第8話
点滴の液が切れかけているのだろう。ベッド脇の点滴台から大きなアラームが鳴っている。
真っ暗な病室でユキは、看護師を呼ぶかどうか迷っていた。
このままアラームを解除して点滴を入れなかったら、どうなるのだろう。目を開ける必要もないほど暗い病室の中で、ユキはふと思う。
アラーム解除をする看護師の姿は、見慣れた光景になっていた。解除の手順など、横で見てとうに覚えている。
(今のボクに必要な情報は、これ以上の薬が必要かどうかってことだよね)
入院して一ヶ月。
今までの入院とは違い、今回の入院は体調が良くならず、病院のスタッフと家族しか会えない日々が続いている。そんなユキを気遣ってか、スタッフも家族も、病室に入ると張り付けたような笑顔をして、妙にテンション高く語りかけてくる。ユキもそれに応え、努めて明るく対応する毎日だ。
この部屋では、誰もが朽ちかけたお面をつけているようなものだ。お互い相手には気づかれているのは薄々感じている一方で、本質には触れないのが暗黙のルールとなっている。
朝が来て三回の食事をとり夜に眠るだけの生活は、飽きても退屈でも何処にも行けないし、(どうにかして)何も起こらない(ようにされている)。
残された貴重な時間が、毎日の『努めて無害な』やり取りで腐っていくようだ。
だからといって、ユキはまだ「僕はもう知っている!」と叫ぶことはできなかった。彼らの表情が凍りつくのを想像するだけで、一縷の希望すら潰えてしまうのが怖いのだ。
暗い病室で、バイブ音がしてチカチカと携帯端末が光った。
(何の通知だろ)
画面を開くと、ダイレクトメールの通知が来ていた。送り主は、”寂しいの人”
だ。
『ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。時間のあるときに返信してほしい』
『良いよ。それじゃ、夜が明けたら』
そう打って、ユキはふと気がついた。送り主が自分と同じ日付変更線の近くで住んでいる保証などないことに。
そして、付け足すことにした。
『アメリカの東部時間で朝の8時になったら連絡して』
顔も知らない相手だけれど、家族以外の誰かが自分を知っていて、自分を必要としていることに、ユキは心から安堵した。
そしてナースコールを押すと、重くなった瞼をそっと閉じた。
「ユキくん、起きて。朝ごはんの時間よ」
看護師の声掛けで、ユキははっと目を覚ました。
「昨日は良く眠れたみたいね。夜中にナースコール押してくれたから、点滴の解除に来たけど、そのときももう眠ってたみたいだし」
「すみません、起こしてもらったみたいで……」
寝坊など、この入院初の失態だった。しょんぼりとするユキの肩を、看護師がポンポンと叩く。
「違うの、良いのよ。ユキくん、夜の巡回のときだっていつもよく眠れてないみたいだったから、ちょっと心配してたの。今日はよく眠れたみたいでむしろ嬉しいのよ?いつもに比べたら顔色もいいわ」
看護師はニコニコしながらユキの検温と血圧を手際よく計測すると、足取り軽く退室していった。
確かに看護師の言うようによく眠れたせいか、今日のユキは体の怠さも少なく、頭もわりあいスッキリしている。
ユキは、朝食をさっと平らげると、赤い通知でチカチカしている端末を開いた。
『返信ありがとう。アカウント名のユキ、と呼んで良いかな?』
”寂しいの人”からメッセージが来ている。
『おはよう』
ユキは少し迷ったあと、この期に及んで迷っている自分がおかしくなり、ふと笑った。
『ユキでいいよ。本名なんだ。僕は君をなんて呼べばいいかな?』
メッセージを送ると、程なくして返信があった。
『呼び名についてはあまり考えていなかったな。このSNSで使っているアカウント名は本名とはいえ研究所がつけたものだから、記号がメインで発音しにくいだろうし……』
(本名で記号??)
メッセージを受けてユキは少し混乱した。相手はちょっと”訳あり”なのかもしれない。
『CAIと呼んでくれ。由来は今度教えるよ』
『OK。CAIだね。ところで、僕に手伝ってほしいことって?』
『僕のプロジェクトに参加してほしいんだ』
『君のプロジェクト?』
『カウンセリングできるAI を作るんだ』
彼が作った小さな楽園 まよりば @mayoliver
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