第十一話 勘違い

 僕、椎名菜月は、小さい頃女装していた。


 そのことが理由で、男子にイジメられるようになったのだが、他にも二つの変化があった。


 一つは、女子の友達が増えたこと。

 僕が女装するようになって、男子とは逆に、女子はかわいいって言ってくれていた。

 男子と話さなくなった代わりに、女子と話すようになった。

 だから教室内では、僕がイジメられそうになったとき、クラスの女子がかばってくれていたのだ。

 なんとも情けない話である。

 そのため、僕はいつも放課後にイジメられていた。


 そしてもう一つは、圭くんと友達になったこと。

 圭くんと友達になった次の日から、圭くんは放課後、いつも僕の隣にいてくれた。

 いつも、一緒に帰ってくれた。


「いつもありがとう、圭くん」


 ある日僕がそう口にしたとき、


「なにいってんの。友達なんだから、一緒に帰るのなんてふつうだろ?なんならもっと俺に頼ってもいいんだぜ」


 圭くんはさも当たり前かのように、そう言ってくれた。

 

 そして僕は、男子にイジメられることが減っていった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 小学校の卒業式当日、式が終わり学校を出た後、僕と圭くんはいつもの公園に二人でいた。


「中学校、圭くんと別々の学校になっちゃったね……」


「まぁ、しかたないさ。自分たちの家の位置で、勝手に学区が決まっちゃうんだから」


 双木小の生徒は進学先として、大きく三つの中学校に分けられた。

 そのうちの二つの中学校におおよその生徒が行くのだが、僕は双木小からは十人も行かない、もう一つの中学校に行くことになった。


「圭くんの行く中学校には、圭くんの友達も行くの?」


「いや、うちの学校の友達とは、離れ離れになっちゃったな……ただ、小学校が違った幼馴染とは同じ中学校らしいから、まぁ最初からさみしいってこともなさそうだな」


「そっか……。それはよかったね」


 それを聞いて、僕も少し安心した。正直圭くんなら、一人で友達を作るのも造作ないとは思うが。


「それより、お前どうするんだよ」


「え、何が?」


「その女装だよ。中学になっても続けるのか?」


 僕の行く中学校は、双木小からはごく少数しか行かない。

 しかも、僕の他はほとんどが女子であり、僕をイジメていた男子は一人もいない。


「もし、中学からは男子の制服を着れば、お前がイジメられることもないと思う。お前をイジメるような男子は、一人もそっちに行かないからな。ただ、もし女子の制服を着ていけば……。お前はそっちでもイジメられるかもしれない。学校が違う以上、俺が助けてくれるとは思わない方がいいしな」


「――そうだね。そう考えると、僕は本当に圭くんに助けられていたんだね」


「いや、それは全然いいんだよ!というか俺はお前の女装嫌いじゃないし……。むしろかわいいと思うし!イジメてるやつらも内心かわいいって思ってるに決まってる……!!」


「け、圭くん……。すごくはずかしい……」


 思いもよらない圭くんの言葉に、僕の顔は真っ赤になった。

 熱を帯びた顔を、思わず手で覆ってしまう。


「あ、悪い……。つまりだな?俺が言いたいのは、お前がイジメられないためにも、中学校に女装で通うのはまずいかもしれないっていうことだ」


「――うん、わかってる」


 女装をやめるか、やめないか。

 この選択をする日が来るなんて、考えもしなかった……わけがなかった。

 むしろ、ついにこの日が来たか、という感じである。いままで来なかったことが不思議なくらいだ。


 僕は、圭くんに甘えすぎた。


 圭くんはあの時から、いつも隣にいてくれた。

 いつも僕を庇うかのように、一緒にいてくれた。


 中学校が離れるという事実を知った今、僕の答えはもう決まっている。


 ――これ以上、圭くんの負担になってはいけない。


 そもそも、もっと早くにこの決断をすべきだったのだ。

 圭くんが守ってくれるから、圭くんが助けてくれるから。

 そんな甘えがあったからこそ、およそ三年もの間女装を続けられたのだと思う。

 

 僕は本当に、クズ野郎だ。


「……なぁ、菜月?やっぱ悩んでるのか?」 


 圭くんは、どこか不安そうな顔をしていた。

 僕が思っているよりも、沈黙の時間が長かったのだろう。圭くんは僕が答えを出しかねていると、そう思ったのかもしれない。

 

 ――圭くん、僕の答えはもう、決まってるよ。


「僕は……」


「菜月」


 僕が伝えようとした言葉は、圭くんの言葉に遮られた。


「な、なに……?」


「俺さっきさ、俺の助けが来るとは思わない方がいい、みたいなこと言ったよな。それ、もうお前を助けないっていう意味で言ったわけじゃないからな」


「――えっ……?」


「学校が違うから、いつもお前の隣にいることはできないけど……。もしお前がまたイジメられてたりしたら、絶対俺が助けるから。お前が我慢する必要なんてないんだよ」


「で、でも……」


「お前は何も悪くない、それはこの俺が保証する。だから……」


 圭くんは僕の正面に立ち、僕の瞳を見つめた。そして、



「お前がそうしたいって思う方にしろ。俺はどちらにしろ、そんなお前を全力で応援するから」



 満面の笑みを浮かべながら、そう言った。


「……」


 僕は耐え切れず、とっさにうつむいた。前髪で顔を隠すように。


「え、菜月?どうしたんだよ……大丈夫か?」


「……うん、大丈夫。ありがとう」


 必死に涙をこらえながら、そう口にした。

 ここで涙を流すわけにはいかない、僕はそう思った。

 ここで我慢せず涙を流してしまったら、また圭くんに甘えてしまいそうだったから。

 また圭くんに、縋ってしまいそうだったから。


 ――ほんとに圭くんって、なんでいつもこう……。


 僕の気持ちは、いつも圭くんにかき回されている気がする。

 なのに、いつもそれが嫌じゃなかった。

 むしろ、うれしかった。

 胸の中が、温かくなった。


 ――この気持ちは、何なんだろう。


 初めて感じるような、この気持ち。

 圭くんを見つめるだけで、胸が高鳴るような、ドキドキするような、この気持ち。


 この気持ちは……。


 ――憧れ、なのかな……。


 もしかしたら僕は、いつしか圭くんに憧れを抱いていたのかもしれない。

 いつも友達思いで男らしい圭くんに、憧れを抱いていたのかもしれない。


「圭くん……。僕、女装やめるよ」


 僕の決心は、揺るがなかった。


「僕、たぶんね。いつからか圭くんに憧れていたんだ。友達思いで、男らしくて、いつも優しい圭くんに。圭くんみたいに男らしくはなれないかもしれないけど……いつまでも圭くんに助けられてたら、だめだと思うから」


「――そっか」


「うん。いつかまた会った時は、ちゃんとした男の格好で、堂々と会いたいな」


 僕はそうつぶやいて、小さく笑った。


「じゃあ俺は、俺よりも男らしくなったお前の姿を楽しみにしてるな!」


「えぇ!?ちゃっかりハードル上げないでよ……」


 そんな自信なさげな僕を見て、圭くんも笑みを浮かべた。

 しかし、なぜだろう。

 圭くんはふと寂しげな顔をして、


「……すまん、菜月。俺一つだけ、お前に嘘ついてた」


 そう、口にした。


「え、どういうこと?」


「実はな……。俺らの学校の奴らが行く中学校の三つのうち、どれでもないんだ。俺が行くところ」


 予想もしなかった言葉に、僕は驚いた。



「俺、両親の都合でさ、今までばあちゃんの家に住んでたんだ。小学校の六年間、ずっと。ただ中学校上がるころには、まぁ簡単に言えば両親がこっちに帰って来るって知ってさ、前に住んでた家に戻れるってなって、どうしようか悩んでたんだ」



 圭くんは、自然と空を見上げている。



「俺の行く中学校って隣町にあるんだけど、前の家も隣町でさ。前の家に戻るって俺が決めたわけでもないのに、俺の親は、すでに隣町の中学校に申請出してた。ばあちゃんの家に住み続けるつもりだったのに。もし前の家に戻ったとしても、頑張ってこっちの中学校に通うつもりだったのに」



 夕暮れの空を見上げている圭くんは、今までに見たことのない、寂しげな表情だった。


 そんな圭くんを、僕はただ見つめていた。


 

「そんなときに、ここでお前に出会ったんだ。そのときから、少なくとも小学校にいる間は、お前を守ろうと思った。お前は何も悪くないのに、理不尽にイジメるやつらが腹立たしかったから。あんなにやられてもやり返さないお前が、すごいと思ったし、かっこいいと思ったから。だからこそ、俺が助けなきゃいけないって思った」



 違うよ、圭くん。僕はあえてやり返さなかったわけじゃないんだ。


 ――やり返す勇気が、なかっただけ……。


 罪悪感を感じながら、それでも僕は、何も言えなかった。



「ただ、もしお前が中学に上がっても女装を続けるって言ったら、俺は無理を言ってでも、せめてばあちゃんの家に住み続けようと思った。頑張れば隣町の中学校にも通えるだろうし、会おうと思えばいつでもお前に会えると思ったから。できる限り隣で、お前を助けられると思ったから」



 今の圭くんの言葉を聞いて、僕は心の底からこう思った。


 ――女装をやめるって言って、本当によかった。


 もし女装を続けていたら、圭くんは僕に嘘をつきながら、どれほど大変な思いをしてただろうか。

 負担をかけないどころか、より大きな負担を、圭くんに背負わせていただろう。


「――お前、変わったな」


「……え?」


「正直お前が女装やめるって聞いたときは、結構驚いたよ……。お前は気付いてないかもだけど、お前はあの頃よりも、十分男らしくなった。もう俺が助ける必要もなさそうだな」


 公園のベンチに座っていた圭くんは、おもむろに立ち上がった。


「俺、前の家に戻るよ。小さい頃ちょっといただけだから、隣町にあるとしかわからないけど。だから、お前とは次いつ会えるかわからない」


 正面を向いていた圭くんは、僕の方に向きなおした。そして、


「だけど、絶対また会えるって信じてるから!また会う日まで、元気にしてるんだぞ、菜月!」


 そう言って、最初に出会ったあの日のように、僕に手を差し出した。

 

「……うん。……うん!」


 僕は涙をぽろぽろと流しながら、圭くんの手を握りしめた。

 

「うぐっ、圭くん……。ねぇ、圭くん……?」


 僕は溢れ出てくる涙をなんとか抑えようと頑張りながら、振り絞るかのようにそう呼びかける。


「ん、なんだ?聞いてるぞ?」


 そして最後に、目いっぱいの心を込めて、こう口にした。


「いままで一緒にいてくれて……本当にありがとう……!!」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 あの日から、圭くんとは合わなくなった。高校で再開することになるまでは。

 

 そして、今になって気づいた。



 あの頃の僕は、圭くんに対する気持ちを勘違いしていたことに。

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