第24話 無償の親切だってある(後編)
日々が過ぎるのは早いもので、みそらもいつの間にか高校生になっていた。
五歳から習い始めたピアノ、それからギターや作詞作曲、色々とやったおかげで、たくさんの音大から注目されているらしい。
それは保護者をしてきた身として、とても喜ばしいことなのだが、当の本人であるみそらの顔は曇っていた。
そろそろ、進路もを決めなきゃいけない時期。
しかしみそらから、俺に全く相談がなかった。
その事が、最近の俺の一番の悩みだ。
「どう思います? 俺から聞いてウザがられたら、ショックが大きいんで聞けないんですけど。どうしたら教えてくれますかね?」
「……そうですね。高校生となると、多感な時期ですからね」
悩んでいた俺は、物語の会社に入ってから十年以上の間に仲良くなった、常陸さんに相談していた。
たまに昼食の時間がかぶると、一緒に食べる時がある。
今日もそんな感じだったから、これ幸いと話していた。
俺の話を聞いた常陸さんは、今日のお昼である定食の魚の骨を取りながら、考えてくれているようだ。
その顔は一見無表情に見えるが、長年一緒にいると意外にどう思っているのか分かるようになる。
今は、悩んでいる顔だな。
自分の話で、常陸さんが困っているのは申し訳ないけど、こんな事を相談できる人はそうそういない。
俺だってアドバイスが欲しいから、常陸さんの答えを待った。
「私の考えが、決して正しいものでは無いことは、分かって頂きたいんですが」
「大丈夫です。あくまで参考として聞きます」
常陸さんは珍しく、歯切れ悪く保険をかけてきた。
俺はそれに軽く聞こえるような返しをして、彼を安心させる。
気づかれないようにしたいんだろうけど、微かに息を吐く音が聞こえた。
「月並みな意見しか言えませんが、話す機会は作った方がいいと思います。そこでみそらさんの意見を、きちんと聞いてあげてください。反対したいような事を、言われる可能性もあります。しかし決して、頭ごなしに否定せずに、理由を聞いて意見を出させてあげましょう」
「なるほど。そう言われると、やらかしてしまう可能性はありました」
俺の考えと、みそらの考えが必ずしも一緒とは限らない。
その時に、もしかしたら押し付けようとしたかもしれない。
常陸さんの意見を聞いて、目からウロコが落ちた気分だった。
「どういった進路を進もうとしているのであれ、反対されるかもしれないという不安が、話せない原因の一つになっているでしょう。だから何でも受け止められる覚悟をもって、話を促してみてはどうでしょう?」
「はい、やってみようと思います」
これは良い意見を聞いた。
俺は近いうちに、みそらと話をする機会を作ろうと決める。
しかし不安でもあった。
いくら気をつけようと思ってはいても、カッとなって色々と言ってしまうかもしれない。
それでみそらを傷つけるなんて、やってはいけないことだ。
そう考えたら、二人だけで話し合うべきじゃないだろう。
「あの、お願いがあるんですけど。聞いてもらえませんか?」
「……私に出来ることであれば」
俺のお願いを察したのか、常陸さんは眉間にしわを寄せた。
それでもくじけずに、俺はお願いを口にする。
「話し合いの時に、一緒にいてください!」
「……私がいたら話しづらいでしょう。みそらさんも言いたい事を、言えなくなってしまうのでは?」
常陸さんの考えは、もっともだった。
しかし俺は諦めきれず、改善案を出す。
「それじゃあファミレスで話をするので、隣の席で聞いてください。それで俺が暴走しそうになったら、止めてくれるとありがたいです」
「……分かりました」
俺がどうしたって引く気がないのを分かったのか、常陸さんは渋々了承してくれた。
「じゃあ、私は先に行きますね」
「ありがとうございます! 後でお礼はします。暇な時間、教えてくださいね!」
そうこうしている間に、昼休みが終わりそうな時間になってしまったみたいだ。
定食をすでに食べ終えていた常陸さんは、席を立ってさっさと仕事に戻ってしまった。
冷たく見えるが、忙しいせいだと分かっているので、気にせずに後ろ姿に声をかけると、残りのご飯をかきこんだ。
そして、ついに話し合う日になった。
みそらには、ただ久しぶりに外食をしようとしか言っていない。
正直に言ったら、絶対に来てくれないと思ったからだ。
みそらは部活が終わったら来るから、俺は先に席で待っていた。
すでに、常陸さんもスタンバイ済みである。
俺から見える位置に座っている常陸さんは、顔が世間に知られているから、一応変装をしてもらっている。
意外にのりのりで、カツラと口ひげを付けていたのが、おかしかった。
今でも視界に入る姿に、笑ってしまいそうになるから、なるべく見ないようにしておこう。
「お待たせ。……どうしたの安岐さん?」
笑わないように耐えていた時、ちょうどみそらが声をかけてきた。
「げほっ、ごほっ。あー、いや、何でもないよ。部活お疲れ」
俺は慌てて何て事ない風を装って、席に座るように促す。
そうすれば少し変な顔をしながらも、席に座った。
そこから、それぞれ好きなメニューを頼むと、お腹も空いていたから特にこれといった話をせずに、ご飯を食べる。
話の入り方が分からなかったから、少しありがたいけど食べ終わったらしなきゃいけない。それが、とても憂鬱だった。
コーヒーを飲んでまどろんでいると、みそらの視線を感じた。
忙しい中呼び出したのに、何もしないのはまずい。
そう考えた俺は、大きな咳ばらいをした。
「どうしたの、さっきから。風邪?」
「い、いや。えーっと、そうだな。最近、学校はどうだ?」
みそらが心配そうに見てくるから、手を振り否定して、そして本題に入る。
その話題を出した途端、何を話すか察したみそらの顔が怖ばった。
やはり、触れられたくなかったのか。
「な、何で?」
あからさまに目をそらされるが、俺は気付かないふりをして話を続けた。
「そろそろ、三者面談とかもあるだろう? だからその前に、色々と聞いておきたいと思ったからな」
「……」
みそらは楽しそうな顔から、一転してうつむいてしまう。
それでも聞くと決めたのだから、たとえ嫌がられても仕方がない。
「今まで聞いて来なかったけど、みそらは進路をどうしたいと思っているんだ?」
俺は話しやすいようにと気をつけて、出来る限り優しく話しかけた。
そうすればみそらは、深呼吸を何度もすると、俺を真っ直ぐに見つめてくる。
その顔は、何かを覚悟したようだ。
「……安岐さん、私ね。私」
「焦らなくていいから、ゆっくり言ってみ」
「私……大学行くつもり、ないの」
視界の端に常陸さんがうつらなかったら、驚いて叫んでしまうところだった。
それぐらい、みそらの言ったことは予想外だった。
何とか声を飲み込んだ俺は、平常心を装おってコーヒーに口をつけた。
「だ、大学に行かないって、どういうつもりなんだ?」
しかし声は震えてしまう。
幸いみそらには気づかれなかったが、常陸さんにはバレてしまったみたいで、落ち着けとジェスチャーを送ってきた。
その姿に、少し緊張が緩む。
「いや、違う。何をしたいと思っているんだ?」
言い方にトゲがあったのを、優しく言い直す。
ここで感情的になったら、元も子もない。
みそらが二度と、この話をしてくれなくなってしまう。
「その、ね。私、海棠とフリーで音楽をやろうと思ってる」
「か、海棠君と?」
言い終えたみそらは、俺の言葉を待つかのように口を閉ざした。
その顔は、まるで反対されるのを待っているみたいで。
そう思われてしまうのは、少し悲しかった。
みそらの事を思うと、俺はが言うべき言葉は決まっている。
「そうか。大学に行かないのは良いとして、フリーで音楽するのは厳しい道だぞ。絶対に後悔はしないのか?」
「え」
俺の言葉は予想外だったみたいで、みそらは顔を上げて驚いた。
その顔に向けて、優しくほほ笑みかける。
「みそらの人生だ。みそらの好きに生きるのを、止めるわけないだろう? ただ、どうしてフリーで音楽をやろうと思ったのか、それは教えて欲しい」
みそらだってたくさん悩んで、それでもこの結論だった。
それを聞いてやるのが、俺の役目だ。
「私ね。安岐さんがピアノを習わせてくれたり、色々とやらせてくれたから音楽がとても好きになったんだ。それにね、安岐さんが働いている姿を見てきて、やりたいことが出来たの」
「俺が働いているところ? 見たことあったか?」
「昔ね、常陸さんが連れてくれたの」
そんなことは初耳だ。
働いている姿を見られていたかと思うと、ものすごく恥ずかしい。
俺はそんなに誇られるぐらい、働いているとは思えないから、何をやりたい事が出来たのか不思議だ。
みそらは、そんな俺を見て笑う。
「安岐さん格好良かったよ? それでね、私思ったの。物語と音楽を組み合わせたら、もっと興味を湧いてもらえるんじゃないかって。そうしたら曲を作りたくなった!」
みそらの顔は輝いていて、俺はそれを見ているだけで、反対する気なんてなくなった。
「それに安岐さんと一緒に働きたいし!」
「んん?」
「安岐さんって、昔から私がいつか離れるんじゃないかって、思っていたんでしょう? 知っているんだからね。だから、そんな不安な安岐さんを、私はずっと面倒見るって決めているんだから」
「……みそら」
まさかみそらが、そんな事を思ってくれていただなんて。
俺はこみ上げてくるものを、必死に抑えた。
今日は話を聞けて、本当に良かった。
それもこれも、常陸さんのおかげだ。
彼にはお礼を言わなくては。
「……お話の途中、すみません」
「え、えっと」
そう思っていた所に、彼はいつの間にか俺たちのいるテーブルに来ていて、話に割り込んできた。
未だにカツラと口ひげをつけているせいで、みそらが不審そうな顔をする。
「ああ、すみません。私ですよ、みそらさん」
「ひ、常陸さん!?」
慌てて変装を解いた彼は、俺の隣に座ってきた。
急な登場に驚くみそらと、どうして話に入ってきたのか分からない俺。
そんな俺達を置き去りにして、常陸さんはテーブルに紙を広げた。
「先程の話、もう少し詳しくお聞きしたいのですが」
その顔は、完全に仕事モードに入っていた。
それからしばらくして、みそらは本当に俺の職場に来るようになった。
常陸さんのバックアップのおかげで、仕事は順調みたいだ。
俺はみそらがいて嬉しいのか、恥ずかしいのか、ものすごく複雑な気持ちに襲われている。きっと、いつかは慣れるのだろうけど。
ある日、常陸さんとまた昼食の時間が被った時、彼に聞かれた。
「面接の時、あなたは『こびとのくつや』の登場人物みんなに、何かしらの思惑があったと言っていましたよね。今もその考えは変わりませんか?」
そんな昔のことを覚えていたのかと、俺は驚く。
たしかにそれは、俺は人が信じられず一生一人で生きていくと思っていた頃の考えだ。
しかし今は違う。
「まあ、変わりましたね」
その俺の言葉に、常陸さんは満足そうに頷いた。
みそらのおかげで、公私共に充実しているのだが、一つだけ気になっていることがある。
みそらと一緒に、海棠君も職場によく来る。
それは別にいいけど、二人の距離が近いように感じる。
もしかしたら、その内おめでたい報告が聞けるかもしれない。
それが、とても楽しみだ。
物語の人事課 瀬川 @segawa08
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