パン、肉、魚、ワインが毎朝配られた
今回から黒死病以後のペスト対策についてです。
まず、領域内の通行に「衛生通行証」が導入されました。衛生通行証は公的機関が発行するもので、
・所持者が本人であること
・本人確認できる詳細事項(年齢、背格好、髪の色など)
・出発地
・出発地での滞在期間
・出発の時点において健康で、感染者と接触した可能性がないこと
などを証明するものでした。ペストが流行している間は外国人旅行者はもちろん、居住地を離れる人も携帯を義務付けられ、ないと街に入れません。煩雑なので他のヨーロッパ諸国からの旅人には不評だったとか。
衛生通行証は商品に対しても適用され、感染の疑いのない者によって扱われたことなどが明記されました。
*
治療法が分かっていなくとも、人々はペストの侵入を防ぐ方法だけは知っていました。
英語圏のニュースに触れる機会がある人は、Covid-19(新型コロナウイルス感染症)関連の記事でquarantineという語を何度も見かけたのでは。quarantineは「検疫」、つまり人や動物、物を伝染病予防のために隔離することを指し、「40」を意味する語からきています。ペストの流行中に40日の検疫期間を定めたことが起源で、16世紀頃からそれ以下の日数であっても検疫・隔離の意味で使われるようになったようです。
『デカメロン』では「病人の衣類に触れた豚があっというまに死んだ」とあり、どうも当時は潜伏期間の概念がなかったらしい。しかしその後の数十年で公衆衛生機構が発達し、流行地域からの船舶や人に対して一定の検疫措置をとるようになります。
いいかげんなイメージが定着しているイタリア人ですが、アフター黒死病の世界においては疫病対策の優等生でした。中世・ルネサンス時代のイタリア諸都市は交易の中心地、つまりそれだけ疫病にさらされやすかったと言えます。とくに海洋国家のヴェネツィアは検疫の最前線で、まとまった公衆衛生対策を他に先駆けて構築し、優れた感染症予防の規範とみなされるようになります。
ちなみにペストの検疫期間は7〜8日が適当で、40日は多すぎる。根拠はよく分かりませんが、少ないよりは多いほうがいい、というわけで60日間(!)の時もあったとか。
ところで、大量の人や積荷を長期間、どこに隔離したのでしょうか。
ヴェネツィアにラザレット・ヴェッキオ(
汚染地域からきた船や人はヴェネツィア本島には直接上陸できず、感染の兆候がある人は旧
11歳の娘をペストで亡くす不幸に見舞われた学者のフランチェスコ・サンソヴィーノは、1576年頃の新
朝は巡回の時間で、係員が船から船へ見回り、病人を見つけたら旧
参考までに同時代の下働き職人の日給が13ソルド程度なので、この証言が事実なら政府は莫大な出費に直面したことになります。
新
ラザレットにいる間は働かなくてよいので、多くの人はこの措置を歓迎したといいます。健康であれば、
ただ、比較的穏やかといえる光景は症状のない人のための施設だったからで、患者が収容される旧
旧
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