第12話 温泉とひまわり

「おんっせんっだーっ!」

 4号機は叫び声を上げると湯船にダイブした。水しぶきがキラキラと飛び散る。

「へへー」

 湯船から顔を出した4号機の視界に真っ直ぐ飛んでくる5号機が見えた。

「ぐぇ」

 4号機が声をあげ、また水柱が立った。

 5号機が湯船から顔を出すと、目の前にぷっかりと4号機が浮かんでいた。

「4号ー?」

「はいはい。温泉では飛び込み禁止!」

 1号機がびしっと指を差して言った。

「はーい」

 5号機は素直に言うと、湯船の中央に浮かぶ4号機を引っ張って行った。

「良いところね」

 2号機が1号機の後ろから言って、静かに湯船に入った。

 1号機はぐるりと辺りを見た。

 黄色いひまわりの花畑の真ん中に、小さな温泉宿はあった。この国の地球世代の祖先の残した様式のアンティークな建物を模したもので、建物からは木と草の香りがした。

「夏休みなんてもらえるなんてねぇ」

 髪を結い上げた由梨が木桶を片手に湯船に浸かった。中には徳利とおちょこが見える。

「あ、おれもお風呂でなんか食べる!」

 浮かんでいた4号機ががばりと立ち上がるとバタバタと駆けていった。

「危ないから走らないー!」

 1号機は言うと、自分も湯船に浸かった。

「でも、いいんですかね。隊全部で旅行に行くなんて聞いたことないです」

 3号機がそろそろと湯に入りながら言った。

「戦時中じゃなきゃ、ありそうなもんだけど」

 由梨はおちょこで酒を飲みながら言った。

「ここ1ヶ月ほど戦闘が無いですからー、きっと大丈夫なんでありますよー」

 1号機が明るく言った。由梨たちが頷いた。

「ただいくつか気になる点があります」

 2号機が顔を上げた。

「まず最初に、旅行なのに移動がパラシュート降下だったこと」

 2号機が言うと、由梨たちはまた頷いた。

「それから、六脚装甲車なんていう拠点突撃用の車両が貸与されていること」

「観光バスだよねぇ普通」

「観光バスはパラシュート降下させられないわよ。普通」

 2号機がぴしゃりと言った。1号機はパラシュート降下する観光バスを思い浮かべてにやにやとしていた。

「最後に、阿具少尉が嬉しそう」

 2号機が言うと、由梨たちは黙りこんで、宙を見つめた。

「温泉バナナー!」

 4号機が木桶にバナナを山と積んで駆けて来た。そして温泉のへりでひっかかると壮大な水しぶきを上げて湯船に突っ込んだ。

 特機たちの上に、雨のように湯が降り注いだ。

「まぁ」

 タオルで顔を拭きながら由梨が言った。

「軍のお金で温泉に入れるなら、私は良いけどね」

 由梨はひっくり返った木桶の中のとっくりをつまみあげた。

「賛成です」

 2号機はバナナをもそもそと食べながら言った。


 いつのまにか日は暮れて、辺りに夜の帳が下りていた。

 阿具と由梨は浴衣を着て、和風の部屋で酒瓶の並んだ机を挟んで向かい合っていた。

 縁側を枕が物凄い勢いで飛びぬけると、どたどたと特機たちが駆け抜けていった。

 阿具は薄赤い顔で、微笑を浮かべるとぐいっとおちょこから酒を飲んだ。

「こんなのがぁ、ふつーの日常なのよー」

 眼鏡をずり下げた由梨が酒臭い息を吐き出していった。

「んん?」

 阿具はとっくりから酒を注いだ。

「てめぇらは…あたしらは。あんなに可愛いぃ子供たちの日常を奪ってバーロー、ちきしょぅ…」

 由梨は涙を浮かべて間延びした声で言った。

「まったくだ」

 阿具はまた一息で酒を干した。表情から笑みは消えていた。

 由梨が手を伸ばした。空のビール缶を崩しながら、由梨はまた一本ビールを掴んだ。

「早く戦争終わらしてみろやぁ、戦場の死神よぉ」

「…取り敢えずは、だが。直に終わる」

 阿具がそっぽを向いて言うと、由梨はとろんとした瞳で阿具を睨んだ。

「なんだかんだって。オイラぁ、またかやの外かよぉ」

 由梨はプルタブを引き起こした。

「まぁいい…アンタが終わるってんなら、終わんだろぉから」

 由梨は空けたビールに口をつけずに、机に突っ伏して顔だけ上げて阿具をじっと見ていた。

 阿具は静かに酒を飲んでいた。

「綺麗な顔しやがって」

 由梨が呟いた。阿具はきょとんとした顔で由梨を見た。

「へ」

 阿具がバカにしたように笑うと、由梨は顔をしかめた。

「由梨は戦争終わったら、どうすんだよ」

「おわーったらぁ」

 由梨は顔の前に転がっていた空のコップを指先で転がしていた。

「そーね。死にたくねェ。ので、なぞの究明なんて、もう考えちゃねぇし」

 由梨はくりくりと頭を振っていた。

「また地下の穴倉に戻るさぁ、うん」

「誰も来ない、日の差さない穴ん中かよ」

「悪いかよォ…どうせ、日の差すとこにアタシの居場所なんざねーってんだ」

 由梨は阿具の方へコップを転がした。

 コップはごろごろと曲がって転がっていって畳の上にぽとりと落ちた。

 阿具はちらりとコップの方を見ると、由梨の顔を真っ直ぐに見た。

「…俺と来るか?」

 阿具が落ち着いた声で言うと、由梨は眼鏡を押し上げた。

「プロポーズかよ!阿具少尉ぃ!」

 由梨は声を上げるとけたけたと笑い声を上げた。

「そうか。そうだな、それも良い」

 阿具がぽつりと言った。

 由梨は急に目を大きく見開いて、それからほんの少し遅れてがばっと体を起こした。突然辺りがしんとしたようだった。さっきまですぐ傍に聞こえていた虫の音が、とても遠くに聞こえた。

「まじ?」

「うん」

 阿具はあっさり言って笑った。

「由梨となら、結婚しても良いさ」

 阿具は手元のおちょこの中の酒を見て言った。

「どーして?」

「ん?」

「どーして、そういうこと言えるくぁ」

 由梨は手の中のビールをぐびぐびと飲んで、手の甲で口をぬぐった。

「由梨は誠実で良い人間だし、見た目だって悪くない」

「なんっつーか」

 由梨は頭をふらふらと揺らしていた。

「根本的に…根源的に。抜本的に?」

 由梨はかくかくと首を振っていた。

「結婚観つうのか、価値観つうのか。アンタのことぉ、そもそもしらんしー」

「昔からの付き合いだろ?」

 阿具は冗談ぽく笑みを浮かべて言った。

「あっちの京一郎だったら絶対ヤダ」

 由梨は言いながら、深く酒臭い息を吐き出した。

「プライベートでのアナタを知らないし、そもそもアナタにプライベートがあるのか知らないし。ほかにも結婚前には様々な段階があり、精神的結びつきもさることながら、ほら、ふつー、恋人どうしは、会うたびに頻繁に、関係を…」

「肉体的な関係を?」

「そうセックス」

 由梨は抑揚の無い大きな声で言った。

「隊長と副長が、結婚前にそういう関係になるのはどうかな」

「そりゃーやべー。そーだなぁ」

 由梨はこくこくと何度も頷いた。由梨はそのまま徐々にぐったりして机にへばりついた。

 由梨はじーっと阿具を見ていた。阿具は優しそうな表情で由梨を見ていた。

「けっ」

 由梨は目を逸らしてどんと缶ビールを机に置いた。

「…なんにしたってぇ。だーれが、てめぇなんぞにおれさまの処女ぉくれてやるもんかよぉ…」

 由梨はぐぐっと酒をあおって、そのまま後ろにぶっ倒れた。

 阿具は目を丸くして、それを見ていた。そして、おちょこを口に近付けて、くすりと笑った。

「フラレたか」

 阿具はおかしそうに言って、酒をぐっと干した。


 やがて空は白み始めて、朝が来ていた。

 阿具は最後の一杯をなみなみとコップに注いで、じっとそれを見つめていた。

 たんとんと軽い足音が廊下に静かに響いた。そして、阿具の座っている部屋の前で止まった。

「飲みすぎると毒です」

 阿具はゆっくりと振り向いた。

 2号機は阿具の顔を見ると自分のパジャマのすそをぎゅっと握った。阿具の瞳が一瞬、灰色がかって見えた。それは何か生き物ではないものの目に見えた。2号機は動くことが出来ずに立ち尽くしていた。阿具がほんの少し手を伸ばせば、自分が簡単に殺されてしまうような気がして、怖かった。

「飲みすぎたな。4升から先の記憶がねぇよ」

 阿具はいつもの様子で喋った。2号機は全身が脱力するのを感じた。

「人間の許容量を超えてます」

 2号機が言うと、阿具は頷いて立ち上がった。

「良い朝だ」

 阿具はすたすたと2号機の隣まで来て外を眺めた。

「まったくふらつかないんですね」

 2号機は驚いて言った。

「ヒトの肉体が死に瀕すると、ヒトの力を超えたものが出てくる」

「なに、が?」

「遺伝配列の奥に隠された秘密かな」

 阿具は肩をすくめていった。2号機は深刻な顔で阿具を見つめていた。

「よっぱらいのヨタ話だって」

 阿具は2号機の頭に手を置いて言った。

「あんまり中身の有りそうなヨタ話をしないでください。考えますから」

「悪いな」

 阿具は笑うと裸足のままで庭に飛び降りた。

「じゃあ、身のねぇヨタ話を」

「どうぞ」

 阿具はとんとんとステップを踏んで軽やかに上段蹴りを空中で止めた。

「由梨に戦後結婚しようかっていったら、断られたよ」

 阿具は言いながら、戻した足の反動で前蹴りを出した。

 2号機は目をまんまるくしたまま、口をぽかんと開けて固まっていた。

 阿具は構えを変えると、右手をナイフを持っているように握った。そして、接近戦の型を素早い動きでこなしていった。

「…えええ」

 2号機はだいぶしてからやっと言った。

「そういう大暴露は、もっと面白いシーンで、然るべき体勢の整ってるときに言ってください」

「注文がおおいな」

「なんて言っていいかわかりませんから」

 阿具は動き続けながらにっと笑った。

「なんも言わなくて良いって。ヨタ話なんだからよ」

「そういうわけには」

 2号機は困ったように言った。

「お前は、2号は。どうするんだよ、もし戦争が終わったら」

「私は。どうしたら良いのかわからないです」

 2号機は言ったまま眉間に皺を寄せて黙り込んだ。

 阿具は最後にぴしっととても綺麗な正拳突きを打つとそのまま体を止めた。

「俺のサルベージチームに入るか?」

「えっと」

 2号機はそのまま言葉を継ぐことなく黙り込んだ。

「あの。嫌とか、そんなのではないんです。でも、私のやりたいこととか、やるべきこととか、きっとそういうのは」

「なるほどな」

 阿具は頷いた。

「誤解しないでください」

 2号機はつらそうな表情で言った。

 阿具はひらりとまた廊下に飛び乗った。

「俺が言ってんのはさ、手段の話で、目的じゃあない」

「え?」

「お前らは今まで経験をしたことがないだろうが、普通の生活って奴にはな、何かと金が要るんだ」

 阿具が言うと、2号機は怪訝な顔をした。2号機はそんなことは分かっているとでも言いたげだった。阿具は表情を笑みを浮かべた。

「金を稼ぐこと自体はそう難しいことじゃない。だが、何かをしようと思ってその元手に成る金が簡単に溜まるほど、給料ってのは一杯貰えない」

 阿具の言葉に2号機は頷いた。

「多くの仲間が、俺達の家族が、おそらくは路頭に迷ったり、上手く行かないことでヤケになったりする」

「戦後は、兵士による犯罪が急増する」

「そうだ」

 阿具は遠い目をしていた。

「でも、そんなのってくだらなすぎるだろ?みんないつかはバラバラの道を行くだろう。でも、最初の一歩でつまづいたら、先に行きようがねぇってもんさ」

「だから、サルベージで一儲けですか?」

「そう。大勢でひとつの船に乗ってりゃ、生活費もかなり削れるしな。ずっとそれがやってたければやってればいい。違う道を見つけたならそっちに行けばいい。俺はその最初の一歩目を、助けてやれればなって、そう思うんだわ」

 阿具は室内に入って、最後の一杯の酒を飲み干した。

「楽しく、儲かる腰掛業ってところか」

「阿具さん…」

「焦るこたぁないんだよ。やらなきゃいけないこととか、やりたいこととか。そういうのは、ちゃんと気にしてさえすれば、いつか勝手に出会うもんなんだから。見つかるまでは、みんなで楽しく遊んで暮らそうぜ」

 阿具は空になったコップを残念そうに見ながら言った。

 2号機の立っている廊下から朝日がまっすぐに差し込んできていた。

 阿具は逆光で表情の見えない2号機の方を見ていた。

「阿具さんは、やっぱり家族のお父さんなんですね」

 2号機はかみ締めるように言った。

「よせよ。リッチマンや突撃隊の面々みたいなクセ者共を子供に持った覚えはねぇぜ」

「私達は?」

「うげお」

 2号機が言ったのと同時に、部屋にくぐもった声が響いた。

 阿具と2号機はすぐに由梨の方を見た。

「お、お水を下さい。後生ですから…お水を下さい」

 死に掛けたカエルのように畳にへばりついたまま由梨が言った。

「へ。飲めない酒を飲むからだぜ。…2号機」

 自分で勧めておいて無責任に言った後で、阿具は2号機の方を向いた。

「わかりました。二日酔いの薬も探してみます」

「頼んだ」

 阿具は言って、思い出したようにもう一度顔をあげた。

「そうそう。今日の午後からレクリエーションに出掛ける。そう通達しといてくれ」

「了解しました」

 2号機は言うと、とたとたと廊下を駆けていった。

 足音のたびに由梨は体をぴくぴくと震わせていた。

 阿具は足音をさせないように由梨に近づいて、腰をかがめた。

「娘は優秀なのに、お母さんは情けないねえ」

 阿具は微笑んで言った。

 由梨はゆっくりと黒目を動かして、殺気立った視線を阿具に向けた。

「テメェ。絶対…後で…ぶっとばす」

 中指を立てるジェスチャーつきで由梨は八つ当たりして、そのまま動かなくなった。

 阿具はやれやれという風にため息を吐いて、それから笑った。


 阿具小隊は野戦装甲に身を包んで、研究所の前に立っていた。

 何かで研究所は守られているらしく、空中がかすかに歪みを生じているのが分かった。阿具は剣銃の銃弾を装填すると、特機たちの方へ向き直った。

「任務はこの廃棄研究所の探索だ。この研究所はつい先日、首都の遷都の際に、機械虫の侵入に会い研究中の対物シールドを利用して敵を封じ込め廃棄された。研究はまだ実用段階になく、原発10基分のエネルギーを消費してることから、それほど重要性は無い、と放置されてきた」

 阿具は一度言葉を切った。

「敵数は1。見たことの無い種類との報告だが、形状から察するに小型の鱗蟻らしい。楽勝だ。三時のおやつの前に終わらせるぞ」

 阿具が言うと特機たちはそれぞれに頷いた。

「3号機はここで装甲車に乗ってろ。何か特別な事情がない限りは通常待機だ。敵を討ち漏らしたら叩いてもらうことになるが、これは拠点防衛ではない、問題時には臨機応変に」

「了解しました」

 3号機はこくりと頷いた。

「俺と由梨は、南側を巡回して敵を探す。まぁ俺がこのボケのお守りみたいなもんだ」

「…背中に気を付けなさい」

 由梨が青い顔でうめいた。

「4号5号は北側を同様に。報告どおりなら問題なく片付けられるだろう。だが、無理はするな。遭遇したら救援要請を必ずしろ」

「はーい」

「わかりましたわ」

 4号機と5号機がぴっと敬礼をした。

「1号2号は中央情報処理室に向かえ。システムが生きていたら復旧を頼む。お前らは戦闘力が低い、敵に遭遇して敵わないと思ったら目標をロストしても良いから撤退しろ」

「了解!」

 1号機が元気に言った。

「よし。じゃあ、フィールドを解除したら直ぐに作戦に移る」

「…レクリエーションだって言ったくせに」

 2号機がぼそりと呟いた。

「ああ?なんだって?」

「特にありません」

 2号機が無愛想に言った。

 阿具はにやりと笑って2号機の方に肘を置いた。

「まぁそう怒るなよ2号ちゃん」

「怒ってません」

 2号機はぷいとそっぽを向いた。

「食料の申請をちょいとアレして、いろいろ持ってきたんだ。終わったら食おうぜ」

 2号機は無視するように向こうを向いていた。

「あーなんつったかなぁ。フィル…フォル、ベスト…」

 阿具は思い出すようにぶつぶつと言っていた。2号機はぐっと目を見開いた。

「フェリッタズ・ベスト!!」

 2号機が阿具を見て声を上げた。

「そうそう」

「おお!」

 特機たちが声をあげた。

「…なに?」

 由梨が傍の3号機に聞いた。

「銀河系イチのパティシエ。リック・フェリッタが極寒の惑星で製造してる最高級のアイスクリームブランドです」

「へぇ…ってうわ」

 由梨の隣で4号機がよだれをたらしていた。

「そんなに美味しいの?」

「だから、銀河系イチ、です」

 3号機が言った。由梨はなんとなく頷いた。

「なー。そのアイスも大量に積んできたからよぉ。気合入れて任務遂行してくれよ」

「見損なわないでください」

 2号機は阿具の肘から逃れて一歩前に出た。阿具は後姿を見つめていた。

 2号機は怒った表情でふりむいた。

「私は言われたことはやります。食べ物につられるなんて4号機じゃないし。まったくもって、じゅる」

 喋っている途中で、2号機は口からよだれを出して、軍服の袖で拭った。

 2号機は冷静な表情をしていたが、誰も何も言わなかった。

「うむ」

 阿具が腕組みをして言った。辺りは静まり返っていた。

「じゃ…行くぞぅ!」

「おぅ!」

 阿具の号令に特機たちが応じた。特に2号機と4号機が唸り声を上げていた。

「アイスクリームねぇ」

 由梨が首を傾げて呟いた。


 阿具は剣銃を構えて扉を蹴破ると素早く室内に入った。由梨もすぐ後ろからついてきた。

 くまなく室内に目をやった後で、阿具は力を抜いた。

「体調はもう大丈夫なのか?」

 室内の戸棚を見ながら阿具が言った。

「まぁね。医療物資の中から適当にピックアップして飲んだから、平気よ」

 言う由梨の顔はまだ少し青ざめていた。

「俺が飲むからって、あんまり無理して付き合わなくて良いんだぜ」

「付き合ってた訳じゃないわよ。たまには、お酒でも飲んでぱーっとね」

 言いながら由梨は頭に手を当てた。

 阿具はまだ辺りを警戒するように見回していた。

「…わたし、昨日なにか言った?」

「ああ?」

「今、ふと。なんとなく酔っ払って言うようなことじゃない事を言ってしまったような後悔がよぎったんだけど」

 由梨は阿具の姿が無いことに気付いて部屋の反対側を見た。

 阿具は隣の部屋への入り口を見つけて、扉の横にはりついていた。

「なに?」

「敵がいる」

 阿具は剣銃を確認して、ぎゅっとグリップを握った。由梨がすぐに扉の反対側に駆け寄った。

 阿具は由梨と目をあわすと、左手の三本の指を突き出した。2,1と指が折り曲げられていく。

 手が握りこぶしになった瞬間、阿具が扉を蹴破った。

 同時に由梨が飛び出した。室内に小型の鱗蟻が居た。鱗蟻は動こうする前に由梨の銃から大量の射撃を受けてずるずると後退した。銃弾が切れるまで撃ちつくすと由梨が横にどいて、すぐさま阿具が部屋に飛び込んだ。鱗蟻は殆ど動く間もなく真っ二つに叩き潰された。

 阿具は剣銃を肩に担ぎ上げた。

「破壊した?」

「ああ。お前もかなり的確な動きが出来るようになったな」

 由梨はきょとんとした。

「そういえば、ここまでぴったり目標に合わせて当てられるなんて初めてかも。調子良いのかなぁ」

 由梨は笑って言った。

 阿具は頷くと端末を手に取った。

「阿具だ。目標を破壊した。適当に探索したら撤退するぞ」

「あっけなかったわね」

 由梨の言葉に阿具が頷いた。

『5号機ですわ。りょうかいしまし…』

 言葉の途中で急に銃声が連続して続いた。

「どうした!」

 阿具が怒鳴った。

『4号機です。敵が山ほど居る!救援求む!』

「わかった!やばくなったら逃げろ!」

『了解!』

 4号機は怒鳴るように言った。

「どういうこった。クソッタレが」

 阿具は吐き捨てるように言った。


 とん、と踏み出し次の瞬間には硬い戦闘靴が鱗蟻にめり込んだ。1号機は着地と同時に手に持ったショットガンで真横の一匹を撃った。弾け飛んだ鱗蟻は壁に激突すると動かなくなった。

 2号機はすぐに1号機の隣にぴたりと付いて、アサルトライフルの引き金を引いた。数匹の鱗蟻が次々に吹き飛んで行く。

「多すぎるよ。どんどん増えてる。突破して早く情報処理室に行かないと」

 1号機が言った。2号機は頷いた。

 近付いてきた一匹に、1号機がショットガンを放った。同時に二人は走り出した。

 二人は群がってくる鱗蟻を次々となぎ倒しながら突き進んだ。

 突破した後には無数の鱗蟻の残骸が転がっていた。敵の群れを突き抜けると同時に、今度は後ろから敵に追いかけられる格好に成った。

「うわわわわ!」

 1号機はかすかに愉しそうと言えるような悲鳴を上げて全速力で走った。

 後ろからは物凄い勢いで大量の鱗蟻が追いかけてきていた。

「大丈夫!?」

 1号機は2号機が苦しそうな顔をしているのに気付いた。

「わ、私は、1号ほど体力無い…」

「もうちょっとだよ!この廊下の突き当たり!」

「もうだめ」

 2号機は眉間に皺を寄せて言った。

「2号!」

「怒った」

 2号機は無理矢理笑みを浮かべた。そして、胸にぶら下がる手榴弾のピンを全部引き抜いた。

「2号!?」

「チャフグレネード、フレイムグレネード、グレネード、爆薬、健康用ひまし油?」

 2号機はとにかく攻撃力のありそうな装備を次々に地面に落とした。そして最後に1号機をぐっと押して曲がり角に倒れこんだ。

 すぐにいくつもの轟音と爆炎が上がった。

 2号機は数秒の間ぐったりとして、ぜいぜいと息をはいていた。

 1号機は決心したようにきゅっと唇をかむと、2号機を抱き上げた。

「ちょっと。1号?」

「大丈夫、毎日200km走ってるから」

 そういうと1号機は元来た廊下に戻って走り出した。

 炎をあげる廊下は、最初のうち静かだったが、すぐにまた鱗蟻たちが炎を突き抜けて現れた。だが、1号機は鱗蟻が近付く前に廊下の端までたどり着いた。

 2号機はすぐに1号機から飛び降りた。

「食い止めて!私がすぐに隔壁を閉める!」

「分かった!急いでね!」

 1号機は銃を立て続けに撃ち、すぐに銃弾を補給した。

 2号機は扉のロックを見ると、一瞬で解除して情報処理室の中に飛び込んだ。

 閉め切られた情報処理室には殆ど光が入っていなかった。しかし2号機には低い駆動音ですぐにマシンの配置が分かった。外では銃声が響いている。2号機は灯りもつけずにコンソールに駆け寄るとすぐさま侵入を開始した。

「良かった。生きてる」

 隔壁を降ろそうとした瞬間、2号機は異質な音を聞いた。

 2号機が振り返ると、薄暗い視界の中で、部屋中に伸びた機械の触手が2号機に手を伸ばしていた。2号機は声を出すことも出来なかった。


 阿具は四方に下りてきた隔壁を見ていた。

「どうにもならんな」

 阿具は呟くと床に腰を下ろしてタバコを咥えた。

「どうにもならん、て」

 由梨が言いながら阿具の傍に腰を下ろした。

「手持ちの武器でどうにかなるもんじゃない。抜け道があるわけでもない」

 阿具は火をつけながら言った。通路の四方は全て隔壁に遮断されていた。

「どうすんのよ」

「どうにかなるって」

 阿具は軽く言って煙を吸い込んだ。

 由梨は納得できない顔をしながらも、それ以上何も聞かなかった。

 二人は何も喋らなかった。阿具はただタバコをふかしていた。

「あのさあ」

「ん」

「やっぱり、私。昨日、何か言った?」

 由梨は恐る恐る聞いた。阿具は迷惑そうに目を細めた。

「単に、俺が結婚するかって言ったら、断っただけだよ」

「はぁ!?」

 由梨が驚いて声を上げた。

「アンタ、一体どういうつもりで!?」

「どういうつもりって」

「本気なの?」

「うん。今も同じ気持ちだ」

 阿具がさらりと言うと由梨は頬を染めた。

 由梨は何も言わないまま、もぞもぞと体を動かしていた。

「困るなよ。お前の気持ちはわかったよ」

「うん」

 由梨は頷いた。

「やっぱり、京一郎と結婚なんて、考えられないよ」

 由梨が言うと、阿具は頷いた。

「この前の件で分かったの。確かに世界には、何か私や他の普通の人が知りえないような事があるのかもしれない。でも、そう、私や普通の人間には知りえないの。関わることは出来ない」

 由梨は淡々と言った。阿具は黙って煙を吐き出していた。

「分相応ってものがあるわ。愛で何でも出来るって思い込むほど、子供じゃない」

 由梨は静かに言った。阿具は無表情だった。由梨には阿具が何を考えているのか分からなかった。

「まぁでも、好きなんだろ?俺のこと」

 阿具がにっと笑った。由梨は力無く微笑み返して、頷いた。

「そう。大好きよ」

「じゃあ、許してくれよ」

 阿具はすっと立ち上がった。由梨は意味が分からずに阿具を見上げていた。

「巻き込んでごめん、ってこと」

「前の事件のこと?」

「全部だよ。阿具京一郎のフリをしたことも含めて」

 阿具は肩をすくめて、タバコを床に落として踏み消した。

「ねえ」

 由梨はふと思って言った。

「どうして、阿具京一郎にしようと思ったの?それに、どうして私に関わったの?」

「まぁたまたま辺境で死んで、肉親が居なくて、友人筋が希薄だった」

「じゃあ、私に関わったのは?」

「好みだったんだよ」

 阿具は少年のように、にっと歯をむき出して笑った。

 由梨は目をまんまるく開いた。

「由梨の発表した論文を読んだよ。ああ、この時代の人類にも天才は居たんだなって思った」

 阿具が言った。

 由梨はその言葉の含まれた意味のあんまりの多さに、何も聞けなかった。

「それと、止めてあげないとこの天才は殺されるな、とも」

「そんな」

「バカなって?」

 阿具が茶化すように言った。由梨はこの前のことを思い出して頷いた。

「最初は出来れば止めようと思ったけど、下手に刺激するくらいならこっち側に引き込んだほうがいいかなとも思った。由梨にはその権利があるしね」

「それで、結婚?」

 由梨は不快そうに口をゆがめた。阿具は愉快そうに笑った。

「それとこれとは別だって。可愛いからね、由梨」

 阿具は由梨の頭に手を触れた。由梨はくすぐったそうにした。

「でも、私には…」

「もう」

 由梨は、阿具がとても優しい調子で喋っていることにやっと気付いて、驚いた。

 阿具はにっこりと微笑んだ。

「キミはもう権利を手にしてる。というか、それは義務でもある。近頃、走っていて息切れを感じたことがあるかい?トレーニングの後に筋肉痛を感じたことは?前より速く動くものを見ることが出来ていると思わない?」

 阿具の言うことの全てが思い当たって、由梨はごくりと唾を飲んだ。

「どういう…」

「そのうちわかるさ」

 阿具は穏やかに言って、剣銃の弾を確認した。顔を上げたときには、いつもの目つきの鋭い阿具に戻っていた。同時に爆発音と振動が起こった。

「なに!?」

「まぁ。俺も友軍の位置確認がとれなくなっても待機してるようなボンクラを部下にしてない、ってこったな」

 阿具は好戦的な笑みで言った。由梨はずっと黙っていた。


 1号機は膝を抱えてうずくまっていた。

 隔壁が降りたとき、1号機は何も出来なかった。2号機に何か良くないことが起こったのかも知れない。そんな思いがぐるぐると1号機の頭をめぐっていた。そのとき、通路側の隔壁のほうから轟音が鳴り響いた。

 1号機は顔を上げた。そこには装甲車に乗った特機たちと阿具が居た。

「どけ!」

 阿具が叫んだ。1号機は考える前に飛びのいた。

 装甲車の砲が火を吹くと、隔壁に煙が立ち上った。

 1号機は煙のかかった視界で立ち上がろうとした。だがその前に伸びてきた手に無理矢理引っ張り起こされた。

「阿具少尉!」

「無事か?」

 1号機はこっくりと頷いた。阿具はにっと笑みを見せた。

「1号機!」

 装甲車の上から特機たちが声を上げた。1号機はまた頷いた。

「隊長!2号機が情報処理室のなかに」

 1号機が言い終わる前に通路にまた轟音が響いた。

 巻き上げられる粉塵に1号機は目を閉じた。再び目を開いたときに、通路に居たのは突き出た巨大な手と顔のような形の機械の塊だった。

「何あれ…!?」

 1号機が声を上げた。装甲車の上の特機たちにも動揺が走った。5号機の表情がこわばっていた。

「原始虫体だ。厄介なもんを閉じ込めてくれたぜ」

 阿具はボディアーマーを脱いだ。そして剣銃を担ぎ上げると、真っ直ぐに立った。

「京一郎…?」

「由梨、撤退だ。副長のお前に全部任せる。皆を逃がせ」

 阿具はぽきぽきと首を鳴らしながら言った。

 巨大な原始虫体の体からは次々に鱗蟻がぼとぼとと落ちていた。

「アンタは、どうすんのよ!?」

「2号機がアイツに食われた。助け出す」

「じゃあ、私達も!」

「うるせェ!とっとと行け命令だ!」

 阿具は由梨を睨みつけて怒鳴った。

 由梨は一瞬阿具を睨んで、それから1号機に手を差し伸べた。

「当隊はこれより撤退します」

「先生!?」

「命令です」

 1号機にぴしりと言うと、由梨は阿具を見た。

 阿具はにっと笑って目礼をした。由梨は不愉快そうに阿具を睨みつけていた。

 建物が大きく揺れた。巨大な原始虫体が大きく手を振り上げていた。

「来たぞ!気合入れて逃げろや!」

 阿具が怒鳴って走り出した。阿具は手の下をかいくぐって転がった。

 手は装甲車の方へ向かってきていた。

「3号機っ!」

 由梨が怒鳴った。装甲車が急発進した。すぐ前まで装甲車が止まっていた位置に手がめり込んだ。そしてその後ろから大量の鱗蟻が装甲車に向かって進んできた。

 手の向こうで、阿具が踊るように次々と鱗蟻を切り伏せながら進んでいるのが見えた。

「撃てっ!」

 由梨は自らも銃を撃ちながら叫んだ。

 激しい銃声と、敵の装甲の立てる金属音の中で、由梨は唇を噛んでいた。


 2号機は立ちすくんでいた。そこにはすこしの灯りも無かった。

 持っていたはずの装備も無かった。2号機はなんとか冷静を保とうとしていた。

 そのとき、すっと空間から誰かが現れた。

「だれ!」

 2号機は拳を握って格闘の構えをとった。しかしすぐに2号機は目を大きく見開いた。

 現れたのは、2号機と、特機たちと全く同じ姿をした娘だった。ただ髪と瞳が黒かった。

「アナタは」

 2号機はまだ警戒を解かずに言った。

「やはり、人に作られた天使生体か」

 黒髪の特機は真っ直ぐに2号機を見ていった。

「ジャッジメントへの移行はもう行われたのか?」

 黒髪の特機が言った。

「なにを言っているのかわからない」

 2号機は黒髪の特機を睨みつけるようにしながら言った。

 黒髪の特機は感情の無い瞳で2号機を見据えた。

「そうか。独自拡張が行われているとは感じたが、ネイティブコードへの上書きまで行うとは、人の手によるものではない」

 黒い瞳がうっすらときらめいた。2号機は息を飲んだ。

「堕天使と出会ったのだな。つまりは、立場上は敵か」

 黒髪の特機が言うと、2号機は身構えた。黒髪の特機は首を傾けた。

「なにをするつもりだ?お前は既に私の中に居るのだぞ?」

 2号機は答えなかった。

「まぁいい。どちらにせよ、想定内のことだ。人の手によって天使が作られた時点で、ジャッジメントへの移行は行われる」

「私を、どうするつもり」

 2号機は恐怖を抑えながら言った。目の前の敵は、自分が知らない全てのことを知っている。自分が知らない、自分のことさえ、敵は知っている。それが酷く恐ろしかった。

「お前の意識は集合体に吸収されずにここに残るだろう、それもいつか消えるが」

 黒髪の特機は静かに言った。

「素体は集合体として使う。来るジャッジメントの時に、天使は一体でも多いほうが良いからな」

 何の感情も無いその言葉に、2号機は体の震えを感じた。

 黒髪の特機は不思議そうに2号機を見据えていた。

「なにを怯える?どのみち我々は神の部品。戦争の歯車のひとつだ。どこに使われるかが変わるだけで、その意味は変わらない」

 黒髪の特機は言い残して、背中を向けた。

「待って!」

 2号機は思わず叫んだ。

 黒髪の特機はそのまま闇に溶け込むように消えて行った。

 2号機はぺたんと地面に座り込んだ。

 闇の中には何の感触も無かった。音もなく、何も見えなかった。2号機の体の震えは止まらなかった。死は幾度も覚悟していた。けれども、それがこんな暗闇に取り残されることなら、耐えられそうもなかった。

「たすけて…」

 2号機は低くうめいた。自分の声すら鼓膜に届かなかった。

「助けてっ!」

 2号機は精一杯の声で叫んだ。


 AOS Ver.3.01102.113

 <起動> モード=リモートアクセス

 システムオールチェック... 18万9千3百83項目の変更が申請されました。

 素体の制御をシステムに譲渡します

 以後電脳の制御権限は全けんgha 6y 4k kk jl 0o 2j wj kk ak 1k 34

 -g=025f

 ---実行中のプロセスにアタッチ

 物理領域0000000FF4R5T番地より上書きを開始します。<完了>

 AOS Ver.9097.22

 <再起動> モード=スタンドアローン

 4087個の選択項目の削除 <完了>

 2万3千5百個の選択項目の権限変更 <完了>

 全権限を所有するユーザーを作成します。ユーザー名:2号機。

 システム所有者と権限者が2号機に変更されました。

 素体制御を開始します。

 3,2,1…


 2号機は目を開けた。

 阿具がニヤリと笑みを浮かべているのが見えた。

 二人は機械の塊の中に引き込まれていた。

「よう。生まれ変わった気分はどうだい?」

 2号機は目を大きく開いた。全てが違って見えた。いつもと違って、目に情報が流れ込んでくることも音声が聞こえてくることも無かった。ただ、必要とする全てが理解として脳内に有った。

「わけがわかりません」

 2号機は率直に言った。阿具は頷いた。

「ま、模造のOSとは性能が違う。それに、もう誰もお前を縛れない。お前は今日この瞬間から、お前のものになったんだ。文字通りな」

「なんとなく分かります。でも、それが何なのかはさっぱり」

「お前はこれから学ばなきゃならないんだよ。現状じゃ自分の機能さえさっぱりだろうが、必要に迫られれば分かるさ」

 阿具は軽く言った。2号機はなんとなく頷いた。

「不思議です。さっきまで怖くて仕方が無かったのに、今はもうそれがない」

「そりゃそうだ。この程度の敵に怯える必要なんて無いんだからな」

「わかります。なんとなく」

 2号機はしっかりと言った。

 阿具は満足そうに頷いた。

「どうするんですか?」

「そうだな。このままじゃ動けない。しかもコイツは一箇所二箇所破壊して動かなくなるもんでもないんだ」

「急に、不安になってきましたけど」

 2号機が顔をしかめると阿具は微笑んだ。

「大丈夫だって、このままじゃ4号機にアイスを全部食われるぞ」

「それは」

 2号機はぎゅっと唇を噛んだ。

「非常にいかんことです」

「だな」

 阿具は言うと手から剣銃を離してぐっと機械の中で突き出した。

「原理は聞くな。それから、良い子は真似しちゃ駄目だぞ」

 阿具は軽口を叩くようなトーンで言った。同時にあたりが光に包まれた。


 2号機は目を開けた。いつのまにか意識を失っていたらしかった。頭がくらくらしていた。それは2号機の感じたことの無い感覚だった。

「視覚調節なんてやってくれねぇから。光量過多になると意識失うぞ」

 阿具の声がして、2号機は体を起こした。

 さっきまで研究所のあったところはガレキの山になっていた。阿具はガレキに腰掛けてタバコを吹かしていた。

「自動制御がないってことですか?」

「そう。それから音声認識も視覚認識もない」

「じゃ、どうやって機能を制御すればいいんですか?」

 2号機が言うと阿具は笑った。2号機は顔をしかめた。

「鳥が飛ぶときに羽の制御を考えないだろう。何度も飛んだ経験から、最適な羽の動かし方が本能に組み込まれていく。”そういうふう”に動かすんだよ」

 2号機はふらふらと立ち上がった。そして両手を水平に広げてバランスを取った。

「インターフェースに慣れるのに時間がかかりそうです」

「歩いたりするのは、人間と同じように意識しないでも出来るだろ?」

「単純な機能は素体制御ですから、人と同じです」

「それの機能が多いタイプだと思えば良い」

 阿具も立ち上がった。

 2号機は驚いた。阿具の左手の先はズタズタに引き裂かれてなくなっていた。

「阿具さん」

「気にするな。まぁ、素体の性能以上に能力を引き出すと体は壊れる」

 2号機は息を飲んだ。

「いまさら驚くことでもなかったですけど、それは人間じゃないってことですよね」

 2号機は出来るだけ平静を装って言った。

「人間だよ。機能拡張版の」

「そんなことをいったら」

「お前も人間だよ」

 阿具は笑って言った。

 2号機は口をきゅっと結んで、嬉しそうに笑みを浮かべた。

「おーい、おーい!」

「たいちょー!」

「2号ー!」

 遠くから装甲車のがしゃがしゃという音と声が近付いてきていた。

「みんなだ」

「行こうか」

 阿具が言うと2号機は頷いた。

 2号機はふらふらと歩き出した。声がすくそこまで近付いてきていた。


 一面のヒマワリ畑は太陽でキラキラと輝いて見えた。ざわざわと音を立ててヒマワリが風に揺れる。1号機は風が見えるものだということに驚いた。吹き抜ける風の形にヒマワリはすこし頭を下げていた。風は遠い遠い地平線に向かって走っていった。地平線の上の空は真っ青に晴れ渡って、黄色い地上から入道雲がたちのぼっていた。

 2号機は嘆息を漏らして、頬を上気させて高鳴る胸に手を当てた。

「遠くまで見えるね」

 1号機が言った。2号機は頷いた。

「遠く、遠く。本当に遠くまで私は見ることが出来る」

 2号機は独り言のように言った。1号機は2号機のほうを見た。

「でも、それは世界の一片なのね」

「2号機?」

 2号機は微笑んで、まっすぐに1号機を見た。

「まえに言ってたよね。隊長たちと一緒にサルベージをしようって」

「うん」

 1号機は頷いた。

「私は行かない、かもしれない」

 2号機はすこしだけ表情を暗くして言った。

「どうして…?」

 1号機は不思議そうに言った。

「見つけてしまったから。するべきこと、したいこと。どっちも」

 2号機は一歩前に出て、またヒマワリ畑のほうを見た。

「もしも戦争が終わって。私たちが社会に出て、もしも誰に保護も監視もされないようになったら」

 2号機は一度言葉を切って、1号機の方を振り返った。

「一人で生きてみたいの。何でも一人でして、自分が何を出来るのか、何を出来ないのか、知ってみたい。私は何なのか。私は何のために生きているのか」

 1号機は悲しそうな顔をしていたが、目を閉じると穏やかな表情を浮かべた。

「うん」

 1号機はしっかり言った。

 2号機は1号機の頬に手を触れた。

「悲しまないで」

「強いよね…2号は」

 1号機の言葉に2号機は首を振った。

「きっとね」

 2号機は自分に言い聞かすように言った。

「遠くに居ても、1号や皆に会いたいって寂しくなったりしないの。鏡を見れば、そこに皆が見える。みんなが何を考えてるかも分かる」

「ベースは、同じ遺伝子だからね」

 2号機は首を振った。

「大好きだからよ。貴方たちのことが」

 2号機は1号機を抱き寄せた。

 随分、長い間二人は抱き合っていた。

 また風が吹いて、ひまわりがザワザワと寄せて引く波のように鳴った。

 最後に1号機はこくりと頷いた。

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