第6話 事件の話

 期末試験が終わった頃、チトセさんは僕と目が合うと、少し微笑んでくれるようになっていた。どこかそんな風にしてくれるのが嬉しかった。

 かわいいのに。何でみんなにも同じように出来ないのか。何だかチトセさんを見ていると、まどろっこしいような、やるせないような、そんな気持ちでいっぱいになる。他人事とはいえ、どうにも自分の事のようにイライラした。


 その日は夏休みが迫っている事もあり、学校では午後の一時限を削って大掃除をする事になっていた。

 担当の先生が人を掃除場所を振り分けていて、僕はチトセさんと一緒に校舎裏のごみ拾いをする事になった。薄暗い校舎裏に二人で向かう。何となく居心地が悪い。

「あの」

 僕がそう声をかけた時、チトセさんもそう声をかけてきた。

「どうぞ」

 そう二人で言って、二人で笑った。

 和んだのかチトセさんが、「じゃあわたしから」そう言って握りこぶしを僕の前に差し出して来た。

 何をしたいのかわからずに首をかしげると、手を出して、と言う。チトセさんの拳の下に手を開いて差し出すと、ポトリと何かか落ちて来て、僕は落とさないよう慌てて握った。

「何?」

 チトセさんはニコリと笑い、口をもごもごとさせて見せた。「ご褒美の飴だよ」そう言ってからしんみりと、「この前はちゃんとお礼言ってなかった。ありがとう」

 僕は首をすくめた。

「別に。家で傘が余ってただけだから」

 もちろん嘘だ。二千円だ二千円。ゲームもサッカーボールも諦めた二千円。中学生の身では痛い出費だった。実際何度か悔やんだのだ。

 でも、それでも、チトセさんの笑顔を見たらそのかいは有ったのかも知れないと、少し報われた気がした。

「うんう、ありがとう、じゃ、しよっか。ゴミはとりあえずここにまとめよう」

 僕達は配られていた軍手を付けて、藪の中から焼却炉周りまで、手早くゴミを拾っていった。

 そんな時、普段はまじめなチトセさんが手を止めて地面を黙って見下ろしていた。そこは焼却炉の近く。隣に行くと、焼け残った新聞があった。

 風に煽られ開いたのか、その欄には子供の虐待死と、イジメにあって自殺した子の記事が、並んで掲載されていた。

「嫌な事件だよね」

 最近、家で晩御飯を食べている時、見ていたテレビでやっていたのを思い出す。

 僕がそう言うと、チトセさんはポツリと言った。

「おめでとう。良かったね」

 僕はギョッとした。

「何でそんなこと言うの、酷いよ!」

 少し見直しかけていたのに、裏切られた気がした。

「どうしてかな?」

 顔を上げたチトセさんは不思議そうに聞いてくる。

「だって、親に殺されたり、苦しくて自殺したんだよ?」

「よかったじゃない」

「え?」

 この子は本気で言っているのかと思った。だとしたら正気じゃないと思った。僕はチトセさんを睨む。

「こんな風になる前に、誰かが気付いて助けて上げられればって思わないの? 身近な人が、先生や警察に言っていれば助かったかも知れないんだよ」

 僕がそう言うとチトセさんは静かに言った。

「それは、最悪。他人は最後まで面倒なんて見てはくれない。突っつき回して、良いことをしたと勝手に満足して途中で放り投げるけれど、その後、その親やいじめっ子はどうする。殺された子もいじめられた子も、その後もずっとずっとその人たちと一緒に暮らさなくてはならない。本当に助けるなんて、一生かけてできるかどうかなんだから。アマガサくんも、人のために自分のこと全部捨てたくはないでしょう?」

 僕はチトセさんの恐ろしく冷静な意見にビックリしてしまった。

「でも、誰かが手を差し伸べることができたなら、殺された子も殺されず、自殺した子も自殺しなくてすんだかも知れないじゃないか。やりもせずに諦めるなんてボクはやだよ!」

 そう叫ぶと、チトセさんは目を丸くして固まった。それからニヤリと笑って、僕の顔に自身の顔を、ぐいと近付けてきた。

 僕はなぜだかその笑顔に恐怖して動けなかった。鼻と鼻がぶつかりそうな距離でチトセさんは目を細めると静かに言った。

「やってみる?」

 間近で見るチトセさんはとても綺麗だった。だからとても冷たく思えた。芯が凍っている。そんな得体の知れないチトセさんの印象が、僕の心を埋め尽くした。

 僕が何も言えず、何も動けずにいると、チトセさんは僕から顔を離してから溜息を吐いた。

「甘さを知ると、人の心は弱くなる。だから辛さに堪えるためには辛い目に合い続けなければならないの。甘さを知れば堪えられなくなるから」

 僕はごくりと固唾を呑んだ。

「そんな子邪魔でしょ? 面倒事を増やされるのはみんな嫌い。面倒を増やすことが悪いことなら、死んだ子は悪い子だったんだよ。年少で少数派の言うことなんて誰も信じないよ。でも死ねば、信じてくれるよね? ニュースにもなるんだよ? だから子供が助かる方法は死ぬことだけなんだよ。だよね?」

 僕は呆然としていたと思う。

 そんな僕にチトセさんは、手を出して、と言ってきた。

 僕は操られたように黙って手を出すと、またポトリと手の平に飴玉が転がる。

からかったり、にがかったりするものがあるから飴は甘いんだよ。この世に甘いものしかなかったら、それは甘いとは言わないかも知れないね。わたしからの贈り物、これを舐めて、一時苦しい思いを忘れてほしいな」

 そして口をもごもごとさせると、チトセさんは僕の前から立ち去った。

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