中世の井戸――シャワーを浴びたい時は

 身ぐるみ剥がされて怖いお兄さんに追い払われ、あてもなく歩くアンドレウッチョ。糞尿まみれで臭かったので、体をきれいにしようと海へ向かう。


 高台の道をとぼとぼ進むと、明かりを持った2人の男が前から歩いてきた。危害を加えられるのを恐れ、彼は近くの廃屋に隠れた。


 しかし、男たちはまさにその廃屋に入ってきたのだ。担いでいた荷物を下ろし、臭いと言いながら1人が灯りを掲げ、隠れているアンドレウッチョを見つけた。


「誰だ、そこにいるのは」


 そんなに汚い格好でどうしたのかと問われ、アンドレウッチョは事情を話した。2人はどこでどんなことが彼の身に起きたかを察し、顔を見合わせた。


「家にいたその男はやくざの元締めのブッタフォーコだな」


「あんた、便所に落ちて逃げることができてラッキーだったんだぜ。でなけりゃ寝入った途端に殺されていたに違いない。金はあきらめろ。その件を人にべらべら喋るのもだめだ。でないと消されちまうぞ」


 それから2人は相談をはじめ、言った。


「あんたが可愛そうになった。よかったら一緒に来ないか? 俺たちは、ちょっとした仕事をしに行くところなんだ。なくした金よりいいものにありつけるぜ」


 アンドレウッチョはやけくそで同意した。


 話はこうだった。その日、大司教が死んで、金貨500フィオリーノ以上の価値があるルビーの指輪を指にはめて埋葬された。彼らは大聖堂に忍び込んでそれを盗もうというのだった。


「よし、乗った!」


 3人は大聖堂に向けて出発した。しかしアンドレウッチョが猛烈に臭いので、その前にどこかでこいつを洗おう、という話になった。


「そうしよう。近くに滑車と桶がついている井戸がある。あそこで急いで洗っちまおう」


 しかし、行ってみると縄はあったが桶がない。そこで男たちは彼を縄で吊って井戸に降ろし、洗ったら合図で引き上げることにした。


 ちょうどその折、警吏の一団がやってきた。下手人を追跡して走り、喉が乾いたので水を飲みに来たのだった。男2人は逃げ出した。何も知らないアンドレウッチョは井戸の底で体を洗い、縄を揺すって合図した。


 警吏たちは武器や上着を置いて滑車で引き上げにかかった。やけに重いな、桶に水がいっぱい入っているなと思いながら。上まであがってくると、アンドレウッチョは両手で井戸のふちにしがみついた。警吏たちは仰天し、縄を離して全速力で逃げた。


 アンドレウッチョはともすれば落ちて骨を折るか死んでいたところだったが、何とか這い上がってみると仲間がいない。途方に暮れて歩くうちに、彼らはまた偶然会った。


 男たちはどうやって井戸から出たのか聞いた。アンドレウッチョは、知らないが武器が残されていて誰もいなかったと答えた。2人は笑い、逃げたいきさつと、引き上げたのが誰だったかを教えてやった。


 再会を喜び、彼らは大聖堂に向かった。



 *



 水は中世においても人間の生活と切っても切り離せないものでした。川や沼の水は大抵汚れているので、井戸が重要な水源です。家に井戸があるのは特権階級だけで、庶民は公共の泉や井戸で水を確保していました。

 一部の裕福な家では各階に滑車が備え付けられ、敷地内の井戸から直接水を汲み上げられるようになっています。


 タイミングがもう少し遅ければ、警官たちはアンドレウッチョが体を洗った水で喉を潤していたのでしょうか。井戸の中で糞尿を洗い落とすのは常識的に考えてどうなのか興味が湧きますが、笑い話なのであまり気にしないことにします。


 実際、井戸が汚染されると掃除が大変でした。


 これまでに何度か紹介したサケッティの『三百話』にこんな話があります。



 ある親子が豚を2頭手に入れた。屠殺人を雇う金が惜しいので自分たちで豚を絞めようとしたが、素人なので殺しそこなってしまい、血まみれの豚が逃げて広場の井戸に転落した。困り果て、屠殺人に特別料金を払って井戸の底に降りて屠ってもらい、さらに血で汚れた井戸をきれいにするために8回も浚わなければならず、その経費として金貨3枚分も払わされた。



 プロに払う金をケチったせいでそれ以上の金を失ったという教訓話です。


 リアルでは、うんこまみれの体を井戸の中で洗うとそれなりの代価を払わされる可能性があります。シャワーを浴びたくなったら桶で水を汲むか、海か川に行くのがよろしいでしょう。


 きれいになって気を取り直し、アンドレウッチョたちはいざ大聖堂に向かいます。


 ところで、「主人公が2人の仲間と一緒に大司教の柩からルビーの指輪を盗む」というシチュエーション。どこかで聞いたことがあると思った方もおられるかもしれません。カクヨムで公開している拙作の『シチリア島奇譚』の冒頭はこの物語が元ネタです。登場人物はアンドレウッチョたちとは全然違う運命を辿るのですが。



 *



 さて、うまく指輪を盗み出すことができるのか。珍道中は次回で結末を迎えます。


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