第二十一話 ひた隠し
――どうして……?
沢渡さんにこの問いを受けるまでは、僕は沢渡さんのことが好きなんだと、そう信じていた。
自分の優秀さに得意顔したりせず、人と接することが苦手みたいだけど、誰に対しても思いやりを持って接してくれる、そんな沢渡さんのことが。
なのに、なんで……
どうして圭の顔が、頭から離れないのだろうか。
「……あなたが今思い浮かべているその人が、あなたが本当に好きな人なんだと思います」
戸惑いを隠しきれない僕を見つめたまま、沢渡さんは瞑目してそう呟く。
そして再び瞼を上げ、こう言った。
「あなたは先ほど、同性を愛することが変だと言っていました。それだけあなたは、性について繊細な感情を持っているのでしょう。最近そういった恋愛面において、性の違いを強く意識するような、そんな出来事はありませんでしたか……?」
僕は、無言のままうつむいた。
心当たりがあった。
『――お前、もし付き合うなら……。男と女、どっちと付き合うの?』
いつの日か圭が口にした、この言葉。
問いかけられたとき、僕は内心ひどく焦っていた。
この焦りが何によるものかはわからなかったが、僕は平静を装いながら”女の人”と答えたはずだ。
実際この頃、沢渡さんと友達になりたいと思っていたこともあり、恐らく僕は女の人に興味があるのだと信じていた。否、願っていた。
僕は今でも心は男のつもりだし、それで男の人を好きになるなんて、やっぱり変だと思っていたから。
と、いうことは……
「僕は、女の人が好きなはずだって……そう自分に言い聞かせながら、その人のことを……好きになろうとしてたっていうこと……?」
沢渡さんの表情は少し暗くなったが、
「……そうだと、思います」
それを誤魔化すかのように、彼女は微笑んだ。
あぁ……
僕は、なんて最低なやつなんだ。
きっと沢渡さんも、こんな僕に失望しただろう。
その人が彼女自身だということには、気づいていないだろうけど。
それでも、僕は自分勝手な考えで、その人のことが好きなんだと思い込んでいたのだから。
好きだと思いつつも、それは取り繕ったものだったのだから。
「――古河さん……大丈夫ですか……?」
気づいた時には、僕の瞳から涙が流れ出していた。
情けなさや申し訳なさで、押し潰されそうだった。
何か沢渡さんに告げようにも、言葉が出てこない。
今更、何を伝えようというのだろうか。
その人が沢渡さんのことだなんて言ったら、彼女を悲しませるだけに違いない。
それこそ、彼女への冒涜だ。
僕は自分自身を恨みながら、ただただ嗚咽を漏らしていた。
そのとき、沢渡さんが僕の手を優しく握った。
「もし、あなたが自分自身を責めているとしたら……その必要は全くないです。人は、自分自身の心をすべて把握しているわけではありません。自分の本心は何なのか、わからない人はたくさんいます。それに……その人のこともまた、大切に思っていることには変わりありません。たとえそれが、恋心ではなかったとしても……。その人もきっと、そのことがうれしいと感じるはずです」
沢渡さんは胸に手を当て、少し頬を染めながら俯く。
そして微笑みを浮かべ、確かな意思を滲ませながら、こう口にした。
「ですから……自分の本当の気持ちを、大切にしてください」
その言葉は優しく、僕の耳に響いた。
自己嫌悪に陥っていた僕にとっては、その言葉が何よりうれしかった。
自分自身でさえ認められないこんな僕を、沢渡さんは認めてくれた気がした。
僕の瞳から、ぼろぼろと止まることを知らない涙が絶えず流れていく。
そして、握ってくれた彼女の手を握り返し、涙を流しながら、嗚咽を漏らしながら、
「――僕、圭のこと……好きでいて、いいの、かなぁ……」
縋るように、彼女へこう言葉を漏らした。
どれほど、卑怯な言葉だろうか。
僕はただ、今の僕自身を……本当の僕自身を、誰かに認めてほしかった。
自分でさえ認められない、こんな僕を。
そうしなければ、これから先へ進めないような気がした。
僕が圭を好きになっては、いけないような気がした。
そんな理由で彼女に縋るように答えを待つ僕は、どれほど浅はかだろうか。
しかし、彼女はこんな僕を、
「――はい」
小さく笑いながら、はっきりと認めてくれた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ただいま~!」
午後九時ごろ、心葉が塾から帰ってきた。
「おかえり、心葉」
「ただいま、おねえちゃん!あれ、朋さんは?」
「ついさっき、帰ったよ」
「そっか……。で、あの話は……したの?」
心葉は、少し寂しげな表情を浮かべている。
「……うん、したよ」
「そっか……。まぁ、朋さんどう見たって圭さんに好意寄せてたもんね……。本人は気付いてなかったみたいだけど。で、どうだったの?」
「――古河さん自身の本心に……気づいたみたい」
「……そっか」
心葉は少し心配げな表情を浮かべながら、
「――お姉ちゃんは、本当にこれでよかったの……?」
そう、口にした。
「……今は、明美おばさんが朝の仕事の時だけ、私がお子さんを幼稚園へ送っていくだけだよね。だけど、おばさんは私たちのために仕事を増やしてくれて……シングルマザーだし、まだとても負担がかかってると思うの。だからもっと、おばさんに手を貸さないとって思ってる」
「なら、私がおばさんをもっと手伝うよ!」
「心葉には毎日食事を作ってもらってるし、これ以上心葉にも負担をかけたくない。古河さんにもこのこと知られたら、気を使わせてしまうと思うし……これでよかったの。それに、古河さんは長月さんに夢中だから」
そう言って、私は小さく笑った。
「……本当に、そう思ってるの?」
「え……?」
「それは……おねえちゃんの、本当の気持ちなの……?」
心葉は、私にそう尋ねた。
正直、古河さんの言っていた女の人というのが、恐らく私のことだというのは分かっていた。
だって、私が教室の外にいるとき、古河さんたちが時折私について話し合っているんだもの。
本人たちは、私には聞こえていないとでも思っていたのだろうか。
そしてそれが分かった時、私はとてもうれしかった。
私も古河さんのことが、気になっていたのだから。
性同一性障害を抱え、父親はおらず、物心ついてから母親が亡くなってしまったというのに、あれほどたくましく生きているのが、すごいと思った。
すごく、かっこいいと思っていた。
私以上の悲しみを堪えて、それでも微笑む彼女に、いつしか私は惹かれていた。
察しのいい心葉は、そんな私の気持ちに気づいていたのだろう。
でも、いつしか……
本当の好意が私に向けられていないことに、気づいてしまった。
とても寂しい気持ちになった。
とても悲しい気持ちになった。
本当の好意を私に向けさせたいって、そう思っていたのも事実だ。
でもそんな気持ちは、涙を絶えず流し続ける彼女の前に霧散した。
――あんな顔を見て、そんなことを思えるはずがない。
それは、彼女の長月さんを思う気持ちが、私が思っていた以上に……
そして、彼女自身が予想だにしないほどに、一途なものだったから。
私はほんの少しでも、彼女がどれほど苦しい思いをしてきたか知っている。
そんな彼女を、彼女の"ひだまり"から遠ざけるようなこと、私はしたくない。
だから、
「――本当に、これでよかったのよ」
自分に言い聞かせるように、私はそう呟いた。
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