きらわれもののこびと
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きらわれもののこびと
もくもくと木の繁る、ある小さな山の頂、そこに一軒の小屋があり、きらわれもののこびとが住んでいました。こびとはいつも日が昇ってからちょうど一時間ほど後に起き、そこからいつもと変わらぬ一日をスタートさせるのです。
じりりりり、とこびとの目覚まし時計がけたたましく渓谷に鳴り響きます。じりりりり、じりりりり。そうすると山の住民は、あいつが来るぞ、とみな身構えるのです。
おはよう、とこびとのところにヤマネコがやってきました。のっそり歩み寄る気配はまるで自分を狙う猛獣のようで、こびとは毎朝おののくのですが、そんなことはつゆしらず、ヤマネコは親しげに頭をこすりつけ、言うのです。
「さあ、こびとくん。今日も行くよ」
山の片側を少し進むと切り立った崖となっていて、その下をきらめき踊りながら渓流が流れています。こびとは前に一度きり見たことのある、きらきら宝石のようにまたたく流れと、耳に心地よいせせらぎが大好きでしたが、こびとの専門は水仕事ではありません。
「さあ行こう」言ってこびとは一度小屋に戻り、お弁当を用意しました。水筒にはちょっぴりウィスキーを入れた出がらしの紅茶、かちかちの石窯パンではさんだハムのサンドイッチ、友達のヤマネコにはカエルの干物を二つ、麻袋に入れ、腰に巻きつけます。
さて、こびとはその昔、山のてっぺんからふもとに向かって掘られた坑道の、その中腹に住んでいました。その坑道はいつからあるのか、こびとが物心ついたころには、トンカントンカン、つねにいろいろな生きものたち││大人も子どもも、動物たちもが、坑道を掘っては土を運び、進んでは戻り、昼夜問わずに楽器のように山全体を打ち鳴らしていました。ガラガラ音を立ててトロッコがレールを下っていき、積荷を載せてはえっちらおっちら担ぎ上げられ、そうした光景をが繰り返されているのが、幼いこびとの世界のすべてでした。
やがてその坑道は廃れ、生きものは去り、音は少しずつ消えていきました。いつしかこびとはひとり取り残された者となって、それでもしばらくは一人で採掘を続けていました。そこからさらに長い年月が経って、こびとはただ一つ自分に残されたトロッコとともに地上へと登り、そこに小屋を建てたのでした。
こびとはおんぼろのトロッコにつるはしやスコップを積んでくくりつけ、身軽にひょいと乗りこんで、さあ行くよ、と声をかけます。ヤマネコが横に飛び乗って、しっぽをこびとの片足に巻きつけます。こびとはトロッコをレールの前方に押し出し、自作のブレーキとハンドルを握りしめました。
ごごごう、ごごごごう。
ひとたび坑道の中に入ると、トロッコは荒れ狂った嵐のように進みます。長い年月の間に坑道の屋根はところどころ崩れ落ち、太陽や木々の葉がのぞいています。そうした景色を愛でるまもなく、がつんがつんと石や砂利を跳ね飛ばしながら、トロッコは不器用にがくがくと走り、途中途中でこびとは横にひょいと手を伸ばし、山菜やキノコを摘んだり、細工にちょうどいい、朽ちた木や岩のかけらを拾い集めていくのでした。
ところが、こびとの目は何も映していませんでした。こびとは目が見えなかったのです。長い長い地下生活の後、地上に出て初めて太陽に見まえ、陽光をうけて燦然ときらめく小川を目にした瞬間、光の炸裂にまっしろに覆い尽くされた視界はそのまま色を失って、二度と何かを映すことはありませんでした。
「こびとくん、次は右、右手の先に光る石がある」
「こびとくん、まっすぐまっすぐ、左の地べたに新しい芽が生えている」
このトンネルの構造をこびとは知り尽くしていましたし、それ以外はヤマネコが案内をしてくれました。言うことを聞かないハンドルを懸命に操作しながら、こびとはヤマネコの言葉を頼りにトロッコを走らせます。
山の坑道の途中には何組かの住民が住んでいて、見えない目でそちらを見ては、やあ、とこびとは声をかけます。野うさぎの夫婦、アナグマの娘、トカゲのきょうだいたち、頭上にさえずるムクドリの親子。
「ほら、あそこに野うさぎがいるよ。どうやら子どもが生まれたみたい」ヤマネコがうっとりとささやきます。「だいじょうぶ、わたしは襲ったりしないよ。ネズミのほうが好みだもの」
こびとはトロッコを走らせながら、長いこと坑道を探索している目的に思いを馳せました。
それはきっとあるはずなのです。昔々、誰もが競って手に入れたがっていた、きらきら光る、あの渓流のみなもの輝きにも負けない、美しい鉱石。まだこびとがちいさかったころ、採掘で崩れた岩石のその奥に、ちらりとひかる虹色のきらめきを確かに見たのです。
あれを手に入れられれば、とこびとはハンドルを切りながら考えました。不器用なハンドルは扱いに一苦労、あちこちにからだをゆさぶられます。けれどあの鉱石のことを思えば、それがなんだというのでしょう。
あいつが来るぞ、あいつが来るぞ。
ごうごう鳴り渡るトロッコの音に、動物たちがざわめいています。
「ねえ、ヤマネコくん。ぼくの代わりに見てほしいんだ。アナグマのお嬢さんは元気にしている? 彼女のお母さんは、そりゃあすてきな爪の持ち主で、ぴかぴか黒光りするその手のつややかさに、誰もがうっとりしたもんだよ」
「そうだね、こびとくん。あの人の手はきっと美しいだろうよ。でも今は顔を怪我しているからね。目が片方つぶれてしまって、ちょっと不機嫌そうだったよ」
「怪我だって? 何があったというんだろう。早くお見舞いに行かなければ」
「いいや、こびとくん、あのお嬢さんはきみを睨んでいたよ。二週間前きみのトロッコが跳ね上げた小石が、彼女を直撃したんだもの」
こびとは心底仰天しました。「ヤマネコくん、なぜその時に教えてくれなかった。すぐに謝りに行ったのに」
ヤマネコもびっくりしました。「こびとくん、わたしはきみに道案内だけでなく、起こる何ごとも伝えたほうがいいのかい? 無用な心配をかけまいと思ったのだけど」
もちろんだよ、と言ってこびとは、二度と見えることもない、アナグマのお嬢さんの顔を思い浮かべました。そしてお母さんの代には叶えられなかった、美しい爪に、これから見つけるであろう鉱石の指輪をはめることを思い描きました。
ああでも、なんてことだろう。もう彼女はそんな贈りものを受け取ってはくれないに違いない。
ガタガタとトロッコを走らせつつ、こびとはヤマネコに言いました。
「ヤマネコくん、どうか、ぼくの目になって、見えるものを教えてほしいんだ。それではどうだろう。トカゲのきょうだいたちはまだ巣穴にいるだろうか。あそこの一族はまるで彫刻のような巣穴を作るんだ。彼らはみんな光り輝く銀色の背に、青や緑や紫の入り混じった幾本もの美しいすじを持っていて、僕たちの探している宝石がとても似合うと思うんだ」
「こびとくん、だけど彼らの家は、一週間前にきみのトロッコが巻き上げた土砂で、すっかり埋まってしまったよ。みんなどこかにいるだろうけど、今は見つからないみたいだ」
そんな、とこびとは巣穴のあった場所を振り向きましたが、視界は真っ白で、そこには思い出しかちらつきません。こびとはハンドルを握る手に力を込めてうつむきました。ヤマネコは心配そうにこびとを覗きます。
「ねえ、こびとくん。きみが望むならわたしはきみの目になるけれど、でもかなしませたいわけじゃないんだ。それでもきみはききたいの?」
「ああヤマネコくん、ぼくは知りたい」
ガタンガタンとトロッコが揺れて、車輪が小石をはぜる音が聞こえました。びくっとしてこびとは身をすくませ、だいじょうぶだよ、とヤマネコは言いました。
「だいじょうぶ、今日はあそこに野うさぎの奥さんはいない。おとといはあんなところで、せっせと木の実集めをしていたからね。危うく轢いてしまうところだったけれど、だいじないよ。ほらさっき、かわいらしい仔が産まれていたもの。片脚くらい使えなくたって、どうってことないさ」
トロッコはいよいよ地下へ潜り、右に左に体を揺らしながら、こびととヤマネコは一心に秘められた鉱石を目指して進んで行きました。もう何度目の探索でしょう。
こびとの心はいつものように、期待にふくらんではいませんでした。山の仲間たちに、知らず為していたことごとにおののき、苦しみに押しつぶされそうになっていました。自分が目にすることの叶わない美しい鉱石だからこそ、美しいみんなに贈りたかったのです。
アナグマの黒曜石のような美しい爪に、鉱石はどんな色をして映えることでしょう。
まるで自分たちの分身のような、やわらかな虹色に光る鉱石に、トカゲたちはどんなに喜んでくれるでしょう。姿見のようにそこに己が身を映したなら、まるで王族のように豪奢に見えたことでしょう。
野うさぎの、まんまるで濡れた美しくやさしい眼差し、そのきらめきは、磨き上げた鉱石を贈るのにぴったりではありませんか。鉱石を映し出し、彼らの目はどんなふうに輝くのでしょう。こびとは悲しい気持ちになってうなだれました。
坑道を下の下まで下りきり、岸壁を隔ててさわさわと水の音が聞こえます。ふたりはトロッコを降りました。
地下のトンネルは十五に分岐していて、一つの方向を探索するのにゆうに十日、今日は十一個目の方向でした。けれどもこびとは言いました。
「ねえ、ヤマネコくん。ぼくはここに来るのを、もうやめにしようと思うんだ」
どうして、とヤマネコは聞きませんでした。こびとの目はヤマネコを見下ろしつつも、彼の姿をとらえてはおらず、しかしその目のなかにヤマネコは深いかなしみを見つけていました。
ヤマネコは考えました。こびとのために、自分ができることはあったのかと。けれども彼はネコなので、その習性のままに憂慮する思いはすぐにたち消え、了解のしるしにさっぱりとうなずきました。
もしも、とこびとが言いました。
「もしも今日、ぼくたちが鉱石を見つけたら、見つけることができたなら、それをムクドリにあげるんだ。他のみんなはもう受け取ってくれないだろうから。
太陽みたいに明るくて、星みたいにきらめいて、虹の色をしたあの宝物は、きっと彼らにふさわしいはず。なんてったって、虹のかかる空にいちばん近いところまで行けるのは、翼を持った彼らなんだもの。
だからヤマネコくん、どうか今日まで、ぼくを手伝ってくれないだろうか」
「もちろんだよ」首をかしげ、舌なめずりをしてヤマネコは言いました。
「わたしたちは友達じゃないか。
わたしはきみのためならば、どんなことでもしてあげたいのだから」
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