第01話 召喚-Calling-
この国は滅びへと向かっていた。
「報告します! レーリ砦が陥落し、フォボスの軍勢はウェンルーに向かって進軍中!」
舞い込んだ報告に驚き、エルネストが口にしていたタバコが床に落ちた。
「馬鹿な、あの堅固な砦が落ちただと。先王の時代から一度たりとも敵の突破を許したことのないあの砦が」
「そして、ルイ将軍も……戦死されました」
絞り出すような声でそれは告げられた。その場にいた全ての者から驚きの声が上がる。
「くっ……我が国きっての魔法の使い手だぞ。あの男が討ち取られるなど!」
「エルネストの旦那、事実は事実だ。受け入れろ」
落ちた煙草を踏みにじり、いらだちを隠せないエルネストを諭すように、肩に手が置かれる。
さすがに取り乱していたことを自覚し、エルネストは二、三度深呼吸すると、いつもの冷静さを取り戻す。
「……すまない。みっともない所を見せた」
「気持ちもわかるよ。こっちこそ、指揮官としてこの不始末。情けなくなってくるぜ」
軍を指揮しているユーリが肩をすくめる。軽い口調だが、その言葉には悔しさがにじみ出ていた。
「フォボスの奴ら、何やら妙な武器を使っているって話だが?」
「はい。魔法の発動……魔石の使用は確認できません。これくらいの、小さな筒から鉛の玉を発射していました」
兵が手でその形を、口でその威力のほどを示す。だが、実際に見てきた彼でもいまだ信じられないといった顔だった。
「個人の戦闘力によらず、相手を殺傷することに特化した武器と思われます」
「ルイはそれに撃たれたということか」
それ以外にも、馬もなく自走する鉄の塊。弓の射程距離の外から敵を射抜く金属の筒。夜間でも遠くまで照らせる光を放つ道具など、見てきた兵の目と耳、もしくは正気を疑うようなものの存在が次々と報告されているという。
圧倒的な軍事力を前に精神に異常をきたす兵士は確かに存在する。だが、口をそろえて不可解な報告が相次げばいかに異常でも信憑性が増す。ユーリは報告を聞けば聞くほど表情がひきつるのを感じていた。
「……なんだそりゃ。明らかにこの世の技術じゃねえぞ」
「
「それじゃ、例の噂は本当ってことか?」
最近まで隣国のフォボス王国と、このスペルビア王国に技術の差はほとんどなかった。
あえて言うなら魔法技術の違いくらい。それでも、国同士の決定的な力の差を生み出すほどではなかった。
しかし近年、謎の技術を手に入れたフォボス王国は急速に軍事力を強めた。噂によれば、魔法によって異世界の技術を得たとのことだが、その魔法の術式、そして噂の真偽は判明していなかった。
「認めざるを得まい。奴らは我々を……いや、世界のどこよりも優れた技術を手にしている。それは
「ちっ……なんてこった」
はるか昔、この世界には人の英知が無数に形を成していたという。
指先一つで物事が片付き、歩かずとも目的の場所へたどり着くことも可能であった。
だが、より豊かに、より便利にという人の心は限りがなく、遂にその欲望は外へと向けられた。すなわち、戦争だ。
人の生活を豊かにするために用いられてきた技術はより効率よく、より大規模に人を殺傷することを目的としたものに変わった。
全ての国が、自衛のため、侵略のための名目で技術を競い、やがて、禁じられた技術に辿り着く――その結果、世界は一度焼き尽くされた。
世界は大半の人口を失い、過ちを悔いた太古の人々は、その力を放棄することを選んだ。全ての技術は封印され、文明レベルは千年以上昔に逆戻りした。
そして、再び立ち上がるために人は新たな技術を基礎に生き始めた。それが、はるか昔の話だ。
「やれやれ、どうするかねえ。戦力差は歴然だ」
「申し訳ありません……私に力がないばかりに」
「……姫様」
「せめて国王陛下がご健勝なら……」
「おおっと、それ以上は駄目だ姫さん。部下の士気にもかかわる」
圧倒的なカリスマと指導力で、絶対的な君主として民を導いてきた国王は重い病気で国の指揮を執れる状態にない。だから、国事の決定権は若干十五歳のセリア王女に預けられている。だが国難を前に、セリアはどうすればいいのかわからなかった。国を導くのにはまだ若すぎたのだ。
「……やむを得ない。セリア様、遺跡の発掘の許可をいただきたい」
「おい、エルネスト!?」
「我が国の
太古の科学技術を封印したこの世界の人々に残されたのは魔法の技術。そして、それを使うための媒体、紅と蒼の二種類の「魔石」だった。しかし、その用途は色によって違い、産出量も地域によって限られている。この国でも採れる物は蒼い石――蒼煌石と呼ばれる――が大半だ。
「戦争には紅晶石が必要だ。だが、我が国の産出量はフォボスには遠く及ばん。ならば蒼煌石でも使える武器が必要だ」
「……ああくそ、背に腹は代えられないか!」
セリアにも、エルネストの言うことも分からないわけではない。
確かにフォボスに対抗し、国を守るためには
「ご決断を」
「……兵器は、戦争後にしかるべき場所へ再び封印をしてくれると約束してくれるなら」
「必ずや。王家の名に懸けて、誤った使い方をしないと誓いましょう」
エルネストは、神妙な面持ちだった。
もし、戦局を変えられるほどの武器……兵器を発掘した場合、彼の行動次第で救国の英雄か殺戮者の烙印か、二つに一つ。不安なのは彼も同じ。それでもこの国を守るために己を奮い立たせる。
「可能ならば、早期に和平に持ち込めることを願います」
「……必ずや」
「――い、一大事でございます!」
エルネストが手配を始めようとしていたその時だった。
また一人、血相を変えて兵士が駆け込んで来る。
「はあ……今度は何だぁ?」
また悪い知らせかと、ややうんざりした様子でユーリがその言葉を受け取る。
だが、報告を受けたその表情がすぐさま驚きと、動揺に変わる。
「すぐにここへ連れてこい!」
「し、しかしセリア様の御前を血で汚すわけには」
「緊急時だ、そんなもん無視していい!」
「わ、わかりました!」
エルネストも驚きを見せる。
言葉遣いは悪いが礼節をわきまえているユーリが、その信条をも無視するほどの報告が入ったというのだ。
すぐさま、廊下があわただしくなる。左右から支えられて連れてこられた兵士は全身を報告にあった例の敵の武器で撃ち抜かれ、大量の出血で生きているのがやっとの状態だった。
「そこに寝かせろ。すぐに治療する!」
エルネストが紅晶石を取り出し、治療の魔法を使おうとするが、その兵は手でそれを断る仕草を見せる。
「魔石は、貴重品です……私のような者に使うなど、勿体のうございます。それに、私は……もう、助かりません」
いつ事切れるかわからない状態で、その者は懐から大事に抱えていたものを取り出す。
「将軍……これ、を…」
血にまみれ、震える手を前へと出す。
そこには、一冊の書物が握られていた。
「手に、入れました……奴…らの、魔導書…を」
「こいつは……まさかフォボスの!?」
「はい……異世界、の…技術を…得ようとしていた所を強襲して……手に、入れました」
ユーリが受け取り、エルネストへと手渡す。
彼も、それが我が国に存在していない貴重な魔導書であることを認めた。
「よくやった。大切に使わせてもらうぞ」
「はい。どうか……これ、で…我……が国、を」
兵の目から光が失われる。
そして、満足した表情で彼は息を引き取った。
「おい、しっかりしろ!」
エルネストがその死を確認する。
そして、その魔導書に一通り目を通すと兵たちに指示を飛ばした。
「保管してある紅晶石の中から特に大きいものを四つ用意しろ!」
「し、しかし……紅晶石は我が国にとって貴重品」
「この魔法、成功させれば戦局を一変させる可能性すらある。貴重品とて使う価値がある。構いませんな、セリア様?」
セリアは、今度は迷いなく頷く。
命を懸けて魔導書を入手してくれた彼の思いを無駄にするわけにはいかないと彼女も決断する。
「国王代理として許可します。今すぐに必要なものをそろえてください」
「はっ、承知しました!」
弾かれたように兵たちが走り出す。どこかその雰囲気に、期待をはらんで。
それは、しばらくこの城になかった様子だ。絶望的な戦力差の中で生まれた希望。私はそれを必ず繋がなければならない。セリアは、そう決意を込めて歩き出した。
◆ ◆ ◆
その日の夜に、召喚の儀に必要なものは整った。
古文書に記されたとおりに配置された紅晶石。引かれた魔法陣。
それを前に、セリアは深呼吸する。
スペルビアにとって貴重な紅晶石と『召喚』の術式を収めた魔導書を手に入れるために失われた兵の命。それらを背負う彼女は心の中の使命感と不安で緊張していた。
「肩の力をお抜きください」
そんな、気負うセリアに声がかかる。エルネストだった。
「参謀として、この策に責任を負うのは私です。それに、仮に失敗したとしてもまだ手はあります。貴方が過剰に気負う必要はないのです」
「……ありがとう」
「臣下を信じてください。我々はまだ誰一人、諦めておりません」
彼は古参の家臣だ。セリアが物心ついた時には少年でありながら国に仕えていた。
だからこそ、彼の言葉にはセリアは安心を覚える。ずっと彼女を見てきた、支えてきたからこそ、セリアは彼に全幅の信頼を置いている。
「いきます」
エルネストたちが兵に陣から離れるよう促す。
かがり火が焚かれ、暗い広間に静謐な雰囲気が漂い始める。
セリアは魔法陣の前に立ち、用意された紅晶石を手に取ると、強く念じ始める。
「
紅晶石が紅い光を放つ。その石が放つ魔力に呼応して配置されている石も赤く輝き始める。
「
魔法陣が赤き光を放ち、紅晶石の一つが砕ける。
内包されていた膨大な魔力が噴き出し、宙に集結していく。
「
また一つ砕ける。風が巻き起こり空間に穴が穿たれる。
そして、そこを起点に魔力の渦が発生する。
「
また一つ、紅晶石が砕ける。異界へと道が繋がり、あちら側からこちら側へと物体を招き入れる。
固唾をのんで見守る家臣たちの期待に応えるためにも、フォボスの侵攻によって恐怖に怯える国民のためにも、この魔法は成功させなくてはならない。
「
四つ目の紅晶石が砕ける。
残された紅晶石の数、そしてその大きさから考えて、膨大な魔力を使って時空を超え、この世界に何かを招き入れる魔法、『召喚』を使うことができるのは恐らくこれが最初で最後。だからセリアは思う。願わくはこの戦局を好転させる何かを、この地にと。
「――
最後に、セリアが手に持つ紅晶石を投げ上げる。
空中で砕けたそれは柔らかな光を放ち、膨大な魔力の奔流の道筋を作り上げる。
「お願い……」
この世界を救うため、この国を守るために。どうか――誰もが開かれた道を前に、そう願わずにいられなかった。
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