不可視の病原因子が体内で増殖する

 コンタギオン説は、簡単に言えば「目に見えない物質が人から人へ伝わって病気をうつす」とする説です。「接触伝染説」とも呼ばれ、16世紀にイタリア人のジローラモ・フラカストーロによって提唱されました。


 フラカストーロは1478年に「ロミオとジュリエット」の舞台で有名な北部の街ヴェローナに生まれます。名家の出身で、親族には議員や医師もいたとか。のちにガリレオも教壇に立つパドヴァ大学に進学。医学のほか天文学、植物学、地質学、数学も修め、開業医として活動するかたわら、薬草の研究や執筆などマルチな活動をしました。数学者や物理学者としての一面もあったようです。


 湿った空気だけでは伝染病の原理を説明できないのは誰もが認めるところでした。フラカストーロは未知の物質が関係していると考え、その物質を「病気の種子」と呼びます。「種子」は目に見えず、気づかないうちに体内に侵入し、急速に増殖し、呼吸や接触によって他の人も感染させます。病気のもとは体液の腐敗にあるという伝統的な医学理論を踏襲しつつも、彼はその「種子」によって疫病が拡大すると主張し、天体に原因を帰すようなオカルト的な考え方は否定したのでした。


 著書『伝染病について』によると、伝染には3つのタイプがありました。直接伝染、間接伝染、そして遠隔伝染です。


①直接伝染

 患者に接触することによる感染。これは果実の腐敗に例えられています。1個の果実が腐ると、隣り合った果実も腐ります。この腐敗が感染に相当します。最初の果実から発散されるのは目に見えない因子で、他の果実の腐敗を引き起こします。


②間接伝染

 衣類や木材などの媒介物によって起こる感染。「病気の種子」は粘着性があり、物体の表面に付着して他の人を感染させる力があるとされました。


③遠隔伝染

「種子」が空気中に発散され、離れた患者からも感染すること。眼炎や伝染性の熱病、肺結核など。


 種子は体内に入るとすぐに増殖を開始し、体液を汚染すると考えられました。ちなみに種子のタイプは病気によって異なり、梅毒の種子はハンセン病の種子よりも鋭く硬質なので体の奥深くまで入り込むそうな。


 実は、病気の種という概念は古代からありました。触るだけで感染したとボッカッチョが書いたのを思い出せば分かるとおり、衣類や寝具、物品もすでに危険視されていました。しかし、微細な物質が人から人へ伝わって感染が拡大することを「種子」や「媒介物」といった専門用語を用いて明確に論じたのはフラカストーロが最初の人であったと言われています。


 コンタギオン説が「病原菌」を言い当てていたかどうかは分かりません。というのも「病気の種子」がかどうかは曖昧で、どちらかというと硬さのある無生物を想定していたふしがあるそうで。しかし非常に似通っていると言えましょう。細菌やウイルスと同様、人の手の触れる場所に残存して感染力を保つという特性……驚くべき洞察力です。


『伝染病について』は1546年に出版され、版を重ねました。「病気の種子」を見ることができる人は誰もいませんでしたが、その概念は瘴気説とともに仮説の1つとして知識人に広く知られたようです。


 腐敗によって大気が汚染される瘴気説と、伝染性の因子が疫病を拡大させるコンタギオン説。それらに基づいて、各地の都市政府はペスト対策を実施するのでした。


 具体的にどんなことをしたのか。次はいよいよ今回のテーマである伝染病対策に迫ります。

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