服飾

ファッション用語の難しさ

――その男は黒のダウンジャケットを着て、首には薄汚れたグレーのマフラーを巻いていた。スラックスはよれよれで、ポケットが不格好に膨らんでいる。



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 拙作から引っ張ってきた下手な描写で恐縮だが、中世イタリア人は上のような文章を読んでも理解できない(言語と文法の違いはここでは問題にしない)。ジャケット、スラックス等は上半身と下半身を包む機能は同じでも、当時はそれぞれ別の形・素材・名称の衣服だったし、防寒目的で首に巻くマフラーといったものは存在しない。ポケットもまだないので、衣服の内側に縫いつけられた袋と聞いても何のことか分からず戸惑うだろう。


 逆も同様で、中世イタリア人の服装を現代人が読んで理解するのは難しい。中世の服飾用語は分かりにくい。多くはすでに死語で、現代人には馴染みが薄い単語だらけだ。さらに地域によってバリエーションがあり、時代とともに移り変わるからややこしい。例えばvestitoヴェスティートという語は現代では衣服全般を示すが、中世では体にぴったりした外衣を意味する言葉だった。



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 登場人物が現代人なら、「パーカーとジーンズ」とでも書けば少なくとも意味は通じるし、カジュアルな人物像もなんとなく伝わるかもしれない。

 しかし例えば「ジュッボーネとブラケとカルツェ」ならどうだろう。恐らくイメージは頭に何も浮かばない。

 giubboneジュッボーネは膝上丈の厚手の上衣、bracheブラケはゆったりした膝丈のズボン、calzeカルツェは一種のタイツを意味する。どれも16世紀の典型的なメンズ用ファッションアイテムである。



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 服装はキャラクターの社会的地位や趣味嗜好などを表現できる便利な要素だが、数百年以上前のファッションは調べるのも書くのも面倒で、読者にとってはしばしば不要な情報になる。かといって簡潔に「外衣」などにすると抽象的になってしまい、登場人物の外見描写にはどうも向かない。


 コートといえば何種類もあるのと同様、中世イタリアの「外衣」も多様だ。cioppaチョッパguarnaccaグアルナッカはゆったりした丈長の外衣、lucco ルッコは詰め襟で足元まで届く外衣、roboneロボーネは大きな袖付きで盛装用、zimarraズィマッラは前開きガウン、gabbanoガッバーノはフード付き外套、さらにロボーネに似たrobaローバという外衣などがある。



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 古典文学に膨大な脚註や訳註がつけられるのは、それが古典だからだ。作品が書かれた時代の常識をもはや有していないので、古典を読むと現代人の頭は疑問符だらけになる。読み手はそういうものと分かっているので面倒でも註に目を通すわけだが、同じことを娯楽小説がやると読んでもらえなくなる可能性が高い。


 詳しく書きすぎるとテンポが悪くなり、特にネット小説だと読みづらく、一話あるいは数話でブラバ、ということになりかねない。書き手としては最も避けたい事態だと思う。


 ラノベでは、服飾が物語の中で重要な意味をもつのでないかぎり、細部を描写する必要はないのだろう。古典文学や映画、ゲーム等で定着したイメージのおかげで、我々は「中世ヨーロッパ風」なる衣服がどんなものか、共通認識としてだいたい知っている。例えば「貧乏な人物」なら、産業革命前のヨーロッパで貧しい境遇にある人がどういう格好をしているか、リアルに忠実でなくともステレオタイプ的になら思い描くことができる。だから「粗末な服」とでもしておけば、大抵の場合はそれで足りる。あるいは全く描写しない。このあたりは書き手と作品のスタイルによる。



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 中世のクローゼットの中身は難解で複雑な上に、いくら詳しく調べても大半は設定のにしかならない。それでも服を着た状態の体のシルエットなど、漠然としたイメージをつかむ助けにはなる。さらにどうでもいいこと、例えば



 パンツは穿いてるの?

 シャツの替えは家に何枚あるの?

 底が革でできている中世の靴で、雨の日のぬかるんだ道を歩けるの?

 服にポケットがないなら、重要なアイテムを拾ったらどこに隠すの?



 といった実にくだらない疑問がしょっちゅう頭に浮かぶので、やっぱり調べるのである。

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