第18話 覚悟-Resolution-
この世界に伊織がいる。そのことを知った英雄は本当ならばすぐにでも彼女を助け出すための行動に出たかった。
しかし、英雄はスペルビアの軍に籍を置いている。そもそもネクサスを動かすために必要な蒼煌石は現在の立場だからこそ回してもらうことができる。一人でフォボスへ乗り込むのがあまりにも向こう見ずな行動であることは彼自身理解している。
「……伊織」
焦れる気持ちを押さえつけ、あてがわれた部屋のベッドの上で英雄は膝を抱えていた。この日はセリアが砦に慰問に来るという知らせがあり、朝から兵士たちが慌ただしく出迎えの準備に奔走していた。
「何をしている」
暗い部屋の中でじっとしていると、部屋の扉が開く。エルネストがタバコを口の端で咥え、苛立たしそうに英雄を見る。
「セリア様がお越しになった。これからゼムの兵全てへお言葉がある。お前も来い」
「……俺はいいよ」
いつもならばセリアが来たことは彼にとって、わずかな癒しになるはずだった。だが、伊織がこの世界に存在することを知ってしまった今、伊織に瓜二つのセリアの姿は英雄にとって心の傷を刺激するだけだ。
「いいから来い」
だがそんな英雄の腕をとり、無理矢理立たせてエルネストは引っ張っていく。
「何するんだよ!」
「お前が見なければ何の意味もないんだよ」
「……俺が?」
「お前が言っていた戦争の責任を背負った少女の覚悟と生き様とやらをその目で見ろ。己の運命に立ち向かい、民を導くことを選んだ者の言葉を聞いてみろ」
強引に広場まで連れていかれる。そこは守備や物見などの任務に就いている一部の兵を除いてゼムのほとんどの兵士が集っていた。
それ以上前に進むことができないエルネストは英雄の腕から手を放し、ともに壁に寄りかかってセリアの演説を聞くことにした。
やがて、時間が来てバルコニーからセリアが姿を現す。セリアの言葉を少しでも近くで聞こうと、兵たちが前へと押し寄せる。そんな人の波の前に十五歳の若さで国を担うことになった少女は立つ。静かに兵たちを見渡し、そして彼女は、口を開いた。
「……スペルビア兵の皆さん。激しい戦いを乗り越え、この国を守り抜いてくれていることに、深い感謝の気持ちと、勇ましい者たちへの尊崇の念を抱いています」
その声が震えていた。人前で演説する機会など、セリアの年齢でそう経験できることではない。王が倒れている今、彼女は慣れない演説を何度も重ねねばならなかった。
「今、この国……いえ世界は、未曽有の危機にさらされています。フォボス王国は我々の持つ技術を遥かに超え、かつて世界を滅ぼしかけた技術に匹敵する異世界の技術を手に、この国と、蒼煌石を手中に収めようとしています。そして、その力の前に周辺国家も私たちに手を差し伸べることができずにいます」
それでも、彼女は拙くても思いを伝えるべく声を張る。自分自身の姿こそ、今の国の象徴だと。もし彼女が君主たりえない態度をとれば、それは兵たちの士気に、ひいては国の存亡にもかかわる。
「父が健勝であれば、優れた指導力の下、もっと良い道を築けたのではないか。そう思う日もあります。経験も知識も不足している私の力だけでは、この国を守り抜くことは難しいのかもしれません……」
そんな彼女が発した、弱弱しい言葉に兵たちが静まり返る。英雄は思わずエルネストを見る。だが、彼はあくまで冷静な態度を崩さなかった。
「――ですが」
そしてエルネストが見込んだとおりに、セリアは語り始める。
「ですが……そもそもその考えが間違いであることに気が付きました。国は、私一人で守るものではないのだと。例え力が足りなくても、圧倒的な力を前にしても、決して引かず、愛するものを守ろうと戦い抜く英雄たちがこんなにもいたのです」
兵たちの中に熱が生じる。砦をいくつも落とされ、機兵と言う太古の兵器を持ち出され、圧倒的な敗北を何度も経験した彼らは一度、心が折れかけた。だが、それでも戦い抜いてきた。その努力が実を結びつつあると、セリアの言葉に気づかされる。
「その勇気は時を作り、フォボスに抗う力を生み出すことを可能としました。災厄の巨人を打ち倒す、伝説の『守護の巨人』が五千年の時を越えて蘇りました。アーティファクトも、異世界の技術に立ち向かう心強い味方として、偉大なる先祖より受け継ぎました。当初は劣勢だった戦局も次第に我々に傾きつつあります」
熱が広がっていく。知らず知らずの内に拳を握りしめる。まっすぐに自らが仕える主君を継ぐ者を見据え、その言葉を一言一句聞き漏らさぬよう、傾聴する。
「スペルビアの勝利に必要なのは何でしょう。強力な魔法でしょうか、脅威を与える兵器でしょうか。それとも、神の御加護でしょうか。いいえ、違います。信念と誇りをその胸に抱く皆さん一人一人の力なのです」
そして、一呼吸の間をおいて、セリアはあらん限りの声で呼びかける。
「お願いします。その力で私を支えてください。この若く、力を持たない少女に、貴方の命を預けていただきたいのです。たとえ死しても、その思いと理想は未来へ繋げると約束します。再び、隣の者と手を取り合える日はまた来ます。愛する人が笑顔で過ごせる日はまた来ます。夢物語では終わらせません、一人一人の力を今こそ束ねる時なのです!」
いつしか、英雄も彼女の訴えに引き込まれていた。演説が取り分け上手いわけでもない、だが、不思議と心を打つ。それは彼女の人柄を知っているからなのか。
「今こそ、皆で世界に示しましょう。
「おおーっ!」
「セリア様、万歳!」
「我らの勝利の女神よ!」
「我が命は祖国のために!」
「スペルビアに勝利を!」
息を切らせた必死の声に、ゼムの兵たちは万雷の喝采で応える。まだ若い少女が国を担うには、威厳も力も足りない。それでも、心からの言葉は確かに兵たちの心を奮わせたのだった。
「……凄いな」
英雄は言葉がなかった。セリアも自分と同じように望まぬ戦いを強いられた弱い存在だと思っていた。ただ、王族に生まれたというだけで戦争の責任を負わねばならない立場なのだと。
「理解したか? あれこそがこの国の未来を背負って立つセリア様という存在だ」
「うん。俺、何かかっこ悪いな……自分勝手に判断して、可哀そうだなんて思って」
だが、セリアは強かった。生まれも、立場も、責任も、そして国を率いる覚悟もすべて受け入れてあの場に立っていた。彼女もあの演説のために迷うことがあっただろう。兵を死地へ送り出すことに辛さを覚えただろう。だが、彼女はそれを見せない。国を率いる者として、戦う力はなくてもその心は英雄よりもはるかに強い。
あの日、セリアが英雄に語った大事なものを守らせて欲しいという願い。それも立場的に言わねばならなかったのではなく、本心からの言葉だったのだと。英雄もようやく理解できた。
「……先日の件に関して、お前に対して俺の配慮が足りなかったことは確かだ。それは素直に謝罪しよう」
「……え?」
歓声に交じって届いたエルネストの言葉に、英雄は耳を疑った。だが、その表情が仕方なくといったものでなく、真摯なものであったことから、英雄も思わず毒気を抜かれる。
「あ……いや、こっちこそ。この世界のこと何も知らないのに勝手なことを言って……ごめんなさい」
「なんだ、素直だな。嫌味の一つも言われるだろうと思っていたんだが?」
「……自分の間違いを素直に認められないのは、本当に間違ったことだからね」
「ほう、なかなかの言葉だ。誰に教わった?」
「昔、幼馴染に言われた言葉だよ」
二人の間に沈黙が下りる。エルネストは再びタバコに火をつけ、煙をゆっくりと吐き出して言った。
「……イオリ、だったか。ユーリから話は聞いている」
「うん」
「お前の女か?」
「違うよ!」
真っ赤になって反論する。その反応が面白いのか、エルネストはククッと笑いを漏らすと冗談めかして言う。
「もし助け出せたら、戦争が終わってからなら式を挙げてやってもいいぞ。守護の巨人を操るスペルビアの英雄の婚礼だ。盛大に挙げてやる」
「いやいや、話が早いって!?」
「スペルビアじゃ十五歳は婚姻を結んでも何ら不思議はないぞ」
それは世界や国の文化の違いの問題だ。十五歳の中学生がそんなことまで意識することはまずない。
「あれ、十五歳で結婚できるってことは……セリアも?」
「……ああ。縁談の話自体は前から来ていた」
「政略結婚ってやつか」
「まあ、フォボスとの戦争が始まってから全て立ち消えになったがな」
そう言って鼻で笑う。その声はどこか嬉しそうに英雄には聞こえた。
「セリアが望む結婚ができれば一番いいんだけど」
「……同感だ」
エルネストが放った一言に英雄は驚きをもって彼を見る。セリア自身の幸せを願うような発言を彼から初めて聞いた。だが、体制に口を出すなと言っていた彼の口から出た言葉とは思えないようなものだ。
「あんた……実は腹の中じゃ俺と同じ考えの持ち主じゃないだろうな?」
「今更気づいたか」
タバコの煙を吐き出してニヤッと笑う。英雄は唖然として口元が引きつるのを感じていた。
「まあさすがに王制に異を唱えるつもりはないが、セリア様に幸せになってもらいたいという気持ちは同じだよ」
「……変な奴」
「ふん、異邦人に言われたくないな」
憎まれ口をたたき合いながらも、どこか二人には通じるものがあった。最初は気が合わない相手だと思っていたが、もしかしたら悪い奴ではないのかもしれない。そんなことを英雄は思い始めていた。
「――マスター。すぐにネクサスに乗り込んでください!」
「コスモス?」
突然、コスモスが声を上げる。余裕のない声色から、それが差し迫った自体であるとエルネストも勘付く。
「どうした?」
「ネクサスのレーダーに反応。この砦に向けてフォボスの大軍勢が向かってきています!」
「何だと!?」
「た、大変です、エルネスト様!」
興奮する兵たちをかき分けて、慌てた様子の兵士が駆け込んでくる。
「フォボスの軍が、すぐそこまで。機兵もいます!」
「馬鹿な、物見は何をやっていた!?」
「そ、それが……いずれも、何者かの手にかかって死んでいるところが先ほど見つかりました!」
「ちいっ!」
エルネストがタバコを吐き捨てる。そもそもこのところ、フォボスは小競り合いを繰り返すだけで全力での攻撃はしていなかったように感じていた。それが、セリアが慰問に訪れている時に大軍勢が押し寄せるなど話ができすぎている。
「まさか……内通者が」
物見が殺されたということは既に砦の中に敵が入り込んでいるということだ。或いは、中に裏切り者がいるということになる。もしフォボスの側にセリアがゼムに来る情報が漏れていたのであれば後者だ。
どちらにしても早急に行動を起こさねば大変な事態に繋がることは確かだ。そして、エルネストは報告を聞いて動揺する兵たちに号令をかける。
「聞いたな。この砦にフォボスが迫っている。我々のやらねばならないことはただ一つ。セリア様をお守りすることだ!」
「は、はいっ!」
「指一本、セリア様に触れさせるな。スペルビアの力を奴らに見せてやれ!」
「マスターも、早くネクサスへ!」
「わかった!」
咆哮をあげる兵たちの声を背中に聞きながら、英雄もネクサスへと走り出すのだった。
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