後編

 夕刻になれば行き先は決まっていた。

 ライは今夜の予定を思い浮かべながら、暮れゆく異国の空を眺めていた。


 物心つく前に両親を亡くし、無人の廃屋で野垂れ死ぬ運命を待つだけの自分を拾って育ててくれた人は賭博師だった。その後は様々な国を彼と巡り、処世訓と賭け事を覚えた。彼が死んで一人で生きていくようになっても、同じ生活を続けている。模索すれば他の生き方も見つかるかもしれないが、一所に留まらない今の流れ者の生活が自分には合っていた。

 だがふと、あの時両親と一緒に死んでいればよかったと思う時もある。幼かった自分には果たせなかったが、今ならそれを叶えることも可能だった。しかしその問いに向き合いもせず先延ばしにしたまま、惑うだけの日々を今も経過させている。


 空から下界に視線を移すと、驚愕の安値で手に入れた移動用のおんぼろ車の前に怜の姿がある。

 他の宿泊客らしき女性と話しているようだが、随分と楽しそうだ。しばらくすると女性の方は連れが来たのか、笑顔で手を振りながら去っていく。車で出かけた様子を見れば、自分達と行き先は同様なのかもしれなかった。

 ライは部屋を出て戸締まりをすると、怜の待つ車に歩み寄った。まだ上機嫌な笑顔がこちらに振り返るが、肩を竦めて運転席側の扉に手をかけると、背に不満そうな声が届いた。


「あれー、ライが運転?」

 振り向けばそのとおりの表情を見ることができるが、無論相手の意思を汲むつもりはライにはない。


「そうだ。お前の運転は危険すぎる」

「んなことないって、俺にさせてよ」

「どうやら分かっていないようだから忠告しておくが、お前は運転が超がつくほどド下手だ。一体どこで誰に習ったら、あんな運転ができるんだ? ついでに言うと英語も下手だ。俺はなぜさっきの女性やサリーにいつも言葉が伝わっているのか、甚だ疑問なくらいだ」

「えー、それはさぁ、俺は言葉じゃなくてハートで話してるからだよ」

「くだらないな」

「そりゃ、お前みたいにスマートにあちこちの言葉は流暢に話せないよ。俺、脳筋だし、ちゃんと教育を受けた訳でもないしー」

「俺が話せるのはただ単に必要に迫られただけだ」

「ええー、それを言ったら俺にだって必要に迫られれば話せる言葉はたくさんあるよ。ええっとー、ジュテーム、ティアーモ……エウチアーモ、イヒリーヘディヒ……んーっとそれとー……」


 ライは何も言わずに車に乗り込むと、エンジンをかけた。慌てて隣に乗り込む姿を横目で見遣って、カジノ方面に車を走らせる。

 ライが初めて怜と出会ったのは、約十一ヶ月前の雨の降る夜だった。

 ある町の盛り場で不可抗力の末に、数人の酔っぱらいに絡まれていたところを助けられた。一人で切り抜けられないこともなかったが、怜の方が使に長けていた。未だがやっていれば、無駄な流血は多分避けられなかった。


 あの日、彼に救われたのは確かに事実ではある。しかしあの日彼と出会ったことで、ある意味自らのこれからがさだめられたようにも思う。

 不本意でもあるようなそれに対して考えることは日々多いが、その全てが逃れられないさだめの一部であるようにもライは思う。


「……怜」

「なんだー? ライ」

「しかし……これは一体何の真似だ……」

 だが直面するこの現状は、それとは別軸の話だった。

 ライは自分の姿を見下ろして、隣の運転席の男を見る。

 途中、寄りたい所があると言い出した相手に従って、ある店に立ち寄ったが、その結果が現在の有様である。この際運転を取って代わられたことは、もうどうでもよかった。結局〝この扮装〟を許したのも自分ではあるが、やはりひと言言っておくべき場面であるのも確かだった。


「一体どうしてって、そんなの、ハロウィンだからだよ」

「それは分かってる。ってことだ」

「それならライ、逆に俺は訊きたいよ。お前は遊び心って言葉を知らないの?」

「……知ってる。だが今は全く無意味な言葉だ」

「まぁ、そうカリカリするなって。俺は充分楽しんでるよ。たとえ真似事だとしても違う姿になれる。でもだからって別の何かになりたいと思ってる訳じゃないけどな。だってそんなことしなくても俺、既に充分男前だし」


 言葉の最後の部分は、意図的に聞き流すことにした。ライはもう一度自分を見下ろして、如何ともし難い思いで眉根を顰める。

 両手の甲には濃い茶色の付け毛が貼りつき、血に見立てた赤インクで汚したぼろ服からも付け胸毛がわざとらしく覗いている。渡されたマスクは今は外しているが、ゴム製のそれは人と獣とが混じり合ったモンスター、全体的にどうにも粗雑な仕上がりだったが、被ればチープな狼男の出来上がりだった。


「それ、なかなか人気で用意するの大変だったんだからな。稀少だぞ」

「それでお前の方は吸血鬼ドラキュラか」

「そういうこと。なかなか似合ってるだろ? セクシーバイオレント紳士参上! って感じで。これで今夜もうら若き美女の血を……」

「小芝居はいい。前見て運転しろ」


 宵闇の道を走る車が向かうのは、毎夜の稼ぎ場としているカジノ近くのナイトクラブだった。モーテルやダイナーがある地域と違って観光客向けであるこの場所は、夜が更けても夜明けが近くなっても賑やかしい。

 大通りはいつも人が多いが、今夜は特に多い。ハロウィンの浮かれた扮装をした人達が、車道にまで溢れている。だからとそれにつき合う義務もないが、今から向かうクラブでは、今夜は扮装が条件の入場規制がかかっていた。このふざけた格好は仕方がないとも言えた。


 目的のクラブはピンからキリまで揃うカジノ通りの中心にあった。車を道の端に駐めると、やたらと大柄なドラキュラ伯爵は意気揚々とクラブへと入っていく。その背後で狼男姿のライは、肩を竦めて後を追うしかない。


 足を踏み入れたクラブ内はカオスだった。老若男女、今夜は皆異形の者になっている。古典的なモンスターに扮する者がやはり多いが、コミックの扮装をしている者も一定数いる。

 暗闇で蠢く異形達、極彩色の怪物達の饗宴。今夜のこの場を表現するに相応しい言葉はそれだった。

 怜の方は早速きょろきょろと店の中を見回し、一人の若いウエイターを見つけると、人垣をかき分けてその相手に声をかけた。

「おーい、ジェイ」

「あっ、怜、それと……ライ?」


 ジェイと呼ばれた青年は怪物達の合間で振り返ると、今夜に於いては至極珍しい人間の姿で近づいてくる。

 しかし傍に来ても表情には困惑が見え隠れし、その惑いの意味を察したライは相手に向けて軽く手を上げた。マスクの奥からくぐもった声で「ジェイ」と呼びかけてみると彼はようやく安心した表情で、いつもの人懐っこい笑みを見せた。


「今夜はいつも以上に混んでるな」

「うん。でも忙しいけど、いいことだよ。給料も今晩は何割増しかになるしね。僕にとっては本当にラッキーって感じかな? えっと、それじゃもう行かなきゃ。あっちで呼ばれてるみたい。怜にライ、今夜はどこを見てもモンスターだらけだけどゆっくりしてって」

 ジェイは手を振ってこの場を離れると、すぐに職務に戻って客の応対に追われている。まだ知り合って数回しか会っていないがそれだけで分かるほど、ジェイは真面目で勤勉な青年だった。


 忙しく働く彼の姿から目を離し、ライはバーカウンターで適当に飲み物を調達すると、フロアの隅に避難することにした。怜と違って賑やかしすぎる場所は得意ではない、むしろ苦手だった。息苦しいマスクを外し、ようやく一息ついて周囲を見回すと、嫌でも目立つ男の姿が目に入ってくる。

 黒マントに黒タキシードの男は、鳴り響く音楽に合っているのかいないのか、出鱈目に身体を動かしながら怪物達の中心で楽しそうにしている。だがその場所でいつまでもはしゃいでいればいいものの、しばらくすると自分以上に間抜けにも見える扮装をした男はこちらに歩み寄ってきた。


「なぁ、ライ。ジェイって、本当にいい子だよな」

「やめろ、その話は。関わらないと昨日言ったはずだ」

 開口一番の言葉にライは拒絶を示した。

 ここに来た理由もここへ来てジェイとわざわざ顔を合わせた理由も分かっていた。示唆されるそれには確固たる意思を顕してみるが、残念ながら向こうに受け取る気配は一向に見えなかった。


 昨晩窓際のソファで眠りに落ちる前、この男はその話を語った。暗闇で端的に語られたそれは、どこにでも転がっている話だった。

 ある青年の父親はろくでなしだった。妻に逃げられ、残された幼い息子と娘の面倒も見ずに博打に明け暮れ、酒と借金に溺れて死んだ。一方息子は健気に成長し、歳の離れた妹を育てるために懸命に働いて、今も働いている。でも今も生活はあまり楽にならない。それは父の残した借金があるせいだった。


「そんな境遇はどこにでもある。それにいちいち関わってたら……」

「だが本当はその借金が既に完済されているとしたら? それを知らない青年は延々存在もしない借金を返し続けている。ある男に未だに借金が残っていると思い込まされてな。その上、十三才になったばかりの彼の妹がに狙われているとしたら?」


 明滅するライトのせいで隣の表情は見えなかった。

 暗がりから届くそのうんざりするような逸話をライは再度巡らすが、そこにある確実な思いとは別の思いもある。


 だから一体なんだというのだろう? そんな話は自分には全く関係のないことだ。自分はこの男のように自らの力を使うことにためらいのない人間ではない。直視することすら未だできないでいる矮小な人間だ。しかし……何も関係ないと自らの心にもそう言い切ってしまえば、今夜の扮装のように心まで怪物にもなり得る……。


 ライは無言で隣にいる男を見る。

 返す言葉は浮かばなかったが、表情を読み取った相手が深い笑みを見せる。これで後戻りも踏み留まることもできなくなったと過ぎるが、最後のその惑いもすぐに霧散していった。


「……それで、そいつはどこにいるんだ?」

「俺達は至極運がいい。ほら、ちょうどあそこにいる」

 隣の指先が待ち構えていたように、数人の女性に囲まれてにやける一人の男を示す。

「なぁ、あいつは俺達にお菓子をくれるかな?」

 続けて届いた言葉に、ライは僅かだけ口元を歪めて見せた。



******



 トレイ・ゴードンは程よく酔っぱらって、クラブの裏路地をふらついていた。一旦の酔い覚ましと一服するために外に出てきたが、もう戻ってもいい頃だ。


 今夜の資金はまだある。この店の間抜けなウエイターから、いつものようにせしめた金だ。

 他人が汗水垂らして稼いだ金で遊ぶのは格別だ。しかし自分は悪人ではない。苦労して生きてきたくせに、未だに馬鹿正直で人を疑うことを知らない向こうの方が間抜けなだけだ。

 搾取する者とされる者。この世にはその二種類の人間しかいない。こっちはその理に従っているだけで、自分は当然搾取する側だ。それに現状に甘んじることなく策を巡らせて、より多くの収入を得るドリョクをすることは、資本主義のゲンソクでもあると昨日のテレビでも(多分)そう言っていた。


 暗い路地を千鳥足で歩いて、トレイは店に戻ろうと裏口扉に手をかけた。

 しかしその時、自分に歩み寄る影があることに気づく。

 路地の向こう、薄暗い照明の下では分かりにくいが、身体の輪郭が不自然な大男がいる。

 何かに扮装したクラブの客か? そう思うが、どこか不気味なものも感じる。

 影は足音もなく迫り寄り、その距離が徐々に狭まると、それがあるかをトレイは知る。


 あれは人間ではない。

 人とは思えぬ太い腕、太い首、それら全てが鈍色の硬い体毛で覆われている。

 ほどけた長い髪が揺れ、闇で赤く目が光る。

 仄暗い街灯の下、ようやく見えたその相貌は、人のものではなかった。

 ハロウィンのふざけた扮装を見ているのではない。

 目の前には人と獣とが混じり合った怪物がいる。

 そのあまりにもの恐怖に叫び声を上げそうになるが、それを為す前に〝それ〟に喉元を掴み取られていた。


『わるいこはいねがぁ』

 大きな手が喉元をぎりぎりと締め上げ、耳には奇妙な響きの言葉が届く。それはどうやら母国語英語ではないらしいが、それ以上のことを考える余裕もなかった。続けて奇妙な音が響くが、それが相手の笑い声だと気づけば、滞りない恐怖は増していくだけだった。


『ふざけてる場合か、怜』

 再び耳慣れない言葉が届く。でもそれを発する相手の姿はどこにも見えない。


「分かってるって、ライ」

 返事をするように、目の前の怪物は英語を発するが、酷く下手くそだ。同じ言語を解すと分かれば多少安堵も生まれるはずだが、それがこの怪物相手ではびた一文得られる訳もなく、そこにある異様さがより増しただけだった。


「……お、お前……は……」

 トレイは遠くなる意識を引き戻しながら必死に思考を巡らせた。

 こいつらは一体、なんなんだ……?

 ……人間じゃない? いや、そんなことなどあるか? 俺……もしかして呑みすぎたのか? きっとこんなもの……全部まぼろし……。


 奪われる身体の自由と呼吸、不意に襲いかかった理不尽で異様な展開。トレイは全てを幻覚とすることでどうにか自我を保とうとしたが、そうすることも許されなかった。


「トレイ・ゴードン、俺はずっとお前を見てる」


 地の底を這うような声が届いた。

 それを辿り、眼玉を動かして辺りを見回すが、やはり今度も相手の姿を捉えることはできなかった。


「トレイ・ゴードン、俺はお前をずっと見てる。この状況から抜け出そうと神に祈ることはするな。俺は元よりその御許にはいない。ジェイ・ライト、その妹のリリー・ライト、お前は彼らに二度と関わるな。俺はお前をずっと見てる。闇の影からずっとお前を見てる。もしお前が再び彼らに関わろうとすれば、俺はいつでもここに戻ってくる」


 路地に響き渡る何者かの声に、トレイは何度も頷いた。今はそうするしか術はない。突然現れた不気味な存在が何者かは分からない。今は従うしかなかったが、この相手がこれからもずっと自分を見ていることなどあり得なかった。

 今さえやり過ごせば度どうにかなる。この相手だってまさか命を奪うリスクまで犯しはしないだろう。トレイは自分にそう思い込ませるしかなかった。


「わ、分かりました、行いは改めます。だ、だから許してください……今夜起きたことはもちろん誰にも言いませんし、全てあなたの言うとおりにもします」

 媚びへつらうように言葉を並べると、怪物の力がようやく緩む。

 許しを請うために震え声を演出したつもりだったが、本当に震えてしまった。

 だがそのことはもうどうでもよかった。

 まばたき一つの間に大男は煙のように消え去り、不気味な声の気配も瞬く間に消えた。


 終わりもないように感じた危機は目の前から簡単に過ぎ去り、暗い路地にはもう誰の姿もない。しかしそれを確かめれば、早速子供のように怯えた自分が間抜けにしか思えなかった。

 はぁ? ジェイに関わるなだと? ふざけるな! 俺はあいつが働けなくなるまで金を搾り取って、骨までしゃぶり尽くして、そしていつかはあの器量のいい妹を俺の手に……。


「口で言っても分からないみたいだな」


 間近で響いた声にトレイは弾かれたように顔を上げた。

 そこにはいつの間にか男が立っている。男は上背はあるが、先程の怪物と出会した後では誰だろうと皆優男に見える。見上げたその相貌にはアジア系の趣も混じっているようだが、欧米人の自分から見ても美しいと言っていいものだった。


 しかし届いたその声には聞き覚えがあった。

 この男の見た目が美しかろうが、優男だろうが、もうどうでもいいことだった。

 今夜初めて相見えたその姿には、畏怖と異様な畏敬を感じるしかなかった。


「口で言っても分からないなら、印をつけておこうかトレイ・ゴードン」


 気づけば男は一瞬にして背後に移動している。

 声にならない呻きが喉から漏れるが、トレイには立ち尽くすしか術がない。

 再び身に降りかかろうとする恐怖には、抑えきれない震えが全身を覆う。

 だが逃げるべき身体は一ミリも動かず、怯えで凝り固まった目を相手に向けることしかできない。

 そこには男の冷徹な表情がある。その瞳は先程の獣の怪物と同じく、闇で赤く光っていた。


「お前は今夜のこの出来事を死ぬまで忘れない」


 トレイは今度こそ何にも囚われることなく、絶叫を上げた。それは暗い路地に響き渡るが、大通りで繰り広げられるハロウィンの喧噪に掻き消される。

 彼が意識を失う直前に目にしたのは、その言葉どおりのものだった。

 自らの首筋に喰らいつこうとする闇で光る二つの牙……。

 神様……もう人を騙すことはしません……だから助けて……。

 切実なその願いは誰にも届くことはなかったが、トレイ・ゴードンの胸には深く刻まれた。



******



 車は深夜の国道を走っている。

 予定より街を早く離れることになったのは予測外だったが、仕方がなかった。


 畏れを伴う噂話は、不安と不穏を巻き込みながら駆け足で巡る。それから殊更逃れるつもりはないが、真正面から受け取るつもりもない。いつも逃亡を図るように街を出ることになるが、一所にいられない自分達の正体を思うと、今は背後に流れていく暗い風景を眺めることしかできなかった。


「また後悔してるか?」

 運転席から届いた声にライは答えなかった。


 偽善か? その言葉が毎度つきまとう。自分がしていることは人助けと呼べるかもしれないが、でも本当は自らの暇潰しのためにこの行為は行われているのではないだろうか。

 いつまで悩んでも答えは出ない。しかしそれを放棄すれば、傾きを知った水の如く惰性という名の谷底へ一気に流れ込んでいくだけだ。この自問に終わりが来る時があるとすれば、この先も永遠に続く命を生き続けなければならないフリークス吸血鬼であると、自らにその真実を突きつける時だった。


「また碌でもないことを考えてるな、ライ」

「俺の心が読めるとでも? 随分成長したな、怜」


 永遠? その言葉が呪いのように自分を苦しめている。繰り返される日々を憂いても、朝は必ずやって来る。だが終わりのないそれを自ら断ち切ることもできるのではないだろうか。生にしがみつくことをやめれば、自分はそれから解放される。


「あのな、たかだか二十年と少し生きたくらいで、今を判断しようとするな。俺は九十年近く生きているが、今もまだよく分からない」


 ラジオの音もない車内には、沈黙が生まれる。

 静寂に車の走る音だけが響く。


「だが悩め、ライ。時間はいくらでもある。だけどいつまでも同じ場所に留まっていたら、足元が沈み込んでいくだけだ。立ち止まっても少し休んだらまた歩け。時には駆けろ。やらないで後悔するより、やってから後悔しろ。他愛のない言葉ばっかだが、これは相棒でもある俺からの助言だよ。心置きなくありがたく受け取れ、若造」


 ライは無言でガラス越しの闇を目に映す。

 そのどこまでも沈んでいくような暗い光景と、自らの行く先は同じ色をしている。でもそこにはほんの僅かだけ微かな灯火を漏らす、綻びがあるのかもしれなかった。


「あー、そういえばダイナーのスペシャルバーガー、結局食い逃したよ……サリーちゃんにも別れの言葉を言えなかったし……」

 届いたその言葉にライは少しの笑みを浮かべた。

 この先も自分の生は続く。

 それの終わりを自ら選ぶこともできるが、この男が言うようにまだもう少し、時には立ち止まり、時に駆けながら、自分の中に見えてくるものを直視して見据えるのも不正解ではないのかもしれない。


 車は闇の中を走り続けている。

 隣からは相棒の能天気な鼻歌が聞こえてくる。

 ライはシートに身を委ね、暫し目を閉じた。

 真夜中の旅路はこれからも続く。


〈了〉




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真夜中の旅路 長谷川昏 @sino4no69

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