いぬでん
ポチ
第1話
2月9日
雪に落ちる朝日の影が青くなっている。ギュムギュムと軋む雪を踏みしめながら歩く。道はまだ除雪されてない所も多く歩きにくい。ただただ歩くだけで体力が削られる。刺すような寒さは次第に指先の感覚を奪っていく。
学校から歩いて20分。私の家の方には友達がいないから毎日一人で登校する。もし仲の良い誰かと話しながらならあっという間の距離なんだろうけど、今は、なんだか遠く感じる。
ぷるるるるるる、ぷるるるるるる
ポケットが振動する。電話?。誰?。凍てつく指で、のそのそとコートから携帯をひっぱりだす。知らない番号。
出る?出ない?でも私の番号を知っているのだし、もしか緊急事態だったら………えいっ
「はい、もしもし」
「…あ、おねえちゃんだ?僕だよ。いま部屋にいるんだよ」
「え?だれかな」
「僕だよ。わからない?」
子供っぽい声。私には兄弟はいない。急に携帯を握っている手が汗ばんだ。
「わからないよ。だれなの」
「僕だよ。おねえちゃんは、知ってるよ」
「君なんて知りませんよ。いたずら電話なら切るよ?ちゃんと名前をいって」
「いたずら?いたずらじゃないよ。あのね。ちょっとお願いがあるんだ」
「本当に知らないし。もう切るよ!」
「まって。少しまって。あのね外にでてないからイライラするんだ。ね、わかるでしょ?」
「いやいや君のことはわからないよ。本当に誰なの?間違い電話?」
「間違いじゃないよ。ねえ外にだしてよ。お願い。」
「え?…外にでれないの?」
「毎日ずっと家にいるんだよ。最近は外に出てないよ。」
「誰かは分からないけど…もしか閉じ込められてるの?警察とかにに連絡した?」
本当に誰かは分からない。けど声は子供みたいだし、詐欺とかじゃないかも。もしかしたら誰かに連絡したくて、間違い電話で、偶然私にかけてきたのかもしれない。知らない子だけどその声はなんだか、聞き覚えがある懐かしい感じがした。
「ケイサツって何?よくわからないよ。とにかく外にだして欲しいんだ。お願い。」
「君!もしか誰かに捕まってるならおまわりさんに連絡しないとだめだよ。誰に電話しようとしたの?おねえちゃん、おまわりさんにいってあげようか?」
「今誰もいない。とてもイライラするんだ。散らかしちゃった。ごめんなさい」
「君の話はわからないよ。やっぱり君は私の知ってる人じゃないね。やっぱりいたずらでしょ。もう…もう切るね!」
「おねえちゃん待って!あ、もう…」
プツッ
朝からついてない。こんな電話は最低だ。いたずらだと思うけど。でも…でももしかして事件だったらどうしよう。私が通報しなかったから、事件になったら困る。警察に通報するのがいいんだろうか。でも電話は切ってしまったし、大げさな気もする。
電話はそれからかかってこなくて、私は学校についた。ちょっと遅れ気味で急いで校門をとおり教室に入った。
「ゆかりん、おはよ。ってギリギリだね」
「おはよう絵梨花。あ…うん。」
学校はいつも通り。何の違いもない。朝は実習だから用意をして実習室に急ぐ。本当にいつも通り。
でも私は先程のことが頭から離れなかった。授業の間も気になって、先生の話はちっとも耳にはいらなかった。もしかして誰か知ってる人だったらどうしよう。私のよく知らない親戚かなんかだったら後から面倒かも。あの電話切らないでちゃんと聞けばよかったかも。
授業終わりのチャイムが鳴った。のろのろと道具を片付けて帰り支度をする。また帰りに何かあったら、電話がかかってきたらどうしよう。誰かに相談したい。なんだか胸が苦い。教室をでると声をかけられた。
「いたいた。由佳、由佳!今日遊びいかない?智美も誘おうと思ってるんだー」
「あ、紗英。あのね今朝、変な電話がかかってきたんだ。それでね…」
「え?電話?そうなんだ。わかった後で聞くよ。とにかく一緒行こうよ?」
「…いや、電話がね。もしかしたら事件かもしれなくて…」
「わかったわかった。なんか用事あるのね。うん。じゃあ智美と行ってるから。ちょっと智美に連絡してみるー」
紗英は携帯をいじりながら走っていった。
紗英は話を聞いてくれない。一緒に遊びにいって話を聞いてもらおうか。でも何か違う。こんな状況では遊びに行く気分にもならない。今日はそのまま帰る事にした。
昼間またうっすらと積もった雪を踏みしめて路地を通って行く。街並みはずっと昔と同じようで、ちょっとずつ違う。ほら、そこのスーパーがあるところは倉庫だったし、そこの空き地は、よくおばあさんが庭をいじっていたところ。冬はそんな思いでも全部覆い隠す。
そういえば姉は今日、遅いと言ってたような気がする。そうだ今日姉は仕事で遅い日だ。もし何かあったらどうしよう。もし私を知ってる人だったら…
やっぱり一人で帰るんじゃなかった。だんだん足が重くなった。
ガチャガチャ(鍵を開ける音)
「ただいまー。チョコ」
「ワンワン」
「あー!」
扉を開けると部屋が一面に散らかっている。机の上のノートや本が破かれ、床に落ちてる。私は立ちすくんだ。やはりあの電話はなにか強盗かなにか悪い人だったのではないか。どうしよう。誰か入ったらチョコが吠えたりしなかったんだろうか。チョコはなんだか落ち着かなさそうにしている。よく見るとチョコの家にノートの切れ端がある。私のノートだ。
「これ…これチョコがやったの?」
「フンッ」
「やっぱりチョコか。なんてことするの!かわいいノートだったのに!」
「クーン」
私は急に朝の電話を思い出した。外に出してって言ってたあれ。そういえば2,3日忙しくて散歩させてない。お母さん入院してるし。気持ち悪いけど誰かがチョコの様子を窓からみて電話してきたのかも。いやそんな事ないかな。
「しょうがないなぁ。じゃあ散歩いこうか」
「ワンッワンワン!」
チョコが千切れそうにしっぽを振って駆け寄ってきた。メタリックな首輪にリードをつけて外に出る。濃紺の空から寒さが降ってきて肌に突き刺さる。
「チョコは私が小さい時から一緒だもんねぇ」
話しかけたのが分かったのかチョコがこちらを振り返る。
「私が小さい時にチョコの前で、これ飼うのって泣いて大変だったって。お母さん言ってた。私は覚えてないけどね。」
「散歩しなくてゴメンね」
「子犬の頃はもっと歩くの早かったよね。引っ張られて大変だったよ。私が小さかったからかな。チョコが年取ったからかな。」
誰も歩いてない雪の上に私とチョコの足あとが並んでいた。家に戻ると明かりがついていた。
「あれ、お姉、遅くなるんじゃなかったの?」
「あー。ちょっとお店で手を切っちゃってね。今日は仕事にならないから帰ってきたよ。」
「え、お姉、大丈夫なの?病院いかなくっちゃ!」
「大丈夫よ。そんな傷じゃないから。ただ衛生的にはちょっとね。だから今日は早帰りしたの」
「そっか。よかった。お姉、気を付けてよね!」
「そうだね。ごめん」
姉はチョコの足を拭きながら言った。
「チョコも14歳だからね。私もそれだけの時間は過ごしたわね。隆志も生きてれば14歳、お父さんも生きていればオジサンだね」
「…うん」
小さいころ。その日も今日のような寒い日だった。隆志が熱を出してお父さんが病院に連れて行った。病院にいって隆志も元気になってお父さんにだっこされて帰ってくると思ってた。
でも隆志もお父さんも帰ってこなかった。だから、私たちの父の思い出はそこで止まっている。
思い出のなかにいる私たちだけが歩き続けて歩き続けて、ここまできてしまった。昔のその記憶からもずいぶん歩いてきた。もしかしたらもうその記憶は色合わせてしまったかもしれない。あんなことが本当にあったのだろうかとも思う。このリアルが夢で、色あせた記憶がリアルなら幸せなんだろうか。
2月10日
翌日の朝はホームルームがあった。教頭先生と担任がなにやらひそひそ話している。ややしばらくして担任の先生は教壇に立って言った。
「おはようございます。みなさん。昨日、C組の吉崎さんが、不審な男から声をかけられたとのこです。」
急にクラスがガヤガヤする。
「その男は、飼っている犬の事を聞きたいと行ってきたそうです。吉崎さんは無事です。でもみなさん、この話は別の学校でも発生しています。ちょっとした事でも親や先生に連絡してください。あと帰りが同じ方向の人はなるべく一緒に帰るように。日直」
「起立、礼、着席」
私の頭のなかが突然ぐるんぐるん回りだした。やっぱり!やっぱり変な人はいたんだ。ホームルームで何を話したのか、まったく覚えてない。でもなにか危ない状況に、もしかしたら子供が捕まってるかもしれないのに、私は…」
「ゆかりん、ゆかりん。どうした?」
「あ、絵梨花ちゃん」
「なんか顔が悩んでるよ。悩みあるなら聞くよ?」
「うん。いいかな。」
「またゆかりんは、マジメだからなぁ。勉強の悩みとかわっちにはわからないよ!」
「じつは、いたずら電話があってね。もしかしたらさっきの先生の話の人かもしれないの」
「えっ犯人?ゆかりんのところに犯人から電話きちゃったかー。まじうける。警察とどけちゃう?あたしやっておこうか?」
「…いやいいよ」
まじめな話なんで聞いてくれない。友達はいるけど、私の悩みは届かない。私はまた悩みを丁寧にたたんで、私の中にしまった。
一人で家に帰る。
ぷるるるるるる、ぷるるるるるる
まただ。出たくない。
ぷるるるるるる、ぷるるるるるる
でもなんか気にはなる。
「はい…」
「あ、おねえちゃん?ぼくだよ。ありがとう。助かったよ」
「…ねえ誰なの?私の家を覗いてるの?おまわりさんに言うよ!」
「怒らないで。僕だよ。チョコ」
「ふざけてるの?なんで私の家の事知ってるの。やっぱり君は私の家を覗いてるのね。怒るよ。」
「怒らないで。ありがとうって思ったんだ」
「チョコは犬だよ。電話するわけないじゃない。おまわりさんにに言うよ?誰なのか言いなさい!」
「おねえちゃんとは小さい頃から一緒だよ。ねえおねえちゃ…」
プツッ…切れた。
あれは一体誰なんだろう。なぜうちの事を知ってるのか。覗かれてる?私がチョコを散歩していたところも見ていたの。いやだ!気持ち悪い。どうしよう。
2月11日
「あ、ゆかりん?、昨日楽しかったんだよ。スイーツもおいしくってさ。今日もいこうかって智美と話したんだよ」
「あ、絵梨花。あのね大変なの。今日も変な電話がかかってきたんだ。それでね…」
「え?電話?イタズラ?あれ本当なの?とりま着信拒否しなよー。それで今日はいいんじゃね?あと、今日は遊びいかない?」
「…ごめん。やめておくよ。また今後ね」
「そっかー。じゃあ誰か誘うよ。またねー」
あの事は結局姉にも話さなかった。なんであの電話の人は私の家の事をそんなに知ってるのだろう。今日は姉に話そう。最近姉も忙しい。母の看病もあるし。学校の事や家の事を話してる暇もない。
ガチャガチャと家の鍵をあける。
「ただいまー。チョコ」
「…」
「チョコ?」
チョコは巣で丸くなってた。寝てるのだろうか。散歩に行くよと言っても出てこない。餌と水を新しくして、私は部屋に戻った。最近チョコは寒いと散歩嫌がることもあったし、今日は特に寒いからかも。それにしても電話したのは誰なのだろう。窓から外を見てみるけど誰もいない。あれからカーテンは絶対に開かない。誰かに見られてるなんて気持ち悪い。やっぱり姉に話したほうがいいだろうか。今日は特に姉の帰りが遅いようだ。
2月12日
今日は電話こなかった。誰かは分からないけどイタズラが止んでくれたらいいな。
2月13日
電話はこなかった。おさまったのかな。ならいいな。そんなことを考えて授業は上の空だった。今日は何を学んだんだろう。気が付けば放課後のチャイムが鳴っていた。
ぷるるるるるる、ぷるるるるるる
ぷるるるるるる、ぷるるるるるる
ぷるるるるるる、ぷるるるるるる
「…」
「おねえちゃん、僕だよ…」
「…また君?いいかげんにして」
「…おねえちゃん、たくさん散歩してくれてありがとうね」
「もうやめて、ほんとうに…」
「おねえちゃん、昨日のごはんも美味しかったよ。全部食べたんだ」
「おねえちゃん、今日は雪ふってる。雪の散歩寒かったねぇ」
「…チョコ…チョコ??」
「うん。チョコだよ。」
「おねえちゃん。また散歩したいけど出来ないんだ。疲れちゃった。また散歩したかったねぇ」
「チョコ?」
「おねえちゃん。また歩くの早くなったら、早くあるいていいかな?」
「おねえちゃん。眠くなってきた。」
「おねえちゃん。さくら、去年のさくら、きれいだったね。」
「おねえちゃん。たくさん散歩したね!」
「ねえ。おねえちゃん。眠くなってきた。うん。寝ちゃおうかな。おねえちゃん、おやすみ…」
「チョコ?チョコ?…チョコ?チョコ?チョコ!!」
…
私は走った。私は走った。走って家に帰った。青い影を揺らしながら、その路地をとおれば大丈夫。家にいる。
荒く息を吐いて、でも家だ!
家の前には姉がいた。
「お姉、チョコは?」
姉はチョコのそばにいて、チョコを撫でていた。姉は何も言わなかった。チョコはただひたすら、じっとしていた。
「チョコ…」
------------------------------------------------------------------------------------
「まーたゆかりん、携帯みてるね?誰か待ってる。ゆかりんあやしー」
「え?ちがうの。そんなんじゃない…そんなんじゃ…うん。なんとなくね」
あれからしばらくたって。今でも私はまた電話がこないか、黒い画面を見つめることがある。そんなことはないのだが、見ることがある。
いぬでん ポチ @pochimii
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。いぬでんの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
近況ノート
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます