第2話 B面

 十分注意していたはずだった。

 彼は避妊具をしてくれていたし、私も薬を飲んでいた。

 でも、何事にも絶対はないようだ。


 私は、妊娠してしまった。


 私が妊娠してしまった事を彼に打ち明けた。

 私が思っていた以上に、彼は冷静だった。

 私が妊娠したことを受け入れ、そして──。

 そして、自分の死も受け入れていた。

 子供の頃からそう教育されていたとは言え、これほど簡単に彼が自分の死を受け入れるとは思っていなかった。

 ほっとしたような、かえってつらいような……。

 慌てふためいて、罵声を浴びせられたほうが、楽だったかもしれない。

 彼の作った笑顔が、なおさら私をつらくさせた。


 妊娠証明書を持って、彼と役所へ向かった。

 話したいことはたくさんあったけれど、口を開けば『ずっとそばにいて』しか出てきそうにない。

 そのため、何も話す事ができなかった。

 涙色の空に浮かぶ雲。

 彼が眺めていた雲。

 その雲の向こうに、彼はどんな願いをしていたのだろう?

 雲間から差し込む一条の光が、私たちを救ってくれればいいのに。


 私たちはついに、役所に着いてしまった。本当は逃げ出してしまいたかった。


 妊娠届けの窓口で、ガードマンにはさまれた。

 そして、あまりにもあっさりと、彼は連れて行かれてしまった。

 つないでいた手が、いつの間にか離れていた。

『さようなら』

 に代わる言葉を探していたが、私はただただ涙が流れるだけで、彼に最後の言葉をかけることもできなかった。

 でも、この声にならない声はきっと聞こえていたと思う。


 彼は泣き崩れもせず、騒ぎすらせず、静かに、粛々と奥の部屋へと歩いて行ってしまった。

 振り返りもせず。

 あの姿はおそらく──彼の優しさ。


 私はいつまでも後ろ姿を見続けていたていた。


 ただただ、涙を流しながら。


 これからは、あの人のいない景色。

 これからは、あの人のいない世界。

 これからは。あの人のいない未来。


 だめだ、泣いていちゃいけない。


 私はお腹に手をあてた。

 あの人との愛の結晶が、ここにいてくれている。

 あの人との思い出の全てが、ここにいてくれている。

 あの人の事を、この子に、明日に手渡さなくては。


 この子のためにも、私は未来を生きなくては。


 ──願うことはただ一つ。

 せめて。

 せめて。

 せめて!

 せめて、この子が大人になった時、こんな思いをせずにすむ世界になっているよう。






 A面を書き終えた後、

「これは、もしかして残された彼女のほうがつらいんじゃ?」

 と思い、大急ぎでB面を書きました。

 女性心理はあまり上手に書けていないかもしれませんが、ご容赦ください。

 なにしろ、妊娠したことがないもので。

(^-^;


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せめて 山本てつを @KOUKOUKOU

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