第六話 僕は、お兄ちゃんなんだから

 朋の背後から、元気な女の子の声がした。


 朋は少し驚き、咄嗟に振り向く。

 すると、一人の女の子が、雫の方に視線を向けながらこっちに近づいてきていた。

 その子は小学生くらいの背丈で、雫の髪の色よりも少し濃い銀色の髪だ。

 

「あ、心葉ことは。今ちょうどお買い物が終わったところなの。一緒に帰ろうね。」


 雫は少し穏やかな表情をしながら、近づいてきた女の子に向ってそう口にした。おそらく、雫の妹なのだろう。

 おっとりとした口調ながらも、朋と話しているときよりも普通に話せている気がするのは、気を許している相手かどうかの違いなのだろうか。


「おねえちゃん、この人は誰?」


「この人は、クラスメイトの古河朋さん。偶然スーパーの中で会ったの」


「へぇ~……」


 心葉はまじまじと観察するように、朋を見つめてきた。


「あ、クラスメイトの古河朋です。よろしくね」


 自分が自己紹介しないのも悪いと思い、朋は心葉に向ってそう言った。


「妹の沢渡心葉です。姉がいつもお世話になってます」


 対する心葉は、朋に向ってそう自己紹介した後、軽く頭を下げた。


 ――しっかりした妹さんだな……。


「しっかりした妹さんだな……」


 朋はぽつりとそう口にした。

 心の中で思ったことがふっと口から出ていたことに、朋はその直後になって気がついた。


「そ、そんなことないですよ!朋さんは大げさですね……」


 心葉は少し恥ずかしがりながら、そう呟いた。

 無意識にしてしまったことだが、心葉がうれしそうなところを見て、朋は少し安心した。

 朋はこの流れに乗るかのように、


「そんなことないよ。まだ小さいのに、こんなに礼儀正しくてしっかりした子、なかなかいないと思うよ」


 心葉に対して、少し微笑みながらそう言った。

 朋はもちろん、心葉を誉めるように言ったつもりだった。


 しかし、

 

「――あなた、私をバカにしてるんですか……?」


 心葉は下を向いて、体をプルプルと少し震わせている。

 

 ――あれ……?何か、様子がおかしいような……。


 心葉の予想外の反応に、朋は戸惑っていた。

 チラッと雫の方に視線を向けてみると、雫は少しオロオロとしながら、心葉を見ていた。

 そのとき、



「私の着ている制服をよく見てください!どう見たってあなたと同じ学校の制服でしょ!!あなたの目は節穴なんですか!?私はあなたと同じ高校の一年生ですよ……!!なのになんですか!私に向かって"まだ小さいのに"って!確かにあなたの方が年上ですが、それでも一つしか変わらないんですよ!?バカにするのも大概にしてください!!!」

 

 

 堰を切ったように、心葉は朋に向ってそう責め立てた。

 彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。

 よく見てみると、確かに心葉は、朋や雫と同じ春ノ坂高校の制服を着ていた。

 見た目が高校生にしてはあまりに小柄だったため、朋は小学生か中学生だろうと思い込んでいたのだ。


「ご、ごめん心葉ちゃん!本当に悪気はなかったんだよ!ほんっとうにごめん……!!」


 朋は必死に頭を下げながら謝るが、心葉は機嫌を直す気配はなく、いまだに少し涙目になりながらムスッとしている。

 おそらく、心葉は自分のこの小柄さを人一倍気にしているのだろう。

 見た目で子ども扱いされることも、しばしばあるのかもしれない。

 そうであれば、朋の発言に心葉が怒るのも、無理のない話である。


「古河さん。すみませんが、私たちはここで失礼します。夕飯の支度もありますし、何よりこのままでも心葉は機嫌を直さないと思うので……。心葉は私がなだめておきますので、気にしないでください」


「あ、すみません、沢渡さん……」


「では、また明日、学校で」


 雫はそう言って、心葉とともに家へ帰っていった。

 雫から別れのあいさつだけでなく、"また明日"という言葉ももらえたことは、とてもうれしいことであるはずだった。

 しかし、今は素直に喜ぶ余裕もない。


 朋はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「あ、兄ちゃんおかえり~。今日は少し遅かったね。もう夕飯できてるよ~」


「トモおにいちゃんおかえり~!」


 家に帰ると、弟の祐と、妹の涼が出迎えてくれた。

 夕飯と朝飯はいつも祐が作ってくれているのだが、すでに夕飯を作り終えて、涼と二人で食べ始めていたらしい。

 なぜ、兄のように呼ばれているのか。

 それは家族である二人も、もちろん朋が女扱いされることを嫌うのはわかっているため、あえて朋のことを兄として接してくれているのだ。


「あぁ、ごめん。ちょっといろいろあって遅くなった」


「……なんか少し元気なさそうだけど、大丈夫?」


 祐は朋の様子に気づいたらしく、心配するようにそう聞いてきた。


「あ、いや、たいしたことないよ。お前が気にすることじゃないって」


「……なんか知らないけど、あまり無理はしないでよね?兄ちゃんが元気なかったら、そりゃ俺も涼も気にするしさ」


「トモおにいちゃん、だいじょうぶ?」


 祐がそう口にした直後、涼も朋の様子に気づいてか、心配するようにこちらに近づいてきた。


「大丈夫だよ~、涼。心配してくれてありがとうな」


「ううん。だって涼、トモおにいちゃんの笑顔大好きだから!トモおにいちゃんにはいつも笑っていてほしいの!」


 そう言って涼は、かわいらしく笑顔を見せた。

 そのとなりで、祐も穏やかな表情をしながら朋を見ていた。


 ――そうだ、どんな事情であれ、僕は祐と涼にこんな表情を見せちゃいけない。僕が、この二人に心配をかけちゃいけないんだ。



 ――僕は、お兄ちゃんだから。



「お兄ちゃんはもう大丈夫!さぁさぁ、はやく夕飯食べちゃおうぜ!」


 朋は努めて明るくそう口にして、二人とともに食卓へと向かっていった。

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