第26話「シン・エヴァ感想 急」
というわけで、九七年にわれわれはすでに庵野に待たされ、そして肩すかしを食らっていたのだと言うことまでのべた。
そうして待ちに待って見ることができた「まごころを君に」はやっぱり俺が望むものではなかったのである。
そこにあったのは、活躍するシンジではなくさらなる絶望に直面するシンジだったのだ。同時に観衆の俺らもまた絶望することになった。
なぜだろう、結局俺らは庵野がテレビ版でのべたかったメッセージを、今回は人類保管計画の過程までを見せた上で、乱暴に伝えられただけに過ぎないのだった。
手法が違うだけで、アニメ版最後と中身は一緒であった。
そのメッセージとは「エヴァというアニメから放たれろ、アニメなんて見てるんじゃねぇ、大人になれ」ということだったのだろう。劇場版で見たときにはわからなかったが、劇場版でスクリーンに映し出された我々観衆の姿は、「エヴァンゲリオンは虚構なんだよ。これに夢中になってるおまえ達の姿はこんな感じなんだよ」という嘲笑に似たものだったとも思う。
「まごころを君には」決して、俺たち夢中になったエヴァキッズ達の希望に応える作品ではなかった。正直庵野という男に失望した。
多くの観衆にぼんやりとした不快感を残して、そしてなんとなく一大ムーブメントとなっていたエヴァという文化を打ち切った、打ち切ったというかモヤモヤ終わった。
そうあの作品で俺たちは、結局ぼんやりとしたまま、エヴァという希望というか幻想を終わらされたのである。
さもサードインパクトがカヲルの槍によって止められたかのようである。
ということで、中高とどっぷりアニオタとして過ごし、さらにそれに恥じるわけでもないハイロックのそのアニオタ魂はエヴァ劇場版によって打ち砕かれた。
よって、劇場版エヴァ以降のアニメ作品というのをほとんど見ていないのだ。受験にさしかかったことや、過程で起こった出来事も多分に影響してると思うが、究極のところは庵野によって終わらせられたと言っていい。
ある意味では庵野の思い通りに操られたのが俺と言っていいだろう。
大学生になった俺は、どちらかと言えばアニメ的なものを否定し遠ざけるようになった。当時はやった総合格闘技に熱中し、自身も始めるようになる。またアメリカプロレスにこの上なく熱中し、WWF(当時、現WWE)を見るためにアメリカに行ったりした。
中高とスポーツなんて大嫌いだったが、大学ではスポーツを好むようになった。内情を言えば脱エヴァ、脱オタクを果たしてモテたかっただけなのだが。
今風に言えば、陽キャの文化の中に入り込みたかったといえる。
そして、社会人になりなんとなく違和感を覚える自分がいた。果たして、自分の中からいわゆるエヴァ的な要素を取り除くことはできたのか。
こんなに居心地の悪い社会が、果たして自分の望むものであったのだろうかと。
エヴァンゲリオンとは捨て去っていいものだったのだろうか。
別にエヴァのせいって訳ではないけど、二〇代はなんとなくモヤモヤしたまま生きていた。就職先では全く上司とうまくいかず、割といい大学を出たつもりだったが転職が続く日々だった。
はっきり言って、20代の時の記憶がない。
よほどつまらなかったのであろう。間違いなくいえることは俺は自分に嘘をつきながら生きていた。
そんななか、いつの間にか庵野が再びエヴァ序作ったことを知った。
別に期待なんかしてなかった。エヴァはとっくにもう自分の中で終わった作品なんだから。
だから、映画館で見たわけでもない。
DVDでTSUTAYAで借りてみたはずだ。まあこの辺の話はすでにのべているのでただの繰り返しだが、話の流れでもう一度書いているので許してほしい。
エヴァ序は、ストーリー的には知っている話だ。ただ、「きれいな作品だな、劇場で見たかった」と思った。
エヴァ破は気がついたら公開されていた。だから劇場で見た、公開初日に見たわけでもない、期待はしてなかった。
しかし、破をみて初めて、何かまた新しいものが始まったと思った。
同時に俺はちっとも成長なんてしていない、精神的にはあの頃のままだと思った。「破」を見たときに激しく高揚したに違いない、さすがにあの頃の精神をいちいち覚えていないのだが、あのときの続きをまた見せてもらえるのかと、本当にQを楽しみにした。
りつ子は言う「世界は終わるのよ」と。
一体どうなってしまうんだよと、気分は高揚する
そして、「やっぱエヴァに勝てるアニメはねえんだ」と確信し、エヴァ熱が再燃した。一番くじとか、大人パワーとかで買っちゃうもんね。
そして2012「Q」の公開。
三度絶望を味わうのだった。
違うそうじゃない。
待たされたあげく、また違うものを見せられた。破の予告で見たあれは何だったんだ?
われわれは一体なんど庵野に裏切られれば気が済むのであろうか。
とはいえ、さすがにQの頃になると、もう「まあ、エヴァってこういうもんだから」なってことで、QはQでありなんじゃねと思いながら、何回か劇場に足を運んだのだが。
さあて、全く違う形でQは話が進んだ。これを一体どうやってまとめる気なんだ。庵野秀明! 僕らのヒデ!
Qは正直微妙だったけど、ここまで来たらシンは絶対見るからな!そういう思いは募った。大人になってから、何かを楽しみにできるなってそうあったもんじゃない。半ばすがりながら、「シンエヴァ」に期待した大人達は多かったんじゃないだろうか。
シンの公開は2015年の予定か。
まあそのくらいならギリギリ待てるなあ、というかもう積極的に待つって感じですらない。公開されたらラッキー位の感じで、ひたすらシンの公開を待つ日々が始まった。
そうしてとっくに2015は過ぎて、2016も過ぎ。庵野はシンゴジラを作って、シンゴジラの出来にシンエヴァの期待が高まる一方で、これはもうワンチャン、シンゴジラで満足した庵野秀明は、エヴァの続編なんて永久に作る気なんてないんじゃねぇかなあと思ってたら、ようやく2019年に映画の公開が発表されて、ホッとする。
よかったなんとか俺の命がある間に見ることができるようだ。
そしたらまさかの、コロナで延期!
延期に次ぐ延期でとうとう2021年の3月までずれ込んだ。
でもあれだよねヒデ、最初から2020年の6月に間に合わせる気なんてさらさらなかったよね? 僕たちはそれをよく知ってるんだよ。
うっ、気がつけばシンの中身に触れないまま、2400字になってしまった。
一旦、ここで話を切ります。
次回予告
すべてに決着をつけたいけど、なかなか決着がつかないハイロック
すべてに決着を庵野がつけちゃったから、寂しくて仕方がないファン達
すべてに決着をつけるのは、なんだかんだ死ぬまで無理だと思う。
そしてハイロックは決断する、さらば「エヴァンゲリオンを許さない」
次回、「シン・エヴァンゲリオンを許さない」
さあて、最後までサービスサービスゥ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます