第31話 記憶-Memory-
伊織が力いっぱいに英雄の体を抱きしめる。そして唇を押しつけるようにして重ねた。
その思いを、体全体で伝える。彼が好きだということを、彼を守りたいということを。幼い頃から心の中で大きくなっていたその気持ちをありったけ英雄に伝えるために。
「……っ!?」
そのために伊織が唇を押しつけたことは、英雄にとっては何よりも驚くことだった。言葉では伝えきれない強い思いが、どす黒い思念の中にとらわれていた彼の心目掛けて一直線に差し込む。
「やだよ……お願い…元に戻ってよ。いつもの優しかったヒデ君に」
そして、霧がかかったような意識の中から引き戻された英雄が見たのは、自分の胸に顔をうずめて泣きじゃくる伊織の姿だった。
「……伊織?」
「ヒデ……君?」
信じられないものを見たといった面持ちで、英雄は伊織の姿を見ていた。
「無事……だったのか?」
「そうだよ……それなのに、私が死んだって勘違いして……バカ!」
ポケットから伊織が出した、ディスプレイの割れた英雄のスマートフォン。彼女の命を救ってくれたのがそれであることを、ようやく彼も理解できたのだ。
「あり得ない……あり得ないあり得ないあり得ない!?」
そんな二人の姿を見ていた黒いコスモスが悲鳴を上げた。目の前で起きたことが信じられないと言った様子だった。
「どうして……どうして正気を取り戻されたのですが、マスター! せっかく歴代のマスター方と共にいられたのに。これでもう悲しまないでいられたのに!」
「……ごめん、コスモス。絶望した俺を守ろうとしてくれた君の気持ちは嬉しいよ」
英雄は彼女の気持ちを悟っていた。人一倍、誰かを守ろうという気持ちが強かった彼が、その守る相手を失った時にどれほどの絶望にさいなまれるか。それをわかっていたからこそ、黒いコスモスはネクサスを掌握した。蒼煌石の中にあった歴代のマスターの残留思念もそれに同調した。
「でも、伊織は生きてる。だから、もういいんだ」
「マスター……」
黒いコスモスが目を伏せた。それと共に操縦室内の警報が鳴り止む。
「これは……!?」
「
「……わかりました」
コスモスがホログラムウィンドウを表示させ、内部プログラムを閲覧する。黒いコスモスに掌握される前のプログラムを呼び出し、再び書き換える。彼女の手によって元の慣れ親しんだネクサスの操縦室の雰囲気へと戻っていく。
「ネクサスの制御権、管制プログラム『コスモス』に戻りました。セリア王女もまもなく目を覚まされると思います」
「ふう……これで、私の役目は終わりね」
「ネクサス、システムに異常なし。損傷は見られるものの、戦闘に支障は……これは!?」
コスモスが叫ぶ。モニターが点灯し、周囲の様子を映し出す。ネクサスの前方で立ち上がる巨大な影があった。
「イシュトヴァーン、再起動を確認!」
「あいつか!」
ようやく体勢を立て直したエルヴィンが、イシュトヴァーンを再び立ち上がらせていた。
「マスター、早く蒼煌石に手を!」
「わかった!」
英雄がネクサスを操縦するべく、手を蒼煌石へと乗せる。しかし――。
『奪え』
「う……あっ!?」
「ヒデ君!?」
「マスター!?」
「……ちっ、まだマスターたちの残留思念が」
苦しみ出す英雄の周りに再び黒いオーラが伸びる。それを見た黒いコスモスはもう一人の自分へと叫んだ。
「
「ダメです。あれはネクサスのプログラム外のもの……
「くっ……」
何度もコスモスがウィンドウを表示させるが、彼女の前には「異常なし」の表示のみ。暴走した時と同じ、ネクサスのシステムに異常は起きていないのだ。
『壊せ、お前の大切なものを奪った存在を』
「……違う、伊織は生きてたんだ」
『我らの力を得よ。敵を滅するために』
歴代のマスターたちの声が響く。主君を、恋人を、親を、子を失った人々の嘆きが伝わってくる。
『お前の敵に死を』
「違う……違う」
『何が違う』
「それは……ネクサスの力の使い方じゃない!」
『……なに?』
全ての声が、その英雄の一言に一瞬言葉を詰まらせた。
「ネクサスの力は誰かを傷つけたり、力を見せつけたり、そんなことに使うものじゃないはずだ!」
『それは……』
「みんなだって、そうだったんじゃないですか。誰かを守って、人と人とを繋いで……だから昔のコスモスもみんなを選んだんじゃないですか!」
『……お前に、何がわかるというのだ』
「わかりますよ……だって、俺だってネクサスのパイロットだから!」
『……!』
守れなかった辛い気持ち。それは痛いほどにわかる。だが、無念を残した彼らはネクサスの中に思いを残し続けた。
それは、復讐のため?
それは、次代の乗り手を取り込むため?
違う。誰かを守るためにネクサスに選ばれた者たちがそのような選択をするはずがない。
ならば――。
『ならば……』
『我々は……』
『何のために』
『なんのために』
歴代のマスターたちの思念が迷う。だが、英雄は彼ら彼女らと一度は心を一つにしたことで、その奥のある感情に気づいていた。
本当は復讐などしたくない。ただ自分に降りかかった悲しみで本当の思いが見えなくなっただけだ。時代は違っても、それぞれが抱いた気持ちに変わりはない。
「もう一人のコスモスと、思いは同じですよ」
そして、英雄はありったけの声で叫ぶ。全ての魂に届くように。五千年間、彼らが無念で曇っていた本当の気持ちに気づかせるために。
「同じ悲劇を繰り返させたくないからですよ!」
『……!』
「だから……思い出してください、先輩たち!」
蒼煌石に光が点る。淀んでいた黒いオーラが徐々に晴れていく。
「ネクサス、出力上昇――これは!?」
「マスター!」
「ヒデ君!」
「みんな最初は思っていたんでしょう! 誰かのことを、『守りたいんだ』って!」
『――っ!』
ネクサスの目に光が点る。漆黒に染まっていた機体が白へと戻り、そして蒼煌石から放たれた強い光が操縦室に満ち、光の奥から何かが現れ出でる。
「……これは、機体内部のメモリーが」
モニターのいたる場所に映像が投影される。在りし日の、コスモスが共に駆け抜けたマスターたちとの戦場の記憶。
若き熱血漢がいた。落ち着いた初老の男性がいた。冷静沈着な青年がいた。優しく笑う女性がいた。
「マスター……アポロ。マスターモア…マスターサール…マスターミカ……みなさん」
その全てが、コスモスが記憶していた人々だった。長い戦いの中でネクサスに乗り込み、ある者は死を迎え、ある者は失意の内にネクサスを下りた。そして次代のパイロットがまたネクサスに乗り込む。
連綿と受け継がれてきた搭乗者たちの思い。そのいずれもが抱いていたのが「守りたい」という気持ち。ネクサスの起動コードとなっていたその思いだった。
蒼煌石の中にあった全ての人々の思いが英雄の言葉で目を覚まし、その力をネクサスに与えていく。
「これは……マスターたちの記憶が、力に」
かつての純粋な思いを取り戻した搭乗者たちの思いは、記憶と共にネクサスを満たしていく。
『アマノヒデオよ、礼を言う』
『お前は我らの本当の思い、全てを思い出させてくれた』
『ならばこの力を、君のために使いましょう』
そして、全てのマスターの言葉が重なる。その言葉に全ての思いを込めて。愛する者を取り戻した英雄に、自分たちの思いを委ねて。
『今を守り、未来へと、正しき思いを繋ぐため』
「歴代全マスターの承認を確認。ネクサス、全ロックを解除します」
コスモスが高らかに告げる。それと共に彼女の周囲に膨大な数のホログラムウィンドウが展開する。英雄と伊織が見たこともない言語と数値が高速で動き、スクロールしていく。
「膨大な情報処理を行うため、並列かつ高速の演算の必要性を確認。もう一人の私に協力を要請します!」
「なっ……!?」
唐突にコスモスがもう一人の黒いコスモスへと協力を求める。静観していた彼女はその言葉に驚いた。
「返答を求めます。協力要請の受諾か、それとも拒否か!」
「ああ、もうわかったわ。半分よこしなさい!」
「了解。ネクサス統制プログラム『コスモス』、バージョン2に権限を一部移譲します」
「ちょっと、その呼び方は何よ!」
「今は呼称の議論をしている場合じゃありません。いいから早く手伝ってください!」
「あとで覚えておきなさいよ、オリジナル!」
白と黒、二人のコスモスが共に演算を開始する。解放された膨大なデータが、全てのマスターとの間に記録された戦いの歴史が今この時代のネクサスに繋がっていく。
「解放されたデータベースより武装データをロード」
「歴代マスターの戦闘データをロード。OS・運動補正プログラムをアップデート」
「ネクサスの破損状況確認、補修・増強データを構築」
「了解。補修・増強データを確認。必要物質をリストアップ」
「承認しました。これより、シークエンスは最終段階へ」
まるで歌うように二人のコスモスが息を合わせ、プログラムを構築していく。ネクサスを通じて英雄にもその姿が届けられる。かつてのマスターたちが戦いの中で生み出したネクサスの力を、姿を、その全てを受け継いだ姿を。
「マスター、アマノヒデオ。全てのマスターの思いを、力を貴方に委ねます」
「人々の思いを繋ぐ蒼き守護機。その最後の姿を――」
蒼煌石の光が溢れ出す。操縦室を越え、その光はネクサスの機体全てを包み込む。そして、光の中で二人のコスモスの声が重なる。
「全能力解放――『
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