罵倒され、石まで投げられた
疫病に見舞われたものの、1630年はブドウが豊作の年となりました。
9月。プラート近郊の村、ターヴォラは収穫にやってきた人で賑わいます。しかし、この小さな村はペストで多くの死者を出し、すでに8月には公衆衛生局によって立ち入り禁止にされていたはずでした。
「人々が命令にほとんど従わないので、我々の苦労はぶち壊しです」
病原菌を別にすると、公衆衛生局の大きな敵は「人間」そのものでした。上の引用はプラートからフィレンツェの公衆衛生局への報告ですが、委員たちは行動制限への反発に頭を悩ませていたんですね。特に、教会とは宗教行列の是非をめぐって激しく対立します。
宗教行列は聖職者が聖人の図像や遺物をかかげて行進するイベントで、現在も各地に受け継がれています。当時は疫病や飢饉の終息を願って行われましたが、問題は大勢の見物人が集まることでした。
公衆衛生局側の言い分は、
「神に祈るのはもっとも。しかし多くの人が集まれば感染拡大のおそれがある」
対する教会当局は、
「疫病は天罰であるからには、宗教儀式こそが終息に不可欠。取りやめればさらなる悪化を招く」
というわけで、双方一歩も譲りませんでした。妥協案として、最少規模での宗教行列が決行されます。参加は聖職者と、宮廷の要人のみ。1630年12月、フィレンツェでの出来事でした。警備兵が道に立って通行止めするという厳戒態勢のなか、おごそかな行列を町の人は松明を片手に家の中から見物したそうです。
説教や儀式の中止をせまられ、規模を縮小させられ、憤懣やるかたない聖職者側は公衆衛生委員を次々に破門し法廷に引き出すことで対抗しました。とある司教に異端で告発されたフィレンツェの貴族ルイジ・カッポーニは、「あらゆる人間が私の仕事の邪魔をする」と報告書の中で怒りをぶちまけています。
「私を破門するなり、なんなりと好きなようにしたらよいのです。私がここにいる理由は大公閣下にお仕えするためなのですから、何の意味もありません」
時には直接的な暴力のターゲットになることもあったとか。ミラノのある公衆衛生委員によれば、
「私たちは無知な民衆から呪われた。公衆衛生にはほとんど注意を払わず、ペストについては何ら問題はないと言い続けている少数の医師たちの言うことに、彼らは耳を傾けた。……このように錯覚を与えられ吹き込まれた民衆は、私と[同僚の]セタラを中傷し始めた。そしてたまたま二人して下町の狭い路地を通り抜けようとしたとき、下品なひどい言葉を浴びせられ、石つぶてまで投げつけられた。」
「ペストは問題ない」と医療従事者が言っていたとは不可解ですが、有名になりたくてそういうことをする人がいたんですね。ある医師は、ペストは存在しないと言い続け、逮捕されて隔離病棟で勤務させられたそうです。
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流行は衰える気配がなく、フィレンツェでは家の封鎖を行うべきとの声があがります。これは文字通り住民に家から出ることを禁じるもので、経済への影響を考えてまず女性と子供が、しだいに男性も外出禁止になり、全面的な隔離措置に。
言うは易く行うは難し。この対策はいくつかの点で問題がありました。
まず、各戸への食料と日用品の配布が必要です。
さらに、現代人にはちょっと想像しにくいのですが、貧しい人々は清潔とは言えない家に住んでいたので「外に出るな」と言うのは「新鮮な空気を吸うな」と言うのと同じで、理不尽なことでした。
床に敷いた袋や藁が寝床だったのはすでにみましたが、貧民の住居が控えめに言ってもひどかった別の要因として、地階に住んでいたことがあげられます。地階とは日本で言う建物の1階部分で、同時代の人によれば湿気が多く、壁が濡れているので寝具はカビだらけだったとか。
「寝るときにシャツを脱いで木箱の上にかけておくと、朝には湿っている。着たまま寝れば湿っているので病気になり、隔離病棟へ行くことになる。家には小窓がひとつしかないので風通しが悪く、空気も悪い。」
当時は知られていませんでしたが、ペスト菌を媒介するノミは衣類や寝具に潜むので家にこもっていれば感染の危険が増えかねません。
とはいっても家の封鎖はあまり意味はなく、人々は平然と「道をうろつき、会話し、訪ねてきた人を家に入れ」ていたらしいですが。
従わない者は極刑に処すと定めても、出歩く人は減りませんでした。というのもこの手の法律は牽制が目的で、逮捕はされても実際に死刑になることはまずありません。プラートでも、ブドウ収穫事件のあと「違反者は死刑」の布告が出ますが、実行はされずに終わります。死刑の脅しは鼻で笑われたのではないでしょうか。
ところで、この章は最初にお伝えした通りカルロ・チポッラ著『シラミとトスカナ大公』に多くを頼っていますが、市民の反発についての箇所で著者は次のように述べています。
「病気に関する無知のため、当時の人々は彼らの行動に加えられる制限や管理を不満に思った」
しかし病気に無知ではないはずの現代でも似たような光景が各地で繰り広げられたようですし、反発というのは厳しい管理に対する人間の普遍的な反応とも言えるものなのかもしれません。
苦労の多かった公衆衛生委員。疫病対策の最終回を予定している次回では、その一員として尽力したひとりの人物をとりあげます。
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