7/29 円香の場合
晴れ/26℃
風営法に従えば、キャバクラの営業時間は深夜1時までだ。
だが守っていない店もある。特に稼ぎどきの週末は、客がいれば表の看板の灯りだけ消して営業している店は少なくないだろう。
円香が働いているキャバクラは割と悪質な方で、毎日朝まで営業しているし、パトロール隊の目を盗んで0時以降も客を引いている。
もちろん目を付けられており、たまに警察が来る。そういう時は店の鍵を閉めるだけでなく、エレベータードアの隙間にビニール傘を突っ込み、閉じないようにする。そうすると、警察はしばらく1階でエレベーター待ちをすることになるので、その間に裏口から客を返すか、更衣室で隠れてもらうのだ。常連客は慣れたものなので大人しく従う。意外と新規の客も面白がって付き合ってくれる。
基本的に円香の出勤は0時までだ。昼職があるので、ラストまでいることはほとんどない。金曜日か、今日のように指名客が管を巻いて帰らない場合のみだった。
(最悪。今日に限って警察が来るなんて)
非常口の踊り場で、指名客の他、数名の客とキャストが身を潜めている。
「外めっちゃ蒸し暑いんだけど。俺まだ帰れないの?」
先ほどまで、ラストまでいるからアフターして欲しいとしつこかった指名客が一転、帰りたくてイライラしている。それはそうだろう。
「キヨくんほんとごめんね、もうすぐお会計終わると思うから」
(予定通り2セットで帰ってくれれば、今頃円香は自宅でシャワーを浴び終わって寝られていたのに…)
明日も9:00には会社に行かなくてはいけない。
「お待たせしました、こちらクレジットカードと明細になります」
それから10分後やっと会計が終わり、客たちは音を立てないようにひっそりと階段を降りていった。日が昇り始めていた。
円香も急いで着替え、タクシーで自宅に戻ってシャワーを浴びた。確保できた睡眠時間は1.5時間だった。
一言で言ってしまえばあまり品のよくない店に、それでも在籍しているのは菅原がいるからだ。
体験入店の帰り際にキスされ、その週末、店休の日曜日に呼び出されて寝た。それから定期的に抱かれ、完全に「色恋管理」にハマってしまった。
最初は週2出勤の予定だったのが、週4に増えているのも、彼に会うためだ。出勤を増やして成績を上げれば、菅原は円香を特別扱いしてくれた。
「今月はマドカが初のナンバーワン取ったから、これから俺と焼肉行こうか」
まだ数人のキャストが送り待ちをしているところで、自分だけが誘われるのが嬉しかった。新宿にタクシーで移動して、ホストのアフター御用達である焼肉屋に連れていかれた。
別の日は締め作業が終わったらご飯を食べに行こうと言われ、ボーイたちがおしぼりを丸めるのを手伝ったこともある。赤坂の、朝まで営業している韓国料理店でソルロンタンを食べた。
半年経った今も、相変わらず円香はナンバー3に入っている。
だが、ここ1ヶ月間、菅原からの誘いがなかった。土曜の出勤日終わりに、ご飯に誘っても「じゃあルナとゆめちゃんと、あと健太誘ってラーメン行くか」と返される。
最近入店した、マコというキャストがいる。山形から上京して教育大学に通っているが、美人は生まれた時から美人なんだなと思わせる綺麗な顔立ちをしていた。山形の田舎に住んでいたから芸能界デビューしなかっただけで、東京に生まれていたら速攻でスカウトされていただろう。
残念ながらマコは東京に出てくるや否や、芸能界のスカウトより先に、キャバクラのスカウトに引っかかってしまった。
そして、マコが今の菅原のお気に入りだ。円香のときも周りからはそう見えていたのだろうか、と思うくらいあからさまだった。恐らくまだ手は出していない雰囲気だったが、菅原の悪癖が出るのもすぐだろう。
(ああ、馬鹿だなあ)
キャバクラで働くのは、円香にとっておまけみたいなものだった。
大阪本社の会社から転勤で越してきたこの街に友人はおらず、夜の時間を持て余す。大学の頃少しだけやっていたキャバクラのバイトをまた再開しようかなという軽い気持ちだった。だが、今円香は睡眠時間を削って、昼職に支障が出そうなレベルで“夜職”に従事している。
それもこれも、菅原の「色恋管理」のせいだった。円香は東京に来てから彼氏がいない。マッチングアプリはなんとなくやる気にならないし、合コンを開催してくれる友人もこっちにはいない。そろそろ恋愛がしたいというタイミングで、菅原に出会ってしまった。
(早く、ちゃんと彼氏作らないと)
正しい恋愛ができる男と出会わないいけない。ら夜の男なんて本気で好きになる予定はないのだから。
でも、恋人を作るためにはまず出会わなくてはならず、そのためにはキャバクラへの出勤を減らさなくてはならず、踏ん切りが付かないのだった。
ラストサマー・イン・トーキョー 街子 @tokyomidnightlovers
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