おわり。

三人の果て。

「僕達、出ていくことにした」


 よそよそしさのその先に待っているのは、一体何なのか。知りたくなかった。分かりたくなかった。それは、ただの、

「え、なん、で、」

 答えなんか訊かなくても分かりきってきた。それでも訊かなくては私は私を納得させられる自信がなかった。訊いたってできるかは分からなかったけれど。だって、私は、私達は、

「だって、ここにいるのは不自然だろう」

 妹はただ黙っている。人形のように。瞬きすらせずに。思い詰めたように。苦しそうに。ただ、黙っている。ねぇ。どうして黙っているの。何か、疚しい気持ちでも、あるの。

「ふし、ぜん」

「そう。不自然。だってここは僕らの家じゃない。君の家だ。君と君のお母さんの家だ。あれは僕らのお母さんじゃない。ね、不自然だ」

「そう、だね」

「ここにいた間、衣食住には不自由しなかった。そのことには感謝しかない。僕らはとても幸福だった。でもあれから何年が経ったと思う?」


 あれから。私達が本当の義兄妹になって七年が経っていた。兄は立派な社会人になり、妹はもうすぐ高校を卒業する。私は、私は? 私はどうなったのだろう。何が変わったのだろう。

「この子の卒業に合わせて、家を出るよ」

 ああ。ここまでだ。もう無理だ。誤魔化しきれない。言い訳もできない。取り繕えもしない。悲しい現実がここに転がっているだけだ。

「ああ、そんな顔をしないで。別に君を傷つけるつもりはないんだ」

 今の私は兄や妹から見て、どんな顔をしているのだろう、とかつても思ったことをぼんやりと他人事のように思い出す。あの時は内心のビクつきに自分でも笑ってしまったが、今は違う、笑えない、笑える訳がない。

 ねぇ、私、どんな顔をしているというの?


「君も行かないか」

 空白。空中。空回り。何を、言われた、今。

「行く、って、どこへ」

「何処へ、か。何処かな。ねぇ、何処がいい」

 兄が妹へ問いかける。妹は初めて少しだけ揺れ、そしてゆっくり瞬きをし、答える。

「何処でも、いい。お兄ちゃんと一緒なら」

「そっか、そうだったね。だそうだよ、何処へでもいい。何処へでも、行けるところへ。行きたいところへ。さぁ、どうだい」

「急に、そんなこと言われても、困る」

「だよね」

 くつくつと笑う兄。無表情の妹。ああ、彼等は、あの頃のままなんだ。変わってなんかいなかったんだ。気付きたくなかった。だって、それは、

「どうする、こんな家、君にだってメリットはないだろ」


 母は相変わらずだった。体の大きくなった私達に比べて、幾分かは小さくなった彼女は、体格の差か活力の差か、積極的に言葉で噛み付いてきたり暴力を振るうことはなくなったものの、お小言みたいなものは寧ろ増えていた。私の中では昔のままの暴君で、知らんぷりをできる彼等とは違って、私はどう考えたって、あの人の娘でしかないんだから。だから、捨てられる訳がない。あの人を一人にするなんて、そんな、酷いこと。自分はどんな目に遭ってきていても。


「お姉ちゃん」

 妹が、私を見ていた。

「一緒に、来る?」

 私は、喉が渇いていた。私は思い出していた。彼等の親密さを。彼等の共有する空気を。彼等の眩しい世界を。私には手を出せない場所にいる彼等を。そこに入れてくれない彼等を恨んでいたことを。恨んで恨んで恨んで、それは、羨ましかったからだということを。そんな私に、彼等を追う資格なんか、ない。

「……いかない」

「…………そう」

「……………………止めないんだ、ね」

「……止められないよ」

 止められる訳がないじゃないか。私は、彼等と同じには、なれない。同じになれた彼等と私は決定的に違う。だから選べない。彼等の行方を。彼等の果てを。選ぶ権利もない。選ぶ理由もない。選ぶ義理も、ない。ない。ない。ないんだよ。選べないんだよ。

「じゃあ、さようなら、なんだ」

「そう、なるね」

「嘘つき」


 穏やかに別れを告げる兄とは対照的に、目に涙をいっぱいにして私を睨みつける妹の言葉は私を通り抜けて壁に刺さる。


「ごめんね、嘘つきだね」

「嘘つき。嘘つき。嘘つき。ずっと一緒って言ったのに」

「うん、言った」

「嫌いにならないって言ったのに」

「言ったね」

「なのに、どうして、」

「ごめん。ごめんね。私には、無理だ」

 優しく止める兄を振り切って、妹は熱を私に投げかける。もう、冷めきってなんの効力も持たない熱を。

「私ね、二人のこと好きだったよ、本当に。だけどね、それと同時に凄く凄く憎かった。私はあなた達みたいになれないんだって思い知らされて、辛かった。苦しかった。悲しかった。だから、嫌いになろうと思った。嫌いになった。言い聞かせた。私は、あなた達が、嫌いだ。嫌いなんだ。嫌いなんだよ。だいっきらいなんだよ!!」

 だから、私も、ぶつける。何の意味もない、熱を。

「嫌いだよ、ああ、大嫌いだよ。だけど大好きなんだよ。置いてかないでよ、って叫んで止めたいよ、でも無理なんだ、あなた達と一緒には行けない、私には行けない。だって、あなた達と同じものに、私は、なれない。思っちゃったんだ。どんなに苦しくても、悲しくても、辛くても、それでも一緒にいたいって思えなきゃだめだって。その定義にあなた達は入らない。こんな思いをするくらいなら一緒にいたくない。あなた達の側にいたら私は、どんどん腐って、あなた達を恨んで憎んで、汚い生き物になってしまう。だから、許して。あなた達を許せない私を、許して。ううん、許さなくていいや。忘れて。忘れてください」


 一気に吐き出した、初めての、重い、思い。私は、こんなにも汚い。あなた達とは、違う生き物だと知ってほしくて。

「それでも、」

 絞り出された声は、どちらのものか。それすら分からない。分かりたくない。

「それでも、一緒にいたかった」

 そっくりそのまま返してやる。それでも一緒にいたかった。その通りだよ。でもそれを許さなかったのは、二人の間に漂う空気だったんだって、せめて言い訳させて。詰らせてよ。それでも、一緒にいたかったのに。どんなに痛くても。居られないことの方が、要らないと言われることの方が、要らないと言われることの方が、辛かったのに。

「ごめん、なさい」

 三人の果ては、見られない。私にはもう見られない。


 こんな別れが来ることを、いつかこんな日が来ることを、知っていた。ような気がする。私はずっと、知っていた気がする。

 人生は小さな偶然の積み重ねだ。それがいつの間にか奇跡を産み、そしてかけがえのない記憶はきっと幸福を与え、人生そのものを祝福してくれるんだろう。私は、それを食べ潰して生きていく。今までも、これからも。幾つもの奇跡を、食べて食べて食べて吐き出して潰して駄目にして、それでも生きていくしかないのだ。悲しみの先に、苦しみの末に、辛さの果てに、何が待っていようとも。主菜の付け合わせにしかなれない程度の人生だって、足掻く意味は何処かにあって欲しいと願ったりして。それは我が儘だろうか。我が儘では駄目だろうか。

 祝福なんて、もう、必要としない。私が欲しいのは、奇跡なんかじゃない。私は、私だけは、幸福になんて溺れたりなんか、しない。そう、誓う。でも。

 ただの偶然の積み重ね。そういうものに齎される幸福を、愚直に、飽きるくらい、もう一度だけでも、信じてみたい。素直に今は、そう、思う。まだ、思ってしまうんだ。

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とある奇跡のはじまりとおわり。 空唄 結。 @kara_uta_musubi

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