中世イタリア人のワードローブ【挿絵あり】
ところで、当時は衣類をどこに収納していたのだろうか。
タンスのような箱型の家具は中世にもあったが、主に教会や修道院で本や貴重品を保管するためのものだったらしい。時代が下って16世紀頃には家の書斎にも置かれるようになる。しかし高価で貧乏人には手が届かず、中に入れるのはもっぱら書類や本だった。
では服はどこにしまっていたかというと、クルミ材などでできた大型の箱に収納していた。横置き型で、日本語では
この種の箱が活用されている様子が、14世紀の物語集『デカメロン』に描かれている(2日目第5話)。
馬の仲買人である若者アンドレウッチョは金貨500枚を持ってナポリの市場に行った。うぶなので、買う気があることを示すために、彼は金貨が入った袋を商談で何度も出して人に見せていた。
たまたまそのあたりにいたシチリア人の女が、世間知らずっぽい若者が大金を持ち歩いているのを見て、あの金を横取りしてやろうと企む。
女は小間使いに命じて青年を家に招待させ、ドレスを着て出迎える。そしてバラの香りが漂う寝室に連れていき、「寝台の足元に置かれた櫃に一緒に腰掛けて」涙ながらに嘘の身の上話をし、自分は貴方の生き別れた姉なのだと言う。
櫃は衣類を収納するだけでなく、蓋が平らなら上に物を置け、椅子の代わりになった。旅行の時には身の回り品を入れて持ち運べるし、大型のものは客用のベッドとしても機能する。寝室に置かれることから結婚の贈り物に最適とされ、高価なものは職人が彩色や細工を施した。
裕福な家にはこうした木箱がいくつもあり、中身によって使い分けられていた。家具がほとんどない貧しい人の家では食事用のテーブル代わりなど、ありとあらゆる用途に活躍した。
ソファで客を歓待するように、女は木箱に一緒に座り、作り話で若者を信用させたわけである。お人好しの若者は驚き、女が高貴な身分の婦人で、ほんとうに自分の姉であると信じ込まされてしまうのだった。
さてアンドレウッチョがまんまと金貨500枚を騙し取られたかどうかは置いておいて、クローゼットのない時代に大切なものを収納していた櫃、ちょっと中をのぞいてみたくならないだろうか。
エミリア・ロマーニャ州のコマッキオという都市の市民だったニコロ・グイディという人物の、1563年の遺産目録がある。中世イタリア人は記録魔で、日々の出来事から食べた物や買ったもの、何から何まで几帳面に記録に残した。この目録にも、複数の箱とそれぞれ中に何が入っていたかが細かく記載されている。
●鍵付きの箱
・現金527リラ8ソルド
●絵が描かれた鍵付きの箱
・シャツ41枚。男物、女物、新品、古着が混ざっている
●杉材の小箱
・鼻をかむ布
・男物のスコッフィオッティ(何のことか不明)
●鍵付きの箱
・マント 12枚
・テーブルクロス 17枚
・ナプキン 60枚
・シーツ
・ハンカチ
・長さ数十センチの布の端切れ 数枚
別のもうひとつの鍵付きの箱を開けると、この町の上層市民の男が日常的に何を身につけていたのかが分かる。
・黒い縁なし帽 3枚
・黒い綾織りのガベルドーナ(上着の一種と思われる)
・黒のタイツ
・胴衣
・長さ約7メートル半の黒いベルベットの帯
・短い黒のマント
「貴重品」と書かれた箱には衣類と一緒になんと武器が入っていた。
・上着 2枚
・胴衣 2枚、1枚は袖無し
・クロスボウ
・投げ槍
・短剣
・長銃
・角形の石鹸 9個
●白い箱
・幅数十センチの布
・胴部と袖を染色した白い綾織りの服
・黒の上着
・青いベッドカバー 2枚
・緑の布の裏地がある淡い黄褐色の服
・フードつきの長衣 3枚
●もう1つの箱
・シーツ 19枚
・幅数十センチの布
・妻のブラウス 6枚
・女物のブラウス 16枚
・シャツ 5枚、紐なし
・男物のシャツ 32枚
・高級な織物と生地
・布で包んだ大きな毛皮
・胴のあるスタネッレ(何のことか不明)
・ファルセット(男性用の上着)
●大きな箱
・女物のヴェールと
*
ニコロは議員を出した家系の出で、暮らしが豊かだったことはシャツを大量に所持していたことからも伺える。
次は下層の人々の持ち物を見てみよう。
下層民は、基本的には上流階級の装いをより質素にした服を着ていた。ある野菜売りの一家の箱の中身は次のとおりである。
・小さな古いマント 2枚
・大きな古い布 4枚
・女物のブラウス 7枚
・子供用の古いシャツ 7枚
・男物のシャツ 5枚
・男物の毛織の胴衣
・毛織の衣服 2枚
・白い布の裏地がある男物の青いマント
・袖付きのゆったりした服、黒と青1枚ずつ
・女物の青い袖なしの服
・女物のマント
・テーブルクロス
家や土地を所有する小市民でも、持っていた衣服は決して多くなかった。ある人物は石造りの家1つと約1万㎡(東京ドーム1つ分)の農地、約2,000㎡の菜園を所有しながら、着ていたのはなぜか粗悪な生地でできた破れた服にぼろぼろのタイツ、壊れた古い靴というみすぼらしいものだった。
季節の推移によって衣服を替える習慣はなかったようだ。寒ければいつものシャツを重ね着し、マントに布や、あれば毛皮の裏地を縫い付ける。夏になったら裏地は剥がし、次の冬までしまっておく。古くなった服は分解して別の服を縫い、染みがあれば隠すために染め、レースや房飾りも切ってリサイクルする。こうして少ないワードローブを活用したのである。
【挿絵】カッソーネ
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