第28話 逃走-Escape-

 ネクサスが砦の前に到着するとほぼ同時に、セリアとエルネストが建物から飛び出してきた。すぐさま胸部ハッチを開き、ネクサスの手を差し出す。


「ヒデオさん!」

「セリア、エルネスト! 乗って!」

「マスター、危ない!」


 コスモスが叫ぶ。身を乗り出した英雄の頬を何かがかすめ、操縦席の天井に高い音を立てた。


「フォボス兵の射撃です! 下がってください、マスター!」

「くそっ!」


 すぐに体を伏せて斜線上から逃れる。地上を除くと、セリアはネクサスの手元にまで来ていたが、その上に乗ろうとした瞬間、すぐ近くの茂みからフォボスの兵が飛び出した。


「セリア!」

「ちいっ!」


 エルネストがセリアとフォボス兵の間に割って入る。敵がその手に持つナイフの刃が彼の左腕に突き刺さった。


「エルネスト!?」

「おおおお!!」


 ナイフの痛みをものともせず、エルネストがフォボス兵を殴り倒す。そして腕からナイフを引き抜き、そのまま倒れ込んだ敵兵の喉元へ振り下ろす。そして喉笛を切り裂いた後、素早くナイフを引き抜くと振り向きざまにそれを投げ放つ。


「がっ!」


 放たれたナイフがフォボス兵の額に突き刺さる。立て続けに二人の敵兵を倒したエルネストは、二人目の兵士が所持していたハンドガンを拾い上げ、セリアに背を向けた。


「奴らの狙いはあなたです。早くネクサスの中に、セリア様!」

「ですが、エルネスト。そのケガでは!」

「我々臣下の命など気に留めてはなりません! 我々はあなたを守る盾となれればそれでいいのです」


 血が流れ、震える左手で遊底スライドを引く。砦の中から追ってきた兵たちに向かって、エルネストは射撃を開始する。


「エルネスト!」

「お行きください。ヒデオと共に! 我々も必ずスペルビアに帰還いたします!」

「……っ」

「ヒデオ、早くセリア様と一緒にここを離れろ!」

「……わかった。コスモス、セリアをここへ」

「了解しました。セリア王女をネクサスの操縦室へ収容します」


 ネクサスの左手を盾にして、セリアを乗せた右手が上がっていく。英雄とセリアは手を伸ばし合い、つかむとすぐに引っ張り上げる。


「ネクサス、発進します!」


 ハッチが閉まり、英雄が蒼煌石に手をかざしてネクサスが動き出す。銃撃戦の中のエルネストはネクサスの発進を見届け、自身も森の中へと姿を消していくのだった。


「コスモス、伊織に連絡を取ってくれ。あっちも動かないとまずい」

「了解しました。コールをかけます!」


 コスモスが伊織に持たせた英雄のスマートフォンの番号に電話をかける。数回のコールの後、ささやくような伊織の声が操縦室に響いた。


『……どうなった?』

「交渉はダメだった。今、セリアを連れてそっちに向かってる!」

『オーケー。じゃあこっちも報告。翻訳機能のお陰でとんでもないことわかったわ』

「とんでもないこと?」


 ネクサスのモニタにマップが表示される。その中で点滅する光点が伊織のいる捕虜の収容所の位置だ。


『フォボスの奴ら、私たちを皆殺しにするつもりみたい。今みんなを一か所に集めているところ』

「何だって!?」

「……やはり、捕虜から情報と技術が漏れることを警戒しての行動ですね。和平交渉の結果がどうであれ、遅かれ早かれこうなるとは思っていました」

『私たちのほとんどがこっちの言葉がわからないと思ってるから話が筒抜けよ。たぶん知られても言葉がバラバラだから全員に話が伝わらないって思ってるんじゃない?』


 スペルビアに存在する唯一ともいえる優位な点が、コスモスの翻訳機能の有無だ。日本語でも英語でも、この世界の言語でも、解析した言語であればすべて翻訳して音声情報として伝えてくれる。


『こっちは翻訳機能のお陰でみんなに話は通してある。あとは合図さえあればすぐに動けるわ』

「伊織さんのいる収容所は、計算ではあと数分で見えて来ます」

『……こっちもフォボスの人たちが慌て始めた。ネクサスが近づいて来たのに気づいたみたい』

「では、ネクサスが指定エリアに突入したと同時に手はず通り――」


 その時、ネクサスの操縦室内に警報がけたたましく鳴り響いた。


「ヒデオさん、これは!?」

『ヒデくん、どうしたの!?』

「コスモス、何が起きたんだ!」


 コスモスがすぐさま周りにホログラムウィンドウを展開する。流れる情報から探知したものを報告する。


「レーダーに反応。機兵が接近しています!」

「嘘だろ、こっちは全速力で逃げてるんだぞ!? またヴィクトリアみたいに戦車チャリオットでも使ってるのか!?」

「いえ、地上から振動波が検知できません。この速度、この軌道……上からです!」

「上だって!?」


 英雄がネクサスの視界を上に向ける。太陽を背に、翼を広げた騎士が剣を振りかぶり、ネクサス目掛けて降下していた。


「よけろ、ネクサス!」


 すぐにネクサスを方向転換して飛び退かせる。その直後、ネクサスが数秒後に進んでいたであろう場所に砂煙が立った。


「……よくぞ避けた、スペルビアの機兵よ」


 もうもうと立ち上る砂煙の中から黒い騎士甲冑のような機兵が姿を現した。その姿は細かい場所にまで意匠が凝らされており、一目でこれまでの機兵たちとは違う立場にある者であることがうかがえた。


「データ照合。一致率八十七パーセント……機体名称『イシュトヴァーン』と断定!」

「イオリさん、こちらからそちらへ向かうのが難しくなりました。少し早いですが、行動を開始してください!」

『わ、わかった! 早く来てね!』


 通信の向こうで爆発が聞こえた。密かに持ち込んだ紅晶石を使い、伊織が動き出したのだ。怒号の中で敵の武器を奪い取った米兵らがフォボスの兵を制圧し、同様に英雄たちの世界から召喚された人々を救い出していくのが聞こえた。

 第一段階は成功だが。収容所から捕虜を全員救出するためにはネクサスが収容所に突入して施設を占拠し、機兵や輸送のための車両などを奪い取らねばならない。最後の詰めのためにはどうしてもこの場を突破する必要があった。


「今、この機兵は空から来たよな……まさか飛行能力?」

「いえ、違います。この機体の能力は――」


 イシュトヴァーンの機体の色が紅に染まる。紅晶石の魔力が隅々にまで行き渡り、爆発的な力を発揮する。


「だが、貴様の速度は決して我が機体の敵足りえぬ。覚悟するがいい!」


 イシュトヴァーンが天高く跳躍した。背に負う翼を展開して剣を構えると、ネクサス目掛けて一直線に滑空してくる。


この機体イシュトヴァーンの機能は跳躍と背部の気流制御盤による空中機動です!」

「なんだよそれ。そんな奴までいるのか!」


 イシュトヴァーンの斜線上から逃れる。しかし、エルヴィンはその動きを見越していたかのように思念を注ぐ。


「甘いわ!」

「なっ!?」


 制御盤が動き、イシュトヴァーンが空中で軌道を変えてネクサスを追尾する。落下の速度と機体の重量を加えた一撃がネクサスに襲い掛かる。


「コスモス!」

「蒼煌の盾、起動!」


 ネクサスの盾がコスモスの意を受けて自動防御を開始する。機体の前に展開し、イシュトヴァーンの斬撃を防ぐ。


「よくぞかわした。だが、次はどうかな!」


 地に降り立ったイシュトヴァーンが再び高く舞い上がる。英雄もネクサスに斧槍ハルバードを構えさせ、次の攻撃に備える。しかし、自分のタイミングで攻撃を仕掛けられるエルヴィンに対し、英雄は迎撃する一瞬のタイミングをものにしなければならない。

 二度目の攻撃を受ける。重量のある斧槍ハルバードが襲い掛かる前にイシュトヴァーンは距離を取り、再び空に舞い上がる。


「ダメだ、当たらない! コスモス、撃ち落とす武器はないのか!」

「機動が早すぎます。射撃武器では誤って主要機関か操縦室を貫いてしまう可能性があります!」


 そうなれば敵の操縦者を殺してしまいかねない。英雄にとってそれは元も避けなければならいことだ。


「こっちも飛ぶ手段はないのか?」

「あるにはあります……でも、サーチしてみても『創成CRIATE』で生成するための素材が足りなくて――マスター、九時の方角から熱源が接近!」

「防御頼む!」


 青煌の盾がパーツごとに分離する。中心の最大の面積を持つ部分が接近する魔力の塊を防ぐ。


「収容所、そしてイシュトヴァーンの後方から機兵が合計八機、こちらへ接近しています。データ照合完了……ロクス六機、サルチ二機です!」

「まずい、数が多すぎる!」


 空からイシュトヴァーンが三度みたび襲い掛かる。盾の一部が射撃からの防御に回っているため、受け止めきれない。


「止めろ、ネクサス!」


 英雄がネクサスに斧槍ハルバードで剣を受け止めさせる。しかし足が止まった隙にネクサスの周りをロクスとサルチが取り囲む。


「しまった!」

「やはり子供か、戦いの駆け引きは今一つだな!」


 英雄がフォボスの機兵に気を取られた瞬間をエルヴィンは見逃さない。斧槍ハルバードの柄をつかみ、ネクサスを蹴り剥がして武器を奪い取る。


「くそっ!」

『ヒデ君、ヒデ君! やばいよ、あいつら拳銃持ち出した。手持ちの石もそろそろ数が!』


 通信の向こうからその緊迫した様子が伝わってくる。銃声も聞こえ、英雄の中で焦りが募って行く。


「その中にセリア王女が匿われていることはわかっている。スペルビアの機兵よ。貴様には命乞いする権利すら許さぬ」


 ジリジリとネクサスを囲む円が狭まってくる。


『みんな、早く逃げて。こっちよ!』


 通信の向こうでは伊織が捕虜を安全な場所へと避難させている。残り少ない紅晶石も発動させ、フォボス兵から何としても逃れようと伊織が奮戦している。


『もう少し耐えれば、必ずスペルビアから助けが来るわ。だからもう少しだけ耐えて!』

『ああっ、誰か! 私の子が。私の子がいないの!』

『あそこだ! あそこで倒れている!』

『ああ、もう!』

『おい、イオリ! よせ!』


 男の怒号が聞こえたその直後、甲高い音い不協和音が通信を通じて操縦室に響き渡った。そして沈黙が訪れる。

 英雄にはその音に聞き覚えがあった。この世界に来たばかりの時、ネクサスを見つけた地下遺跡の中でフォボス兵に襲われた際に間近で聞いたその音――銃声。


「…………伊織?」


 英雄のその呼びかけに返ってくる言葉はなかった。

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