第十八話 すれ違い

「は~い、みなさ~ん。朝のホームルーム始めますよ~。席に座ってくださいね~」


 近藤先生のいつもの言葉を皮切りに、朝のホームルームが始まった。

 

「起立!」


 クラスの学級委員長の掛け声で、全員が立ち上がる。

 

 ……はずなのだが、


「ん……?古河さ~ん?具合でも悪いんですか~?」


 朋はなぜか、うつむきながら席に座ったままだった。

 クラス中の視線が朋に集まる。

 しかし、それでもなお、朋は座ったままぴくりとも動かなかった。


「朋?お~い、朋!起きてるか~?」


 朋にそう声をかけ、俺は屈んで顔を覗き込むようにして見た。


「……朋?」


 その時、朋の体が少し震え、俺と視線が合った。


「――えっ……?あ、す、すみません……」


 ようやく状況が理解できたのか、ボソッとそう口にして朋は立ち上がった。

 

「古河さん、ちゃんと毎日寝てる?寝不足だとぼ~っとして注意力が低下しちゃうから、ちゃんと寝るようにしなきゃダメですよ~。他のみんなもちゃんと寝て、元気に学校に通ってきてくださいね~」


 先生が生徒たちにそう呼びかけ、ホームルームはいつも通り続行された。

 朋が寝不足だと先生は言ったが、恐らくそれが原因ではない。

 もしかしたら本当に寝不足なのかもしれないが、それが原因でこうなっているわけではないはずだ。

 

 朋が、あのときの目をしていたから。


 朋の母親が死んだと告げられたあのときの目、さっきの目はそのときのものにとてもよく似ていた。

 心のよりどころを失った、あのときの目に。


 なにより、朋が寝不足だという日にこんな目はしない。それは今まで、俺ができる限りこいつの隣にいたからよくわかる。


 ――もしかして、また誰か死んだのか?


 ……いや、もしそうだったら俺に何か言ってくるはずだ。

 それに仮にそうだったら、今日学校に登校してくることはないだろう。


 沢渡さんと教室に入ってきたときは「おぉ!」と思ったのに、教室に入ってきてからずっとこの調子だし、本当にわけが分からない。


 ――はぁ……。いったい何があったんだよ……。


 「それじゃ~、みんな今日も一日頑張ってね~」


 そんなことを考えている間に、いつのまにか朝のホームルームが終わろうとしていた。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 放課後。

 クラスメイトが部活やら帰宅やらで教室を後にしていく中、朋は立つ気配もなくうつむいている。

 結局放課後になっても、いつもの朋に戻ることはなかった。


「なぁ、圭。さすがにこれはワケありだろ……。ホントに何もわかんないのか?」


 和真は少し戸惑いを含んだ声で、俺にそう問いかけた。


「わかんねぇよ。あれだけ問いかけてもまともな答えが返ってこないし……。もはやわけ分かんなすぎて声もかけづらいわ」


 朝のホームルームの後、「いったいどうしたんだ?」やら「何かあったのか?」やら手当たり次第問いかけてみたのだが、「ううん、なんでもない」の一点張りだったのだ。


 いや、んなわけねぇだろ。


 ということで、俺と和真は菜月の席の方に待避していた。


「それにしても、朋が圭に何も話さないなんて珍しいよな。いつも何かあれば、ひとまず圭に相談してたイメージあったけど……。お前、朋に見放されたんじゃね?」


 和真は努めて明るい声で、俺にそう言った。


「――そ、そうなのかな……。俺、なんかしたかな……」


「ちょっ、真面目に捉えるなって!冗談だから!いや、ほんとそんなことないと思うぞ!!」


 そんな中、菜月は席に座りながら心配そうに朋の方を見つめている。


「――もしかして、僕のせいで……」


 ポツリとそうつぶやいた。

 確かに菜月が俺に告白したあのとき、朋は俺たちの前に現れた。

 菜月にとってはとても他人事とは思えないのだろう。

 朋は告白のことは聞こえていなかったようだったが、もしかすると本当は聞こえていたのかもしれないし、それがきっかけであの調子なのかもしれない。

 だけど、


「菜月が悪いなんてことは、絶対にないからな」


「……えっ?」


 驚いたような顔をして、菜月は俺の方へ振り向いた。


「もしきっかけが昨日のことだったとしても、お前が悪いなんてことは絶対にない。それは俺が保証する。だから自分のせいでなんて思うなよ。思い切って行動した自分を否定したりなんかするな」


 俺はしっかりと菜月の目を見ながら、そう言った。


「……ありがとう、圭くん」


 菜月は顔を真っ赤にしてうつむいた後、消え入りそうな声でそう口にした。


「なぁ、圭。昨日のことっていったいな……」


「なんでもないから!本当に何もなかったから!!」


 菜月が耳まで赤く染めながら、和真の言葉を断ち切った。


「お、おぅ……。なんでもないわけがないけど、まぁそういうことにするわ……」


 これ以上の詮索は無意味と感じたのか、おとなしく和真は菜月の様子を見ている。

 こいつってこういうとき本当に聞き分けがいいんだよな。

 お前のそういうとこ、俺は好きだぜ。

 そんなこと口が裂けても言わないけどな。


 それにしても、もし昨日のことがきっかけであの調子なのだとしたら、いったい何が原因なのだろうか。

 万が一告白のことを聞かれていたとしても、朋があの調子になる理由がわからない。

 

 もしかして、実は菜月のことが好きだったとか?


 ――え、いや、そんなことは……ない……よな……?


 ふと、教室の後ろ側のドアが開けられる音がした。

 そしてそのドアから沢渡さんが現れ、ゆったりとした歩調で自分の席の方へと近づいていく。

 忘れものだったのだろうか、自分の机から一冊の文庫本を取り出した。

 そして、


「……あの、古河さん」


 朋にそっと話しかけた。


「……あ、沢渡さん。どうしたの?」


 対する朋は、いたって平然とその呼びかけに答える。


 あの沢渡さんからの呼びかけにあんなに冷静って……今日の朋は本当にどうかしてるな。

 それにしても、あの二人いつからそんな話し合う仲になったんだ……?


 そんなことを思っていた、そのとき、


「今日……私の家に来ませんか……?」


 沢渡さんが、朋にそう尋ねた。


 ――はっ……?


 俺は唖然とした。

 あの沢渡さんが、朋に家に来ないかと誘ったのだ。

 いつの間にそんなに発展してたんだよ。

 菜月と和真も俺と同じ気持ちだったのだろう、二人とも朋と沢渡さんの方を見ながら茫然としていた。


「え……えっ!?い、いきなりどうしたの……?」


 さすがに朋も驚いたのだろうか、動揺を含んだ表情で沢渡さんを見ている。


「その……以前は、心葉がご迷惑をおかけしましたし……何かお詫びをと思って……。どうぞ、ご飯でも食べに来てください」


「い、いや、悪いよそんな!そもそも、ぼ、僕が心葉ちゃんを傷つけたというか……。むしろ迷惑をかけたのは僕の方というか……」


「いえ、そんなことはないですよ……?というよりも、むしろ……古河さんが来てくださった方が、心葉も喜びますから」


 沢渡さんは小さく笑いながら、そう言葉にした。


 ――そっか、お前と沢渡さん、そんなに順調だったのか。

 

 二人の様子を見て、俺は少し安心した。

 何があったのかはわからないが、きっと沢渡さんが何とかしてくれるだろう。


 ここに、俺の出る幕はない。


 安心したと同時にさみしさも感じたのは事実なのだが、朋がこれで幸せになれるのなら、俺はそれで構わない。

 今の会話でそんなことを感じるのは早とちりなのかもしれないが、きっと二人は結ばれる、漠然とそんな予感がした。

 

「ねぇ、圭……?」


 俺は自然とうつむいていた顔を上げると、目の前には朋が立っていた。

 いつのまにか、沢渡さんの姿はない。

 そして、


「僕……どうしたらいいと思う……?」


 俺にそう問い詰めた。

 自信なさげに上目づかいになりながら、先ほどと同じような動揺をにじませた表情で俺を見ていた。


 なんで、それを俺に聞くんだ?


 朋が聞かれたことなのだから、好きなように決めればいいはずだ。

 それに、朋は沢渡さんが好きなのだ。逆に行かない理由などないだろう。


 そもそも、俺がここで行くなって言ったら、朋は行かないのか?


 

 朋は、俺に行くなと言われることを、期待しているのか……?



 ……馬鹿馬鹿しい、そんなのありえないに決まってるだろうに。


「行って来いよ。せっかく誘われたのに行かないってことはないだろ」


「……」


 朋はなぜか、俺の言葉を聞いてうつむいた。

 そして、


「……そうだよね。せっかく誘われたのに、断るなんて申し訳ないしね」


 顔をあげて、微笑みながらそう答えた。


「そうだな。ところで沢渡さんは?」


「あ……さっき図書室に用があるって言って出てったよ。図書室で待ってるって言ってた」


「そっか、ならそろそろ図書室に向かった方がいいんじゃないのか?」


「……うん、そうだね。じゃあね、みんな」


「あ、あぁ。またな、朋」


「じゃあね、朋くん」


 朋は二人の言葉を聞いた後、教室を出て行こうとした。


「朋!」


 出て行こうとする朋にそう呼びかけると、朋はふっと俺の方へ振り向く。


「がんばれよ」


 俺は朋に自信をつけようと、笑顔でそう口にした。


「……あはは、がんばるよ」


 朋は困ったような笑顔でそう返し、図書室の方へ向かっていった。


「ん~、やっぱ今日の朋なんか変だったな……。恋心を抱えるとあそこまで変化するものなのか?女心って難しいな……」


「いやいや、そもそもあいつ女心じゃないし、男心だし」


「あ、そうだったな!まぁ朋が幸せになるんならなんでもいいさ!俺たちも応援してやろうぜ!」


「……そうとも限らないかもよ」


 ボソッと菜月がそう零した。


「えっ?どういうことだ……?」


「あ、いや、気にしないで。それじゃあ僕たちも帰ろっか」


「そうだな!ではお二人とも、じゃあな!」


 そう言って和真は教室を後にした。

 和真はサッカー部に入っているため、今から部室に向かうのだろう。


 そして俺と菜月は、二人で寮へと向かい始める。

 思えば帰るときに朋が一緒じゃないのは、かなり久しぶりな気がする。

 ふと菜月の方を見ると、なにやら少し思いつめた表情をしていた。

 さっきの独り言と何か関係があるのだろうか。

 俺はあえて詮索せず、菜月の隣をとぼとぼと歩いていた。


 そういえば、最後に呼びかけて朋が振り向いたとき、少し不思議な表情をしていた気がする。

 それは、何かを期待していたかのような、どことなくうれしそうな表情。


 その表情が、俺が呼びかける前のものなのか、俺が呼びかけたことに対するものなのか、俺にはわからなかった。

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