第02話 弱気な兵隊

「従来の人類間での戦闘と異なる点が幾つか有る。まず人類の戦いの場合、戦争であってもそこには最低限守られるべき規律というものが存在する。さて」

 老教師はぐるりと教室を見回した。

 丁度昼前の教室で、候補生たちは静かに授業を聞いていた。

 老教師の視線が一番右隅に座った少女に向けられた。人とかけはなれた無機質な銀色の髪を持った少女。老教師は意思によらない微かな嫌悪感を感じて目を細めた。老教師は彼女が何なのか知りはしない。だが途中入学という軍学校には有り得ない待遇を考えれば、彼女が普通の人間ではないという察しはついた。

 3号機は敏感に老教師の視線を感じて、きゅっと両手を握った。

 そして、逃げるように視線を手元のノートに移した。

「…河井。それは古くとある条約にまとめられた。それは何かね?」

「ハーグ陸戦条約です」

 3号機の隣に座った坊主頭の男子は即答した。

 老教師は頷く。

「その通りだ。実際には完全に守られていた訳ではないが、すくなくとも人類は殺し合いにもルールは必要だと考えていた。だが機械虫どもにその考えはない。奴らは目についた生命体を片っ端から食い体内のコアにエネルギーとして蓄えていく。それは奴らにとっては食事なのだ。狩りにルールは存在しない。つまり戦闘員も非戦闘員も関係無いという訳だ。だからこそ情報収集を行い、非戦闘員が食われる前に敵の所在を把握せねばならない」

 老教師が言い終わるのと殆ど同時に、教室の前の扉が唐突に開かれた。

「授業中に悪いなジイさん」

 扉から入って来たのは阿具だった。そして阿具は言葉を失っている老教師には目もくれず手元の書類を見て、次ぎに教室を見回した。

「お前は3号機だな?」

 顔写真と見比べながらも、阿具は確認する。

「は、ハイ! その通りでありまふ!」

 他の生徒同様、3号機も驚きに固まっていて、慌てた返事のついでに舌を噛んだ。

「情報収集及び管理担当でいいか?」

 阿具の言葉に、3号機は大きく頷いた。

「一緒に仕事するってんで、ちょっとどんな奴か見に来たんだが……」

 阿具は眉間に皺を寄せて3号機を睨み付けた。

 3号機はすぐに目をそらして俯いた。

「クソ中将が、面倒なコト押しつけやがって」

 阿具は持ったペンでこめかみを掻き、老教師のほうに向き直った。

「失礼した。阿具京一郎少尉です。今度新設される部隊の人員について理解を深めるため、授業の様子を拝見したい。宜しいか?」

「阿具少尉……!」

 老教師は口の中で呟いて、すぐに表情を驚きに変えた。

「え、ええ。ええ! もちろんです。お会い出来て光栄です少尉」

 老教師は阿具の名前を知っているのか、少し興奮して言った。

 阿具は微笑みで答えると、次ぎに教室の端まで歩いて3号機の目の前に立った。

「詰めろテメェら、空けねえとどいつか一人運動場の端までぶん投げるぜ」

 阿具が一喝すると、あっという間に3号機の隣に一人分の空きが出来た。

 阿具は満足そうに頷くと、そこにどっかりと腰を下ろす。

 3号機は不安そうな面持ちで、ちらりと阿具の様子を伺った。

「諸君、阿具少尉は我が国の軍隊でも、最も多くの機械虫を屠った英雄である。これは願ってもない機会だ。午後は少尉ご自身から実際の戦闘の話を伺おう」

 老教師が力強く言うと、教室から拍手がわき起こった。

 書類を睨んでいた阿具はそれに気付くと、ぽかんと口を開けた。

「情報の収集は敵の動きを掴み、現場の状況を掴み、的確に兵士を戦場に送り出す為最も重要な部分である。これが上手く機能しなかった有名な戦闘が、辺境中規模惑星群に於ける撤退戦である。戦線は崩壊し、補給が絶たれるという絶望的な状況だ。どこに味方の輸送船が迎えに来ているかも分からず、情報の混乱によって非常に困難な撤退戦が発生した」

 教室中の生徒たちはちらちらと阿具のほうを伺っている。

 3号機は何故か阿具が小さく笑った様な気がした。だが隣を見ると、阿具は至って真面目な表情で授業を聞いている。

「撤退が終了した、と思われた時点で作戦領域には最後まで敵を牽制し続けていた第一突撃小隊の一部が残っていた。阿具少尉と、副隊長のリッチマン軍曹、それとA班の5人。我が軍の中で最も戦闘力の高い七人が、敵のただ中に取り残されたという訳だ」

 3号機はごくりと唾を飲み込んだ。自分でも、顔から血の気が引くのが分かった。

「少尉、そのときの感想などあれば、お聞かせ頂きたいのですが」

 候補生たちは、初めて見る英雄に期待の視線を集めていた。

 阿具は老教師の言葉に腕組みをしてからぐるりと教室を見回した。そして青ざめた3号機の顔に目を止めた。

「あれは、まあなかなか楽しかったな」

 阿具の言葉に頷こうとした老教師の顔は途中で動きを止めた。

「リッチマンとA班全員の撃破数と俺の撃破数どっちが多いか賭けをしてさ。ああいうときだけ奴らやけに頑張りやがるんだ。途中から弾もなくなって、ひたすら剣銃で敵をぶったたいて、ぶっ壊して、三つ目の太陽が天頂に昇る頃には、もう辺りには足の踏み場もなかった」

 教室はシンと静まりかえっていた。老教師も呆気にとられた表情で阿具を見つめている。

 阿具は視線に気付いたのか、バツが悪そうに咳払いをした。

「今はガキのお守りかよ、冴えねえなあ」

「いたっ!」

 阿具は隣に座る3号機の後頭部を平手で軽く叩いた。

それを合図にするように午後のチャイムが響いた。窓の外に居た生徒達もぞろぞろと校舎に向かって歩いてきている。

「あ、ええと。それでは昼休みにする。午後の授業に遅れないように」

 老教師は何とかそれだけ体裁を繕って言うと、そそくさと教室から出て行った。

 阿具は頬杖を付いて、じっと3号機を見ていた。3号機は何が何だか分からずに、ただ緊張した面持ちでずっと正面を向いていた。


「リ、リ、リストラですか……!」

 3号機は銀色の瞳をうるうるとさせて言った。

「なんで俺に人事権が与えられたってだけでそんな話になる」

 阿具はけだるそうに言うと、ゆるんだネクタイをさらにゆるめた。

「だ、だって。私は他の4人と違って臆病だし…、気も弱いし、軍人に向いてないんです」

 3号機は手元の四角い金属の弁当箱を握りしめていた。

 阿具と3号機は中庭の木陰にあるベンチに座っていた。昼休みも中盤を迎えて、中庭には人影もまばらで全体的に気怠い雰囲気に包まれている。

 阿具は右目だけ細めて、3号機の様子をうかがっているようだった。

 無意識に軍服の内側の煙草に触れて、阿具は手を止めた。

「俺には人事権があるって言ってんだぜ。辞めたいのか?」

「辞めたくは、無いですけれども…」

 阿具は煙草を掴み出した。

「その辺はお前の自由だ。好きにしたらいいさ」

 3号機は、阿具が煙草をくわえて火を付けるまでを、ずっと見つめていた。

「わ、私。特機です。だから廃棄されることはあっても、辞職なんて出来ないんです!」

 3号機はぎゅっと目をつぶって、吐き出すように言った。

 阿具は、煙草の煙の揺れていく様をぼんやりと見つめていた。

 風が吹き抜けて、煙が空間に散っていく。阿具は目を細めると暫く目を閉じた。

「後ろに戦場が有った。前にも戦場が有った。どこまでも戦場だった」

 阿具は言った。

「こりゃ堪らねえと俺は思う。だが気付いたんだ。俺の家はいつでも戦場だった。それならここは俺の家。行けども行けども俺の家。広いぜ、俺の家」

 3号機は顔を上げた。

 阿具は3号機の頭に手を乗せた。

「これ、俺の小隊の副隊長が作った軍歌なんだ。バカだろ?」

 3号機は何も言えずに、ただ阿具を見つめていた。

「歌へったくそでな。訳のわかんねえ歌ばっか歌ってるけど、どうしてか、不思議と聞いてて心地良いんだよな。あいつ自身、生まれたときから多分死ぬまで兵隊で、俺たちはたいていみんなそうだから、妙に心を打つのかもしれねぇ」

 阿具は首を振った。

「俺たちだって、辞めることなんて出来ねえさ。いつか死ぬまで戦うだけだ。それは俺たちが仕事で兵士やってんじゃなくて、生まれつきそうだったからってことなんだが」

 阿具は3号機の目を見つめ返して、言った。

「だが別にお前がそうじゃないなら別に良い。お前が辞めることを邪魔する奴が居るなら俺がぶちのめしてやるよ。だが辞めないってんなら、俺は使えない奴を置いておきゃしないぜ」

 言い捨てると、阿具は立ち上がった。

「辞めたくないんだろ? じゃあお前は使える奴か」

「わ、私は」

 言いよどんだ3号機を見て、阿具は溜め息を吐いた。

「まあ考えておきな、案外使える兵士になるのなんて難しかねえさ」

 阿具は3号機の頭をぐしゃぐしゃと撫でると歩き去っていった。


 扉には”統合軍事技術研究所”と、丸字で書かれていた。

 阿具は口の端を上げて、静かにドアを開けた。

 部屋は、ブラインドが降ろされ薄暗く、一番奥の端末の画面が青白く光っている。

 その前には白衣を着た、長く髪を伸ばした後ろ姿が見える。

「ちょっと、質問なら授業の時にしてくれないかしら」

 後ろ姿は振り向かずに言った。

 阿具は扉のそばの壁をさぐって電気のスイッチを見つけるとパチンと動かした。

 部屋がぱっと寒色の白い灯りでてらされた。

 部屋の左側はガラス張りになっていて工作室の様になっているらしい。

「ちょっと!貴方!」

 椅子がくるりと半回転して、白衣の女が振り向いた。

 女はメガネの後ろの瞳を大きく見開いた。

「よぉ、由梨。相変わらず暗いな、テメェは」

 阿具は言って椅子に腰掛けた。

「京一郎、よね?」

「他の誰がてめぇに逢いに来るんだよ」

 由梨は明らかにむっとした顔をした。

「お姉ちゃんとか」

「俺がお前のお姉ちゃんに見えんのか!?」

 阿具はあきれた様に言った。

「美沙さんは元気?」

「結婚したよ」

「ほお!」

 阿具は嬉しそうに驚いた。

「京一郎も式に呼ぼうと思ったんだけど、辺境は連絡も大変だからね」

「まあいいさ。何にしてもめでたいこった。相手は?」

「それが聞いてよ!なんと18歳も年上の中将さま!」

「へぇ、美沙さんが見初めんだからよっぽど腕利きなんだろうな」

「京一郎知らないかなあ。伊崎さんって言って、首都防衛軍の中央基地の司令官なんだけど」

 阿具はぴたりと動きを止めて、由梨をじっと睨んだ。

「由梨」

「何?」

「お前、俺のコトその中将に話したか?」

 由梨は少し考えた。

「うん、話した。少し前に良い人材を捜してるって言ってたから」

 由梨は言った。

「あ!もしかしてそれでコッチに戻ってきたの!?」

「てめえが元凶か」

 由梨はきょとんとしている。

「…まあいい」

 阿具は溜め息を吐くと部屋を見回した。

「お前が教師とはな。まあ実戦部隊に配属されるよりゃ千倍いいけどな」

 阿具はガラス張りの工作室の向こうを見ていた。

「好きに研究もやらせて貰えるしね、良い仕事よ。生徒も優秀だしね」

「お前らしい」

「ただ」

 言い澱んだ由梨を阿具はみつめた。

「教え子の戦死報告を聞くと、私が殺したんだって、思う」

 由梨は言った。

「お前は関係ねえだろ?」

「私が全員落第にして、卒業させなければ、死なないのよ」

 由梨は下唇を噛んだ。

「気負い過ぎだよ、馬鹿」

「はげましの言葉?」

「一人で落ち込んでろ。生徒全員の命預かった気になって頑張ればいいさ」

 由梨は目尻を拭って微笑んだ。

「ありがと、元気出た」

「どういう脳ミソしてんだよ」

「京一郎、優しいね」

「あーほーかー」

 阿具は椅子からずり落ちそうな格好で言った。

「京一郎はどういう任務でこっちに来たの?」

「お前の生徒のうちの数人を部隊として編成して訓練しなきゃならないんだとさ」

 由梨は目を光らせた。

「もしかして、あの彼女たち?」

「そ。能力は高いらしいんだけどな、色々問題有りらしい」

 阿具は椅子に座り直した。

「んで、アレをちょっと貸してくれよ」

 阿具はガラス戸の向こうを指さした。

「アレ?あれはまだ試作中だし、実戦には使えないわよ?」

「少し動けばいいんだよ」

 由梨は迷った様に指先を弄っていた。

「いいけど、絶対に壊さないでよ。サンプル捕るのだって大変なんだからね」

 阿具は顎を触った。

「保証はしねえ」

「しなさい。それからヒゲを剃りなさい」

「考えとく」

「ヒゲの方?保証の方?」

「どっちも」

 阿具はにっと笑った。


 阿具が教室に入ると、生徒たちは既に全員着席していた。

 老教師はニコニコとしながら阿具を教卓に招いた。

 阿具は教卓に立ち、生徒たちの顔を見た。

 全員がぴしりと背筋を伸ばし、真っ直ぐに阿具を見ている。

 ただ3号機だけが俯いて、表情が良く見えなかった。

「俺が何を喋ればいいんだ?」

 老教師に向かって阿具は聞いた。

「戦場での情報の大切さや、軍人としての心得なぞご教授いただければ」

 阿具は暫く目を瞑って何か考えていた。

「俺の小隊では、情報担当を副長のリッチマンがやっていた。奴は戦闘能力は共和国中で俺に次いで高いけど、情報武官としては最低だ」

 老教師が興味深そうな顔をしていた。

「何しろ、哨戒に行って敵を全滅させるし、敵の全体数を”ちょろい数””キツイ数””ムリな数”としか言わない。しかも敵種を間違えるから”ちょろい数”で何度も酷い目に遭った」

 阿具は笑みを浮かべた。

「俺は何度もリッチマンを殺してやろうと思ったコトが有る」 

 3号機がびくりと体を震わせた。

 隣の生徒がぴしっと手を挙げた。

「何だ?」

「では、何故リッチマン軍曹をずっと情報担当として登用していたんですか?」

「他の奴に任せたらもっと酷いからさ」

 手を挙げた生徒は呆気にとられた顔をした。

「それに、リッチマンはいつも情報担当としての責任感を持っていた。Y-70の撤退戦でも、他の隊が無事に撤退出来たのはリッチマンのおかげだ。敵に囲まれている状態で、アイツは剣銃を振り回しながら、なんとか敵の数の少ない場所を見つけてきた」

 阿具が言い終わるのと同時に突然校内に警報が鳴り響いた。

 教室にざわざわと混乱が広がり、突然轟音とともに教室の後ろの壁が崩れ落ちた。

「馬鹿な!」

 老教師が呆然として言った。

 王蟻、機械虫の中でも最も強い種類に入る生物がそこには居た。

 王蟻は黒い頭をぐるりと回した。顔の全面についた幾つもの赤い目が光り、顎がギシギシと音を立てて動いている。一瞬、教室は水を打ったように静かになった。

「王蟻だ、覚えておけよ。こいつは空を飛ぶし、背中の羽根から光線を雨みたいに降らせる」

 阿具が言い終わる前に、教室中が騒然となって、生徒たちは我先に扉に殺到して廊下へ逃げていった。阿具が目を細めて、首を左右に二、三度振った。

 ほんの少しの後に、教室には阿具と3号機しか残っていなかった。

 静かな教室に警報の耳障りな音だけが鳴り響いていた。

 王蟻は教室の壁を崩したきり、その動きを止めていた。

 阿具は、3号機の方を見て笑みを浮かべた。

「何だテメェ、ダメだダメだ言ってた割には結構度胸有るんじゃねえか!」

 嬉しそうに言って阿具は3号機の肩をパシッと叩いた。

 3号機は目を開けたまま床にドサリと倒れ込んだ。

「…気絶?」

 阿具は呆気にとられた顔で言った。

 阿具は3号機の胸ぐらを掴んで持ち上げると机の上に降ろした。

 阿具がぴたぴたと頬を叩くと、3号機は目を覚ました。

 3号機は急に泣き出しそうな顔をした。

「ちゅ、少尉どのぉ」

「あぁどうした?」

「わ、わた、私怖い夢見ました、教室に王蟻が突然」

「そこに居るよ」

 阿具は指さした。

「きゃああああああ!」

 3号機は飛び上がって阿具の後ろにしがみついた。

「おいおい良く見ろって」

 阿具は嫌がる3号機を無理矢理掴み上げると、自分の目の前に出した。

 3号機は更に気を失いそうになりながらやっとのことで王蟻を見つめた。

「生体反応が無い…」

「そう。ありゃ以前撃破された機械虫を使った実験兵器だ」

「少尉どのが?」

「まぁ、弱気でも実戦に出ればそれなりに使える奴も居るから試しにな」

 阿具は溜め息混じりに言った。

「…ダメでしたね」

 とても長い沈黙の後に3号機が言った。

「俺は納得しねえぞ」

 阿具は眉を中央でつり上げて言った。

 3号機は意味が分からずに黙り込んでいる。

「情報担当ってのは、自分以外の皆の命を預かるんだ。テメェには何としても強くなって貰う」

「…あ、わ…私は」

「俺は部隊全員の命に責任が有るんだ。お前が部隊の命に必要な以上、お前に働いて貰う。いいか?俺は首になんかしねえぞ、お前が役に立つ奴になるんだ」

 阿具は厳しく言った。

 3号機は口をぱくぱくとさせて凍った様に黙り込んだ。

「そのかわり。お前の命は俺が守ってやる」

 3号機が大きく目を見開いた。

「撤退時に必要なのは、隊長じゃない、退路の情報だ。だからお前を最優先で守ってやる」

 阿具はきゅっと引き締まった顔をした。

「ウソじゃ、ねぇぞ」

「わかります」

 3号機は言った。

 3号機は阿具と目を合わせずに、少し下の方を向いていた。

 阿具は困ったように、短い溜め息を吐いた。

 瞬間、阿具の顔が驚愕に変わった。人間とは思えない早さで阿具は素早く3号機の手を掴んだ。

「えっ!」

 3号機は叫んだ瞬間に、激しい振動と衝撃を感じた。

 次の瞬間3号機は阿具に抱きかかえられていた。

 阿具は3号機を胸に抱いたまま教室の端に体をぶつけた。

 阿具は小さく呻きを漏らした。

 活動を停止したはずの王蟻が、赤い目を光らせて首をギシギシと阿具の方に向けている。

「不良品か」

 忌々しげに阿具は呟いた。

 3号機はうめきと悲鳴の中間位の声を上げた。

 阿具は3号機をかばうように前に立つとニヤリと笑った。

「逃げろ。死ぬぞ」

 阿具は自分の両手が動くか確かめるようにゆっくり広げた。

「あ…あぅ。あ」

 3号機はカチカチと奥歯を噛み合わせて呻いた。

「仕方がねえ」

 阿具は言うが早いか自ら王蟻に突っ込んだ。

 王蟻が素早く顔を振ってその二股に割れた大顎で阿具をかみ切ろうとする。

 阿具は両手で顎が開かないように抱え込んだ。

 虫の関節がバキバキと音を立てる。阿具は歯をギリギリと噛み合わせて汗を垂らしながら粘る。

「早く逃げろって言ってんだよボケ!」

 阿具が大声で怒鳴った。

「…で、でも!」

 王蟻が焦れたように大きく首を振った。

 阿具の体が宙に舞って3号機の隣の壁に叩きつけられた。

 阿具は口から血の混じった唾を吐くと、怒りの表情で王蟻を睨み付けていた。

 阿具はちらりと3号機の顔を見た。

「左翼部にエネルギー集中!少尉、撃ってきます!」

 3号機が叫んだ。王蟻の左の羽根が縦に立ち上がって白い粒子を集めている。

「つかまれ」

 阿具はそれだけ言うと3号機の胸ぐらを掴み上げて窓に向かって走った。


 さっきまで自分の居た教室が爆発を起こして煙りを上げている。

 あんまりにも現実感の無い光景に3号機は何も言わずに目を見開いていた。

「どけ」

 阿具は不機嫌に言った。

 3号機は慌ててはね起きた。

「だだだだだ、大丈夫でありますか!?」

「平気だ。ちょっと膝にヒビが入った」

 阿具は砕けたコンクリートの地面から体を起こして足を振った。

「な。俺はお前を守るだろ?」

 阿具はあっけらかんと言った。

 3号機が何か答えようとした時、3階の爆発した教室付近から耳障りな虫の羽音が響いた。

 阿具は嬉しそうに口元を歪めた。

「今度こそ逃げろ。次はお前を守れるか分かんねぇぞ」

「ダメです!」

 3号機は大きな声を出した。

「なに」

 阿具は驚いて3号機を見た。

 3号機は顔をうっすら赤くして震えている。

「このまま少尉殿が素手で王蟻と戦った場合、勝てる確率は一割七分、阿具少尉死亡の場合、首都防衛隊到着までに学園内の生徒の生存率予測値七分。阿具少尉が生徒と共闘した場合、勝率九割八分。でも、生徒の三割六分が死んでしまいます!」

 3号機は一息に言ってぜいぜいと息を吐いた。

「そりゃあ、どうすればいいんだ?」

 阿具は突然並べられた数字に頭痛を感じながら言った。

「阿具少尉に陸戦用の剣銃と、私の情報援護があればの勝率は六割二分。そして阿具勝利が単独で敵を撃破出来れば生徒への損害は零になります」

 3号機の声は徐々に消え入りそうになっていった。

 阿具は黙って聞いていたが、そのうち嬉しそうな顔をした。

「つまり、俺とお前で敵を殺せば丸く収まるってこったな」

 阿具は言って上を見上げた。

 王蟻は空中で羽根を目一杯まで広げて、光を集めていた。

「もし負けたら」

「負けなきゃいいんだよ。負けなきゃ、勝ちなんだから」

 阿具は3号機を背中に背負った。

「17番実習室の武器庫に行って、その後一六番実習室で敵を叩きます。敵を離しすぎないで下さい。他の生徒が襲われたらダメですから」

 3号機は冷静に言いながらも阿具の背中でカタカタと震えていた。

「お前は小動物か」

 阿具は呟いてから、地面を蹴って走り出した。


 白球が砂の地面に向かって落ちていく。

 しかし地面に触れるギリギリの所で、黒髪の女候補生が球を拾った。

 弾かれた球は弧を描いてネットのすれすれに上がった。

 銀色の髪を翻して、4号機が飛び上がる。

 柔軟な肢体がしなって、球を勢いよく地面に叩きつけられる。

 球は人では追うのがムリな速さでコートの角のギリギリに落ちた。

 ピッ!と笛が鳴り、観戦していた女候補生達から黄色い歓声が上がった。

 向かい側のコートでは負けた男の候補生が情けなく立ちつくしている。

「へへ。お前ら相手んなんねえ、よ。帰りにアイス奢って貰うからな」

 男の様な口調で4号機は言った。

 男たちは棒立ちに成って4号機の方を見つめていた。

 その呆然とした様子に4号機はぽかんと口を開けた。

「なんだぁ?馬鹿みたいな顔しやがってよ」

「あ、あれ」

 4号機の後ろが指さされた。

 4号機はゆっくりと振り向くと、開いた口を更に大きくぽかんと開けた。

 中庭の通路を、黒光りする王蟻が白い光線を地面に向かって雨の様に降らせて、飛んでいた。

「3号機!」

 4号機は叫んで、同時に走り出していた。


 17番実習室には、射撃の授業を行う生徒達が集まっていた。

 それぞれ頭には大きなヘッドホンの様なプロテクターを嵌めている。

 続けざまに銃撃の音が室内に反響して、難しい小さなターゲットが幾つか残った以外、殆どのターゲットが破壊されていた。

「コラ!起きろ5号機!」

 銃撃が終わった後に若い教官が怒鳴った。

 プロテクターは銃撃以外の音は積極的に拾うように設計されている。

 大きなスナイパーライフルを抱きかかえて5号機は眠っていた。

 やがて5号機は長いマツゲを震わせて目を開いた。

 優雅な仕草で目尻の涙を拭うと小さくアクビをした。

「終わりましたの?」

 元々悪いコトでは無いかのように、ゆったりと5号機は言った。

「お前なあ、寝ていたら訓練にならないだろうが」

 あきれた様に教官は言った。

 5号機は優しく微笑むとターゲットの設置してある部屋の奥の方を向いた。

 微笑みを絶やさずに5号機は、銃を抱え上げた。

「おい、銃をちゃんと射台に設置しないと手ブレが」

 教官が言い終わる前に、5号機は引き金を引いた。

 そしてコッキングレバーを引いて続けざまに銃に弾を装填して撃った。

 銃声と同じ数のターゲットが破壊されて床に散らばっていた。

「近すぎますわ、この訓練は」

 無邪気に言う5号機に教官は言葉を失っていた。

「あら」

 急に5号機は呟いた。

「何か、異音」

 5号機はコッキングレバーを引っ張った。

 長いライフルの薬莢がカチンと硬質の床に転がった。

 銃に弾が装填された。


 阿具が走ってきた勢いそのままに蹴りを入れると、扉はひしゃげて吹き飛んだ。

 阿具は武器庫に飛び込んだ。左右に扉が有り左が一七番、右が一六番実習室に繋がっている。

「銃剣はどこだ!」

「正面の壁に有ります!」

 阿具は狭い武器庫の壁から剣銃を手に取った。

 そして、剣銃の掛けてあった壁が同時に崩壊した。

 阿具の目前に顎を目一杯まで広げた王蟻が迫ってきていた。

 とん、と担いだ3号機が後ろの壁に当たった。

「やべえ」

 阿具は冷静に呟いた。

 阿具は顎の下をくぐろうと、素早く腰を落とした。だが、王蟻の顎の閉まる方が早い。

 阿具の首に冷たい、金属製の蟻のハサミが触れる。

 瞬間、銃声がした。一瞬ハサミが止まり、阿具は下に逃れた。

 弾は王蟻の皮膚に穴を開けない。しかし、精緻に蟻の目の一つに命中していた。

 阿具は腰を落としたまま一六番実習室に飛び込んだ。


 5号機は銃から弾を排莢した。

 そして、弾の無くなった銃を静かに置くと立ち上がった。

「その銃を寄越しなさい」

 5号機は有無を言わせない調子で言った。

 フルオートのアサルトライフルを持っていた男候補生が気圧されして差し出す。

「おい、何を」

 若い教官が言った。

「面白い目標を見つけましたの。邪魔しないで下さる?」

 手元で銃をチェックして初弾を装填し終えると、5号機は妖艶な笑みを浮かべた。

 カツカツと音を立てて、5号機はしなやかに隣室へ向かっていった。

 生徒と教官は、ただ黙り込んでいた。


「本番だ」

 阿具は自分の日頃使うのより、遙かに軽くヤワな剣銃を手にしていた。

 一六番実習室は格闘に使われる部屋で、室内には殆ど何も無い空間が広がっている。

 王蟻は正面から阿具を見据え、ギチギチと顎を鳴らしていた。

 敵の力量を推し量っている。この生き物は、実際の昆虫より遙かに狡猾で利口なのだ。

「さっきみたいに予測を頼む。素早く、的確に」

「はい。敵脚部にパワー集中。真っ直ぐ突っ込んできます!」

 3号機が言うと同時に王蟻が突っ込んできた。

 阿具は逃げずに真っ直ぐ突っ込むと剣銃を振った。

 手応えと同時に阿具は宙に飛び上がって王蟻を飛び越した。

 金属音がして、王蟻の顎の右側が地面に転がった。

 阿具は体勢を素早く整えて剣銃を構え直した。

 王蟻も大きな体をくねらせて阿具に向き直った。

「左方二七度。二歩半!」

 3号機が叫んだ。阿具は考える前にぴったりその位置に移動した。

 幾本もの光線が阿具の立っている位置だけを避けるように床に突き刺さった。

「右方三六度一分、二歩。直後後方零度。三歩、更に、前に四歩!」

 言っている最中に阿具はその通りに跳び、光線が次々に床に刺さっていく。

 最後に阿具が4歩前まで突っ込んだ時には、丁度王蟻の目の前に到達していた。

「行けます!」

「オラァ!」

 阿具は驚異的な速さで剣銃を王蟻の頭に振り下ろした。

 そして、王蟻の頭の頂上に剣が斬り込んだ瞬間、突然手元が軽くなるのを感じた。

 通常の剣銃兵用のそれは、阿具の力に耐えられずに折れた。

 王蟻の頭に剣の一部を残したまま、阿具の手元には柄しか残っていなかった。

 阿具は妙に冷え切った頭で、王蟻の羽根に光りが集まっていくのを見ていた。

「避けられません!」

 3号機の絶叫が部屋に響いた。

 阿具は3号機に手を伸ばした。何としてもこの娘だけは助けなくちゃならない。

 世界がスローモーションの様にゆっくりと時間を進めていく。

 3号機が死なない程度の強さで、しかし速く。阿具は3号機を投げようとした。

「動かないで!」

 鋭い声で世界の沈黙が破られた。

 阿具はぴたりと動きを止めて、同じタイミングで阿具だけを避けて銃弾が王蟻に命中した。

 5号機の放つ撤甲弾に王蟻は皮膚をひしゃげられジリジリと後退した。

 阿具は銃弾の雨の中動けずに立ち止まっていた。

 最後にカチンと銃が音を立てた。王蟻はまだ死んでいない。

「どけ!」

 明確な言葉が阿具に伝えられた。

 阿具は銃弾が止んだ瞬間に既に横に跳んでいた。

 4号機が最も硬く重い剣銃を体と垂直に構えて突っ込んだ。

 力強く刀身が王蟻の頭に突き込まれた。

「喰らえ!」

 4号機は手元の引き金を引いた。

 剣銃が炸裂音と共に激しく振動して、王蟻の頭蓋の中に鉄片をまき散らす。

 音が収まった時には、王蟻は体中の関節から琥珀色の血を流して息絶えていた。


「なるほど。近接戦闘型と、火器官制型ね」

 阿具は4号機と5号機を見て言った。

「よろしくな少尉」

「危なかったですわね」

 一六番実習室には騒ぎに人が集まってきていた。

 阿具はまだ3号機を背負ったままだったコトに気付いて、背中から3号機を降ろした。

「ご苦労さん」

 阿具が言った。3号機は少しだけ青ざめた顔で黙り込んでいる。

「どした」

 阿具は3号機の髪をくしゃくしゃと撫でた。

「う」

 3号機は口を開けて、目をきゅっと細めた。

「うぁあああああああああぁん!」

 3号機は大声で泣き出した。

 阿具はぎょっとした顔で黙り込んだ。

「あらあら」

「おぃ。3号どうしたんだよ?」

 4号機が驚いた顔をして3号機をのぞき込んだ。

「こあ、こあぁ、こあかったよぉ! うぁあああん!」

 3号機は顔をくちゃくちゃにして泣きじゃくっていた。

「お前は良く頑張った」

 阿具は言った。

「ひっく。うぇ。……本当ですかぁ」

 一生懸命涙を抑えて3号機は言った。

「ああ、お前は役に立つな」

「うぁああああん!」

 阿具の言葉を聞いて3号機はまた泣き出した。

「あーあー。少尉が泣かしたぁ!」

「イケナイ人」

 二人がそれぞれに言った。

 阿具は3号機の頭の上に手を乗せたまま、懐から煙草を取り出した。

「こういうのは軍人の仕事じゃねえよなあ」

 阿具は呟いた。

 バックに3号機の泣き声と、4号機のはやし立てる声と、5号機の寝息。

「問題の多い部隊だ」

 阿具は煙草を咥えて呆れたように言った。

 騒々しい周囲に、遠方から更に由梨が怒鳴りながら走ってくるのも見えた。阿具は首を振ると煙草に火を付けて喧噪を無視すると、悠々と煙を吐き出していた。

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