アネモネの記憶

春風月葉

アネモネの記憶

 来週から海外へ行ってしまうという友人の彩香に誘われ、彼女の家で思い出を語り合った後のことだった。

 私はまだやや酔いの残る身体を起こし、彩香の姿を探した。

 どうやら酔った勢いで寝入ってしまっていたようだ。

「彩香いる〜?」思うように回らない舌で、彩香を呼んだ。

「ん?起きた?」パチッと照明が消え、台所から彼女が現れた。

 いつもは薄い桃色の明るいこの部屋も、灯りがついていないととても暗い。

 まるで知らない場所のようだと思った。

 彩香は明るく表裏のない可愛いらしい娘だったが、この時の彼女はいつもと違う雰囲気を持っていた。

「もうこの部屋ともお別れなんだね。」不意に彩香が私の方を見てそう言った。

「そうだね…」私は気の利いた返しなど思い浮かばず、それだけ言った。

 彩香は悲しそうな顔で言った。

「静音はさ、運命の赤い糸って信じる?」

「ロマンチックだと思うから少し信じてるかな。」急な質問だとは思ったが、彼女のあまりに真面目な顔を見てしまった私は答えざる得なかった。

「そう、ロマンチック…ね。もしも私が静音とその糸で繋がっているなら、私はあなたをそれで縛ってしまいたいよ。」

「どうして?」酔っていた私は、これと言ったことも考えずに聞いた。

「ずっとあなたを独占したいから…かな。私ね、静音のこと好きだったんだよ。ずっと一緒に居たかった。」真っ暗な部屋のカーテンの隙間を縫って、差し込んできた月明かりが彩香の白く細い首筋を艶やかに照らした。

「うん。」酔いも覚めるような告白に驚いたが、それ以上に私は彼女の話を聞き続けたかった。

「私はね、静音を私だけのものにしたいんだ。でもこのまま離れてしまったら、思い出も関係も、いつかは消えてしまうような気がするの。」

「私は忘れないよ。」なんて言葉は、いくら私でも軽はずみに口にできなかった。

 だから私はただ一言、彼女を抱きしめて囁くように言った。

「私も好きだよ。」

「ありがとう…」泣きながら笑う彼女の顔はあまりに美しく、夢のようだった。

 彼女は私に赤いアネモネのストラップを渡した。

 花言葉は君を愛すだそうだ。

 彼女らしい表裏のない直接的な表現だった。


 あれから一週間はあっという間に過ぎ、彩香は国を発った。

 あの夜が夢であったのかも、今となってはわからない。


 そうして流れるように月日は流れる。

 私は、長い年月の中で紫色になったアネモネのキーホルダーを握りしめ、彼女がいるであろう海を眺めて溜め息をついた。

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アネモネの記憶 春風月葉 @HarukazeTsukiha

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