みんな大好きお肉料理
イタリア人は野菜好きだったと書いた。これは同時代のヨーロッパでは珍しく、食い意地が張っているから家畜の分の草まで横取りして食べている、と揶揄される始末だったらしい。あるドイツ人の旅行者は、イタリア料理は野菜ばかりだとグチを垂れたそうである。
実際には、肉料理は豊富にあった。肉を食べる習慣がなかったのではなく、野菜と肉を同等に食べていたのだ。
ポントルモの日記では鶏、牛、豚、仔山羊、去勢羊、仔羊、野ウサギ、ヤマシギ、クイナ、七面鳥、鴨、ツグミ、鳩が言及されており、これらの肉を茹でたりローストしたり、ワインで煮たりした。
頭も内臓も食べる。
臓物料理はごちそうだった。14世紀の作家フランコ・サケッティの短編集『三百話』に、数人のイタリア人が新鮮な仔牛の胃袋を手に入れる話が出てくる。彼らは「もし他の仲間がそれを知ったら、ゆっくり食べることができず、1人あたりほんの1片ずつしかあたらない」から誰にも知らせず数人だけで煮込んで食べようともくろんだ。
仲間はずれにされた主人公のベンチは、その話を他人から聞いて憤慨する。そして家に侵入して胃袋を鍋から盗み出し、代わりに古い帽子の裏地を入れておいた。何も知らない最初の男たちは、気づかずに帽子を皿にとってナイフで切ろうとするが、切れない。そこでしてやられた事を知るという笑い話である。
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魚はどうだったかというと、日記中に肉を食べたことが分かる記述が80件あるのに対し、魚を食べたという記述は12件しかなく、圧倒的に少ない。ヨーロッパ人はやっぱりお肉が好きだったと言えるかもしれないが、海が遠いことなども関係しているだろう。
多くの場合、単に「魚」とあるだけで何の魚かが分からず残念だが、主にアルノ川で採れた魚をマリネやフライ、ローストにしたようである。ウナギが2度登場する。なんと今日では超高級食材のキャビアも食べている。
以下に日記の冒頭の1週間のメニューを書き出してみる。
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1554年3月11日(日)
朝:鶏と仔牛肉
晩:乾燥肉のローストを少し
3月12日(月)
晩:キャベツ1個とオムレツ
3月13日(火)
晩:仔山羊の頭を半分とミネストラ(具の入ったスープ)
3月14日(水)
晩:[仔山羊の頭の]もう半分のフライ、ブドウ、パン、ケッパーのサラダ
3月15日(木)
晩:去勢羊のミネストラと根菜のサラダ
3月16日(金)
晩:根菜のサラダとオムレツ2個
3月17日(土)
断食
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中世では食事はなるべく1日に1回が好ましいとされていた。とはいえ、職人や建設労働者など肉体を酷使する人は朝昼晩の3回、何らかの飲食をしていたようだ。体調不良に悩んでいたポントルモは1日1~2回、大抵は晩に食事し、食べ過ぎたと思ったら翌日は減らすなどしてバランスをとり、どうにかして健康を取り戻そうと励んでいた。
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