第03話 迷人-Foreigner-

 そこには、何もなかった。

 何も見えない、何も聞こえない。闇の中で上を向いているのか下を向いているのかもわからなかった。

 あの黒い渦は何なのか。そして今、どこへ向かっているのか。その答えはどこにも見つけられない。ただ、身を任せる以外にはなかった。


「……光?」


 闇の先から少しずつ光が差し込んでくるように見えた。しばらくして、それは逆だと気付く。光がこっちに向かっていたのだ。

 蒼い光が闇を照らし、全てを包み込む。その暖かさの中で英雄の視界は徐々に開かれて行って――。


「――え?」


 突然体に重みを感じたと思った瞬間、英雄は落下した。


「うわああああ!?」


 そして、背中から硬い地面に叩きつけられた。


「痛たた……何なんだよいったい……」

「Yor rela hou!」

「わっ!?」


 体を起こした彼に、後ろから大きな声がかかる。そして振り向き、彼はさらなる驚きを覚えた。


「Shyopyse aig」

「……はい?」


 周りから槍を向けられていた。

 見れば全員アニメや漫画で見たことのあるような中世の鎧姿。英雄は状況を整理しようとしたが……既に理解のできない状況に飛び込んでいる中で何を理解すればいいのかわからなかった。


「Welleis mer!」

「ちょ、ちょっと待って!?」


 槍の先端がさらに近づく。まるで槍を突き付けられるような覚えはないが、彼の目の前の兵たちが厳しい顔で彼を警戒している様からは何とか抜け出なくてはならない。


「ス、ストップ! アイアムノットエネミー!」


 初めて聞く言葉。どう聞いても日本語ではないが、拙い英語で自分は敵ではないことをヒデは全力でアピールする。


「ボンジュール、グーテンターク!」

「Iyis uiyg yingsy ils atwe?」

「Ait ils rdwa ounuk」


 試しに、フランス語もドイツ語も使ってみるがまるで反応がない。そもそも通じてもそれ以外の言葉が知識にないのでどうしようもなかった。


「Tycika ait!」

「ちょ、ちょっと待って!?」


 中心に陣取る金髪の人物が号令を出す。兵士が一斉に動き出して抑え込もうとする様子に、絶望感を感じる中、その声は響いた。


「――Opt ait!」


 凛とした、女の子の声だった。

 俺の体を押さえつけて怖い顔をしていた兵士たちが一斉に離れ、槍も引いて道を開け始める。


「Improsse!」


 その奥から現れたのは、いかにも身分の高そうな身なりの少女だった。兵士たちの反応から見て、姫か王女の立場にある人だということは英雄にも分かった。


「Am eim rys……Lentryap Am otg olvedyghn ait emsse」


 少女は申し訳なさそうな顔をしながら、手を差し出した。

 そして、その手を取って目を合わせた時に、英雄はあることに気付いた。


「……伊織?」

「Atwe?」


 その少女は、伊織に瓜二つだった。

 髪の色は金髪で目の色も緑色。別人だということにはすぐに気付いたが、あまりによく似ていたことに英雄は驚いた。


「Urlyo merna ils "イオリ"?」


 少女が英雄を指して「イオリ?」と首をかしげる。

 前半の言葉の意味は分からなかったが、英雄は、その反応から名前を聞いているのではないだろうかと思った。


「違う違う。英雄。俺はヒデオです」

「ヒデオ?」


 頷いて俺はヒデオだと強調する。

 もう一度確かめるように「ヒデオ?」と呼ぶ彼女に、英雄は頷いて肯定する。


「ヒデオ。Urlyo merna ils atta!」


 笑顔で少女も頷いた。まずは、名前だけは伝わったことにちょっとした安堵を覚える。


「Seria ils meye merna」

「はい?」

「Seria」

「……セリア?」

「Ersy! ”セリア”!」


 少女も「セリア」と名乗る。

 ここまでのやり取りで、恐らくは「メルナ」と言う言葉が「名前」に当たるものではないかと英雄は思った。


「ヒデオ……Ait ils urro ultai Am guhtb reaha atta.Am rerryswe auret ait tow zy urlyo rildw luwi……」

「えっと……?」


 だが、名前を伝えあって安心したのもつかの間。セリアが何かを話し始める。

 身振りや手振りを加えてはいるが、ほとんど内容が伝わってこない。


「……Am iynu ubretturuo zuwa.Ait emsse atzur zy uord lduwo tarrndundars nit dorse」


 困っている英雄を見て、まるで言葉が通じていないことにセリアも残念そうにため息を吐いた。


「Wey edden meety……Iyis zy sunpar kyty tow esttug owml」

「Ersy!」

「え、なに?」


 セリアが兵士たちに何かを言うと。皆がそろって敬礼し、英雄を取り囲む。

 一瞬だけ、捕まえるのかと思ったが、扱いは乱暴ではなかったことに英雄は安堵した。

 何が何やらわからない中で広間から出ていく中で英雄は、兵士がそろって口にした「エルスィ」という言葉が、もしかして「了解」とか「はい」とかの意味なのだろうか。そう考えていた。



 ◆     ◆     ◆



「……はあ、困ったわ」


「ヒデオ」と名乗った少年が兵たちに連れられて出ていくのを眺めながら、セリアは深いため息をついていた。


「『貴方の世界に必ず返してあげます』って言っても、全然伝わらないのだもの」

「可哀そうに。あの分だと、この国が戦争中ということを知るのも先のことになるだろうねえ」


 茶化すような口調でユーリが肩をすくめる。だけどその言葉の裏で彼の表情には落胆の色が見えていた。

 無理もなかった。軍を指揮する立場として、この戦況を左右するかもしれなかったこの召喚が失敗に終わったことは、肩透かしを食らったと言える。

 それに、召喚で少しでも戦いの役に立つものが手に入ればと思っていたのは彼だけではない。エルネストも平静を装っているが、多少期待していたことで少なからず落胆している。


「セリア様。とりあえず今日のところは混乱しているあの少年を落ち着かせる意味でも客間を使わせることに異論はありませんが……」

「はい、わかっています」


 いくら、こちらの落ち度で召喚に巻き込んでしまったとは言え、いつまでもお客様扱いで置いておけるほどこの国にも余裕はなかった。


「彼にはしかるべき仕事を与えようと思います」

「そうですね……エルネスト、あの方のこと、任せてもいいかしら?」

「承りました」


 心苦しくはあるが、しばらく働いてもらうことが妥当であるとエルネストの進言をセリアも承諾する。ユーリはそれを聞いて苦笑した。


「そうは言っても、言葉の通じない奴にできる仕事なんて、ほとんどないでしょう。言葉も理解できてない。セリア様、例の噂、ありゃ嘘だったんですかねえ?」

「噂ですか?」

「異世界から来た奴は、その国に富と力を与えるって話ですよ」


 それは、近年広まり始めた噂だった。

 フォボスの勢力が強まり始めた頃から、違う文化圏から来た人々はこの世界の人々の知らない技術や知識を持っており、それを伝えてくれるという。

 となれば、ヒデオと名乗った少年もセリアたちの知らない何かを持っていると言える。


「それは……」

「噂は噂だ」


 そんな中、ぴしゃりとエルネストが言い放つ。

 国政にかかわる者として、根拠のない話をあてにすることは彼の最も嫌うことだった。


「確かに、フォボスは異界の物と思える技術を使っている。だが、我々同様に人間を呼び寄せたという話はまだ確認ができていない」

「へいへい、ごもっともなご意見ですな」

「……そもそも言葉が通じない以上、技術も知識も伝えられんよ」

「ま、そうでしょうな。それに、呼んだのがセリア様と同じ年頃の坊主じゃあな」


 ユーリの言葉は兵たちの心情を代弁していた。フォボスの力の秘密の一端に、あと少しで手が届きそうだった。だが、貴重な紅晶石まで使用して失敗に終わってしまっている。

 命を懸けて魔導書を入手してくれた兵に、どう償えばいいのか。セリアも心の中でひたすら謝罪するのみだった。


「……どうやらこの魔法では、異世界から呼び寄せられるものを具体的に指定できるわけではないようだな」

「まっ、そこがわかっただけでも収穫ってもんですかね」

「フォボスの軍勢の侵攻速度はあまり早くない。もしかしたら安定して装備を供給できていないのかもしれん」

「こちらとしては、そこが唯一の救いだよ」


 エルネストが伸びてきた顎ひげをいじる。それは、彼が頭脳を必死に回転させている時の癖だった。


「セリア様、明日より遺跡の発掘調査を行おうと思います。私も何か有力な情報がないか、古文書をあたってみようと思います」

「よろしくお願いします、エルネスト」

「召喚でお疲れでしょう。今日のところは我々に任せてお休みください」

「じゃあ、俺もそろそろ最前線へと戻るとしますかね」


 ユーリがあくびを噛み殺し、先に広間から出て行こうとする。そんな彼に、思考を止めてエルネストは声をかけた。


「今夜の内に戻るのなら、酒を用意しておいた。受け取って防衛隊の者たちに持って行ってやれ」

「お、気が利くじゃないの」

「俺だって、労いはするよ」

「ありがたくもらっておくよ。ではこれで失礼、セリア様」


 ひらひらと手を振って去っていく。

 あまり畏まらない態度にエルネストは眉を顰めるが、セリアは気楽に接してくれる姿に思わず微笑んでしまう。


「……では、私もこれで」


 憮然とした表情でエルネストも去っていく。

 セリアは、そんな真面目な彼の砕けた表情も少し見てみたいと思うが、やはり難しい注文だろうと苦笑いするのだった。

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