で止まった。

 その気配に少女の胸はどくんと高鳴った。

「どうした?」

「プレゼント、かな。恐らく」

 髪の短い男が眼鏡の男に向かって言った。

「ほう。参考までに言うがぼくからじゃない」

「当たり前だろう」

 髪の短い男が笑いながら言った。

「うん。だが、それだと、一体誰がという話に成るな。生体工学の葉崎はゲイだって話だが」

「待て、開けてみる」

 そういうと、かさかさという紙を開く音が廊下にも聞こえた。

 少女は息が詰まりそうになり、ぎゅっと手を握り締めたまま胸に当てた。

「クッキーだ。メッセージカードも入ってる、食べてください、だって」

 髪の短い男が言った。

 立ち上がる音がして、眼鏡の男の足音が聞こえた。

「可愛い字だ。これは、特機がくれたんじゃないかな」

 眼鏡の男が言った。

「そうか。そういえば今日の昼にはオリエンテーションでクッキーの焼き方を教えるって原田が張り切ってたな」

「それだろうね。2号と3号は情報技能の実習だから、1号か4号のどちらかだろう」

 眼鏡の男は言うと再び自分の席に戻っていった。

「こんな男ばっかりの所帯でクッキーを貰えるとはな」

 髪の短い男が感慨深げに言った。

「養育班には女性職員も居るだろう?」

「他の職員には近付いたら駄目なんだから、居ないも同じだ」

 髪の短い男はそう言うと椅子に腰掛けた。

「嬉しいもんだな。軍の秘密兵器からでも、プレゼントを貰えれば」

 髪の短い男は呟いた。

 少女は思わず顔をほころばせて、嬉しそうに声を出さずに笑った。

「どっちかな?」

 少女が立ち去ろうとしたとき、眼鏡の男の声が聞こえた。

「どっち?」

「個人的なプレゼントだろう? そうじゃなきゃ、ぼくにだってくれても良い筈だ」

 眼鏡の男がすねるような調子で言った。

「なるほどな、それなら、これは1号機だろうな」

 髪の短い男が言った。

 少女の瞳はその言葉を聞いて大きく見開かれ、ぎゅっと体を強張らせた。

「どうして?」

「どうしてって。1号機のほうが気を遣うタイプだし、女の子っぽいだろ? それに消去法で行けば4号機がこれをくれるか?」

「どういう意味だ?」

 眼鏡の男が不思議そうに言った。

「少女っていうよりは、むしろ少年みたいに育ってるからな。あの元気すぎる遺伝的特性は、戦闘には向いてるだろうがクッキー焼くには向かないだろう」

 髪の短い男はおかしそうに言った。

 その後も、何か眼鏡の男が言ったようだったが、少女の耳にはもう何も届いていなかった。

 少女はうつむいて、唇を噛み締めていた。自分では泣くつもりなんて無いのに目から涙がぽろぽろとこぼれていた。ほんの少し前まで嬉しくて楽しくて仕方が無かったのに、急にどこかに突き落とされたようで、まるで自分ひとりだけ世界から取り残されてしまったように酷く悲しかった。

 少女は弾かれたように走り出した。

 何処に行くのかは分からなかった。ただ、どこまでも遠くへ行きたいと思った。


 4号機は昼食後の暖かい陽射しの中で目を閉じていた。

 屋上にはそよそよと柔らかく暖かな風が吹いている。そしてその風に乗せて、静かだがとても透き通った歌声が響いていた。

 4号機はしばらく眠りの境界線に立ち止まっていた後、目を開いた。

 5号機が肩によりかかって寝息を立てていた。5号機の腕の中にはユニが抱かれている。

 4号機の向かい側から、3号機がじっと4号機の顔を見ていた。

「大丈夫?」

 3号機は不安そうに言った。

「なにが?」

「すごく、かなしそうだったよ」

「ああ、うん」

 4号機はふと今まで見ていた夢を思い出して、その気持ちをどう表現したらいいのか分からないで黙り込んだ。

「たまに、4号眠ってるときにそういう悲しそうな顔してる」

「…うん」

 4号機はうなずいた。何度も繰り返し見る夢なのだ。

「いやな夢を見るんだ」

「怖い夢?」

 4号機は首を横に振った。

「どうでもいい夢なんだ」

 しばらく沈黙した後で、4号機は呟くように言った。

 3号機は続きを待っているようにじっと4号機の顔を見ていた。

 4号機はもう一度首を振った。

「どうでもいい、本当に、どうでもいい夢なんだ」

 自分に言い聞かせるように4号機は言った。

 3号機は不安げな表情をしていたが、そのまま何も聞かなかった。

 ふいにすこしひやりとした風が吹いた。

 歌声はまだ続いている。

 4号機は顔を上げた。

 2号機が屋上の柵に肘を付いて、静かな表情で歌っていた。

 ただぼんやりと考え事をして、何か大事な感覚を思い出したか、それか考え事がまとまったのか。嬉しいことを思ったり、悲しいことを思ったり、ただそういう思考の合間合間での気持ちの揺れ動きのような歌だった。

 その歌を聞くと、4号機は自分が何かを間違えてしまっているような気持ちになった。ただ、それが何なのかは良く分からなかった。

 いつの間にか歌は止んでいた。2号機は振り返って4号機を見つめていた。

 ふと我に返って、4号機がぱちぱちと手を叩いた。

 2号機はかすかに恥ずかしそうに眉をひそめた。

「聞き流して」

「どうして? 上手いよ2号」

「いいのよ。好きで歌ってるだけなんだから、聞いてもらえなくても」

 2号機はそっけなく言うと、地面の上に腰を下ろした。

「でもどうせ歌ってるなら聞いてもらったほうがいいじゃん」

「そうだよ。2号機は歌手にでもなれると思うのになぁ」

 3号機が微笑んで言った。

 2号機は肩をすくめて首を振った。

「興味ない。歌は歌いたい時に歌えばいいってくらい。それに」

「それに?」

 3号機が首を傾げて聞いた。

「そんなの、はずかしいじゃない」

 2号機があっさりと言うと3号機と4号機はぽかんと口を開けた。

「べつに歌を歌うことは恥ずかしいことじゃないじゃん」

 4号機は率直に言った。

「自分のイメージしている自分と、行おうとすることが乖離すると恥ずかしい」

 2号機が言った。

 4号機は目を大きく見開いて首をかくんと傾けた。さっぱり分からなかった。

 2号機はどう説明すればいいのか考えているのか、無表情に押し黙っていた。

「うん」

 2号機は呟いて、4号機を見た。

「パイナップルは好き?」

「好き!」

 4号機は即答した。4号機はその後で呆気に取られている3号機を見て、反応が少しいじきたなかったと反省して、えふん、と咳払いをした。

「じゃあ、酢豚に入っているパイナップルも好き?」

 2号機は意に介した様子もなく続けた。

 4号機は答えようとして、思いなおすと3号機を見た。3号機は4号機の視線に、どうぞとうなずいた。

「大好き!」

「えっ」

 4号機の答えに2号機が小さくもらした。

 4号機は、それで、という表情で2号機を見つめた。

 2号機はまた押し黙った。

 そのとき、屋上の扉が音を立てて開いた。眠っている5号機を除いて全員が一斉に見ると、息を切らした1号機が元気に笑って立っていた。

「明日の親睦会の配置決定したよー!」

 1号機はそういうと片手に紙片を持って、嬉しそうに仲間に向かって走り出した。

「あ」

 4号機が呟いた。気をつけろよ、そう4号機は言おうとした。1号機の走ってくる途中の地面に少し割れた箇所があった。

「のおっ!」

 だが4号機が言うより早く1号機はそこを踏むと、豪快に地面に向かって突っ込んだ。しかし持ち前の反射神経で1号機は地面激突前に素早く前転受身を繰り出した。見事に1号機の体がくるんと回る。しかし勢いはすこしも止まらなかった。

「うああー」

 余りにも勢いがつきすぎていたのと、受身が不完全だったせいで、1号機はごろごろと前転を繰り返し転がって、4号機達居る場所まで転がって来た。そして目を回して、べたんと倒れこんだ。

 4号機達は呆気に取られて黙り込んでいた。

 一瞬遅れて、3号機が慌てて1号機に駆け寄った。

 同時に2号機がぽんと手を打った。4号機は2号機の方に向き直った。

「今、1号がこけたのをどう思う?」

「ん、いつも通り」

「そう。じゃあ、私が今の1号みたいに転んだら、どう?」

 2号機は確信に満ちた瞳で言った。

 4号機は子犬が駆け寄るように嬉しそうに走る2号機と、地面を転がって行く2号機を想像して、目を見開いた。

「2号がこわれた!」

 4号機は驚愕の表情で言った。

「普通のことでも、人によっては変に思われたりするってことなのよ」

 2号機が言うと、4号機は少し考えてそれから大きくうなずいた。

「あー、なるほどなー」

 4号機は良く分かったという風に何度もうなずいた。

 1号機は3号機に抱き起こされたあと、自分を見つめている2号機と4号機に、ぽかんとした表情を向けていた。


 昼休みが終わった隊室の中はなんとなくのんびりとした空気が流れていた。

「親睦会は予定通り明日17時30分より執り行われる。場所は不動大将記念会館にて、参加者は中央基地付き糧食隊全隊。計100名」

 阿具は書類を持って、自分の机の後ろに立ったまま言った。

 特機たちは自分のデスクから真っ直ぐに阿具の方を向いている。

「物資は既に必要分を確保してある。式場の飾り付けについては、華やかな場所で酒呑みたければ幕僚にでも成りやがれ、と言ってある」

 阿具は面白く無さそうに言った。

「つまり隊長の優れた交渉術により仕事が減ったってこと。糧食隊との関係は悪化したけど」

 隣に立った由梨が肩をすくめて言った。

「催しについては1号機に司会を担当して貰うことになる。単に時間に合わせてプログラムを読んでやるだけだが一応資料に目を通しておけ」

「了解しました!」

 1号機はびしっと敬礼すると慌てて書類の束をめくった。

「食糧の供給に関しては2号機と3号機に任せる。単に酒や料理を運んでやるだけだ。酌しろだの、ケツ触わらせろだの言って来たら階級に構わず殴って構わん。無礼講の本当の意味を思い知らせてやれ」

「な、殴るって…」

「了解」

 2号機はあっさりと言った。

「調理及びそれに関する雑務は4号機と5号機に任せる。多少早めから取り掛かってもらうことになるが、その分早上がりだ。つまみ食いはしても良いが酒は飲むなよ」

「了解ですわ」

「りょう…」

 4号機はふと言葉を止めた。

 阿具が怪訝な顔をして4号機を見た。他の特機たちも一様に4号機の方を向いた。

「ちょー…?」

 4号機の感覚野に届いた神経パルスが言語野で意味を成すまでに一瞬時間があった。そして意味になった瞬間、4号機ははっとした表情で立ち上がった。

「お、おれは料理なんてしないぞ! 補給部隊が作ればいいだろ!」

 4号機は阿具に向かって叫んだ。

 阿具は納得して頷いた。

「そりゃあそうだが。明日の親睦会の参加者がその補給部隊の、中でも調理周辺のことをやってる部隊なんだから仕方が無いだろ」

「でもなんでおれなんだよ! おれに料理なんて出来るわけないだろっ!?」

 4号機は顔を真っ赤にして必死な表情で言った。

 阿具は冴えない表情のまま口を開こうとして、2号機が小さく首を横に振っているのを見て眉間に皺を寄せた。

「…いや、それはたまたまだ。だが調理っつっても、あらかじめ用意されてるつまみを盛り付けるのと、最後に出される鍋をあっためるだけだぞ?」

「で、でも! おれ前に食堂で喧嘩して暴れたことあったし! そんなおれが料理作ったなんて知られたら笑われるし食べてもらえない!」

 4号機は怒っているわけではなく、必死な表情で言った。

 阿具は少し首を傾けて2号機をちらりと見た。2号機も分からないという風に首を振った。

「べつに暴れん坊だからって料理作ったらいけないって訳じゃねえだろ。暴れん坊シェフっていう番組見てないのか?」

「それでもいやなんだよぅ!」

 4号機は頑として譲らなかった。

 阿具は少し考えてから真っ直ぐに4号機を見た。

「どうしても作りたくない、そういうことか?」

 阿具は真剣な表情で言った。

 4号機はその視線を受けると驚いたように目を見開いて、それからうつむいた。

「あの…おれは、その、べつに」

「わかった」

 阿具はあっさりと言った。

「え?」

「3号機と配置を交替する。良いな3号機」

「えっ、あの、分かりました」

 3号機は頷いて言った。

 4号機はすんなり折れた阿具を信じられないという風に見つめていた。

「今回だけだぞ。戦場でこんな風にガタガタぬかしやがったらその場でハラワタ引きずりだして虫に喰わせるからな」

 阿具は椅子に座ると書類をめくりながら言った。

「うん…了解しました」

 4号機は拍子抜けしたような表情で言った。そしてじっとうつむいてた。

 話はもう次の内容にうつっていた。

 3号機が心配そうな視線を4号機に投げていた。


 既に夜が来ていた。特機たちも官舎に戻っていた。

 官舎の居間には大きな多目的スクリーンがある。そこには大抵何かの番組が流されていたが、その種類はそれを見る特機によってそれぞれに違う。

 例えば1号機が1人ならコメディのドラマであり、3号機と一緒になるとクイズなどバラエティ番組になる。5号機は恋愛物のドラマを見るが、それは半分はポーズのようなもので、4号機と一緒に居るときはアニメを見る。2号機は基本的に何でも良いのだが、あまり情報量の少ない番組は好みではなかった。

 夕食を終えて、しばらく後の居間には2号機と3号機と5号機が居た。居間には全員が座ってもまだ余るような大きなコの字型のソファがスクリーンに向かって置かれていて、三人もその上に座っていた。

 スクリーンには、美容の話題を中心にした番組が流されていた。番組では酸味の高いサンシャイン種のレモンの美容効果について触れられている。

 2号機の膝枕で5号機が寝息を立てていた。

 3号機はソファに膝を抱えて座り、横目でスクリーンを見ていた。

「昼間のことなんだけど」

 3号機はぽつりと言った。

「昼間?」

 2号機は眠る5号機の顔を見たまま言った。そして、そのまま視線を動かさずにソファの中央に置かれたテーブルからレモンを手に取った。

「2号が人前で歌うのは恥ずかしいって言ったことと、4号が調理を嫌がったっていうこと」

「ああ」

 2号機は納得したように言った。そしてナイフをレモンに突き立てた。

「2号も4号も、同じことを思ってるんだよね、多分」

「それは、どうかしら」

 2号機はナイフを持ったままレモンを回して輪の形に切り取った。

「少なくとも私は特に人前で歌いたいなんていう願望は持ってないわ」

 2号機はレモンの輪切りをかじって顔をしかめた。

「すっぱい」

 2号機が言うと3号機はうなずいた。

「やっぱり、4号は料理作りたいって思ってるよね」

「料理は作ったら少なくとも誰か食べなきゃならないし、まず誰かに食べてもらいたいから作るものだものね。一般論だけど」

 2号機はレモンをどんどんと輪切りにしながら言った。

「私、4号はやっぱり料理を作るべきなんだと思う」

 3号機は呟くように言った。

 2号機はちらりと3号機を見た。

「どうして?」

 2号機は問いかけるように言った。

 3号機は真剣な表情を浮かべた。

「だって、何かを怖がって生きるのって辛いもの! 勇気を出せば、そう、たった一回でも、勇気を出せば変われるかもしれない!」

 3号機は真っ直ぐ2号機の方を見て言った。

「3号は、勇気を出して変わりたいのね」

 2号機は穏やかに言った。

 3号機は目を丸くして黙り込んだ。そして自分の胸に手を当てた。

「そう、なのかな…そうかもしれない」

 3号機はじっと考えた後、呟いた。

「でもきっと変わりたいって思う気持ちは、やっぱり4号も同じなんじゃないかなって思う」

 3号機は頼りない表情で言った。

「けど、おなじだったら、分かるな…私も、そう思っても、なかなか変われないから」

 3号機は小さな声で言った。

 2号機は目を細めて微笑んだ。

「大丈夫よ。勇気なんてティースプーンに一杯くらいあれば、どうにかなるもの」

「…そうだといいんだけど」

 3号機は自信なく首を振って言った。

 2号機はただ自分には分かっているという風に3号機を見ていた。

 3号機は考え込むように深く息を吸うと眉間に皺を寄せ、それからうなずいた。

 それを見ると2号機は納得したのか、膝の上に寝る5号機の顔をまた見下ろして、やおらその顔の上にレモンの輪切りを並べ始めた。

 5号機は最初は穏やかに眠っていたが、やがて口元におかれたレモンをもぐもぐと噛んで顔をゆがめた。

「すっぱいですのー」

 5号機が喋ると口の周りのレモンの輪切りがころころと転げ落ちた。

「動かないで5号機。これを我慢すればつやつやお肌が手に入るのよ」

 2号機が言うと、5号機は納得がいかないように口をきゅっと結んだ。

「既につやつやになりはじめているわ」

 2号機はもともとつやつやの5号機の頬を触りながら言った。

「…もうすこしがんばりますの!」

「その意気だ美少女」

 2号機はいかにも面白がっている風に目を輝かせながら、レモンの輪切りを並べていた。

 3号機はその光景を見て微笑んだ。そして、スクリーンの方に向き直るといつまでもぼんやりと考え込んでいた。


 目を開けると、いつの間にか部屋は薄暗くなっていた。

 視界に時刻を呼び出すと既に19:00を回っている。随分眠っていたらしい。

「うぐー…」

 4号機は気だるい気持ちでうなった。

 へんな時間に眠ったせいで意識が朦朧としていた。やけに悲しいような嫌な気持ちがお腹の奥に溜まっているようで、4号機はまたあの夢を見たのではないかと思った。

 部屋の扉の隙間から一筋の明かりが漏れていた。居間のほうからは姉妹たちの楽しげなお喋りが聞こえた。

 4号機は深呼吸すると部屋の明かりをつけた。

 光量の調節が終わるまでの一瞬のラグで4号機は目を細めた。

 見慣れた部屋が見えた。

 その部屋は4号機と5号機二人の部屋で、ふたつのベッドとふたつの机があった。それからひとつの鏡台が有って、5号機のコレクションしている化粧品が並んでいた。

 4号機は5号機が化粧をしているのを見たことは無かったが、ほんの少しずつ減っているので、きっと隠れて化粧の練習をしているのだろうと思った。

 4号機は小さく、よしっ、と呟くと真っ直ぐに座りなおした。

 それから机の引き出しを開いて、一冊の本を取り出した。本には沢山の付箋が貼ってあって、あちこちに書き込みもしてある。4号機はぼんやりと考え事をしながらその本をぺらぺらとめくった。

 4号機はやがて何となく開いたページに目をとめて、頬杖を付くいた。どのページも全て仔細に至るまで完全に記憶していた。ただ、それが何の意味もないことのように思えて4号機は憂鬱な気持ちになった。

「ばかみたい」

 4号機はぽつりと呟いた。

 その時、がちゃりとドアノブの回る音が部屋に響いた。

 4号機は目にも止まらぬ早さで素早く本を机の中に放り込むと、引き出しを乱暴に閉めた。そして明らかに大げさな動きをしすぎたと後悔した。

 4号機がおそるおそる入り口をうかがうと、1号機がぽかんとした表情で4号機を見ていた。

「な、なんだよ」

 4号機は精一杯声を張って言った。

 1号機はそのまま口を開けていたが、やがてしゅっと表情を引き締めると、部屋に入って後ろ手にぱたんとドアを閉めた。

「4号」

 1号機は真剣な表情で言った。その顔つきは居間まで4号機が見たどの1号機の表情よりも険しく強いものだった。

「だ、だからなんだよう!」

 4号機は椅子の上で気圧されるように体をそらして言った。

 1号機の瞳は強い光を宿していた。

「ないしょにしておいてあげる」

「な、なにがだよ…」

「でもね、4号、そういう本はいけないと思うの。興味があるのはわかるけど、ああいうのはじょせいをしょうひんかして、さべつてきいみあいを含んでるって由梨先生も言ってたの!」

 1号機は4号機の目の前で真剣な表情で言った。

 4号機は意味は分からないが、その勢いに押されて黙り込んでいた。

「だから、そういうのをこそこそ読んだりしちゃ駄目!」

 4号機は1号機の言わんとしているところがイマイチ理解できず首を振った。

 1号機はそんな4号機の様子を見ると、すうっと深呼吸して頬を赤く染めた。

「わ、わかるのよ! 興味があるのはわかるの! わ、私だってそういうのに興味有るもんっ!」

 一大決心の末に、という風に1号機が言った。

「でも、4号機にはっていうか、みんなそうだけど! そういうものをもっと大切に大事なものとして見て欲しいのっ! だっ、だからそういうので誤った知識を入れてしまうと!」

「え、えろ本なんて読んでねぇーっ!」

 やっと意味を判じて4号機は顔を赤くして絶叫した。

「わたしはっ、一番最初に作られた長女として! みんなをっ! …へっ?」

 1号機は言ったまま黙り込んだ。2人の間にするりと静寂が入ってきた。

「あの、日記を書いてたんだ。ほら、なんか3号とか書いてるみたいだし、おれも、ちょっとやってみようかなって…」

 4号機は嘘を吐いていることが後ろめたく、おずおずと小さな声で言った。

 動きを止めたままの1号機の顔が、みるみる真っ赤になった。

「に、にっき?」

 1号機はぽつんと呟いた。

「…うん」

 4号機はこっくりと頷いた。

「な、なぁんだー! あはははは!」

 1号機は照れ隠しに大仰に笑った。

「だから恥ずかしいから見るなよ、おれの引き出し」

 4号機は1号機をじっと見て言った。

「あ、ああ。うん! もちろんだよ」

 1号機はまだ顔を赤くしたまま頷いた。

「それじゃ、お風呂あとは4号だけだから、入ったらお湯抜いておいてね」

 1号機は明るく言うと部屋を出て行った。

 4号機は1号機が出て行くと、表情を消して溜め息を吐いた。

「ばっかみてーだ。ほんとに」

 4号機はそう呟くと、引き出しに放り込んだ、”世界の料理500選”という本を取り出した。そして冴えない表情で不満げじっと本の表紙を睨んでいた。


 翌日、後続の4号機達が記念会館に到着したときには準備の大半は終了していた。会館の中には大きな調理室が設けられていて、由梨たち先発の部隊はそこで待機していた。

 阿具と由梨が引継と打ち合わせをしている間、特機たちはわいわいと喋っていた。1号機と5号機はいつもと違う任務に少し浮かれているようだった。2号機はいつも通りに無表情になにやら端末を触っていた。3号機は何故かじっと4号機を見ていた。

 不審そうな視線を向けると3号機は目をそらした。4号機は首を傾げて、それから調理室をぐるりと見回した。

 調理室は4つのステンレスの作業台を囲むように、田の字に通路が通っている。

 部屋の奥に向かって左側の壁にコンロがあり、右側にシンクがある。

 そのまま部屋の突き当たりは半分ほどが冷蔵庫で、残りの半分に搬入されたらしい調理素材を納める大きな格納箱が並んでいた。

 部屋の内側の4つの作業台には、既に盛り付けられたつまみや大量のドリンクが並べられていた。

 4号機は特機たちの輪から離れて、ぐるりと調理室を一周すると、大きく息を吸い込んだ。本やテレビの中だけで見るような大きく本格的なキッチンだった。

「どうしたの?」

 声を掛けられて、4号機は我に返った。

 いつの間にか割烹着を着た3号機が傍に居た。

「ひ、広いからさ。べーすぼーるが出来るなーって思ったんだよ」

「べーすぼーるなんて好きだったっけ?」

「そりゃ…国技だからなっ」

 4号機は胸を張って言った。

「それは、スモウじゃなかったっけ?」

 3号機が言うと、4号機はそれ以上何を言っていいのかわからずに黙り込んだ。

 3号機は何か言おうとしたみたいだったが、結局何も言わずに口を閉じた。

「もう料理は終わったんだな」

 すこししてから4号機はぽつりと言った。

 なんだか不必要に感傷的な言い方だったような気がして、4号機は目を細めた。

「だっ、大丈夫! まだ最後のお鍋は式が始まってからだし」

「大丈夫って、何が大丈夫なんだ?」

 4号機はややぶっきらぼうに言った。

 3号機は慌てたように手を振った。

「べ、別に。4号が私たちに仕事がないんじゃないかって心配してくれたのかなって思ったから」

 言った後で、3号機は何故か落ち込んだような表情を浮かべた。

「ふぅん」

 4号機はとりあえずうなずいた。

 3号機はふらふらと視線を泳がせて、唐突に自分のほほを両手でぴしゃりと打った。

 4号機は目を丸くした。

「ティースプーン一杯くらい…あるもん」

「3号?」

「あのねっ、4号、はなしが」

「よし、直に式が始まる。後発隊は式場に移動するぞ」

 3号機の声を遮って阿具の声が響いた。

「はーい」

 4号機は振り返って言った。それから再び3号機のほうを向いた。

 3号機は真剣な顔で口開いたまま黙り込んでいた。

「えっと、何だっけ?」

「え、あう」

 3号機は呟くと、しゅんとしてうつむいた。

「なんでもないの」

 3号機が言うと、4号機は分からないままうなずいた。

 後発隊が阿具に率いられて調理室を出て行くまで3号機は立ち尽くしていた。

「てぃーすぷーん…」

 3号機は情けなく呟くとへなへなと調理台にもたれかかって、ずるずるとへたりこんだ。

 部屋の反対側では、休憩中の由梨と5号機がティーカップを持ったまま不思議そうな表情を浮かべていた。


 2号機と4号機は式場に最初に用意する分の酒と料理を全て運び込んだ。そしてその後で式場の外にある休憩所のベンチに座っていた。

 式場の中からマイクを通した1号機の声が聞こえた。どうやら式が始まったらしかった。つづいて拍手が起こり、誰かが挨拶を始めたようだ。

 4号機は特にやることがなく足をぶらぶらさせて2号機の方を見た。2号機はまたポケットから端末を取り出すと時折あやしい笑みを浮かべていた。

「なにしてんの?」

「ハッキング。この会館の管理システムは割と出来がいい」

「へー」

 4号機は興味も無く言った。

 2号機はその適当な返事にちらりと4号機を見た。

「人に迷惑をかけなきゃ、幸福を追求する権利があるわ」

 2号機はまた端末に目を戻して言った。

「ハッキングしてると幸せ?」

「わりとね」

 2号機はそっけなく言った。

「だから、4号も気にしないで幸福を追求していいのよ」

「うん」

「うんじゃなくて」

 2号機は手を止めて眉間に皺を寄せた。

「…私にこういうのは向かないわね」

 4号機はさっぱり意味が分からず首を振った。

「あっちに任せよう」

 2号機は式場の扉のほうを見て言った。

 4号機がその視線を追うと、そこには3号機が居た。

 3号機は式場の扉の間に顔をくっつけていた。

「なにしてんの?」

 4号機が声をかけると3号機はびくっと震えて、それから振り向いた。

 3号機は4号機達のほうを向くと、えへへ、と愛想笑いを浮かべた。

「4号を探してたの」

 3号機は恥ずかしそうに言うと歩いてきた。

「おれ?」

 4号機は不思議そうな顔で3号機を見上げて言った。

「うん。ちょっと、話があって」

 3号機は困った表情で言った。

 2号機は3号機の顔をずっと見ていて、ふとひとりでにうなずいた。

「あれは興味深いわね」

 2号機は唐突に言うと、立ち上がって休憩室の一角にあるトイレに向かって歩いていった。

 明らかにみえみえの気の遣い方だったが、4号機は怪訝そうな顔をして2号機の背中を見送っていた。

「えっと、隣、座って良いかな?」

「うん。いいよ」

 4号機は訳が分からないという風にくりくりと頭を動かしながら言った。

 3号機はぺたんと4号機の隣に腰を下ろした。

 そのまま3号機は何か口の中でぶつぶつと呟いていた。

 4号機は始まらない3号機の話に暇を持て余して、ぼんやりとあたりを見回していた。

 休憩所の隅には自販機が有り、白い光を放ち低い駆動音を立てていた。4号機はその前面のスクリーンに次々に映し出される映像を見ていた。

 真っ青な空と真っ青な海、白い砂浜、そこでは猿がウィンドサーフィンをしていて、最後にはバナナの炭酸飲料を飲み干し叫ぶ。”ウキャ、ウキャキャ、ウキャ!”。

「ちょっとね、ふと、たまたまなんだけど、思いついたの」

 かなり長い沈黙の後、3号機が言った。

「うん」

 4号機は良く分からなかったが素直に頷いた。

「それぞれ、人には色々やってみればいいのになーってことがあると思う。例えばほら、1号機は絵が上手いでしょ? だからもっと本格的に絵を描いてみればいいのに、とか」

「んー、うん。そうだな、うまいよな」

 4号機は思い出して呟いた。

「それで、思いついたことってやつなのだけど」

「うんうん」

「4号機は、料理してみればいいのになーって」

 3号機は物凄く素っ気無い口調で言った。

 4号機は3号機の言った言葉が良く分からず、頭の中で繰り返してみた。”4号機は料理してみればいいのに”。料理、してみれば、いいのに。

 頭の中でかちんとピースが組みあがった瞬間、4号機は頭が真っ白になるのを感じた。

「ななななななな」

 なにいってるんだよ。そう言おうとしたが慌て過ぎて言葉が出なかった。

 どうして3号機がそんなことを言い出すのか分からなかったが、少なくとも自分が料理に興味があるということを知られているのではないかと思った。

 かあっと4号機の顔が真っ赤になった。

「ばっ、ばっかじゃねえの! おれに料理なんて似合うわけねーじゃん!」

 4号機は声が裏返ってるのを自覚しつつ言った。

 3号機はじっと4号機を見つめた。4号機は3号機からあわてて視線を外した。

「そう? そうかな。私はそう思わないよ」

 3号機は不安そうだったが、しっかりと言った。

「おかしいよ…いきなりそんなこと言い出して」

 4号機はもごもごと口の中で言った。

 隣から3号機の真っ直ぐな視線が、何かを見通しているみたいで、4号機はぎゅっと体に力を入れた。

「でも、本当は4号も作ってみたいって思ってるんでしょ?」

 3号機はいつもから想像も付かないくらいにはっきりと言った。

 強く強くそう思っているという事実に、4号機は何も言えなかった。

 だが、黙っていてもただ時間が流れるだけだった。3号機はずっと4号機の返事を待っているようだった。

「お」

「お?」

 4号機は震える声で言った。3号機がゆっくりと聞き返す。

「おもう。わない」

 まだ決心がつかず4号機は曖昧に言った。

「思うのね?」

「そうかもしれなくないこともない」

「かもしれない」

「だったりする、らない。らなる、ら?」

 このまま誤魔化して冗談にならないだろうか、と4号機は思った。

「4号!」

 3号機がぴしゃりと怒鳴りつけた。

 4号機はびくっとして3号機の顔を見た。

「はっきりしなさい!」

 3号機はしかりつけるように言った。

 4号機はきゅっと心臓を掴まれたような気がして、目頭が熱くなるのを感じた。

 3号機は真剣な表情で4号機をじっと見つめていた。

「お、思う。思うよ…」

 4号機は目に涙を一杯に溜めて、顔を真っ赤にして言った。

「良かった…」

 3号機は心底ほっとしたように呟いて、4号機の手をきゅっと握った。

 その時、4号機は胸にずっとひっかかっていたものが、するりと落ちるように感じた。同時に熱いものが頬を伝っていくのが分かった。

「おこらなくてもいいじゃん…おれ、おれだってさぁ…おれだって」

 4号機はとめどもなく涙を流して、鼻をすすりながら言った。

「あああ、あの、ごめんね! そんなつもりじゃなかったの!」

 3号機は慌てふためいてポケットからハンカチを取り出すと4号機に差し出した。

 4号機はそれをひったくると顔に当てて、ちーんと鼻をかんだ。

「4号機、こっちは私が変わるから、料理してみようよ」

 3号機は4号機が泣き止むのを待って優しく言った。

「…うん。そうする」

 4号機は今度は素直に言った。

 その言葉を聞くと、3号機も目じりに少し涙を溜めて、嬉しそうに微笑むと4号機に抱きついた。

 4号機は3号機の肩にあごを乗せていると、気持ちが落ち着いてくるのを感じた。

「みんなには、わたしから話しておくから、それに私も」

『問題発生! 行動可能な各員は調理室に集合して頂戴! ええと、とにかく早く来い馬鹿隊長!』

 3号機の声を遮って殺気立った由梨の声が配信された。

 一瞬二人とも反応できずに黙り込んだ。次の瞬間、けたたましい金属が転がる音がトイレから響いた。抱き合ったままの二人が同時にびくっとしてみると、バケツがトイレの前に転がっていて、つまづいたらしい2号機が足を押さえていた。

 2号機は二人の視線に気付くと、何事もなかったような表情を浮かべぽんぽんと軍服の裾を払うと、調理室に向かって走り出した。

 3号機は走って行く2号機の背中を見つめたままぽかんとしていた。だがぐいっと手の引っ張られる感触で、視線を4号機のほうに戻した。4号機は既に立ち上がっていた。

「行かなきゃ!」

 4号機はいつも通りに力強く言った。


 調理室には重苦しい沈黙が漂っていた。

 由梨と特機たちは一列に並んでいる。

 その視線は等しく、調理室の隅に並べられた格納箱に向けられていた。箱の口は開いていて、中には調理材料とおぼしき野菜や調味料が大量に納められている。

「バカが発注をしくじったのよ。暖めるだけのお手軽鍋セットが届く筈だったのに」

 由梨は苦々しげな表情で呟いた。

「しくじる、あの人が?」

 2号機は胡散臭そうな表情で呟いた。

「これでは料理できませんの?」

 5号機が聞くと、由梨は首を振った。

「何かの料理に必要な材料は有るみたいだけど、レシピはないし。だいたい素材から料理作るなんて学校の調理実習以外でやったことないわ」

 由梨は眉間に皺を寄せて呟いた。

 他の特機たちも大体同じようなものなのか、神妙な顔つきで黙り込んでいた。

 3号機が4号機のほうを見ると、4号機はさすがに無理だという風に首を振った。3号機は困った表情で黙り込んだ。

「なぁに暗い顔してんだよ? 宴会やってんだぜ」

 阿具の声が聞こえて、全員が調理室の入り口を見た。

 阿具はかすかに笑みを浮かべながらタバコに火をつけていた。

「どうすんのよ、アンタが発注ミスったせいで大変なことになるじゃない!」

 由梨は阿具に詰め寄って言った。

 阿具は煙を吐き出しながら目を細めて由梨を見るとその横をすり抜けた。

「ミスなんかしてねぇよ。完璧に俺の発注どおりじゃねえか」

 阿具はポケットに手をつっこむと、満足そうに胸を張って立った。視線の先には特機たちが居て、その向こうに格納箱が並んでいた。

「なっ! アンタ分かっててこんなこと」

「大丈夫だ。うちの隊には料理に詳しい奴が居る」

 阿具は由梨の肩を叩いて4号機を見た。

 由梨や周りの特機たちも4号機のほうを向いた、4号機は緊張したように唇を噛んだ。

「だ、だめだって…」

 4号機は力なく言った。

「なあ4号機。お前がそういうようなこと得意だっての、実はみんな知ってんだ。だから、ここらでちょっとその腕前を披露してくれてもいいんじゃないか?」

 阿具はにっと笑って言った。

 4号機は首を振ってうつむいた。周りの特機たちが口々に4号機を呼んだ。

「だ、だって!」

 4号機はうつむいたままで強く言った。

「おれ、実際に料理したこと一度もねーんだもん!」

 4号機が叫んだ。

 その瞬間、調理室がしんと静まり返った。

 全員が、4号機から阿具のほうに視線を戻した。

 阿具はタバコをくわえていたが、やがてタバコを手に戻すとその手でこめかみを掻いた。

「まじでー?」

「ばかーっ!」

 由梨は近くに有ったおたまで阿具の後頭部をおもいっきり殴った。小気味の良い音が調理室中に響き渡った。

「いや、おれはてっきり料理経験は豊富なんだとばかり思ってたからよぉ」

「ちゃんと下調べもしないで思いつきだけで行動しないでよ!」

 由梨は噛み付かんばかりの勢いで阿具に怒鳴った。

「仕方がねえだろ、準備する時間もクソも無かったんだからよぉ」

 阿具は由梨を押し留めながら言った。

「あ、でもカレーのキットなんだよアレ。カレーは野戦で何回か作ったことがあるけど簡単だぞ。単に肉と玉ねぎ炒めて野菜と水とルー入れて煮れば終りだからな」

 阿具は言いながら指差した。

「おお」

 1号機が感心して格納箱の方を振り向いた。

 いつのまにか2号機が格納箱の中身を探っていた。2号機は立ち上がるとみんなのほうを向いた。

「残念ながら、これは本式のカレーキットでルーは入ってません。どうやらこの大量の調味料をそれぞれ混合して味をつけるようですね」

 2号機は腕一杯に色とりどりのスパイスを抱えて言った。

「どういうことですの?」

「レシピなしに素人が作成することはほぼ不可能ということよ」

 2号機はテーブルの上にスパイスを降ろして言った。

「どうすんのよ、隊長!」

 由梨が阿具を睨みつけて言った。

 阿具は肩をすくめてちらりと視線を脇に投げた。

 由梨は目を細めて、その視線を追った。その先には4号機と3号機が居た。

 3号機は4号機の手を握って、じっと4号機の目を見つめていた。

「だめだよ…もし失敗したら」

「私も一緒に謝ってあげる! 大丈夫だよ!」

 3号機は一所懸命な表情で言った。

 4号機はまだ決心が付かないのか、不安そうな表情を浮かべた。

「ああっ!」

 そのとき、1号機が大きな声を上げた。

「いけない! 戻らなくっちゃ!」

 1号機は会場のモニターを見て叫んだ。いつのまにか催しのひとつが終り、進行役の居ない会場はざわざわとしているようだった。

「私も、頑張るからっ!」

 3号機は4号機に言うと、唐突に駆け出して調理室を出て行った。

 4号機は3号機の言葉の意味が良く分からず、ただ立ち尽くしていた。


 式場には白く丸いテーブルが幾つも並んでいた。参加者はテーブルを囲むように座っていた。それは良くあるパーティの風景といった感じだった。

 しかし、参加者の誰もが怪訝な表情を浮かべ真っ直ぐにステージの方を見ていた。会場はかすかなざわめきだけを残して殆ど静まり返っている。

「あ…あのっ」

 随分と長い時間がかかった後、3号機それだけやっと言った。

 ライトの当たるステージには、3号機がひとりきりでぽつんと立っていた。

 ステージの後ろでは次の催しの準備をしていた。ただ、まだ準備が出来るまではもう少し時間がかかりそうだった。

 3号機の持つプログラムには”時間が空いたら適当に埋めろ”とだけ書かれていた。

「つ、つつ、次の催しは」

「すいません。もう少し大きい声で喋って貰えますか」

 誰が言ったのかは分からなかったが、客席のほうから声が聞こえた。

 悪意は無いのだというのは3号機にも分かった。ただそう言われると手が震えた。そして黙り込むと再び会場の中はざわめきだした。3号機にはその囁きの一つ一つがしっかりと聞き取れた。

 3号機は怖くて逃げ出したい気持ちにかられながらも、ゆっくりと深呼吸をした。

 そして、喋ろう、と思った。今まで何度も大勢の人の前で喋る自分をイメージしていた。怖くて仕方が無いが、今はそのチャンスなのだ。3号機は前を真っ直ぐに向いた。

「わ…私は人前で喋るのがすごく苦手です!」

 3号機は叫ぶほどの大きな声で言った。

 途端に会場が静まり返った。参加者たちは一様にきょとんとした表情を浮かべていた。

「で、でもっ、ずっと知らない人の前で喋りたいと思ってました!」

 3号機は震える声で言った。

「だから、ほんの少しだけ私に喋らせてください!」

 3号機は言って会場を見回した。

 会場は今だ状況が把握できていないようで、物音ひとつしなかった。

 3号機はとりあえずそれを肯定と取ると、ひとりで頷いた。

「あ…ええと。何喋れば良いんだろう。えっとえっと」

 3号機は自分で言っておきながら、何を喋ったら良いのか分からずにパニックを起こしかけた。何か喋らなくては。3号機は強くそう思った。

「あ、あるところに三頭の競走馬が居ました」

 口をついて出たのは昨日本で読んだ冗談だった。

 何故この場で冗談を。そう思うと3号機は逃げ出したくなったが、もうひくことも出来ず、3号機は決心すると、ティースプーン一杯の勇気を奮い起こした。

「その競走馬たちは、それぞれ自分の勝った回数について自慢していました。一頭目が10勝だと言うと、二頭目は20勝だといい、三頭目は30勝だといいました。しかしそこにドッグレースに出場している犬が来て、自分は100勝もしているといいました。すると三頭の馬は声を合わせて言いました」

 3号機はすうっと息を吸い込んだ。

「すごい! しゃべる犬だー!」

 3号機はおもいきり良くオチを叫んだ。

 静まり返った会場で誰かがくすっと吹き出した。そしてそれを引き金にするように会場全体に笑い声が響いた。実際には冗談そのものよりも必死な3号機を見て微笑ましいとおもった人間も多かったのかもしれない。

「つ、次はビンゴ大会です。お楽しみください!」

 3号機は感動して泣き出しそうになって言った。そして3号機がぺこりと頭を下げるとぱちぱちと拍手が起こった。

 

 調理室に残ったものたちはモニターを見つめていた。

「ぷっ、あはははは」

 由梨が笑い出した。

「あははははは」

 1号機はずっと腹を抱えて笑い転げている。

「ええっ、どういう意味ですの!?」

 5号機は呆気にとられた表情で他の者の顔を見回している。

「なかなかの度胸じゃねぇか」

 阿具はニヤリとして呟いた。

「3号は勇気をだした」

 2号機はモニターを見たまま隣の4号機に言った。

「さあ、あなたはどうするの?」

 2号機は言った。だが4号機からの返事は無かった。

「4号?」

 2号機は振り向いて言った。

 4号機はいつのまにか割烹着を着ていた。そして三角巾の後ろの端を頭の後ろできゅっと結んだ。

「現時刻より調理を開始するっ!」

 4号機が怒鳴った。

「おおっ」

 勇ましい声に、特機たちがどよめいた。

「レシピは?」

 2号機が鋭く言った。

「大丈夫だ! 全部頭の中に入ってる! 料理の本は何回も何回も読んだ!」

 そういうと4号機はさっき2号機が置いたスパイスの袋を掴んだ。

「唐辛子、ターメリック、クミン、コリアンダー、シナモン、カルダモン、クローブ、フェンネル、マスタード、黒胡椒、ナツメグ、ローリエ…」

 4号機は呟きながら次々に調味料を選り分けて行った。

「私たちに出来ることは!?」

 由梨が慌てて聞いた。

「ご飯炊いて!」

 4号機は言いながら格納箱の中から玉ねぎの入った袋を担ぎ上げた。

「ええっ、ご飯ってどうやって炊くんだっけ?」

 由梨は呆然として立ち尽くしていた。

 阿具が格納箱のほうに走って行く。

「良いからお前は式場で給仕やって来い!」

 阿具が米の袋を抱えながら怒鳴った。

「…はーい」

 由梨はしょんぼりして調理室を出て行った。

「私も行って来ます!」

 1号機はそういうと由梨の後を追って行った。

「お前らは手伝えるか!」

 阿具が言うと5号機は首を振った。2号機が一歩前に踏み出した。

「私たちは大丈夫です」

「りょ、りょうりとか知りませんのよ!」

 5号機が慌てて言うと2号機はにやりと笑った。

「知識を共有するシステムがあります。本来は作戦上の知識に限られますが、ちょっとした工夫をすれば」

 2号機はそう言って目を閉じた。

「普通の知識だって共有できます」

 2号機は目を開いた。

「お鍋! 私お鍋用意しますの!」

 5号機は入力された知識に従って駆け出した。

「玉ねぎ切るの手伝うわ」

 2号機は机の上から包丁を取ると4号機の向かい側に立った。

 4号機は既にナイフを片手に、料理経験がないとは思えないほどの速度で玉ねぎをみじん切りにしていた。

「よし、あと2時間だ! 協力して事に当たれ!」

 阿具が怒鳴ると特機たちは”おう”と答えた。

 そして阿具は行きかけて立ち止まると4号機のほうを見た。

「4号!」

「なに!?」

 4号機は顔も上げずに言った。

「任せていいんだな? お前に」

 阿具は静かに聞いた。

 4号機は手を止めて顔をあげると阿具を見た。そして、にやっと笑った。

「ああ、任せろ! おれに!」

 4号機は力強く怒鳴った。


 ステージの上では演奏を終えた軍楽隊が拍手を浴びていた。

「第二音楽隊の演奏でした。みなさま、もう一度大きな拍手を」

 3号機は司会台の上に置かれた紙を見て言った。

 会場から再び大きな拍手が起こった。

「それではこれよりしばらくの間、ご歓談をお楽しみください」

 3号機が言うと、会場内は賑やかな空気に包まれた。

 3号機は緊張から解かれて、会場の壁によりかかると大きく息を吐いた。

「なかなかの司会っぷりじゃない!」

 3号機が顔を上げると1号機が立っていた。

 1号機は両手に空のビール瓶の乗ったトレイを持っていた。

「そんなことないよ。まだ胸がどきどき言ってるもん」

「さっきの冗談も面白かった! 犬が喋るはずないのに…くすっ」

「え、いや…あれは」

 3号機は思い出し笑いをする1号機に説明しようとして、あたふたした。

「なに?」

 にこにこして1号機が言った。

「あ、ううん。犬が喋るわけないもんね」

 3号機はあまりにも面白そうな1号機を見て当たり障り無く言った。

 1号機はこっくりとうなずくと、また思い出し笑いをした。

 3号機は微妙な表情を浮かべてしばらく考えて、まあいいやと思ってうなずいた。

「そういえば、4号は?」

 3号機は思い出して聞いた。

「そうそう! すごいんだよ4号。シェフみたいで格好良いんだから」

「料理つくってるんだね?」

「うん」

 1号機はうなずいた。

「よかった」

 3号機は呟くように言った。

 1号機はきょとんとしていた。

「どうして?」

「これで、ちゃんと料理が作れたら、4号すごく嬉しいと思う。だってずっと料理したいって思ってたんだと思うから」

 3号機は言った。

「でも、もし失敗したら…」

 3号機は弱気な表情を浮かべて言った。

「大丈夫だよ! みんな頑張ってるもん。失敗なんてするわけない」

「そ、そうだよね。時間もまだ有るし、カレーは失敗しにくいっていうし」

「あの、すいません」

 2人が話している後ろから声がした。

 そちらを見ると、会の幹事らしき女が立っていた。

「なんでしょう?」

 3号機は言った。

「ちょっと予定の変更がありまして、この後のスケジュールについてお話したいんですが」

 幹事は言いにくそうな表情をして言った。

 1号機はぽかんとした表情を浮かべていた。

 3号機の表情に不安がよぎった。


「どうしても時間が足りない?」

 由梨はビールの栓を次々に抜いてトレイに並べながら言った。

 阿具はこくりと頷いた。

「見ての通り、もう調理の殆どは終わってる。後は煮込むだけなんだが」

 言いながら阿具はちらりと後ろのコンロの前を見た。

 巨大な寸胴鍋の前に4号機が真剣な顔で仁王立ちしていた。その後ろの机の上には三角座りをして5号機がカレーが出来るのを今か今かと待ち望んでいた。

「どうやらあと1時間は煮込む時間が必要らしい」

 阿具の言葉に由梨は時計をちらりと見た。

「宴会で食事が30分も遅れると客が騒ぎ出すわよ?」

「だろうな。だが、ここは意地でもちゃんと完成させてやりたいんだ」

 阿具は真剣な表情で言った。

 由梨はその顔を見てかすかに微笑んだ。

「わかった。あの子の初めての料理だもんね」

「ああ」

 阿具は頷いた。

「大変でありますーっ!」

 大きな声とともに廊下にひっくりかえって瓶が転がる音が鳴り響いた。

「あわわわ…」

 1号機の声がして扉の外で1号機がわたわたとしているのがすぐに分かった。

「良いから入って来い!」

「ああ、はい! 了解であります!」

 1号機は慌てた声で言うと、扉を開けた。

 1号機は中に入ってくると同時に余程焦っているのか、阿具の顔を真剣な眼差しで見つめた。だが声がまだ出せないのかぜいぜいと息をだけを吐いていた。

「いいからとにかく落ち着け」

 阿具は呆れたような表情で1号機に言った。

「ぜっ…は、ぜっ…え」

 1号機はそれについて返答しようとしているのか息を荒く吐いていた。

「水!」

 阿具が怒鳴ると、既に2号機が水を用意していて1号機に手渡した。

 1号機はそれを一息に飲み干し、ふう、と息を吐いた。

「あ、あの! 何かこの後出し物をする人が風邪で来てないとのことであります!」

 1号機はやっと息を落ち着けると必死な表情で言った。

「ん? うん」

 阿具は怪訝な表情を浮かべて言った。

「しかも、どうやら風邪が流行ってるみたいで、3組も休みとのことであります!」

「そりゃあ、あれだな。軍人として健康管理がなってないな」

 阿具はそのままの表情でとりあえず相槌を打った。

「そのとおりであります!」

 1号機は強く同意してこくこくと頷いた。

「大変だなぁ、そう風邪が流行ると」

「まったくもって、大変であります!」

 阿具と1号機は互いに頷きあった。

 そして阿具は1号機の続きを待って黙り込み、1号機も何故かそのまま黙り込んだ。

「…もしかしてそれだけか?」

「え…ああっ! それで、出し物が無いので食事の時間を30分ほど早めて欲しいとのことでありますっ!」

「ええーっ!?」

 阿具の隣で由梨が声を上げた。

「まずいわよソレ! 下手に料理が遅れますなんて言えなくなっちゃったじゃない!」

 由梨が悲鳴じみた声で言った。

「確かにまずいな。何か策を考えるしかないだろう」

「策?」

 2号機が聞いた。

「そう。この場合は、客を待たせる策か、或いは料理を早く仕上げる策か」

 阿具は言いながら4号機のほうに視線を投げた。

「駄目だよ。料理を早く仕上げる方法なんてない。生煮えの不味いカレーで良いっていうなら別だけど…」

 4号機は申し訳なさそうに言った。

「駄目ですの!」

 机の上に座っていた5号機が声を上げた。

「まずいカレーはカレーじゃないですもの! カレーは、おいしいものですの!」

 5号機は阿具に向かって言った。

「そうだ。5号機の言うことは正しい。たとえどんな任務だろうが、おれたちの部隊が任務を失敗することはない。料理を命じらたのなら、ちゃんとしたものを出してこそだ」

「つまり、客を待たせる策が必要ということですね」

 2号機が妙に無表情で言った。

「京一郎! 何か考えがあるの!?」

 由梨が言うと阿具はニヤリと笑みを浮かべて、ぎゅっと拳を握って見せた。

「言葉で通じない時はなぁ、男は、拳で語るんだよ」

 阿具が言うと同時に、由梨はお玉で阿具の頭を殴った。

「宴会を武力鎮圧してどうする!」

「バカヤロウ! 交渉の手段に武力を使用するのが軍隊だろうが!」

「武力行使の手段として使用されるのが軍隊であって、軍隊はそんなバカの集まりじゃないわよ!」

 阿具と由梨はやいのやいのと言い合っている。

「あれっ…、2号機は?」

 1号機が室内を見回して言った。

 いつのまにか室内から2号機の姿が消えていた。

「まさか、京一郎に影響されて強引に客を止めに行ったんじゃ…」

 由梨は不安そうな表情を浮かべた。

「いや、1号機じゃないんだしそれは無いだろう」

「な、なんでありますかそれー!」

 1号機が不平の声を上げた。

「ああっ!」

 その時5号機が声を上げてモニターを指差した。

 全員の視線が集まったそこには、スポットライトの中に映し出された2号機が立っていた。


 3号機からマイクを受け取った2号機は式場内の制御システムにアクセスすると照明を落とした。

 突然のことに一瞬しんと式場内が静まり返った。

「ご歓談の途中ではありますが、お知らせが有ります。ご存知かもしれませんが、本日予定されていました催しが3つ中止になっております」

 3号機は静まった隙を付いて、司会台の上にある備え付けのマイクを慌てて取って言った。

「そこで、飛び入り参加の有志による歌を披露させて頂きます。歌うは我が隊の歌姫、曲は決戦歌”その花散ろうとも”!」

 3号機はのりのりで叫んだ。

 前フリが大きいとハードルが上がるのに。2号機はかすかに緊張しながら思った。

 だが、2号機はためらうことなくスポットライトをオンにした。

 柔らかい光が差して2号機を映し出した。

「我ら花を咲かせ光り輝くサクラ…」

 2号機が歌い始めるのと同時に、かすかに残っていたざわめきが消えた。

 伴奏も無く、特に音楽のために作られた式場でもなかった。それでも2号機の声は、ある種の存在感を持って響き渡った。誰もがその歌に聞き入っていた。特別に上手いわけじゃなかった。

 ただ、その歌にはどうしてか聞いていたくなるような優しさが有った。

 やがて、静かに軍楽隊が歌に合わせて演奏を始めると、2号機は更に高らかに歌い始めた。


「どうにも芸達者な部隊だな、おい」

 阿具が嬉しそうに目を細めて言った。

「おおおー」

 1号機が手に複数の棒を持ち、くるくると皿をその上で回しながら声を上げた。

「なにしてんだお前…」

「みんな何かしてるし! 私も何かしなきゃならないのではと!」

「うん、芸達者だね、お前も」

 阿具が頷いて言った。

「通信講座でならったでありますー!」

「よし、じゃあ2号機が時間を稼げなくなったらお前に任す」

「了解でありますー!」

 1号機は皿を回したまま言った。

 1号機の脇では5号機がぱちぱちと手を叩きながら嬉しそうに見上げていた。どうやら子供受けは歌より皿回しのほうが良いらしい。

 阿具はにっと笑って、1号機の頭越しに調理室の奥の方を見た。

 4号機だけはモニターを少し見るといつの間にか離れていた。

 4号機は野菜をどんどんと刻んでいた。どうやらそれはサラダを作っているらしかった。

「よし! 1号機と由梨は会場に戻れ、5号機、とりあえず人数分の食器を用意するぞ」

 阿具が言うと全員があわただしく動き始めた。

「スプーンとお皿で良いですの?」

「1号機はつまみ運んで、私はビールを!」

「そうだ。向こうで分けられるように集めておいておくんだ」

「さ、皿が降ろせないでありますー!」

 ばたばたと騒々しく走り回る隊員たちの中で、4号機はひたすら料理に打ち込んでいた。

 調理室の中には食欲をそそるカレーのにおいが溢れ始めていた。


 * * *


 屋上には穏やかな風が吹いている。

 歌が風に乗って静かに響いている。

「あのカレー、美味しかったねー」

「うん。料理も歌も、またやってくれって言われたって」

 1号機と3号機が楽しそうに喋っている声が聞こえた。

 いつもの夢から覚めて4号機は目を開いた。

 4号機の膝の上で5号機がすうすうと寝息を立てていた。3号機は雑誌をめくっていた。1号機は披露できなかった皿回しの教本を開いてくるくると皿を回していた。

 やがて、静かに歌は終わった。

「変われたのかしら」

 2号機はぽつんと言った。

「う…どうだろう」

 3号機が肩をすくめて言った。

 ただ、その表情にはかすかな自信があるように4号機には見えた。

「夢を見たよ」

 4号機は穏やかに言った。

「また、いつもの嫌な夢?」

 3号機が聞いた。

「いや。うん、いっつもの夢だったんだけど」

 4号機は言ってから、少しの間黙って考えた。

「どうでもいい夢だったよ」

 4号機はにっこりと笑って言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る