第25話 シン・エヴァ 感想 破
とまあ、続きを書く前に、このエヴァゆるを見直したんだけど。
俺の予想当たりすぎじゃね?
まずエヴァがなんだかんだで2021に延期になる話がズバリだし。そういえばニコ生で、いつやると思いますかって聞かれたときに、春休み前に上映すると思いますって予想までズバリ。
そして破の感想で書いてるんだけど、シン・エヴァではゲンドウのデレの要素が大事になるとか書いていて、それも見事に当たっている。
さらにいえば、なんだかんだで庵野監督は最後に実写をぶちこんでくるとも予想しているので、もろもろ含めて大正解。
すごいっ!
これはもう、ミスターエヴァを名乗っていいのではなかろうか。
とまあ、自慢?はさておき、本題に戻ろう。
前話でのべた通り、そういう背景をもって見ているから、シンエヴァの内容というものがもはや他人事ではないのである。エヴァそのものが個人の心象風景として取り込まれてる部分が、25年追っかけてる人にはあるので、今回の映画を見たときに感想がたとえポジティブなものでないとしても、心に深く突き刺さり、誰かに語らずにはいられないということになるのである。
ユーチューバーのシバターの動画でシバターのシンエヴァ感想があるので是非ご覧いただきたい。ほぼほぼ、エヴァファンの意見を代表しているので。
さて、エヴァというものには95年の放送で、いわゆるアニオタを増やした罪 (もともと社交的ではない人間に対してもっと内向的になるように振り切らせたといってもよい) があると述べたのだが、実は97年の映画において、庵野秀明はそれに対する一つの解答を示していた。
それが、AIR/まごころを君に である。
ただこれに関しても、当時エヴァという作品を追っかけてなければわからない事情がある。この作品だけを見ても、エヴァについて語るのは難しいのである。
新しいファンは知らないと思うが、まごエヴァは、いきなりこの作品が世に示されたというわけではない示されたわけない。
「まごころを君に」を語るときに、よく最後の実写シーンとか、「気持ち悪い」が語られたりするのであるが、それはエヴァの映画の事象の一部しか示せていないのである。「まごころを君には」、内容もショッキングなものであったが、それ以上に
公開されていく過程が異常だったのである。それこそが大切なのだ。
まず、エヴァは、劇場版が発表された時点でかなりキャッチーなCMをやった。それでさらに中2病を患わせた俺たちをひきつけた。
覚えてる人もいるだろう。
綾波の声で
「夢は、幻」「現実は、夢の終わり」「痛みは喜び」「生は苦しみ」 みたいなわかるようなわからねぇようなことを、淡々としゃべりながら、文字のみをCMで写し、一切映画の内容は示さないCMを流したのだ。
多分ユーチューブで調べれば、旧劇場版エヴァCMで出てくるはず。
そして、最後の外人の声で「ジエンドオブエヴァンゲリオン、デスアンドリバース」と言って締めくくる。
今思えばこれでひきつけられる客なんていないだろうから、このCMを含めて旧劇場版エヴァの内容の一部だったともいえる。
そして95年の映画から2年がたった97年、満を持して劇場版をワクワクしながら当時高校生だったハイロックは見に行った、謎のCMも期待感を盛り上げた。
それが、AIR・真心を君にではなくて、DEATH&rebirth 使徒新生 という劇場版だったのだ。
我々は、アニメ版の25話と26話に完全に肩透かしを食らっていた。これは見てなくても知っているかもしれない、いわゆるおめでとうエンドのやつである。
カオル君が死んで、どうなるの続きが見たいよと思ってみたアニメの最後はシンジの心象風景で終わった。そんなんが見たいわけではない。俺たちは大いに憤慨したんだ、夢を見せた責任をちゃんととってくれよ、なげっぱなしにしないでくれって!
そして夢の続きを見せるはずだった最初の劇場版エヴァで我々はまた裏切られたんだ。
期待した映画のデスリバのデス編はただの総集編だった。しかも、ほとんどがまた、見たくもないキャラクターたちの心象風景で語られていたのだ。なんだこれ。
そして、それが終わって、リバース編は25分だけ「AIR・まごころを君に」の映像が流された。戦略自衛隊がネルフを襲撃して、そしてアスカが復活して、自衛隊の兵器を破壊しまくるシーンである。
ここでようやく見たかったものが見れる! 俺たちはそう思った。
しかしここで、量産型エヴァが空中を舞うシーンで映画は終わってしまう。
「エヴァシリーズ完成していたの?」
というアスカのセリフで映画は終わり、
「わーたーしーにかーえりなさーーーい」
という歌が流れる。かの有名な「魂のルフラン」である。
実は、これだけ有名な歌であるのだが、映画でこの曲を聴いた人は少ないのではないだろうか。
だって、エヴァの過去作を追ううえで普通、使徒新生という映画はスルーするからである。
こうして、アニメ版の結末はまたしても見ることはかなわず我々はお預けを食らった。
そして確か、デスリバの公開は97年の春だったと思うのだが、その年の夏までA「AIR・まごころ」を君にの公開まで待つことになる。
今思えばこのお預けはましである。たった3ヶ月とかそんなもんなのだから。今回の8年から比べれば一瞬である。
そしてこの構図、新劇場版エヴァも全く同じなのだ。
破を見た→うぉぉおもしれえ、どうなってるんだ。世界はどうなってしまうんだ?早く続き見たーい。
→3年後、Q公開→ん、なんだこの作品、とてもエヴァっぽいけど、見たいのはこれじゃないよ、破の続きなんだよ
→ 8年待たされる。
ね、同じでしょ。あの時と同じなんだ。
エヴァの公開そのものがループ構造になってるといってもいい。
見させてくれないんだよ庵野監督は、欲しいものを絶対に与えないんだ。
分かったか分けえ奴ら、こういう背景があるんだよ、今回のエヴァがたまらなくエモいって言ってる連中の背景にはこういう、切ない背景があるんじゃあ!
と語っていたところで、本当に語りたいところまでたどり着かずに脱線しながら2000字を超えてしまったので、いったん話を切ります。
次回
シンエヴァの話をするつもりが、つい昔話になるハイロック。
シンエヴァの考察を聞きたいのに、全くたどり着かずに困惑する視聴者。
ネタバレ感想と言ってる割には、ちっともネタバレをしないハイロック。
ついにフォローを外すいい加減飽きてきたリスナーたち。
シンエヴァをとにかく熱く語りたい人たちの物語はどこへ続くのか。
次回、シンエヴァンゲリオン感想 Q
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