第23話 無償の親切だってある(中編)


 採用された俺が配属されたのは、何の因果か『くつやのこびと』の物語を担当する部署だった。

 最初は、面接での俺の態度に対する、常陸さんの嫌がらせかと思っていたけど、話を聞く限りそういった感じではないようだ。

 何でも産休や転勤、人事異動が重なってしまって、急激な人手不足に陥ったらしい。


 常陸さんが管理していたはずなのに、珍しいと思う余裕もなく、てんやわんやとしていたとの事。

 だから俺が、初顔合わせで挨拶をした時は拝まれてしまうぐらいだった。


 忙しくはあるけど、想像していたよりも職場環境はずっと良くて、上司や先輩も丁寧に仕事を教えてくれる。

 俺はなんて良い職場にこれたんだろう、働き始めてすぐにそう思った。



 俺の仕事は、まだまだ新人だから主な内容は雑用だ。

 小道具や大道具の準備、演じる人達のスケジュール管理から、弁当の発注。衣装が破れたら、出来る範囲のものなら繕う。そして一番緊張するのは、小人にするための打出の小槌を運ぶこと。替えがきかないから、壊したら弁償できない。


 他にも細々とたくさんあるから、仕事の時間の大半、俺は朝から晩まで走りまわっていた。

 最初の方は筋肉痛に悩まされたけど、それも今では慣れた。むしろ筋肉がついてきて、嬉しいぐらいだ。



 そんなわけで働き始めてから、俺は忙しくてみそらと保育園の送り迎えぐらいしか、まともに顔を合わせる時間が取れなくなっていた。

 上司や先輩が言うには、人手が足りないせいで忙しいだけで、人員が増えれば落ち着くらしい。

 確かに給料がいいとは言っても、ずっとこのままじゃ体を壊す心配がある。

 そうなったら困るのはみそらだから、俺は早く新たに人が入るように祈っていた。



 その思いが通じたのか、それから少しして新たに人が増えた。

 しかも嬉しいことに、そのうちの数人が経験者で、それを知った皆は小躍りをするぐらい喜んだ。

 俺もその中の一人だったけど、さすがに先輩がヘッドスピンをやった時は、少し引いた。



 とにかく、そのおかげで仕事にも余裕が出来、みそらと関われる時間がまた増えた。

 家にいる時間が増えた俺のことを、どう思っているかは分からないけど、気にせずに休みの日は色々なところに連れ回す。


 動物園、水族館、博物館、美術館、遊園地、植物園、音楽鑑賞

 子供が喜びそう、それか勉強になるところ。

 そう考えての場所だったが、みそらはまだ五歳だから、興味が無いのはつまらなさそうだった。


 だけど驚いたのは、一番楽しんでいたのが音楽鑑賞だったことだ。

 有名なオーケストラでも、子供には退屈かと思ったけど、みそらは目を輝かせて聞き入っていた。

 むしろ俺の方が、ゆったりとした演奏の時に眠気に襲われ、我慢しているという駄目っぷり。


 みそらが音楽に興味があるなら、色々な可能性を広げてあげよう。

 俺が面倒を見るために、引き取ったせいで何も出来なかったという事態に、陥らせたくはない。

 そう考えて俺は、音楽関係の習い事を周りの人やネットの評判を見て、ピックアップした。





「みそら、みそらは、この中でやりたいものがあるか?」


「……」


 ピックアップしたチラシを並べて、みそらに問いかける。

 そうすれば難しい顔をして、固まってしまった。なんだか、あまり嬉しそうではない。


 その様子に、俺は一つの仮説を考えてしまった。


 もしかしたら俺が先走っただけで、みそらはそんなに音楽に興味がなかったのか。

 そうだとすれば、この状況はみそらにとって嫌な時間だろう。


 どれかを選ばなきゃ、いけない。そう思っていたら、俺はなんて酷いことをしてしまったんだ。



 慌てて俺は、選ぶのはやめていいと言おうとした。

 しかしその前に、みそらが恐る恐る俺を見上げてきたので止まる。


「どうした?」


 みそらはモゴモゴと口を動かして、変な顔をしていた。

 そして俺をじっと見つめて、小さな声で言う。


「いいの?」


 それはとても小さかったから、俺は最初ちゃんと聞き取れたかどうか不安だった。

 だけど、みそらは同じ事を言おうとはしなさそうだ。


 俺は、きっと言ったんだろう言葉を予想して、答えを返した。


「気にすんな。やりたい事は、何でもやっていいんだぞ」


 頭をガシガシと撫でれば、みそらは痛そうにしながらも、顔がほころんだ。


「ほんと?」


「おお。だから好きなの選べ」


 久しぶりの笑顔らしい笑顔に、俺は嬉しくなって胸を張る。

 そうすれば、みそらはパンフレットに視線を移して、ゆっくりと見始めた。


 その様子を微笑ましく思いながら、どれを選ぶのかと楽しみにしていた。


「えっと、これ……かな」


 みそらは、ゆっくりと一つのパンフレットを指さす。

 それを見て、俺は大きく頷いた。


「よし、ピアノか。いいぞいいぞ。じゃあ、今度の休みに見学しに行くか!」


「うん!」


 俺がまた頭を撫でれば、みそらは楽しそうに笑った。





 ピアノ教室に行けば、とてもいい雰囲気で先生も年齢はだいぶ上だけど優しそうだった。

 みそらも最初は緊張していて、俺の後ろに隠れてばかりだったけど、先生や生徒の子達がさりげなく仲間に入れてくれて、気がつけば楽しそうにピアノの前にいた。


 みそらはどちらかというと、大人しくて引っ込み思案だから、心配していたけど良かった。

 俺は感動しながら、その様子をずっと眺め続けた。


「お父さんですか?」


「あっ、いえ、違うんですよ」


 ただみそらだけをじっと眺めていたら、近くにいたお母さんらしき人に話しかけられる。

 俺は急に話しかけられて驚きつつも、少し照れながら返す。


「姪なんです」


「あっ、そうなんですか」


 俺の答えに、少し何かを察したかのような顔をされたけど、気にせずに笑った。


「小さい時から、ピアノを習わせていれば良いですよね。他にも興味があれば、習わせてあげたいんです。いいの知っていますか?」


「そうですね……それは、その子がやりたいものの方がいいですよ。いい所は知っているので、やりたいものが分かったら、いつでも教えます」


 どうやら、お母さんもいい人だったみたいだ。

 こんなにも親切にしてくれるとは思わなくて、深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。その時は、よろしくお願いします」


「いいのよ。困った時はお互い様よ!」


 からからと快活に笑うお母さんは、ときさんと名乗った。

 みそらより二つ上の海棠かいどう君が、半年前から教室で習い始めたとの事。


「それじゃあ、みそらとも仲良くして下さい。たぶん知らないところで、緊張していると思うので」


 俺と鴇さんが、ほのぼのと話をしていると、体験が終わったみそらが近よって来た。

 俺は、腕を広げて待ち構えた。

 しかしみそらは目の前で止まると、服の裾を握ってモジモジとする。


「どうした? みそら。楽しかったか?」


 恥ずかしがっているだけなのは分かっているから、俺は目線を合わせて頭を撫でた。


「ん」


 みそらは小さく頷いて、はにかむ。

 その表情に、俺は癒されて顔が締まりなく緩んでしまう。


 やっぱり、うちの子が一番可愛い。

 そんな馬鹿な考えが浮かぶぐらい、俺は思考回路がおかしくなっていた。


「それなら、また来ようか」


「くる」


 みそらの返事は言葉が少なかったけど、楽しく感じているのは伝わってくる。

 俺は連れてきてよかったと思いながら、鴇さんの方に目線を向けた。


「こんにちは。みそら、この人は鴇さんって言うんだ。ご挨拶できるだろう?」


「……こんにちは」


「こんにちは、みそらちゃん。あ、海棠。ちょっとこっちに来て」


 みそらは少し戸惑いながら、ちゃんと挨拶をする。

 鴇さんはそれに、目尻を下げて挨拶を返すと、遠くにいる海棠君を呼んだ。


 するとすぐに、みそらとそう変わらないぐらいの優しそうな雰囲気の男の子が、こちらに近寄ってきた。


「海棠。こちらは今日、ピアノの体験をしに来た、安岐さんとみそらちゃんよ」


「こんにちは」


「こんにちは。さっきちょっと見たけど、海棠君とてもピアノが上手だったね。今度からこの子も、ピアノを習いに来ると思うから、仲良くしてくれると嬉しいな」


「はい」


 海棠君は礼儀正しい子で、俺に対してきちんと挨拶をする。

 この子なら、みそらも仲良くできるかもしれない。


 そう考えて、いつの間にか後ろに隠れていたみそらの背中を押す。


「ほら、みそら挨拶は?」


「あ、あう」


 挨拶をするように促しているのだが、恥ずかしいのか中々前に出ようとしない。

 その顔は真っ赤で、俺は鴇さんと顔を見合わせて笑った。


「ほら、海棠。海棠の方がお兄さんなんだから、挨拶してあげなさい」


「うん。……みそらちゃん。よろしくね」


「よ、よろしく」


 いつまでもみそらが動こうとしないから、鴇さんが海棠君を促した。

 そうすれば笑顔で、海棠君はみそらに近づき手を差し伸べる。


 みそらも、そこまでされたら慌てて、その手を握った。



 顔が真っ赤なみそらと、ニコニコと笑っている海棠君。

 その二人の様子に、将来が楽しみになってきた。


 俺は、ピアノ教室に連れてきて成功だったと感じた。

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