魔剣血風録
大塚零
前哨戦:我流 いすら 対 無念一砂流 柳堂・C・光雅
その少女は不吉という言葉があまりにも似合う風貌であった。
少女のの姿勢はあまりに悪く、さながら
その瞳は血を想起させるような真紅。赤い瞳は節操なくぎょろぎょろとあちこちを見ており、まるで獲物を求める狂った獣を思わせる。
頭から生えている猫科のような耳は少女が低俗なる
髪の毛はぼさぼさでその髪質には艶はない、汚い埃混じりの黒髪は育ちが悪いことが一見して分かるほどみすぼらしかった。
――そして少女の辿々しい喋りと陰気な笑いは聞く者を不快に、苛立ちを感じさせるものだった。
しかしかの
その理由は少女の足元に転がる五人の門弟の有様が何があったかを雄弁に語っている。
はじめはひやかしかと思い軽く手合わせを、次には諌めるために本気で打ち込み、その次からは制裁を加えるべく少女に挑んだがゆえの結果であった。
幸いなことに死人はいない。だが尋常ではない苦悶に呻き、無様に這いつくばるその姿を、そしてそれを行った目の前の少女の腕前を見て誰が挑むことが出来よう。
「ひひ……っ、い、いかがでございましょう……あ、あたしの剣は……。これならばかの
その少女の、
――なにを馬鹿なことを
正しき剣ならば彼らはみな紛れもなく相当の腕前ではあるが相手が悪い。正道になき、邪道の剣を受けるにはまだ経験が足りない。
今の
「ま、まだ……足りませぬか……では、次はなにをすれば、よ、よろしいのでしょうか……この、い、いすら……い、いかようにも応えますれば……」
その少女――いすらは卑屈で陰気な笑みを浮かべながらなおも言葉を続けていた。
はたして門弟達が思うかのようにいすらに
いすらという少女は――あまりにも場違いな場所に、分不相応も甚だしく、自身の在り方を求めてしまうほどに愚鈍な女だっただけである。
その愚かしさゆえにいすらは未だに自身の置かれている状況、その空気に気付くことなく己の技を見せようとしている。
全容を知れば滑稽に思えるだろうが、災厄を振りまくいすらを笑えるものはいない。門弟達がそれを知ればただただその愚かしさを恨むしかないだろう。
「――いすらと言ったか」
門弟達がいすらに恐れその姿を見守る中、突如として凛とした声が響き渡った。
声の主は
「! ……は、は……あ、あ、あた、あたしは……い、いすらでございますっ」
突然の登場人物にいすらは驚きつつもなんとか名を応えることが出来た。
緊張のせいでいすら自身の尾が道着の中で勝手に動いてしまい落ち着かない。
それは
いすらにはそれが自身のどういった部分から来るものなのか分からない。それはいすらという少女は愚鈍であるがゆえに。
「この惨状――あまりに見るに耐えん。いすら、その方の要望は我が
「は、はぁ! ……そ、そのとおり……で……ご、ご、ござい、ます……っ! こ、このいすら。む、
いすらは自身の願いを理解して聞いてくれることに興奮して、ただでさえ辿々しい自身の言葉が拙くなるのを感じてもどかしく思う。
だがそのいすらの興奮は次の
「その理由はまさかお前の身を立てたいがためにこのような凶行に及んだわけではあるまいな。この有様をみてなにも思うことはあるか?」
いすらの目に入るのは自身の周りで苦悶に呻く門弟と恨みがましい目でこちらを睨む
「…………あ、あぁっ!」
いすらは頭を抱えて、その場に蹲った。その様は先程までの背丈や姿勢の悪さから小さく見えていたいすらだったが、更に小さく縮こまっている。
何か自分が行動すればそれを他人は疎ましく、癪に障ってしまい、自分は恥ずかしくて死にそうになる。
いま自身を取り巻く状況はいすらにとっては常にあったものであり、何よりも抜け出したいと思っていたそれだ。
僅かであろうとやっと己に価値を見出したそれで愚かなことをしてしまったという意識がイスラを苛む。
「こ、これは……」
「……うむ、好機やも知れぬ」
いすらの様子が変わったことに門弟達は気付くと手に各々の武器を持って立ち上がろうとする――だが。
「……お前たち、何をしようとしている」
その言葉と共に切れ長の瞳がこの場にいる門弟達を射抜くように見回す。その鋭さは見られたものが身を竦めざるを得ないほどだ。
「お前達の気持ちは分かる、意趣返しもまた
すらすらと
それは
そして
「手出し無用。この件はこの俺、
「ひ……っ! ……は、はぃ」
突然、話をふられていすらは驚く。
顔を上げたくはなかったがおそるおそるといった様子でいすらはなんとか
いすらが見た光雅の
「俺がその剣を見定めてやろう。お前が俺に打ち勝つことが出来れば我が
―――
いすらと
そしてその二人の姿はあまりに対象的である。
竹刀の剣先を相手に向け、中段で構えるその姿はあらゆる状況に対応し攻防に転じやすい最も隙のない構え。
その堂々たる姿は
対するいすらの構えはあまりにみっともないものであった。
ただでさえ猫背で姿勢が悪いのにそれを更に不格好にした前傾姿勢。その様子は自ら首を差し出しているよう。
手に持った竹刀は脇を固く締めて、見ようによれば
だが実際にはそういった印象は持つことはない。それはいすらの陰気で卑屈な様子を知れば縋るように抱きかかえているように見えてしまう。
「相も変わらず無様な構えよ……だが、あの打ち込みを
「すでに五戦、しかと見たのは三戦ではあるが傍目からは分からぬものな。よもや
対峙する二人を見てひそひそと
それらはいくら声を潜めていてもこの緊張で張り詰めた道場内ではやけに響くものではあったが、当事者たるいすらと
その証拠に
(さて、どのように打ち込むか……この様子では一本を取ることは確かに難しいだろう)
防具の面によって狭まった視界の内よりいすらを観察しながら
今の
一見すると面により視界を狭くし、また独特な構えにより有効打を当てにくいいすらに対し
だが実際には違う、その程度は
今の光雅の頭にあるのは一つの事柄。
(門弟達は頭を狙い、それを返すようにしていすらは突く。しかしその程度ならば彼らとて捌けるだろう。問題はその後に何が起こった、だ)
いすらと試合を行う前に門弟達の傷を診た
また戦いを見ていた者にも試合の様子を聞いてはみたが、何が起こったのか分からずに気づいたら形勢が決まり、いすらに打ち込まれている姿があったとの話である。
(そうなれば幻か化生と見るのが妥当だが――このいすらという少女にそれを
幻による間隙を突く、化生による肉体変化は遠目には分かりづらい手ではある。
しかしながらそれらは
見た目で全てを判断する出来るとは
「ひひ……っ! ど、どうも……ありがとう、ご、ございますぅ……っ。あ、あたしにこんな機会を、あ、与えて……くださって」
「どうした、もう勝った気でいるのか? 随分と俺も舐められたものだ」
「ひっ! ……い、いえ! そ、そんなことは……っ!」
いすらは萎縮したように話してはいるが、その体に宿る剣気は尋常ではなかった。
不格好な形な摺り足でじりじりと間合いを詰めてくる様は、
そうしてある程度の間合いを詰めた時、試合が動いた。
先に動いたのはいすらの方であった。
その小さな体躯にはあるまじき瞬発力を以て一度に間合いを詰める。それはさながら放たれた銃弾の如き速度だった。
その速度と自身の体重を乗せた打突は十分に必殺に相応しいものだと思わせるものである。
故に誰もがこの打突を警戒し、躱し、返すことを考える――しかしそれは罠である、この打突には別の狙いが存在する。
「鋭いが拙い――これで終いだ」
ただ正眼の構えから右足を引き、竹刀を右脇に、剣先を後方にした半身の脇構えへと変えて打突を紙一重で避けつつ左肩で体当たりを行っただけである。
そうして突き飛ばした所を
「し、勝負あり!一本!」
あまりにもあっさりと一本を取ったことに審判役の門弟も何が起こったのか分からずに呆然としてから宣言をしたほどだ。
「……あ、ぁ……」
それは負けたいすらもまた例外ではなく、自身があっさりと負けたことを理解しかねていた。
やがて自身の敗北を理解したいすらはふるふるとその小さな体を震わせ、ついしゃくりあげそうになるのを堪えながら
「……う、ぅぐ……り、
「お前の如き手を使う者は多い、そしてお前は語りすぎた。それだけよ」
いすらの手は極めて単純だったが、それゆえに知らねば対処の難しいものだっただろう。
実際にいすらが用いた戦法――それは自身の尾を使った掴みだ。
突きともに相手の懐に飛び込み、そこから相手の足や竹刀の持ち手を自身の道着の中に忍ばせた尾による掴みにて構えを崩す。
無論、これは
またいすらの崩しを恐れ距離を取れば、容赦なく尾による人体急所への打撃を加えていたはずだ。崩しを中心としていたのはそちらの方が看破されにくいといすらが思った程度のことだと
すでに終わったことゆえに実際にどうであったかは分からぬところではあるが、もしそのように
それはいすらの考える“剣”というものがそうであるがゆえに。
もし
誰もが容易く鮮やかに勝利を収めたように見えるがその実、それほどまでの
当然、
では
確信を持ったのは試合が始まってから、いすらの構えと足運びを見てからだ。
疑念はそれよりも前の時点、試合が始まるよりも前である。
ゆえに多少なりともいすらの動きを阻害する意味合いも含めて防具をつけることにしたのだから。
幻や化生の可能性もあったがいすらの立ち振舞を見る限りはそれはないだろうとあたりを付けており、仮にそれが外れていた場合でもまた
「……ひひ、ひ……っ、そ、そ、そう、で……ございますかぁ……っ」
自身と
その表情は項垂れた姿と防具の面による見えはしないが、ぽたぽたと水が板張りの床を叩く音、押し殺してはいるが漏れる嗚咽にから察することは容易だろう。
「さて、そういえばいすら。お前が負けた時の話はまだであったな」
この後の自分に待つものは門弟達による
己の全てをかけて挑む覚悟のつもりであったが――その自身の末路を思うとあまりに恐ろしい。
いすらがそのように自身のこの先を恐れていたのだがそれが意味を成すことはなかった。
「お前はこの俺、
これにはこの場にいた誰もが驚いた。
それは
困惑するいすらは普段ならば恐れ多いと思いしないであろう疑問をつい口にしてしまう。
「……へ? そ、そ、それ……ど、ど、ういうこと……で……」
「お前の剣は拙く、品がない。だがそれでもこの
それは聞くものによっては辛辣にも慈悲深くにも聞こえる不思議なものだった。
「――つまりは俺がお前を鍛えてやるということだ。この事、師範には言っておく」
「! は、はぃ……っ! あ、あ、ぁりがとう、ございます……っ!」
いすらはみっともない樣であった自身の居住まいを出来るだけ正し、深く深く
また自身の幸運にいすらは疑心を抱きつつも喜びに打ち震える。疑わざるを得ないがそれをも吹き飛ばすほどの喜び。
それほどまでにいすらという少女の今までの生においてこの幸運はあり得ざるものであった。
「では改めて自己紹介をしよう。俺は
世は人の時代が過ぎ去り、
最も尊き存在で純粋なる人間の魔剣士と今は未だ路傍の石と変わらぬ最も価値なき
これより始まるは剣の
魔剣血風録 大塚零 @otuka0
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