中世のトイレ――アンドレウッチョの災難【挿絵あり】

 創作ではあまり重要でないかもしれないけど、現実の住居においては不可欠な空間、トイレ。今回はトイレにまつわるお話です。


「中世イタリア人のワードローブ」で登場したアンドレウッチョ君を覚えておられるでしょうか。


 金貨500フィオリーノを持って馬を仕入れにきたアンドレウッチョ君。市場で現ナマを見せびらかし、悪い娼婦に目をつけられます。娼婦は巧みに彼を家に連れ込み、お人好しの青年は彼女を貴婦人だと信じ込むという話でした。


 続きを見てみましょう。


 アンドレウッチョはいとまごいをします。宿の主人に何も伝えていないので、そろそろ帰らないと食事の時間に皆を待たせてしまう。女は、なら宿のほうに夕食は不要と伝えさせましょう、と言う。大切なお客様だからぜひ泊まっていって下さいと。それなら、とアンドレウッチョはお言葉に甘える。


 ふたりは豪勢な夕食とワインを楽しんだ。夜が更け、女はおやすみなさいと言って立ち去る。


 ベッドに入ろうと衣服を脱ぎ、アンドレウッチョは急に便意を催した。召使いの少年にどこで用を足せばいいかたずねると、少年はドアを指差した。


「あちらでどうぞ」


 そこは床板がはずれるようになっており、言われた通りに中に入った瞬間、アンドレウッチョは床板もろとも下の汚物溜めに落ちた。


 説明すると、そこは建物に挟まれた路地で、よくあるように家と家の間に2本の横木を渡して板が敷いてあり、腰を降ろすようになっていた。


 落ちた音を聞くや、少年は女主人に知らせに行った。女はただちに部屋に入ってきて所持品をあさり、金貨を全部奪った。


 服と金を返してほしいアンドレウッチョは大声を上げ、必死に近所の戸を叩いた。すると怖いお兄さんが出てきて「そんな女は住んでいない」と言う。そこでようやく、彼は自分が騙されたことを悟る。


 このトイレの構造は15世紀に描かれた挿絵を見るとよく分かります。外壁に張り出した木製の小屋で、屋根があり、腰掛けるところに丸い穴があいています。はずれた床板と、汚物まみれでミゼラブルな表情のアンドレウッチョ君。場所は路地に見えるけど、往来との間に仕切りがあるので、恐らく人が立ち入らない一角でしょう。


 ルネサンス時代の邸宅には、たまに不思議なスポットがあります。通路の片隅に腰掛ける場所があって、鍋ぶたのような取っ手つきの蓋がかぶせてあります。調度品に夢中になっていると見落としてしまう謎の一角。蓋を手で取ってのぞいている人を見たことはありませんが、たぶん穴が開いているでしょう。


 裕福な家は屋内にこういう専用の場所があり、なければ上記のような外に張り出す木製のトイレで用を足していたと思われます。


 日本のいわゆる「ぼっとん便所」に近く、溜まったら汲み取り人がきます。


 この話は14世紀の人文学者ジョヴァンニ・ボッカッチョの作品ですが、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督によって1971年に映画化されています。そこではトイレは石造りで、排泄物は路上ではなく閉鎖された空間に溜まっています。考証したのかどうか不明ですが、主人公が汚水溜めから這い出して往来に飛び降りるシーンは実際に中世の便所だった場所を活用したのではと思えるほど違和感のない出来。


 原作でもトイレに落ちるくだりはリアルで、構造の説明がやけに詳しく、作者は過去に足を踏み外したことがあったのではと勘ぐりたくなります。


 ところで、疑問が浮かんでいる人もいるでしょう。


 彼が床板トラップにひっかからずに目的を達成してスッキリできていたら、その後の処理はどうしたのか?


 中世ルネサンス時代のフィレンツェ人は日々の出来事を書き記す習慣がありました。このエッセイでたびたび取りあげているポントルモは、体調の悪い日は大便の色まで記録しています。しかし「大」のあと尻をどうするのかはまず誰も書き残してくれていません。


 一説によると農民は干し草で、水夫は古い縄の切れ端や海水できれいにしていたとか。中世後半から布の端切れを使い、それ用の紙が普及するのは1700年以降だそうです。


 16世紀フィレンツェの彫金師ベンヴェヌート・チェッリーニは、知人の家で夕食をとったあと腹の具合が悪くなったことを自伝にこう記しています。


「その晩は一睡もできず、何度も便所に行ったので、空が白む頃には肛門が焼けるような感じだった。いったいどうなっているのかと確かめてみると、尻を拭いた布切れが血だらけだった。」


 彼は布を使っていたようです。当時を窺い知れる稀少な記述といえましょう。


「小」は、金属製のたらいにして、中身は地面に捨てていたようです。


 よく、中世ヨーロッパでは排泄物を窓から投げ捨てていたと言われます。これは日本だけでなく海外にも通説として存在し、中世では通行人の頭上に汚物が降り注いだ、とネット上のイタリア語の記事でも語られています。


 以前紹介した、現代人の男2人が中世にタイムスリップするイタリア映画「もう泣くしかない」でもその演出がありました。


 実際はどうだったのか。


 人は当たり前のことは書き残しません。現代人が水洗トイレを毎回流す事実をわざわざブログに書かないように(書く人もいるかも)、中世人もたらいにおしっこをしたとか、通行人の頭上に撒いたとか、やったとしても書いてくれないので「窓からバシャー」が普通だったのかを検証できる史料は私の手元にはありません。


 とはいえ、無精者は昔も今も一定数存在します。下水設備が不完全だった時代、地域の差こそあれ、窓からぶちまける行為は少なからずあったのではないでしょうか。


 私が中世人で、寝室の窓を開けて汚水をバシャッとやっていいと言われたらそうします。階段を降りるのが面倒だから。


 トイレのイメージ、なんとなく伝わったでしょうか。


 さて、糞尿まみれで全財産と衣服を失ったアンドレウッチョ君。


 彼は転んでもただでは起きない男でした。



【挿絵】中世のトイレ

https://kakuyomu.jp/users/KH_/news/16817139555467836637

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