第17話 女神-VICTORIA-

「んーっ……ふう。これで一区切りね」


 最後の一枚に署名を終え、セリアは大きく椅子に座ったままで背を伸ばした。山積みだった書類もようやく全てを片付けることができた。軍を統括する地位としての決済に加え、国王代行としての内政の仕事。財政や立法など専門的な知識を要するものも多く、その度に家臣の助言を貰わねばならず、全てを終えた時にはすっかり夜も更けていた。


「セリア様。お茶をお持ちしました」


 休憩の時を見計らったかのようにクラリスが紅茶を淹れて差し出す。セリアの好きなレモンティーだ。


「ありがとう、クラリス」

「いえ、セリア様こそお食事もとらず、お一人での奮闘、お疲れ様です」


 レモンティーを飲んでようやく気を休めることができた。程よい酸味と砂糖の甘さが疲れをいやしてくれる。

 ゼムが落ちれば王都まではもうほとんど守りが残されていない。エルネストもユーリも前線へ出ているので彼女は一人で国務をこなしていた。

 一人で執務をしていて、セリアは普段彼らがどれだけセリアに負担をかけないよう、業務を整理してくれているのかが改めてよくわかった。


「お食事はただ今お作り致します。何かお召し上がりになりたいものはございますか?」

「いえ、簡単なもので構わないわ。皆が大変な時に一人だけ贅沢をするわけにはいかないもの」


 窓から城下の街並みを見下ろす。家々から見える明かりは戦争が始まる前よりも少なくなったように見える。戦争で油などが不足しているため、値がどんどん上がっていると先ほど目を通した報告書にもあったことをセリアは思い出す。


「……戦争で一番犠牲となるのは民です。彼らは戦う力も持たず、国のためという名目の下に財を搾取され、苦しい生活を余儀なくされてしまいますから」

「物資に関しては周辺国家が手を貸してくれれば、乗り切れなくもないと思いますが……しかし」

「ええ、皆フォボスの脅威を恐れてスペルビアに手を差し伸べることができないわ。もしこの国が滅ぼされれば、私たちを支援していた国も敵性国家として次の攻撃の対象となることは容易に想像できるもの」


 為政者として、その判断を非難することはセリアにはできない。もし自分が同様の立場になれば国主として、国を存続させ、民を守るために他国を見捨てる判断を下さざるを得ないだろう。特に異世界の技術を得て世界を武力で支配しようとするフォボスが相手であればなおのことだ。


「各国はスペルビアとフォボスの戦いの行方に注目しているわ。この戦いに勝てば蒼煌石と紅晶石の双方を手にできる……それは世界の命運を握るに等しいことだもの」


 現在、世界の動力として用いられている人力、火力、水力、風力、そして魔力。だが、その内最も強い力を発揮する魔力を発生させる鉱石「魔石」はスペルビアとフォボスでのみ採れるものである。スペルビアとフォボスはこの二つの魔石を主要な輸出品として財と地位を築いてきた国だ。

 かつての文明を失った人類にとって、膨大な力を爆発的に放つことのできる紅晶石と持続的に安定した力を放ち続ける蒼煌石は生活に欠かせないものとなっていた。だからこそ、フォボスが行った紅晶石の兵器転用は世界に脅威を与えた。


「……クラリス。また、私たちは過ちを繰り返そうとしているのかしら?」


 世界の経済の命運を握る二つの石、そして異世界の技術オーバーテクノロジー太古の技術ロストテクノロジーを手にすれば世界の覇権を握ることすら可能だ。フォボスはその道を歩もうとしている。スペルビアも国防のためとはいえ、蒼煌石を兵器に用いることに踏み切ってしまった。

 セリアが署名したものの中には禁断の地で発見した兵器の運用に関するものも少なくない。その中でも目を引いたのが現在配備を急ピッチで進めている大砲だ。すでにかなりの数が製造、調整されており、あとは前線に届けるだけというところまで来ている。


「……失礼ながら、私はその問いに答える立場にありません」

「わかっているわ。ただ、ちょっと愚痴をこぼしたい気分だったの。聞いてくれてありがとう」

「いえ、わたくしごときがお役に立てるのであれば、御存分に……では、お食事をお持ちしますので、しばしお待ちを」


 一礼してクラリスは踵を返す。そして執務室を出ようとドアに手をかけた時、反対側からそれは開かれた。


「セリア様、前線より書状が参りました」

「では、私が」


 兵士からクラリスが書状を受け取り、そして、セリアへと手渡す。それを一読するとセリアは控えている兵士に伝える。


「承りました。五日後には到着すると、エルネストに伝えてください」

「はっ!」

「セリア様、失礼ながら内容を伺ってもよろしいでしょうか?」

「……ゼムへ、私に来てもらいたいという内容でした」


 クラリスは驚く。エルネストが前線の危険な場所へセリアを呼ぶなど理解しがたい行動だ。


「今はヒデオさんや兵たちの活躍でフォボスは体勢を立て直すために兵を引いているという話よ。この機に完成したアーティファクトの砲兵隊を率いて私がゼムへ赴き、兵たちの士気を上げて欲しいって。エルネストらしいわ」

「慰問……ということですか」

「そうね。国を守るために戦ってくれている兵たちを労うのは当然だもの。私の言葉が皆の力になるのなら喜んで行こうと思うわ」

「承知しました。であれば、セリア様の動向をフォボスに悟られぬよう努めなければなりませんね」


 セリアは少しばかり、嬉しそうな様子だった。戦となれば男ばかりが戦い、女性はできることが限られている。そんな立場であっても、自分が戦いの役に立てる。そのことが喜ばしいのだ。


「……願わくは、これが勝利への一手にならんことを。セリア様が勝利の女神とならんことを」


 だが、そんな優しい君主を戦場へと赴かせるほどに、戦況は激しくなっているのだと、クラリスはセリアには黙りながらも強い不安を覚えるのであった。




 ◆     ◆     ◆




「……そうか、五日後にはセリア王女がゼムへ来るのだな」


 舞い込んだ報告に、フォボス指揮官のエルヴィンはほくそ笑む。既に、スペルビアの動向はその大半がフォボスに筒抜けであったのだ。


「いかが致す、エルヴィンよ」


 玉座から静かにかけられた一言に、エルヴィンは畏まりながら答える。


「この機を逃す手はありません。我が軍の全力をもってゼムを攻める好機かと」

「その障害となるのは恐らく、例のスペルビアの機兵……エルヴィンよ、策はあるのか?」


 漆黒のマントをまとうその人物は腰かけたまま威圧に満ちた視線を向ける。エルヴィンに対してそれは愚問であるが、その答えに彼は期待しているようだった。


「お任せを、陛下に満足いただける策を用意してございます」


 フォボス国王――コルネリウスはその答えに薄く笑う。


「まもなく、新たな機兵が完成致します。それを使い、スペルビアの機兵ごと始末してご覧に入れましょう」

「ほほう……して、その機兵。名は何と申す?」

「我らがフォボスを勝利へ導く存在として、これほどの名は無いでしょう……その名、『勝利の女神ヴィクトリア』の名に懸けて、この戦争に勝利を」

「ヴィクトリア……ふふ、ふははははは!」


 コルネリウスの哄笑に、エルヴィンをはじめ、その場の者たちはいずれも足をそろえ、右拳を心臓の位置に置き、左手を高々と上げてその名を高らかに呼び始める。


「全ての勝利は貴方のために!」

「フォボスに栄えあれ!」

「覇王コルネリウス、万歳!」

「コルネリウス陛下、万歳!」


 波の様に押し寄せる、己を称える声にコルネリウスは満足そうに立ち上がる。


「よかろう、エルヴィンよ。その貴様の策、楽しませてもらうとしよう」

「お任せを!」


 靴音を響かせ、コルネリウスが玉座を後にする。その威風堂々とした姿は見るもの全てを畏怖させ、覇王たる風格を万人に知らしめていた。


「さあ行くぞ! 精鋭たるフォボスの兵よ! 選ばれし国の力をスペルビアに見せつける時だ!」

「おおーっ!」

「陛下こそ世界の覇者!」

「フォボスこそ、この世の頂点」


 そして、エルヴィンの号令で王の威厳に当てられた兵たちが沸き立つ。魔法技術と異世界の技術オーバーテクノロジーによって築かれた圧倒的な軍事力に裏打ちされた自信から、彼らはフォボスの勝利を微塵も疑わない。


「スペルビアよ、セリア王女よ。遂にその命運も尽きる時だ!」


 そう、高らかにエルヴィンは宣言するのだった。

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