第22話 無償の親切だってある(前編)


 俺は、人を信じられない。

 随分昔の話だが、親友だと思っていたやつに手ひどく裏切られてから、信じることをやめた。

 それからは表面的な付き合いはするが、深く親しくなるなんて真似はしなくなった。


 人を信じれば、後で絶対に痛い目を見る。

 それが、俺が今まで生きてきた経験としての、結論だった。





 三つ上の姉さんが死んだ。

 交通事故だったらしい。

 家族三人で出かけた際に、対向車線からトラックが突っ込んできて、運転席と助手席の二人は即死。


 後部座席に乗っていた五歳の娘、俺にとっては姪のみそらは奇跡的に無事だった。



 いつの間にか、葬式の日になってしまった。

 坊さんの意味の分からないお経が、俺にとっては退屈で、姉さん達が死んだ悲しみなんて全くわかない。

 葬式で隣に座って、ぬいぐるみを抱きしめているみそらに、俺は未だに一言も声をかけていない。

 子供が元々あまり得意ではないのと、泣くわけでもなく一点を見つめている姿が、少し怖いせいだった。


 席は空いていたのに、何でわざわざ俺の隣になんか座ってきたんだ。

 みそらの事をどうにかしなきゃいけないな、と話しかけるタイミングをうかがっていた。


 そう思っている間に、お経が終わったみたいだ。

 坊さんが頭を下げて、帰っていった。

 他の人達がぞろぞろと動き出し、俺も腰を上げた。


 しかし立ち上がる前に、服の裾が引っ張られた。

 そっちを見ると、俺をじっと見上げるみそらの姿があった。

 しっかりと掴まれた服。でも何かを言うわけでもない。ただこちらを見ているだけ。

 その様子に、さらに俺は困る。


 一体どうして欲しいのか。


「あーっと」


「あらあら、みそらちゃん!」


 俺が話しかける前に、急に第三者が割り込んできた。

 声をかける機会を失った俺は、話しかけたおばさんを見た。


 あまり知らない顔だから、今まで関わりのない人だ。

 そんな人がなんの用なのか。知らない人と、会話をするのはキツい。


「私の事、分かるかしら?何回か会ったことがあるんだけど」


 しかし心配をよそに、俺のことは一切視界に入れていない。

 みそらにグイグイ話しかけている。


「お父さん、お母さんがいなくなって大変でしょ? 一人じゃ生きていけないし、私の家に来なさいよ!」


「……」


「悲しいとは思うけどね。これからの事も考えなきゃ」


 話を聞いていて分かった。

 悪い人じゃないけど、空気も読めない。


 みそらの頭が、どんどん下がっているのに気づかずに、勢いよく顔を近づけて話している。

 この空気から逃げたかったが、いまだに服のすそを掴まれたままだったから、動きたくても出来ない。


 みそらはずっと何も言わない。

 ぬいぐるみを抱きしめているだけ。


 いつまで経っても反応がないことに、しびれを切らしたのか。

 ようやくおばさんは、俺の事を認識したみたいだ。

 訝しげな顔をしてくる。


「えっと、あなたは……」


「叔父です」


 説明するのが面倒くさいので、簡潔に答えた。

 そうすれば幾分か雰囲気が柔らかくなったが、何でここにいるんだと言いたそうだった。


 俺は視線で、自分の服のすそが握られていると訴える。

 それを見たおばさんは、みそらに目線を合わせた。

 俺をどうにかするのは、止めたみたいだ。


「どう? みそらちゃん?」


 みそらはそれでも何も言わない。

 ただただ僕だけをずっと見ていた。


 その視線に、この状況に、俺は面倒くささを感じてしまう。


 早く終わらせたい。

 その気持ちから、勝手に言葉が出てしまった。


「いえ、みそらは俺が面倒を見るんで」


 自分でも言った瞬間、なんてことをと思った。

 全く面倒を見る気なんてないのに。


 だからすぐに取り消そうとしたが、すでに遅かった。


「わたしも。あきおにいちゃんと、いる!」


 今まで一言も話さなかったみはるが、突然大きな声を出した。

 それに驚いて俺とおばさんは固まってしまうけど、みそらの言葉を理解した瞬間、おばさんの顔が輝く。


「そう。もう決まっていたの。いらないお節介だったみたいね」


 本当にただのいい人だったみたいで、ごねる様子もなく素直に引き下がった。

 それに焦ったのは俺で。


 しかし今更、取り消せる雰囲気でもなかった。


「ごめんね、みそらちゃん。……じゃあ、もしなにか困ったことがあったら、いつでも相談に乗りますので」


 そうこうしているうちに、おばさんはペコリと頭を下げると、そのまま去っていった。


 俺はその後ろ姿を、名残惜しく眺めながら、みそらをどうするべきか考える。



 掴まれたすそが、今はとても重たく感じた。





 それから、まさかの共同生活が始まってしまった。


 当たり前だけど、五歳の女の子と生活するなんて初めてだから、大変なことだらけだった。

 まず自由業の俺にとって、生活リズムを合わせるのが辛い。

 保育園に預ける為に毎朝早起きをして、弁当を作る。

 食事は栄養バランスに気をつけて、洗濯も掃除も、今まで以上にやる頻度が増えた。


 しかもこんなにも、一人増えただけでお金がかかるとは思わなかった。

 いつまでもお気楽な一人暮らしのままじゃ、生活が成り立たない。



 しばらくして危機感を持った俺は、転職を考えることにした。


 みそらとの関係は少しギクシャクしているが、そこまで面倒ではない。

 それに口から出して言ったことを、最後まできちんとやらないような、そんなクズにはなりたくない。

 まだ昔みたいに笑ってはくれないけど、手間がかからないし大人しくて気が楽だから、これから慣れてくれるだろう。


 とりあえずは、目下の悩みである金銭面を何とかするために、給料のいい所を大前提として仕事を探し始めた。





 金銭面だけを第一条件にすれば、意外にも仕事はたくさんあった。

 その大半は労働条件、職場環境、仕事内容的に駄目そうだったが、文句は言えなかった。


 そうして何社かに応募した中で、今日は最終面接まで進めた所に行く日だった。

 久しぶりにつけたネクタイは違和感しかないし、スーツが暑い季節だが、我慢するしかない。


 俺はたどり着いたでかいビルを見上げて、気合を入れた。


「よし!」


 ここは候補の中では、一番条件のいい所。

 会社自体も大きく、そうそう倒産なんてしないだろう。

 それなら将来は安泰である。


 物語を取り扱っているというぐらいの知識しかないが、何とかやれるだろう。


 もう一度気合を入れて、俺は大股で中へと入っていった。




「こちらでお待ちください。ただいま担当の者が参りますので」


 通された部屋は高いビルの外観から考えて、とても小ぢんまりとした所だった。


 長いテーブルと椅子が二脚。

 その一つに座ると、あとは俺の前にある椅子しかなくなる。

 そこに誰かが来るとなると、面接は一対一なのか。

 集団だと思っていたから、それは少し緊張の原因となる。


 俺はつばを飲み込んで、人が入ってくるのを待った。




「申し訳ありません」


 少しの時間が経ち、謝罪とともに部屋に入ってきた男を、俺はどこかで見たことがあるような気がした。

 知り合いなのかとも思ったが、すぐのテレビかなにかで見たのだと分かった。


「面接を担当する常陸です。本日はよろしくお願いします」


 そう、名前は常陸。

 確か物語人事課のトップで、『人事課の鬼』とも呼ばれているらしい。


 まさか、そんなラスボス級の人が出るとは。

 僕の緊張はさらに高まった。


「……では早速、面接を始めましょうか」


「は、はい!」


 そのせいで立って挨拶をするべきだったのに、ボーっとしてしまった。

 気づいた時には、面接開始の合図がされていた。

 俺はミスをしたと悔やみながらも、背筋を伸ばした。


 目の前の常陸さんはバインダーを持っていて、そこに挟まれている書類を見ていた。

 おそらく俺の履歴書だろう。


「えーっと、安岐あきさん。前職はフリーライターですか。どうしてここを受けようと思ったんですか?」


「はい。ここは金銭面、福利厚生、職場環境。どれをとっても魅力的だからです」


「そうですか」


 無表情ながらも、戸惑った様子を感じる。

 これは俺の答えを、どう扱ったらいいか分からないんだろう。


 前に就職活動をした時に、見た事のある顔だ。

 俺は以前に手酷い裏切りを受けてから、嘘をつくという行為が出来なくなってしまった。

 そのせいで前回の就職活動は上手くいかず、フリーライターという仕事に就いた。


 こういう時は話を盛ったり、本に載っているような答えを返すべきなのだろうが。どうしても出来ない。


「次の質問です。この会社では、色々な物語を取り扱っています。あなたの中で、何か物語で心に残っているものはありますか?」


「はい。『くつやのこびと』です」


「それは何故ですか?」


「はい。私の家には五歳の姪がいるんですが、その子が読んでいるのを見たことがあります。その時に出てくる登場人物、全員に何かしらの思惑があったと思ったからです」


 この前、みそらが大人しく絵本を読んでいたから、脇で何を見ているのかとのぞき込んだ。

 それでいつしか、一緒に話を最後まで読んでしまった。



『くつやのこびと』

 ある所に、真面目に仕事をする靴屋の老夫婦がいた。

 一生懸命靴を作っているおじいさんだったが、流行りとは違うせいで全く売れなかった。


 そのせいで苦しい生活をしていて、とうとうあと一足しか作れいない状況におちいってしまう。

 最後の一足は丁寧に作ろう。

 そう思っていたおじいさんだったが、その日は皮を切り終えるだけで精一杯で、糸を通して縫うことが出来なかった。


 しかし次の日の朝に仕事場に行くと、皮を切っただけの材料が綺麗にできあがっていた。

 流行りを取り入れられていて、素晴らしい出来の靴は、すぐに売れてしまった。


 その後も皮を切って置いておけば、次の日には素晴らしい靴が出来上がっていた。


 その内、こんな事をしてくれているのは誰だろうと、おばあさんと一緒にこっそり仕事場をのぞき込む。

 そこには裸の小人が、靴を作っていた。

 老夫婦は小人に今まで靴を作ってくれたお礼を込めて、服をあげることにした。


 その夜、服を見つけた小人は喜んだ。

 そして服を着て、歌い踊りながら仕事場から出ると、二度と現れなかった。


 しかし、その後おじいさんの作る靴は売れたおかげで、老夫婦は幸せに暮らせた。



 最後まで読み終えたあと、俺は思ってしまったのだ。

 みんな計算の中で行動しているなと、ただの親切ではなく。



「思惑、ですか?」


 常陸さんは、興味深そうに見ていた。

 何かが彼にとって、気になる言葉だったみたいだ。


「はい。老夫婦が服を作ったのは、小人にこれからも服を作り続けて欲しかったから。小人が裸で靴を作ったのは、裸は可哀想という同情で服をつくって貰えるんじゃないかとの魂胆があったからじゃないですかね」


「なるほど。面白い考えですね」


 まるで感心しているみたいだった。

 俺の受け答えがうまくいっているとは思えなかったから、呆れた顔がそう見えただけかもしれない。


 バインダーに目を通し、書類をパラパラとめくっていた彼は、手を止めた。


「先程、姪さんの話が出てきましたが、一緒に住んでいるんですね」


「はい。前に姉夫婦が事故で亡くなってしまい、面倒を見ているんです」


 みそらとのことは、特段隠す話ではない。

 だから正直に話したら、申し訳なさそうにされてしまった。それに、こっちの方が申し訳ない気持ちになる。


 同情してもらいたいわけじゃないから、余計にだ。


「別に、そんなくらい話ではないです。その姪とも、いつまで一緒にいるか分からないですから」


「それはどういう?」


 俺の言葉に引っかかりを感じたみたいで、訝しげな顔をされる。

 変な事を言ったつもりじゃないのだが、どうしたのだろう?


「何か?」


「いえ、その内離れるような言い方に聞こえるので。どうしてそのような言い方をするのかと、気になってしまったので」


 ああ、その事か。

 そう言われてみれば、俺の考えは普通の人には理解できないものだ。

 説明すればさらに引かれそうだが、無視をするわけにもいかない。


「だっていつかは、彼女も俺から離れるでしょう。今は面倒を見ていますが、それだけの関係性なので恩を感じられてもいないはずです」


 少しは懐いてきているみそらだったが、それでも親が一番なはずだ。

 俺との共同生活は、独り立ちできるまでの期間だろう。

 そうしたら、連絡を取り合うなんてことも無くなる。


「そうですか……プライベートなことを色々と聞いてしまい、申し訳ございません」


 常陸さんは深々と頭を下げて、そして面接はこれで終わった。





 絶対に落ちた。

 そう思って次の会社を探していた俺だったが、合格の連絡が来た時は本当に驚いた。

 まさか受かっているとは。


 あんな態度で、本当に良かったのだろうか。

 むしろ俺のような人を採用するなんて、この会社は大丈夫だろうかと心配になってしまう。


 俺だったら俺みたいなのはごめんだ。

 しかし採用されたとなったら、ここが一番いい所なので働く以外の選択肢はない。



 俺はこの会社で、お世話になることにした。


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