第二十話 食い違い

「あなたにとっての"ひだまり"は、誰ですか?」


 まっすぐな瞳で僕を見据えながら、沢渡さんはその質問を再度投げかけた。

 特別大きな声というわけではない。

 しかしその言葉は強く、僕の耳に響いた。


 ――僕にとっての……"ひだまり"……。


 先ほどまでの話を聞いて、沢渡さんの言わんとすることは大体わかった。

 恐らくすでにお母さんが亡くなってしまった今、僕が最も心の支えにしている人は誰か、ということだろう。

 しかしそう言われても、すぐにこの人だと決められるわけもなく、それ以前に僕にそういった人はいないかもしれない。


 ……いや、違う。


 一人だけいた。

 僕が小さい頃からずっと、学校が分かれてしまうことはあっても、できる限りそばにいてくれた人が。

 母の死を知った僕を、一番に気にかけてくれた人が。


 いつも僕の心を、支えてくれる人が。


 その人の名前を口に出すのは少し気恥ずかしさもあったが、沢渡さんは取り繕うこともなく僕に教えてくれたのだ。

 僕も取り繕うことなく、沢渡さんに伝えるべきだろう。


「――圭、かな。あいつはなんだかんだ、性同一性障害の僕をいつも気にかけてくれてたし、お母さんが死んでしまった日にも、僕のそばでずっと支えてくれた。……本当にいいやつだよ、あいつは」


「……そうですか」


 沢渡さんはふっと微笑んだ。

 その瞳には、慈しみの光が浮かんでいるように感じた。

 母を失ってしまった僕のことを、心配してくれていたのだろうか。

 なるほど、それなら僕にこの質問をする理由にも納得がいく。


 ――沢渡さん、やっぱり優しい人だな……。


 そんなこと思うのと同時に、彼女への感謝の気持ちがふつふつと込み上げてくる。

 せめて「ありがとう」を言わせてほしい。そんなことを考えていると、


「――ということは、長月さんとこれからもずっと一緒にいたい……離れたくないと、そう思っているんですね」


 唐突に沢渡さんが、そう口にした。


 思ってもいない言葉に、僕は動揺した。


 いくら僕にとっての"ひだまり"が圭であると思ったとはいえ、そこまでではない。それはさすがに大げさだ。


 そう反論しようと思った。



 しかし、僕は否定できなかった。



 今までに僕は、何度も圭に助けられてきた。

 あのとき圭がそばにいてくれなかったら、僕の心はすでにボロボロだっただろう。

 そんな"あのとき"が何度あったかも、数えきれないほどに。


 そして僕はいつからか、圭のそばにいることが当たり前になっていた。


 圭のそばにいられれば、僕は傷つかずに済むのではないだろうか。

 圭がそばにいてくれたら、こんな僕のことを守ってくれるのではないだろうか。

 そんな圭に対する甘えが、日に日に増していった。

 

 ――僕は、本当に最低だ。


 しかし圭は、そんな僕の甘えを許してくれているように感じた。

 こんな僕のことを、見放さないでいてくれた。


 ――あれ……?


 気づかないうちに、胸の鼓動が速くなっていた。

 胸が苦しい。

 顔もなんだか熱っぽい気がする。

 僕は胸に手を当てながら、わけもわからずただうつむいた。


「――やっと、自分の気持ちに……気づきましたか……?」


 先ほどと同じように微笑みながら、沢渡さんはそう言った。


 自分の……気持ち……?


 いったい、何を言っているのだろうか。


「"ひだまり"だと感じる人は、もちろん恋愛感情を持つ人だとは限りません。しかしずっと一緒に居たいと思う人……ずっと自分と関わりを持ってくれる人というのは、かなり限られてくると思います」


「沢渡さん……いったい何を……」


「もし血縁関係で結ばれているとしたら、特別なことがない限り、関わりを持ち続けられると思います。しかし、血縁関係で結ばれていないとしたら……たとえば現時点で友達という関係性だとしたら、いつまでも自分と関わりを持ってくれると……そう、断言できるでしょうか」


 沢渡さんは僕の言葉を遮り、そのまま話し続ける。


「もしその人に対して抱くものが友情だとしたら、いつか離れ離れになったとしても受け入れられるはずです。また再び出会うことを信じて、関係性を絶つこともできるかもしれません。ですが……古河さんは、長月さんに対して……そのようなことが、できますか……?」


 ――え……ちょっと待って……。


 沢渡さんの話についていけない。

 どうしてそんな話になるのだろうか。

 確かに僕にとって、圭は大切な人なのは間違いない。

 もし圭との関係性が絶たれるなんてことがもしあったなら……耐えられないかもしれない。


 でも……だからって……



「僕が、その……圭のことが……す、好き、だって……言いたいの……?」



 なぜだか胸が張り裂けそうで、自分の制服の胸元をくしゃっと掴んだ。


「……そうです」


 僕からの問いに、沢渡さんはいたって冷静にそう答える。


「いや、その……。僕、体は女の人だけど、中身は男なんだよ……?他の友達と比べたら、その……圭は、ちょっと……と、特別に、感じてるけど……。僕からしたら同性同士なわけで……おかしいよ……。そんなの、変だよ……」


 僕はあからさまに動揺しながら、なんとか言葉を繋げていく。


「本当に、そうでしょうか……?」


「……どういうこと?」


「古河さんは今までの間、ずっと女性の体で過ごしてきました。生まれてからずっと女性の体なのですから、女性の体にも慣れ、次第に女性らしい心を持ち始めたとしてもおかしくありません。ただ、もしそうでないとしても……心は男性のままであったとしても……」


 真剣な表情で僕を見つめ、


「同性に恋愛感情を向けるのは、別に変なことではありません」


 沢渡さんは恥じることもなく、そう言い切った。

 そして確かな意思を瞳に滲ませながら、沢渡さんは言葉を紡ぐ。


「確かに異性へ恋愛感情を向ける人の方が、比較的多いと思います。……しかし、恋愛に正解などありません。人はそもそも、それぞれが違う考え方を持つものです。ある人は異性にしか惹かれないかもしれない……。ですが、逆に同性にしか惹かれない人も、世の中には数えきれないほどいます。もし同性の方を好きになったとしても……何も恥じることはありません」


「――で、でも……」


「それとも……長月さんは、古河さんがもし同性愛者だったら距離を置くような、そんな人なんですか……?」


 沢渡さんのその言葉に、僕は一瞬言葉を失った。

 そして、ひとつ確かなことに気づいた。


 ――圭は、そんなやつじゃない。


 そもそも圭は、同性愛を否定したりはしないと、そう言っていたのだ。

 もし僕を男性のように扱ってくれていたとしても、僕が圭に対して恋愛感情を持ったところで、彼は軽蔑したりはしないだろう……きっと……。

 

「でも、僕の好きな人は……」


 そう言って、僕は沢渡さんを見つめる。

 そのとき、沢渡さんはなぜか、少し寂しげな表情を浮かべたように感じた。


「――もしそう感じた人がいるのでしたら、その人に対しての感情は……友情だったのではないでしょうか。異性に対してだとしても、友達としての好意をもつことはあると思います。この人と仲良くなりたい……そういった感情が異性に向けられたとしても、もちろんそれが恋だとは限りません。古河さんは女性の友人があまりいないようですし、少し敏感に感じてしまったのではないでしょうか」


「そ、そんなこと……」


「――では、ひとつ聞きたいことがあります」


 沢渡さんは数秒の間口を閉ざし、意を決したかのように口を開いた。



「その人と長月さん、どちらと離れ離れになる方が……耐えられないですか?」



「そんなの!……そ、そんなの……」



 どうしてだろう。


 迷わず沢渡さんを選ぶはずだったのに。


 絶対沢渡さんを選ぶつもりだったのに。



 

 ――真っ先に思い浮かんだのは、圭の笑顔だった。

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