第十七話 心の余裕

「トモおにいちゃ~~ん!起きる時間だよ~~!朝ご飯が待ってるよ~~!!」


 目を覚ますと、涼が僕の体の上にまたがりながらそう呼びかけていた。

 まだ眠たい目を擦りながら、時計の針を確認する。

 いつも目覚ましをセットする時間を三十分過ぎていた。

 無意識に切ったのだろうか、すでにアラームはOFFの状態になっている。


「おはよ、涼。起こしてくれてありがとね」


「うん!」


 そう言って、涼はとててっとリビングの方へ向かっていった。

 

 夢を見ていた気がする。

 それはどこか寂しく、悲しい夢。

 しかし、どんな夢かは思い出せなかった。


「……」


 夢から覚めた余韻だろうか。

 何とも言えない気持ちがこみ上げてくる。

 僕はその気持ちを胸の奥にしまいこみ、リビングの方へ向かった。


「あ、おはよ~兄ちゃん。目覚ましかけ忘れるなんて珍しいね」


 リビングではいつものように祐が朝食を作ってくれており、ちょうど僕の分をついでくれていた。


 ――そうか、僕はそもそも目覚ましをかけていなかったのか。


 僕はそんなことを思いながら、


「おはよ、祐。ごめん、少し寝坊しちゃった」


 少し笑みを作りながら、そう答えた。


「……あ、いや、全然いいんだけどさ」


 そう言った祐は、どこか不思議そうな顔をしていた。

 そんな祐の様子をさほど気に留めず、僕は食卓の自分の椅子に座る。


「それじゃあ、涼学校に行ってくるね~!」


 小学四年の涼と中学一年の祐は、僕が家を出る時間よりも少し早い。

 いつもは二人に合わせて早く起きているのだが、きっと祐がぎりぎりまで起こさないでいてくれたのだろう。

 

「いってらっしゃい!気をつけるんだよ~!」


「うん!」


 祐の言葉に涼は元気よく返事をし、家を出ていった。


「もう祐も出る時間でしょ?寝坊した僕に合わせなくていいから、そろそろ行ってきたら?」


 僕の元へ、ご飯と味噌汁を運んでくれている祐にそう言うと、


「……兄ちゃん、何かあった?」


 唐突にそう返された。


「え……?えっと、どういうこと?」


「だって……。昨日の夜から兄ちゃんなんか変だよ。なんかやけにおとなしいというか……元気ないというか……」


 僕が、変?

 思ってもない祐からの言葉に、僕は言葉を失った。

 いつもと何かが違うって、いったい何を言ってるのだろう。

 僕はいつも通りのつもりなのに、祐に指摘されるほど変なのだろうか。

 あ、あれ……。


 いつもの僕って、どんなだっけ。


「――僕はいつもと同じだよ。祐が心配することは何もない」


 僕はひとまず、自分の気持ちを紛らわせるためにそう答えた。

 こんなことで祐に心配をかけるわけにもいかない。

 それでも祐は不満げな顔をしていたが、


「……なにかあったら、僕に相談してね」


 そう言葉を残し、家を出ていった。


 僕の目の前には、祐がついでくれたご飯と味噌汁があった。

 時間はそこまで危ないわけではないのだが、なんとなく食べる気分がでない。


「……ごめん、祐」


 僕はそれらを口にせずにラップをかけ、そのまま家を出た。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 学校に通う際のいつもの駅に降り、僕は歩いて学校へと向かう。

 何故だろう、不思議と足取りが重たい。

 昨日のことを無意識に気にしているのだろうか。

 そもそも、昨日圭と別れた時のあの胸が苦しくなるような気持ちは、いったい何だったのだろう。

 僕は、何がそんなに苦しいのだろうか。

 

 ――そういえば、夢を見ていた時もこんな気持ちだったような……。


 夢の中にヒントがあるような気もしたが、夢の内容は綺麗さっぱり忘れてしまっていた。


「はぁ……」


 自分の気持ちを整理することもままならず、僕は自然と大きなため息をついていた。

 

 そんな時、学生寮のある方面から見知った顔が二人出てきた。


 ――あ、あの二人は……。圭と……菜月かな?


 たまたま入り口で会ったのだろうか、圭と菜月が二人並んで歩いていた。

 僕はいつもどおり、二人に声をかけようとした。

 

 しかし、僕は呼びかけることなく、開けた口をそのまま閉じた。

 

 ――あの二人って、あんなに仲良かったっけ……?


 僕の目の前を歩く二人の様子は、いつもとどこか違う様子だった。

 おとなしめな性格の菜月はいつもより元気がよく、何故かことあるごとに圭の左腕に飛びついている。

 また、飛びつかなくなったかと思えば、圭の左手を右手で握り、満面の笑みを浮かべていた。

 そして少し困ったような笑顔を浮かべている圭も、菜月の手を握り返し、そのまま歩き続ける。


 その様子は、菜月が男子制服を着ていながらも、まるでカップルのようだった。


 普通の男友達同士で、あそこまでのスキンシップをするものなのか。

 いや、そんなことはないはずだ。

 じゃあ、圭の好きな人って……。


 ――もしかして……菜月……?


 しかし、菜月は正真正銘の男だ。

 いくら可愛らしい容姿をしているからといって、男同士で付き合うなんて……。


 そんなの、普通じゃない。


 ――そうだよ。圭だって、男同士で付き合うなんてことはさすがに……。


 そのとき、いつかの圭が言った言葉を思い出した。

 それは数日前、「男と女、どっちと付き合うの?」というようなことを聞かれたあの日に、


『同性愛を否定するつもりは毛頭ない』


 確かに圭はそう言ったのだ。

 そして、その言葉は僕自身に向けられていた。

 そう、性同一性障害だからとはいえ、女性に恋をしたいと思っていた僕は、世間でいう同性愛者なのだ。

 もし菜月と圭が付き合っていたとして、僕がどうこう言う資格なんてない。


 それ以前に、どうしてそんなに圭のことを気にするのだろうか。


 相手が誰であれ、友達が誰かと結ばれるのは喜ばしいことだ。

 友達の一人として、祝福する言葉を伝えるべきなのだ。

 そう、たった一言「おめでとう」と。


「――そんな……そんなこと……。そんな、こと……!」


「……古河さん」


「えっ!?」


 左の方からその声が聞こえ、ほぼ反射的に振り向くと、すぐ隣を沢渡雫が歩いていた。


「え、えっと……。沢渡さん、どうして、ここに……?」


「どうしても何も……すぐそこに、学校があるからですが……。あ、今日は、遅刻せずに済みそうでしたので……」


 そう言われて辺りを見渡すと、いつのまにか学校のすぐ近くまで来ていた。

 圭と菜月の姿は見えない、いつの間にか見失っていたようだ。


「……古河さん。どうかされましたか……?」


「あ、いや、ちょっと寝不足でさ。ぼ~っとしてただけなんだ。心配かけてごめんね」


「……そうですか。それだけなら、いいのですが……」


「うん、大丈夫だから。それよりちょっと急ごう、あまり余裕のある時間ではないみたい」


 僕の言葉に沢渡さんが頷くのを確認し、僕たちは教室へと向かった。


 初めて学校の外で沢渡さんに話しかけられ、そして教室へ一緒に向かった。

 いつもならそのことがすごくうれしくて、心の中でガッツポーズでもしていたかもしれない。


 

 しかし今の僕には、そのような心の余裕はどこにもなかった。

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