最終幕 The Hollow Woman
――とうとう、その時がやってきた。
神のごとき名探偵の裁きによって夜の闇に蠢く悪意の悉くは白眉の下へと暴かれ、幻想の世界は永劫の日常のなかにその無残な骸を晒される――――そんな時が。
「そうじゃ――この事件のカギは、まさにこの小説のタイトルにあったのじゃ」
「『The Hollow Woman』――この国の言葉に訳せば、『うつろな女』といったところじゃろうか。――『うつろな女』! おお、そうとも、まさに犯人とは『うつろな女』だったんじゃ! のう乱ポール。お前さん、不思議には思わなんだか。何故被害者は、手裏剣などという、奇矯な凶器で殺されねばならなかったのか。いくらニッポンでも、手裏剣が容易く手に入るもんじゃろか」
ヘル博士の言葉に、我々は互いに目を見合わせた。
「つまり、犯人は必然的にニンジャということになる。じゃが、これがニンジャの犯行だとすると、何故一般人がニンジャに殺されるというのじゃろうか。ニンジャとはこれすなわち、隠密じゃ。あまり目立った行動をとって、一般人にその存在を明かしてはならぬ。なら、たとえ自分がニンジャだということがばれても、問題ない人物が殺されたと見るのが妥当ではないじゃろうか?」
「いったい、何を言っているんですか?」
私は博士の推理についていけなくなってきた。
「つまり、殺された被害者もまたニンジャだったのではないか、という推論がこれで成り立つわけじゃよ! つまりこれは、ニンジャによるニンジャのためのニンジャの殺害事件じゃったんじゃ!」
「ニンジャ同士の……殺し合いですか?」
「違う! まだ判らんのか。この驚くべき事実と、そしてこの驚くべき密室消失事件とを――繋げて考えてみるんじゃ! 消えた衣類と、床に散乱した灰の結びつけた、あの発想と同じじゃよ、乱ポール。二人のくノ一の少女と、そしてその消失とを、結びつけるのじゃ! 二人がニンジャであるということは、どういうことじゃ。二人が似たような恰好をしていたとは、どういうことじゃ。まさにこれは、うつろな女の犯行じゃったんじゃよ!」
――そ、そんな。まさか!
そして――ついに博士はその真相を語った!
「そう――犯人と被害者は、実は同一人物じゃった。オカミが見たという犯人の姿は、被害者が『分身の術』で作り出した幻だったんじゃよ!」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっっ⁉」
まさに、衝撃の真相だった。
「そうじゃよ! そう考えれば、辻褄が合うではないか。二人に見えた人間は、実は一人じゃったんじゃ‼ 思えば簡単なことじゃった。ニンジャとなれば、『分身の術』が使えるのは当たり前のことじゃからの!」
「いやいやいや、合いませんよ! 一体どこの辻褄が合っているんですか! え。それじゃ被害者は自殺だったって言うんですか?」
「当然じゃろう。本当は一人だけじゃったんじゃから。部屋に被害者が一人でいる以上、被害者を殺せるのは被害者自身だけじゃ!」
ヘル博士はまるで今頃になって1+1を教えてもらいたがる中学生を見るかのような目で私を見る。
「ま、待ってください。それじゃ被害者は自分から服を脱いだっていうんですか? わざわざ紙素材の服まで用意して? わざわざ密室殺人に見えるように色々な工作までして? どうしてです、納得できませんよ。一体そんな行動に、何の意味があるんです!」
だが、博士はそんな意見も一蹴する。
「じゃからな、お若いの。さっきそこの刑事さんに、そんな必然性は考えるなといったじゃろう。部屋を密室にしたのは、まあ、謎と神秘を好む我々の望みに応えた、少女の粋な計らいじゃったのじゃろう」
「粋な計らいって……」
「んで、少女が素っ裸じゃったのは、まあ、露出狂の変態だったか、さもなくば自分が死ぬ時なんじゃから、生まれた時と同じ姿でいたかったとか、まあそんなところじゃろう」
そして博士は感動したように叫ぶ。
「おぉ、なんと詩的な、そして寓意性に満ちた光景じゃろう! 人間とはいくら富と名声をものにしようとも、最後は裸で死んでいく運命なのじゃ。そう考えれば、少女が死んだ密室という状況も、きわめて暗示的に思えてくるではないか。密室とはすなわち胎児がその生を受けた場所、即ち母体の子宮のメタファーじゃ。胎児よ、胎児よ、なぜ踊る? おぉ、バッカス。これぞ神の啓示じゃ」
「いやそんな観念的な言葉なんかじゃごまかされませんよ! そんなことがありえるわけがないじゃないですか!」
脇で聞いていた推理小説家が食って掛かる。
「なんじゃと、推理小説の悪口を言うのに、『ありそうにない』という言葉は最もふさわしくない言葉なのじゃぞ!」
「あ、ひでえコイツ。
そんな推理作家を無視して、私も博士に疑問をぶつける。
「そ、それにですよ、博士。百歩譲って博士の推理が正しいとして、じゃあその分身の術自体の
「そんなことわしが知るかい。山田風太郎先生にでも訊けばよかろう。それは恐らく、我々英国人には永遠の謎として残るであろう。まさにニンジャの国の不可思議、東洋の神秘じゃ!」
「あんたノックスの十戒を知らないのか⁉」
「あれは中国人じゃろうが! 日本人は関係ないわい!」
と、そう博士が言い終わるか終らないうちに、不意にどこからともなくタライが飛んできて、博士の頭部にしこたまに打った。
「ぎゃ。あいたたた。なんじゃいこのタライは!」
「大変です、博士が推理した真相があまりにもひどかったために、真面目なミステリファンたちが揃って罵声を上げて、物を投げつけてきます!」
オカミがヒステリックな声を上げて報告をした。
「な、なんじゃと。バカな。物理的に考えて、三次元世界の読者が二次元世界の我々に物を投げられるわけがない! なんという不思議。これぞ密室をも超えた最大の謎じゃ! あ、汚ね! なんというやつらじゃ! 生卵まで投げてきやがった!」
博士は悪態をつくが、その口に容赦なく特大のパイがお見舞いする。
「あは。あはははは。こ、これでいいじゃないですか。ね? そうでしょう。やっぱりカーのパロディと言ったら
羽戸刑事も状況についていけず、ついに半狂乱となったようだった。
乱れる群衆。暴動。怒号。ハラキリ。バリツ。らんちき騒ぎ。暴徒化したデモ隊が安田講堂を占拠し、三島由紀夫が金閣に放火する。そこら中で辻斬りが始まり、腕が飛び、首が転がる。悲鳴を上げるゲイシャ・ガールと遊郭のオイラン。その様子をカメラに収める者、俳句を詠む者、マンガにする者、花火を括り付けて母の名を呼び空中で爆散する者。印籠を掲げる黄門様。渋滞するトヨタ車。バブルが崩壊し、日本が沈没する。「ヴァン・ダインです」「チャカポコチャカポコ」「わび」「さび」「おぉ、バッカス!」自衛隊の出動。あ、ゴ●ラが現れた!
そんな凄まじい喧噪の中、息も絶え絶えにヘル博士が叫んだ。
「わたしはまた一つの犯罪を犯してしまったよ、乱ポール。わたしは真相を暴いてしまったのじゃ」
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ジョン・ディクスン・カーを読まなかった男たち -The Hollow Woman- かんにょ @kannyo0628
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