おりょうりやさんとおはなしやさん

@forestar

おりょうりやさんとおはなしやさん

 そこにいるのはふたりのおんなのこ。りょうこちゃんとはなこちゃん。

 ふたりは仲よくおはなししています。


 いち、に、さん、よん、と親指から順に指を折りながら、ふわふわの髪をした、片方の女の子は言いました。

「わたしは四さい、これでもうすっかりおねえちゃん。ねえはなこちゃん、わたしのなりたいものを知りたあい?」

 負けじといち、に、さん、よんと、指を折り、まっすぐの髪をした女の子が答えます。「わたしも四さい、と、もう半分、りょうこちゃんよりもおねえちゃんなの。りょうこちゃん、わたしがなりたいものも教えてあげる」

「はなこちゃん、わたし、おりょうりやさんになりたいの」

「りょうこちゃん、わたし、おはなしやさんになりたいの」

「それってなあに?」「それってなあに?」

 ふたりの声がぴったりと重なって、さあ、夢のはじまりです。


 ***


 大きな赤いランドセルに、まだ体つきが追いつかない、おんなのこふたりが歩いています。りょうこちゃんとはなこちゃんは変わらずに仲よく、学校へ続く小径をかよっていました。

 りょうこちゃんは、うきうき、おませにはなします。

「おいしいものを食べると人はハッピー。おいしそうなご飯がテーブルに並ぶと、目がわくわくして、口のなかがじゅわっとなる。香りがふんわり漂って、どんな味なのかって想像がどんどんふくらんでいく。お箸でひとくちぶん取り分けて、それを口に運んでいくとき、そしてそれがおいしかったとき、まだ出会ったことのない味だったとき、たくさんのハッピーがその人のなかにうまれるの。そんなドキドキをみんなほんとは内側に持っていて、それをお外に引き出したい。だからわたしはおりょうりやさんになりたいの」

 目をつむったまま、そんなシーンを思い浮かべるかのようにして歩くりょうこちゃんに、はなこちゃんは感心しながら、自分も言葉を引き継ぎました。

「人は冒険したがっているの。いっぱいの本が家にも学校にもお店にも、いろいろな場所の本棚にあるのはそういうことなの。みんなみんな、どこか知らない世界に入り込み、主人公や、主人公を見守る誰かになった気持ちで、強くなったり弱くなったり、うれしかったりかなしかったり、ドキドキハラハラしてみたくてたまらないの。

 だけどみんなきっと知らないの。その冒険のおはなしに負けない自分だけのおはなしが、目の前にすぐそこに、きのうにも今日にもあったってことを。だからわたしはそのおはなしを渡してあげるの。その人だけのおはなしを、その人にさえ見つけてもらえなかった寂しがっているおはなしを、持ち主に届けてあげたいの」


 ***


 十歳で、りょうこちゃんは初めての失恋をしました。

 はなこちゃんがいろいろなおはなしで知識を得た「失恋」と、目の前でりょうこちゃんが泣きじゃくっているそれとはまるで違うもののようだと、本当のところ、はなこちゃんは思っていたのですが、それでもはなこちゃんはたいせつな友達にしっかり寄り添っていました。

 りょうこちゃんは言いました。

「かなしいときでもおなかは空くの。胸がいっぱいで喉が詰まったような気分でも、ちゃんとおなかは空いてくるの。だからおりょうりをつくって食べなくちゃいけないの。かなしいときは、今の自分の心から離れて、自分のからだにやさしくすることがだいじなの」

 はなこちゃんは答えます。

「どんなおりょうりも食べたくないとき、何を食べたらいいかわからないときってあるでしょう。そんなとき、たとえばおはなしに出ていたごちそうを思い出すの。絵本やおとぎ話にあったような、リスが焼いたクルミのパイ、おばあさんがつくってくれたミルク粥、お姫さまが食べた黄金色の蜜のかかったバターケーキ、切り株のおうちに住む小人の、塩漬け肉と木の実のシチュー。見たこともない、でもあるかもしれないごちそうを頭のなかで想像して、そうするとどう? 食べたいものがわかってこない? それを食べて、さあ、早く元気になるの」


 ***


 ふたりは十三歳になりました。十三歳といえば、もうすっかりおとなです。ぐずぐずしている暇はありません。


「わたしのお店には、いろいろな気分のお客さんが来るの。食べたいお料理は気分から選んでもらうの。気まぐれなひと、大歓迎よ。

 たとえばテストがうまくいかなかったとか、恋人とケンカしちゃったとか、そんなくさくさした気分のときには、ほっとあったかいポットパイを出すわ。パイで覆われたぶあついマグカップの中には、たくさんの野菜が溶けるまで煮込まれたミルクシチュー。底にはごろっと大きな塩漬けのお肉のカタマリが沈んでる。きつね色に焼けた何層ものパイをスプーンで崩して、宝ものを掘り出すみたいにざくざく食べるのは、誰だって楽しいはず。

 ローズマリーのほろ苦い香りをつけて、少しだけすっきりと、気持ちを落ち着けてもらうの。パイには少しだけ岩塩を振っておくから、たまにがりっとした強い塩味のアクセントを感じるのも、気分転換になると思うの。

 だけど誰もがほっとしたいわけじゃない、じっくりその重たい心を今は抱えていたい人もいて、そういう人には、お酒のぎゅっとしみ込んだ、苦いくらいのチョコレートケーキを出すわ」


「わたしのお店には、主役になりたい人たちが来るの。わたしは主役になるための、そうね、鍵というか││きっかけをあげるの。

 たとえば、あそこのダークスーツの男の人、あの人のお尻のポケットから落ちそうにはみ出ている青いハンカチ。そのハンカチのお話をわたしは見つけて、彼にあげるの。あんなにはみ出していてはもうすぐ落としてしまうし、あんなに急いでいては落としたことにも気づかないわ。

 あの人は駅のホームに向かっている。そして定刻通りの電車に乗る。空いている座席を探して車内を移動し、そうしているうちにハンカチは落ちる。気づいた人も気づかない人もいるのだけど、あの人はどんどんと行ってしまうし、ハンカチは残されたまま。そうやってものを失くしたこと、誰だってあるでしょう。だから、失くしものをしたことのある人は、誰だっておはなしの鍵を持っていることになるわ。

 電車はゴトゴトと進んでいって、乗客もまばらになったころ、どこかの駅でドアが開き、吹き込んだ風にハンカチは舞い飛ぶ。まるで生きているもののように、向かい合った座席のあいだを飛んでいく。うつむいて眠る人、携帯電話を見る人、本を読む人、その人らが目もくれないあいだに、向かい合う席のこちらとあちらに境界線を引くかのように、ひゅんひゅんと飛んでいく。残されたのは、こちらの人と、あちらの人。

 誰も知らないけど、あの男の人のあの薄いブルーのハンカチは、誰かと誰かのあいだにしっかりと境界線を引くことになるの。それがどう作用するかは、別のおはなしで、けれどまぎれもなくあの人は、意図せずそのおはなしの発端になるの」


 ***


 十五歳、さあ、いよいよ待ったなしです。

 りょうこちゃんは色白でふくよかな少女に成長しました。その手から差し出されるおりょうりは、どれもきらめき、光る湯気をたたえて見えるほど。

「わたしのお店はガラス張りでできているの。絶対に曇らない、冬の空みたいに澄み切って透明のガラス。真鍮のサッシと真鍮の傘の電球が吊り下がる。。おりょうりは木綿のクロスを敷いたテーブルに出すわ。湯気や香りが蜃気楼みたいに揺らめいて、お店の中においしさがたちこめるの」


 はなこちゃんは鋭いまなざしの少女です。じっと見据えられると少しどぎまぎしてしまうような緊張感があり、けれどそれが周囲の人々に対して、はなこちゃんが意図する効果でもありました。

「わたしのお店は鏡張りでできているの。そしていびつに歪んだ、多角形のかたちをしているの。

 お店に足を踏み入れたなら、あっちにもこっちにも映し出される自分がいっぱい。でもホンモノはあなたひとり。ひとりだけの主役のあなた。わたしはカウンターで注文を受けるの。カウンターにもたれる時は気をつけて。もう読まれすぎて読まれることを忘れられた、古い古い擦り切れた表紙の本たちが、積み重なってできているから」


 ***


 心細くて消えてしまいそうなときのレシピ。幸福すぎて不安なときのレシピ。満ち足りているとうなずきたいときのレシピ。わけもなく怯えるときのレシピ。感謝を深く味わいたいときのレシピ。恵まれていると思うのに、もっともっとと足りないときの空腹のレシピ。

 日常に落ちているふしぎの物語。一つの表情しか持たなくなってしまった少女の物語。鏡に怯える物語。タマゴの殻の外周をいつまでも歩き続ける物語。今日会うあなたは今日で最後の物語。誰がツリーの星を失くしたのか、問うて争う物語。

 二十一歳、二人のメニューは増えていきます。


 ***


「ねえ、りょうこちゃん。まだおりょうりやさんをやりたいの?」

「そうだよ、はなこちゃん。あなたはもうあきらめちゃったの? 

 あなたのなかにおはなしはもうないの?」


 ***


 いち、に、さん、よん、ご、ろく、なな、はち、右の親指から折り始め、左の小指から親指まで。

「わたしの手だけじゃ足りないわ。りょうこちゃん、あなたの手も貸して」

「それだって足りない。何往復したって足りないのに。わたしたちずいぶんずいぶん引き伸ばしてしまった。もうそろそろ。そろそろじゃない?」

 そうね、うなずいてふたりは顔を見合わせました。お互いの顔に見えるものは、あのころとはずいぶん変わったけれど。

 りょうこちゃんの、おりょうりやさん。

 はなこちゃんの、おはなしやさん。

 そこここにいる誰かに贈る、ふたりの小さな女の子たちが考えたお店。

「わたしも変わった。あなたも変わった」

「ええ、仕方ないわ。けれど、できるでしょう、わたしたち」

「もうあの人たちもいなくなった。さて、お店を開けましょう」

「ようこそ、みなさま。本日開店」

「ようこそ、そこの、ようこそ、あなた」

「ようこそ、さあぜひ、いらっしゃいませ」




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