第02話 神隠-Missing-
そして、あの日から三年が経過していた。
「よう、伊織。見ているか?」
桜の木にもたれかかって、英雄は伊織に呼び掛けた。
こうして毎日、その日あったことを彼女に報告するのが英雄の日課になっていた。
「ほら見てくれ、卒業証書だ。今日は卒業式だったんだ」
来月から、英雄は高校生となる。電車を使って隣の町へ通学することになった。だからこの道を通ることはなくなる。三年間、欠かさず行って来た日課も今日が最後だったのだ。
「答辞だけど、ちゃんと読めたか怪しいな。小学校の卒業式の時、伊織はあれを堂々と読んでいたんだから凄いよ」
小学校の卒業式では、在校生と保護者を前に伊織ははっきりと答辞を読み上げていた。英雄は足も声も震えていたのが自分で分かるほどだった。
生徒会長になって、それなりに人前で話す度胸もついたと思っていた自信も、やはり式典の特別な雰囲気の前には付け焼刃の物だったと自覚させられてしまった。
「ま、それでも俺の晴れ姿を伊織に見てもらいたかったな」
伊織が行方不明になってから、英雄は一人で中学生活を頑張り抜いていた。
苦手だった勉強も頑張り、いじめにも負けないで学校に通い続け、友達も増やし、小学生の頃の自分とは決別していた。自分自身を「俺」と名乗るようになったのもあの日以来だ。
伊織が言っていた、「その気になれば」を実践したのだ。精力的に活動した結果、遂に二年生の終わりには生徒会長に就任していた。
だがもしも伊織が一緒にいたら、そこにいたのは彼女だったかもしれない。皮肉にも、彼女がいなくなったからこそ、英雄は成長したと言えた。
「あ、そうだ。今日は、伊織に見せたいものがあるんだ」
懐からスマートフォンを取り出す。さきほど親から渡されたばかりの新品だった。
「じゃーん、高校の入学祝いのスマホだぜ!」
高校は町の外だからと親が持たせてくれたものだった。
まだ、必要最小限のアプリケーションのみをインストールしただけだが、英雄は家に帰ってから色々と確かめるつもりだ。
「いいだろ。高校入試で頑張ったから奮発してもらったんだ」
進学先の高校は進学校だった。英雄のいる中学校からそこへ進学した生徒はほとんどいない所だから、快挙だと話題になっている。
彼がそこを選んだ理由は、自分の将来の進路のこともあるが、「もしかしたら伊織ならそこへ行けたかもしれないから」という単純なものであった。
「そうだ、一つ伊織にいいニュースだ。伊織にも卒業証書が授与されるってさ。一度も出席していないのになんかずるいぞ」
英雄は頬を膨らませる。入学以来、伊織の席は空っぽで卒業までずっと教室の隅を独占していた。季節が過ぎて、学年が変わって、英雄が、当時の伊織の身長を抜いても、そこに座っている伊織の姿のイメージはあの日のまま変わらない。
「……ほんと、どこへ行っちまったんだよ。おじさんも心配しているんだぞ?」
妻を亡くしてから、男手一つで伊織を育ててきた彼女の父が年々老け込んでいく様を英雄は見ていた。その姿は見ていていたたまれない。
あの日、英雄に告白して別れた後、伊織は突如消息を絶った。
彼女と別れたこの場所から家までは一本道だから、迷うなんてことはあり得ない。
真面目な性格だから寄り道もしない。不審な人についていくこともあり得ない。
警察も多くの人を投入して捜索したが、不審者や妙な車の目撃情報もなかったという。
唯一の手掛かりは伊織が失踪した時間帯に、近所で雷の音がしたという証言だった。だが、その日は快晴で、いかにも卒業式日和と言える日和だった。英雄のいた地区でも雷の音を聞いたという話は全くなく、結局は事件には関係ないとされていた。
卒業式直後、中学への進学を控えていた人気者の少女の失踪ということで、世間ではセンセーショナルに報道され、「神隠し」とも呼ばれたが、しばらくすると別の話題がワイドショーを独占し、彼女の報道は世間の人々の記憶からも消えて行った。街中に貼られている探し人の張り紙が唯一の名残だった。
英雄は、この「神隠し」という言葉が嫌いだった。
伊織の未来は幸せなものが待っているはずだった。自分のことだけじゃなく、他の人にも気を配れて。誰かのために体を張ることができて。そんな彼女が初めて自分だけのために幸せを求めた。
英雄は、そんな伊織だから好きになった。だから、その思いに応えたいと思った。
「なのに……何で神様に誘拐されなくちゃいけないんだよ!」
いつの間にか握っていた拳を桜の木に叩きつけた。
何の謂れもなく、彼女が望んでいた未来を与えない神様なんて、もしいたとしても願い下げだとむしろ恨むような気持の方が上だった。
「同じクラスになれたらいいねって言ったじゃないかよ……」
なのに、一度も同じ場所にいられなかった。
「好きって言わせてくれよ……」
一緒に学校に通い、三年間の中学生活の中で様々な思い出を作ることができたはず。幼馴染としてではなく、恋人としての時間。二人で過ごす時間はかけがえのない物になったに違いなかった。
隣にいるはずの笑顔の伊織の姿、それが、ない。
英雄の思いも、あの日の、あの時で止まったままだった。
もしもあの日、返事ができていたら伊織が家に帰る時間は変わっていたかもしれない。一緒にいたら、伊織が行方不明になることはなかったのかもしれない。そう思う度に、胸が締め付けられた。
今でも後悔が残る。あの日、たった一言「好きだ」と言えなかったことが、彼女だけでなく、自分自身の未来さえ奪ってしまったように、英雄は感じてしまう。
「会いたいよ……」
どれだけ成長したのだろう。カッコよくなっているのだろうか、それともより女の子らしくなっているのだろうか。
だが、今は幻影の中だけでしか伊織と会えない。三年の間に、記憶の中の声もだんだん薄れ始めてきている。
「今の俺、伊織と釣り合う男になってるのかよ?」
知るのが遅すぎた。あれは好きな人の前でカッコつけたいだけだったんだと。
頭もよくて、スポーツも得意で、みんなをまとめることができる伊織の隣に立つ自分をイメージした時に、これまでの自分じゃカッコつかないから自分を変えた今だからわかる。
今の自分を見てもらいたい。姿を見たい。声を聞きたい。
「一体どこにいるんだよ、伊織!」
あの日と同じ、桜の舞い散る中で空に向けて英雄が叫んだ。その時だった。
――
「……え?」
どこからともなく声がした。
周囲を見渡すが、誰の姿もなかった。
――
「な、なんだ!?」
空にバチバチと火花が散るような音が聞こえる。
英雄が見上げた頭上には、黒い渦のようなものが空に発生していた。
――
渦が大きくなって、その中心へ向かって風が起こる。
足下の桜の花びらが舞い上がり、天へと昇っていく。
――
「わっ!」
雷が落ちたかと思うほどの轟音が耳をつんざき、空に大穴が開く。
渦が一気に広がり、その中心へと周囲のものが一気に引き寄せられる。
――
周囲にあった自動車が、自転車が、そして英雄の体が、あまりの吸引力に宙に浮き始める。
「何だよこれ!?」
空中に投げ出され、どんどん渦の中へと迫っていく。その先には闇しか見えない。
「冗談じゃない!」
何とか抜け出そうと、必死にもがく。だが、支えもない空中ではどんどん渦へと引き込まれてしまう。
「誰か、助けてくれ!」
伸ばした手が空を掴む。
足が、膝が、体がどんどん渦の中に引きずり込まれていく。
「父さん、母さん!」
家族と別れたくない。卒業を祝うために、家でみんなが待っているのに。
まだ、死にたくない。もう一度――。
「伊織ーっ!」
大好きな人に会いたい。
――
「いやだーっ!」
周りには誰もいない。誰も助けてくれない。
必死の抵抗もむなしく、英雄は闇の中に引きずり込まれたのだった。
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