残響

春風月葉

残響

 私はその日を境に自分の耳を塞いだ。

 縫い合わせた私の耳は、外界の濁りきった音から私の心を守り、その日に聴いた美しいピアノの音が外へ逃げてしまうのを阻止してくれているように感じた。

 ピアノの演奏を聴いたとき、こんな汚い世界にも、こんな美しい音があったのかと驚いた。

 同時に、こんな美しい音を手放したくないと願った。

 そうして私は耳を塞いだのだ。


 それからの私は、何年も何年も美しい音を聴き続けた。

 ピアノの音が擦り切れてしまっても、薄れてしまっても…、私はその音に依存し続けた。

 外の世界は嫌だ、嫉妬、暴言、陰口に罵倒、そんなものばかりが溢れかえっている。

 そんな世界でせっかく拾ったこの音を失うなんて絶対に嫌だ。


 それなのに…。

 いつしか、ピアノの音は私の耳から消えていた。

 外界の音に抵抗があったが、私はまた美しい音を探そうと、塞いだ耳をもう一度自由にした。


 …私は久しぶりに聴く外の音を、予想に反して綺麗だと感じた。

 それは小鳥たちの囀り、木々のざわめき、風の息吹、子供達の笑い声。

 あぁ、どうして私は忘れていたのだろう。

 耳を澄ませて聴く世界の音は、こんなにも綺麗だったのに。

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残響 春風月葉 @HarukazeTsukiha

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