小説でいちばん大切なことへの応援コメント
確かに、他人を退屈にさせない話をするというのは重要なことだと思います。そういう場合は決まって、話し手が自分のことしか考えていないものです。確かに、読み手の立場が加味されていない文章は独りよがりで退屈でしょう。どのような形態の文章を書く際にも、独りよがりになることだけは避ける必要があると思いました。
作者からの返信
これはうっかりやりがちなことです。
教えるのが下手な人って、相手がどこまでわかっているか、共通項を確認せずにべらべら語ってしまうものです。わかりにくいし、価値観が違う相手だとイライラさせますよね。
「人は自分の話なんて興味ない」というある種の謙虚さは、いつも持っていたいものです(でも書いてる時は、「私天才なのでは…」という自惚れも必要ですが(*´艸`*))
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
こんにちは。
私も、面白がってもらえるお話を書きたい!と思いながら取り組んでいます。なにが面白いのか、なかなかわからないんですけどね。。
肩の力を抜いて読みながら、勇気づけられたり、はっと反省させられたり、、気づきの多いお話でした!
作者からの返信
久里さん、ありがとうございます〜(^^)♪
何が面白いかわからないときは好きなものを摂取しまくるのがおすすめです、インプットしまくってるとだんだん創作意欲わいてきますもの(^^)♡
これからも書いていきましょ〜o(^▽^)o
小説でいちばん大切なことへの応援コメント
企画参加ありがとうございます。
そうですねと納得させられました。感想すら書かれないのは、こんなもあるのですね。
作者からの返信
さんがさん、ありがとうございます!
まあ、感想を書くのはよほどその気になった時と割り切ったほうが気楽に過ごせるかと。みんながみんな、すべてにコメントを残すわけじゃありませんからね〜(´∀`; )
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
ハナスさんの所から来ました。
興味深い内容で面白かったです!
次回作がいつになるかは分かりませんが💦
書けるようになったら参考にさせて頂きたいと思いますm(__)m
作者からの返信
日々菜さん、ありがとうございます(о´∀`о)
気力がわかないときは書かなくて大丈夫です、そんなときに無理して書いてもあとで捨てるようですから(*^^*)
いまはインプット期間と思っていろいろお楽しみくださいませ~\(^o^)/
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
面白ければいい。
真理ですね。その逆、面白くなければ……、これも、また真理。
ただ、昨今の出版業界というか、この世の中、売れるものと面白いものがイコールになっていて気持ち悪いです。
それで悩んで半年の逃亡生活をしておりましたw
まあ、でも、最近、さる方と話して……、自分が自分の書いたもの先を読みたいから書くでいいんじゃないのと自分たちの中で結論付けて復活しました。ただし、自分の書いたものの先を読みたいとはいえ、それが面白いものでなければならないのですがね~。ともかく精進します(。・ω・。)
作者からの返信
銀杏さん、読んでくださり、レビューまで、ありがとうございます(^^)
ぶどう育ててらっしゃるんですね。日本の果物はめちゃ努力の賜物! って感じですごいです。。尊敬っす。。
自分が読みたいものがないから書く、って人、けっこういらっしゃいますね。その動機もめちゃいいと思います。私はもう、染み付いてるから書いてるんですが……ときどき迷子になりますね。これほんとに面白いのか? って。
そんなときは魔女宅見て「宮崎駿でもスランプになる!」と気持ちを落ち着けています。ときどきストップしてインプットするの、大事っす(´・ω・`)
ご健筆を!
文章にいきおいがない作者へへの応援コメント
おお。
私の考えと似ていますね。いや、ある部分では完全に一緒です。
ただ、それでもリメイクすると文字数が増える私w
作者からの返信
改稿は増えますよね……それはそれで良くなっているはず(^o^;)
オリジナリティを模索する作者へへの応援コメント
おお。
なるほど。そういった考え方も出来るのですね。
参考になります。
作者からの返信
赤ちゃんだって人のマネして喋れるようになるのですから。
最初はとくに、マネはしていいと思ってます。反復練習ですね!(о´∀`о)
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
はじめまして!
コメント失礼いたします!
星都ハナスさんの作品紹介からまいりました。まさにいま、自分の書いているものと向き合っていました。
がつん!
ときました。
とても勉強になりました!
拝読させていただき、誠に有難うございました!
作者からの返信
和響さん、ありがとうございます♪
ハナスさんが紹介くださったみたいですね〜あとでお礼参りにいかないと(・∀・)
がつんときてくれてうれしいです、ぜひいろいろお試しください〜(^^♪
ルールに縛られた作者へへの応援コメント
星都ハナス様のエッセイから参りました、海野ぴゅうと申します
面白かったです
書き始めたばかりの時は、何も考えずに楽しくわくわくしながら書いていたのを思い出しました
今読み返すと恥ずかしいものが出来上がってますが、とっても楽しかった
ここ一年は自分が読み返して面白いものが書けなくてもやもやしてます
みりあむ様のエッセイで壁を突破できるといいなと思います!
作者からの返信
海野さんこんにちはです!
ぽつぽつと読んでくださっているようで光栄です♪
楽しい、はいちばん大事ですよね。
書く原動力になりますから。
ときどき「プロになるためには楽しいばっかりじゃだめだから〜」とか、プロになってもいないのに言い出す人がおりますが、楽しいにこしたことないだろ! と思います(・∀・)
スランプになったときは映画「魔女の宅急便」がオススメです、
「宮﨑駿でもスランプになるんだったら凡人の私なんかしゃあないか!」って元気になれます( ´∀`)♪
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
みりあむ様
こちらから、お返事します。
そうそう、お説教とメッセージ。なるほどと感心しました。ニュアンスが違いますね。
すっきりしました。ありがとうございます。
最近、異邦人をカクヨムに人に強制的に読むよう頼まれたんですが、その時に、感じたことなんです。
そういう意味でも、いろんなご意見が伺えて、カクヨム、楽しいです。
これからもよろしくお願いします。
作者からの返信
うまく伝わったようでよかったです(^^♪
文章ってうまくニュアンスが伝えられないことが多々ありますから。だからこそ物語に乗せてメッセージを伝えようとするのかもしれないですね(うまいことつながった)
こちらこそ、よろしくです( ´∀`)♪
編集済
小説でいちばん大切なことへの応援コメント
はじめまして
雨杜和と申します。
とても面白く読ませてもらっています。
自分が面白いと思う。確かに。書いた直後は、最高傑作だと思うのですが、でも、1ヶ月後に読み直すと、すべての破棄したくなります。
ところで、説教という意味において、
人気作家の方の作品を読むと、ほおおっと心を動かされる、あるいは、人生が変わるような感動を得ることがありますけれど。
そういう文章は、たとえば、説教臭くでも面白い。というか、自分の作品には、その説教がないと思っていたので、つい感想を書かせていただきました。
今は、強いて作品内に入れるようにしているのです。
最近読んだベストセラー作品では、たとえば
「私たちは自分の身におこる1%しか知らない」みたいな言葉です。
作者からの返信
はじめまして、コメントありがとうございます(#^^#)
んーなるほど。
おそらくですが、雨さんの受け取った「お説教」とは、私のとは少し言葉の定義が違うのかもしれません。
雨さんが感動し、自分の作品にも取り入れていきたいものは、「お説教」ではなく「メッセージ」と私は呼んでおります。
これ、書いている人は「どう違うの?」と思うこと多いのですが、じつは読者は言語化せずに一瞬で判断してしまいます。そしてお説教にはイライラし、メッセージには感動するのです。
お説教の定義は……難しいですが、この創作論の中でいうと、「作中で全く要らない自分語り」とでも申し上げましょうか。
作中で自然に導かれ、帰結するメッセージは、人の心を打つと思います。しかし、作者がちょっと思いついて、別に必要もないのに上から目線で読者に知識や考えをひけらかしたら……たぶん読んでいる人は、イライラしてもう読まないと思います(;´∀`)
オリジナリティを模索する作者へへの応援コメント
極端な話「恋愛」「ファンタジー」「推理」等の大雑把な要素の段階でも、過去作品の模倣ではありますからね。
個人的には手持ちの情報を食材、成分と言う感覚で使っています。
これは他人の作品の他にも、自分の見聞きした実体験にも当てはまると考えています。
良質な素材を仕入れたとして、生肉や泥付きのまま出しても仕方がない。
作者からの返信
そうですね、人参は洗って皮をむいて、玉ねぎは切ってしんなり炒めて、牛肉は一口サイズに切って、あとはカレーにするかシチューにするか、はたまた肉じゃがを作るかは作者の裁量一つ(^^♪
材料は同じでも、作れる料理は数限りなくあるものです(*^_^*)
ルールに縛られた作者へへの応援コメント
はじめまして。
私も小説には禁じ手や悪手は存在しないと思って書くようにしております。
ただ、自分が何を書いているか、は理解して作品に責任を持てているかだけは大事だと思いますね。
作者からの返信
聖竜の介さん、ありがとうございます(^^♪
じつは創作論、ちらちらのぞいていたりします。ズートピアの話はなるほどと読みました。
ですね、自ら可能性を狭めたら元も子もないけれど、自分の芯はきちっと持っていないと、人にあれこれ感想言われた末にわけわかんなくなっちゃいます。気とつけないといけません。
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
自主企画への参加ありがとうございます。
様々な視点から「面白い作品を書くための心掛け」について書かれており、耳に痛い内容もありながらも最後まで読ませていただきました。
独りよがりの小説にならないために、読者の視点を意識することを心掛けたいですね。
作者からの返信
瑞樹さん、ありがとうございます(*^^*)
まあぶっちゃけ面白ければなんでもいいと思いますv(´∀`*v)ピース
でもやっぱり読者の意見は(へんな人でなければ)大事にしたいですね(о´∀`о)
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
みりあむさんの御作品、ちょっとしか読んでないですけど、前にコメントでも書いたみたいに、俯瞰した視線があってどこか達観している感じが羨ましいなと思っています。だからどういう気持ちで書かれているのかなと思ってこのエッセイ拝見してみました。
作者の影がチラつくことと実体験を元にすることはリンクしますよね。エッセンスだけ取っていかにフィクションという娯楽にするかは、書き手がどれだけ作品と距離を取れるかにかかってるんでしょうね。自分を駄々漏れさせるのは楽だけど、そうさせないには客観性とメンタルの強さを求められる気がします。
でもつまるところ面白ければいい、って、ホントにもう、その通りで。
なるほどと思うところ色々あって面白かったです。あらもう終わり?もっと書いて!って感じでした。
作者からの返信
柊さん、ありがとうございます〜(*´艸`*)
なるほど、そういえばときどき「キャラクターを好きすぎて悪い展開にできなくなっちゃった」みたいな作者の声を聞きますけど、私はどんなに登場人物を愛していても、いくらでもいぢわるできちゃうんですよね〜〜作品と距離をとれているのか、はたまたサイコパスってんだか(;´∀`)
あまり長々書いてもウザいかと思ったので、これくらいで勘弁してくださいな!
また気が向いたらほかの作品もどうぞ〜〜(*´艸`*)←ちゃっかり営業♡
つまらない小説を書く人へへの応援コメント
>いつかめちゃめちゃ面白い作品をつきつけて復讐してやってください。
そもそもシリアスな少女漫画をバトル漫画として捉える人とは根本的にセンスが違うのでしょうから、そんな相手が「面白い」と思えるような小説を書けるようになったら、それは書き手のセンスも大きく変わった、ということになりそうです。「センスが広がった」と考えれば成長なのでしょうが……。私は、ちょっと嫌だなあ。
私は感想でアドバイスをいただくと、だいたい八割くらいは「なるほど、言われてみれば、全くその通り」と思えます。これくらいの割合ならば、きっと私は幸せ者なのでしょう。
作者からの返信
書き手のセンスが変わったから、面白いと思われるようになった?
いいえ、そんなことはありません!
あまりおもしろくない作品でも、その人が「好き」な場合は「面白い」と評価するものです。たとえば、萌アニメが大好きなオタクは、ちょっと脚本が雑なアニメもちゃんと観る、みたいな。
だけど脚本もちゃんとしていれば、オタク文化に門外漢のパリピも萌アニメを面白いと言ってくれるかもしれないんですよ!
私はそういう意味で「面白いものを書け」と言っているのです。
上達すれば読んでくれる人の幅は確実に広がります。それは書き手のセンスの幅ではなく、書き手の能力が伸びたことを意味しています。能力を釣り糸に例えるなら、自分は動かず、水面のもっと遠くまで、釣り針を飛ばせるのです。
海は広いのです。まだまだ遠くまで釣り針は飛ばせます。
もちろん、本当に大切なのはちゃんと魚をつり上げることであって、遠くまで釣り針を飛ばすことではありませんが、それでも糸を遠くまで飛ばすのは、きっと楽しいと思うのです。だってはじめのころは、自分の手の中でずーっと釣り針握りしめてたんですから。
八割いいと思います(^_-)-☆
体験したことを書く作者へへの応援コメント
一つの実体験を小説化しようとすると「面白さ」よりも「事実に即して」という傾向が強くなるのではないか、と自分では感じます。だから私はなるべく、複数の経験と、それ以外の想像(多ければ多いほど良い)をミックスして、物語を創造するようにしています。
このエッセイを拝見して「基本方針は間違っていないようだ」と感じました。
なお、あくまでも「なるべく」であって、毎回実行できているかどうか、ちょっと自信ありませんが。
作者からの返信
これはですねえ、別に「ひとつの実体験を小説化する」ときに限った話ではないのです。
例えば、失恋したときの自分の心の動きとか。
例えば、車にひかれかけた、一瞬のひやっとした感情とか。
そういうものもふくんだ上での「実体験」です。
なのでハルさんの手法は私も採っています。しかし「間違っている」とか「間違っていない」とかの話ではないですよ! 私は神ではありませんので(笑)正解は知りません。
いろんな方法を試して書きまくるのも、小説の楽しさだと思っています♬
編集済
文章にいきおいがない作者へへの応援コメント
どこまで書けばどの程度伝わるか。これ、いつも悩みます。
小学生の頃、進学塾の国語の時間に「小説は詳説ではない」と言われました。たぶん「行間を読むことの大事さ」みたいな話だと思いますが……。
エッセイで例示された『太郎はグラスをとった』。「グラスの中は何が入っている? 水が入っている」「何のためにグラスをとった? 中の水を飲むため」「どうやってグラスをとった? 手を伸ばしてとった」あたりは、一種の『行間』ということになるのでしょう。
だから、基本的に「小説は書きすぎてはいけない」というのは、とても同意できる話なのですが……。
実は私、あえて逆に「書き過ぎるくらいに書く」ように意識しています。
お金を出して買ってきた文庫本とは違ってWEB小説の場合、読者が流し読みすることも多いだろう、と思ってしまうからです(読者を信頼していない、ということでもありますが)。(汚い言葉で申し訳ないですが)バカでもチョンでも理解できるように書いておこう、と考えてしまうのです。特に「一番言いたいこと」が伝わらないのが、一番嫌ですから。
もちろん、やり過ぎると「目が滑る」文章になってしまい、余計に「流し読み」を助長することになるでしょうから、それはそれで怖いのですが……。
というわけで冒頭の「どこまで書けばどの程度伝わるか。これ、いつも悩みます」に戻るわけです。
作者からの返信
ふむふむ。
まず、小説の書き方にはルールがない、というのが私のスタンスですので、「書いたほうがよい」と思われるのならば、それはもちろん、ハルさんのやり方を貫いてください。小説は人それぞれですからね(`・ω・´)ゞ
私はweb小説で成功したい! と思ったことがなくて、カクヨムは完全に趣味の作品を上げるためだけに登録しただけなので、正直「webならではの書き方」はさっぱりわかりません(;´∀`)
ただ、太郎が水を飲んでようがお茶を飲んでようが、物語に関係なければどうでもいいとは思ってますね。むしろ大事なことを光らせたいならば、本当に必要な事柄以外は省略したほうが読者に親切かな、と、私は思っています。「省略」も小説における立派な技術ですからね。
でも、全然伝わってねえこと、ありますよね〜。
まあ万人に理解される小説なんて面白いわけがないと考えている身なので、それはそれでいいかな、とか思っちゃうダメな人です。はい私です。
あと、「バカ」はともかく「チョン」は完全に人種差別用語なので(朝鮮人の蔑称です)今後は軽々しく使わないほうがいいですよ。
小説でいちばん大切なことへの応援コメント
書いている時点での読者は作者自身だけですからね。自分と違う立場を想像することは難しい、だから自分以外の読者の気持ちを想像することは難しいものです。
でも論文ではなく小説という物語文を書く以上、その中には様々な「違う立場」のキャラクターを登場させる必要があるわけで……。
結局、自分以外の読者の気持ちを想像できない作者には、生き生きとした多種多様のキャラクターを作り出すことも難しいのだろうなあ……。
このエッセイを拝見して、そんなことを思いました。主旨とは少し違うことで恐縮ですが。
作者からの返信
いやあ、このコメントがいちばん心に刺さりました。まったくそのとおりだと思います!
小説を読んでいていちばんつまらないのが、「全部のキャラクターがひとりの人間によって作られた感」が出ちゃっているときだと思うのです。
同じ価値観で話す。同じ口癖が出ちゃう(例:「なん…だと…?」とか笑)。共有している情報量が同じ。主人公の味方が全員主人公のイエスマン。
こういうのって本当につまらない!
なぜあの人はこんなことを言うのだろう、なんで信じていたのにこういうことしちゃうんだろう……身近な人をいつも観察して、相手の身になって考えていないと、面白いキャラクターなんか作れねえかも。
いいですねえ、話がそれるのは大歓迎ですよ(*´艸`*)
思考が広がります♬
オリジナリティを模索する作者へへの応援コメント
学生時代に「英作文は英借文」と教わりましたが。
小説もそれと同じかな、とカクヨムで読み書きしていると感じることがあります。
また、意識して借りることはせずとも。
数を読めば読むほど、自分の中で他人の作品のあれこれが溜まっていって、いずれそれらを「他人の作品から学んだもの」という自覚もないまま使うのでしょう。
私は表現力の拙さに自覚があるので「アイデア勝負」と思いながら作品を書いていますが、それでも「きっとこれ、本当に自分で思いついたものではなく、どこかで読んで忘れているもの、あるいはそのアレンジなんだろうな」と感じることばかりです。
作者からの返信
この作品のレビューにだれかが「他作品を読むときはメモしよう」みたいなことを書いてくださったのですが、私はそういうのは推奨しません。
メモしてないと忘れるようなことはたいしたことじゃないのです。大事なのは心に残ることです。どこかで読んで忘れているもの。そのアレンジ。結構じゃないですか!
人間はいつの時代もたいして進歩していません。考えることはローマの時代から変わっちゃいないのです。意識していなくとも、どこかからの拝借です。
なので気に病むことはありません!
ただし、モロパクリはダメですけどね。それとこれとは明確に別モノです(`・ω・´)ゞ
私も文章力ゴミみたいなもんだと思ってましたけど、書きまくってたら上達してきましたよ(●´ω`●)←自分で言う
ルールに縛られた作者へへの応援コメント
小説のルール(書法)の「なぜ」も物理や数学の公式の理屈と同じなのかな、と思いました。
頭の良い人は公式の「なぜ」をちゃんと理解して使っている。でも理屈わからず丸暗記で使っている人も、何度も使っているうちに「なぜ」がわかってくる場合がある。
それと同じで、小説の書き方でも、数を書いているうちに、自分なりの「なぜ」が見えてくることもあるのではないか、と。
作者からの返信
たくさんのコメントをありがとうございます(^O^)♬
ふーむ。私はですね、はじめはむしろルールを無視して書きまくっちゃう人のほうが、あんがい伸びは早いと思っているのです。
自分で考え、模索しながら書いているうちに「ルール」っておぼろげながら見えてくるものです。そういうときにちょろっとだれかの「ルール」を目にして、「ああ、わかるわかる、明文化してもらえてよかった」と思えたほうが、自分の血肉になるというか。
公式を丸暗記して書く人の小説……あんまり面白そうじゃねえなあ、なんて思ってしまいます。
だからこのエピソードでは、ルールなんて気にすんなよ、という旨を書きました(`・ω・´)ゞ
はじめにへの応援コメント
初めまして、政宗あきらと申します。
このエピソードを読ませて頂き、私の好きな言葉……四代目・桂米團治氏の言葉が思い出されました。
『末路哀れは覚悟の前やで』
という言葉です。ここに書き込むには少し長いので、ワンフレーズだけ。
芸事に於いては、傲慢さと同じ位の謙虚さを持ちたいなと。
唐突に失礼致しました……!!
作者からの返信
あきらさん、はじめまして(*´∇`*)
このへんは、創作表現論を受講した際、いちばんはじめに聞いた話を参考に書きました(o・ω・o)
あまり自分のやっていることを素晴らしいと思わないほうがよいようです。ちょっぴり負い目を持っていたほうが、全体として向上につながると考えておりますo(*⌒―⌒*)o
ルールに縛られた作者へへの応援コメント
なるほど。私は超初心者物書きなのですが、いろんなルールに気をつけようとして悩んでいたのですが、このエピソードを読んでなんだか救われるような気がしました。
作者からの返信
個人的には、初心者の人はルールなんて度外視で、まずは書きたいものをじゃんじゃん書くのが大事だと思っています。だって楽しくないと続けられませんものね!
書き続けるためには、「楽しい」は一番大事です。
とりあえず、楽しくやっちゃってくださいな( ´∀`)bグッ!
オリジナリティを模索する作者へへの応援コメント
組み合わせという意見には僕も共感します。
既にある一見関係無さそうなもの同士の組み合わせって大切ですね。
名作と言われる作品の大雑把な内容を紙に一行で書き出して、その内容が何と何を組み合わせて作っているかを探してみたり、
異なる分野同士で自分が好きだと思ったもの同士を組み合わせてみるなどの工夫が大切だと僕は思っています。
また、僕は文系なので詳しくは無いのですが、
例えば黄金比など数学的な視点から人を惹きつけるアイディアのヒントを探ってみるのも面白いかもしれないですよね。
作者からの返信
藤子・F・不二雄も言っていますね、「一見なんのつながりもないものを組み合わせるといい」とか。(個人的に、ドラえもんの原作は一話一話が完成度高くて、プロット作りで超勉強になると思ってます)
でも、ちょっと心配です。
詳しくない状態で小難しいこと考えると、わけわかんなくなる可能性もあるので、とりあえず読書量(アニメや映画でもOK)を増やしまくるのがいいと思います。そうすれば、書き出さなくても自然にわかってくるはずですから。とにかく量です、憮然さん。
編集済
文章にいきおいがない作者へへの応援コメント
共感しました。
文体が美しい!とコメントが付いている小説を見に行って、長々と難しい漢字を使って背景描写を書いている話だと、そっ閉じしたくなってしまいます…。
最初の10行で読者を捕まえる小説が書けたらいいな…。(願望)
あとは一目見た時の文章構成も気になる事があります。
段落もなく、どこから台詞なのかも分からない、黒いページを見ると中身を見ないまま閉じてしまう事もしばしば…。
小説だろうと仕事の資料だろうと、簡潔で見やすい方がいいですね。
自分に刺さったブーメランを抜きながら、自分の小説を見直して参ります。
作者からの返信
わかります、わかります。
美しい文章と読みやすさは必ず両立できるはずだと信じているので、バランスのよさを目指したいですね!
私は海外翻訳ものばかり読むのでつい改行を怠りがちですが、日本の読者は白いページを好むと言いますので、それもやはり大事なのでしょう。
もちろんそれらをかんがみずとも面白い小説は書けるでしょうが、せっかくクリックしてくれたお客様がそっ閉じしてしまっては元も子もない。
気をつけたいところです。
小説でいちばん大切なことへの応援コメント
……ちょっと、お邪魔しますね。K-sukelemonと申す、新人です。
僕は、作者の顔が見えない作品が、大嫌いです。真理を語らないから。
貴方は、僕から見ると、「あたかも退化したがっている人」に見えてしまって仕方がありません。……、あの、批判してる訳じゃないんですが、こういう考えもあるんだよって言うのを、聞いてもらいたいだけで。
その、貴方のエッセイを拝見して、ものすごく心が震え上がって、感銘を受けたのです。こんな価値観の人もいるんだなって。よかったら、こんな考えも聞いてやってください。
小説は独りよがり上等。いえ、正しくは「独りよがりでなければいけません」。小説は「創作物」。芸術です。真理を探求するためのものです。いわゆる「個人」がでて、作者がでないと話になりません。自分以外の大多数を確認して、意識して作った時点で、それは「創作物」では、ありません。ただの「商品」です。小説まがいです。
こんな考えもありますよ。貴方の考えも否定しません。むしろ、貴方の方が正しいのかも。でも、小説には「正しさ」を求めてはいけないと考えます。
長文、失礼しました。このことで考えることが、だいぶ増えましたので、自分のエッセイで貴方のこの作品を紹介したいです。いいですか?
作者からの返信
こんにちは、すけれもんさん。
と、呼んでいいですか? 書くのめんどくさくて。ごめんなさい。めんどくさがりなんです、基本。
あなたからのコメント、震えるほどうれしい。
私は議論が大好きな人間なのです。実は、あなたみたいな人が現れないかと思って、このエッセイはわざと挑発的に書いているところがあります。けっこう意地悪に書いていますでしょ。こちらこそ感銘をうけました。ありがとうございます。
ちょっと酔いもあり、楽しくなってきたので論じます。いいですか? 怒らないで読んでくださいね。ちょっと挑発的にいきますよ。
このエッセイのはじめに書いたとおり、小説には元々「女子供の読む、くだらない読み物」という意味がありました。太宰治もそのようなことを書き残しています。
少し前のマンガや、今でいうラノベやゲームのような立ち位置だったのです。歴史的に考えれば、そこに「創作物」だの「芸術」だのと高尚ぶっていることのほうが、ちゃんちゃらおかしい。
さらに、あなたは私へのメッセージの中で論理的に矛盾しています。「小説には『正しさ』を求めてはいけない」と言いながら、「自分以外の大多数を確認して、意識して作った」小説を、「創作物」ではなく「小説まがい」と断じ、正しい小説は「独りよがりでなければいけません」と説いている。
本当に正しさを求めてはいけないのであれば、なぜあなたは「商品」化した小説を「小説まがい」と呼んで一段評価を落とすのでしょう?
私にはさっぱりわかりません。
私はこの「小説でいちばん大切なこと」の中で、「独りよがりではいけない」などとは一言も書いていないのです。「独りよがりはすぐにばれます」と書きました。
「小説でいちばん大切なこと」は、「読者をイライラさせないこと」です。つまり、「読者をイライラさせなければ、独りよがりでも全然かまわない」のです。
小説にルールはない。ただ、面白く読んでもらうには、読者をイライラさせてはいけない、という点においては、おそらく賛同いただけるのではないかと思います。
自分の思想や考えを書いて、しかもそれが面白ければなんの問題もないのです。じゃんじゃん書いてください。
ただ往々にして「独りよがり」は「自慰行為」になりやすいのです。これが罠となります。
私も作家性のある物語は大好きです。
その人の人生に深みを与えた言葉ならば、ぜひ読みたい。それだけの価値はあるでしょう。あなたが言う「芸術」とは、そういうものを指しているのだろうと推察します。
しかし、私がここで問題にしているのは、そういった芸術的なものではないのです。
もっとちまちました、くそみたいな「独りよがり」です。極端な例をあげるなら、「女はピンクが好きだ」とか、「安倍政治を許さない」とか、「障害者は死んだほうがいい」とか。そういう「読者がイライラする可能性のある」もののことを言っています。
それは小説の中で断じるべき事柄ではないし、たとい論じてもいいにせよ、面白くはならないよ、だったらやめときなよ、と私は言いたい。
いかがでしょうか。
私はそもそも、ただでさえ「くだらない読み物」である小説に「創作物」「商品」と分ける行為は好きではありません。論理的に考えるにあたって、物事に価値判断を加えてはいけないと思っているからです。
私は「創作物」も「商品」も、「小説まがい」ではなく「小説」として楽しみたいですね。上下はつけなくていいんじゃないかな。つうか、「商品」の何が悪いわけ? がんばって作ってる人がいるのに失礼じゃね?(酔ってるのです)
ただでさえ活字を読む人間はマイノリティとなっているのですから、オールオッケーで楽しくやりたいもんです。
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
「面白ければ良い」そうなんですよね。
そして「面白さとは何か?」そこでハゲそうなほど悩みますけど、「書く人」である以上、そこからは逃れられないのだと思います。
よくあるのが、自分が意図していない部分で評価されるケース。
(あ、大した評価ではないですよ。うれしいですけど)
勘違いできないので何回も読み直すのですが、それでまた客観性を失っていくという。
そして結局のところ、数を書かないといけないんだな、と。
作者からの返信
ハゲないで叶さん!笑
評価されるのはやっぱりうれしいですよね〜そしてめっちゃ自画自賛してくださいよそこは! 大丈夫心の中は誰も見てないから!笑
自分の作品を客観視できないのはこの世で一人、自分だけ。なんと恐ろしい現実…!
書きまくって、そして読みまくる。
カクヨムは向上のためにもわりといいツールかもしれないですね(*´∀`*)
つまらない小説を書く人へへの応援コメント
webで書いている以上、読者に読解力を求めるのはお門違いだと考えています。全ては自分の伝える力のなさのせい。
少なくとも、作者として意図していない内容のコメントをいただいたときは、しっかり見直すようにしています。
その時はわからないかもしれない。場合によっては半年後かもしれない。一年先かもしれない。でも気づくことが大事だと。本当に運。そしてそれに気付いた時、たいていは自分で頭を抱えるんですけど、それがないと前に進めないので。
なのでコメントを下さる読者の方は、本当にありがたいと思ってます。
作者からの返信
伝える力のなさのせい。
その考え方も、わかるのです。日によってはそちらに傾く日もあるくらい。
でも、やはり時々、「そうじゃないでしょ」と思う意見もあるのです。
私、以前、青春小説を書いたのですが、合評で「この設定ならバトルがないと!」と言われ、「絶対やだ!」と思いましたもの。
世の中にはいろいろな人がいて、それぞれ求めるものが違うので、見当違いなことを言う人は必ずいます。でも、自分の「書きたいこと」は見失わないでほしいんですよね。
感想はもちろんありがたいし宝物です。
でも、振り回されて筆を折るような事になるくらいなら、時々は感想を無視する図太さも持っていていいと思うのですよ。
体験したことを書く作者へへの応援コメント
そのエピソードを「全力で」面白くする必要がある
これも本当にそうですね。
自分で読み返して思う
「言葉が足りていない」「描写が足りていない」「これでは伝わらない」
題材が良いのであれば、それを全力で伝える努力が必要だな、と。
たった二文字、たった二文字加えるだけで全然違うじゃないか、と。
そんなことがよくあります。
(二文字だけじゃダメなことがほとんどですが)
作者からの返信
これも、言い訳をしている人をたまに見るので思うところあって書いたのですよね。
人の感想に言い訳ばかりしていても、読んだ人にとっては「知らんがな」ですよ。作者のバックボーンまで吟味してくみ取ってくれるのはよっぽど大作家のオタクファンくらいではなかろうか。
なので、我々はコツコツ努力せねばなりませんね。
文章にいきおいがない作者へへの応援コメント
これもわかる。
すぱっといきたいです。すぱっと。
で、過去に書いたものを見直すと、たいてい見つけてしまうんですよね。冗長なところ。
だけどこれを繰り返すことで少しでも上達できれば、と思います。
作者からの返信
「父さん、会社を〜」はテンポめっちゃいいと思いますけど?!Σ(・∀・;)
でもそうですね、少しずつ精進ですね。
お互い頑張りましょう(*´∀`*)
小説でいちばん大切なことへの応援コメント
あああ・・・非常に耳が痛い。
でもそうなんですよね。自分の作品なんだから自分が面白いと思って当たり前で、他の人がそう思うかどうかは別の話。説教たれるなんてもってのほか。
年は取りたくないなぁ……
作者からの返信
これはある時、人から言われたんですよ。
「作者の顔がちらつかなくなった。成長したね」って。
全然意識していなかったのではじめは意味がわからなかったのですが、若い人の小説を読む機会が多くなったときに理解しました。
地の文のそこかしこに、自分の意見がさも世間一般の常識みたいな体で書かれると、気になって仕方ないのですよね。
私もまだまだですが、気をつけたいです( ・`ω・´)
ルールに縛られた作者へへの応援コメント
――「今書いている小説のため」だけに限定して考える
自分の書きたいように書いてはいけません。
自分の書きたい「小説のため」に書いてください。
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みりあむさんのおっしゃることが胸に刺さります。
本当にそうだな、と。客観視できない自分が言うのもなんですが、自分の書きたい「小説のため」に書く、ということが大事なんだな、と。
拝読しております「千年王国978年目、崩壊の前兆と愛について」ですけど、まだ最初なのですが、確かにこの「小説のため」に書かれているな、と。一見読みにくそうに思えて、本当によく吟味され、考えられているな、と。そしてそれはこういった視点からきているのだな、と感じます。
作者からの返信
こちらにまでコメント、ありがとうございます(^^♪
私は結構、作品によって文体を変えるのが好きなんですよね〜。
だから毎回同じ文体を使う人を見ると「なんのために小説書いてるの?」とまで思ってしまうのです…そこを考えるのも小説を書く醍醐味だと思っているんですよ。
飽きっぽいのかな。
まあ、堅苦しく考えずに、面白がっていろいろ試す、くらいで充分だと思っております(*^^*)
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
書き続ける。
確かに、これが一番大切ですね。
元気とやる気をいただきました(*´▽`*)
ありがとうございます。
作者からの返信
結構きついこと書いているのに、元気とやる気をもらうなんて…綾束さまも相当、もの好きなもの書きですな( ̄ー ̄)ニヤ
こちらこそ、レビューまでしていただいてありがとうございます♪
お互い書き続けましょうヽ(´▽`)/
つまらない小説を書く人へへの応援コメント
自分の欠点は、ぼんやりとわかっているものの、どうやってそれを克服すればいいのか……。と悩むことも多いです。
さらには、自分でも気づいていない「足りていないこと」がまだまだたくさんあるんだろうな、と。
でも、足掻き続けることがまた、苦しいと同時に楽しいんでしょうね。
作者からの返信
わかりますよー、他人の作品で粗を見つけたときに「自分も同じようなことをしているのでは…」とどきどきするのはしょっちゅうです。気づけていない部分がいちばん怖いです。
ぼんやりとでもわかっているなら、あえてそれがないと書けない話を(短編でもいいので)書くと、少しだけ自分に自信がつく(かも!)と思っています。どうぞお試しを!
つらいけど、できたら最高にハッピーになれます(^^)♪
オリジナリティを模索する作者へへの応援コメント
「小説を書くことは、古い革袋に新しい葡萄酒を入れること」というような文章を、どこかで読んだ記憶があります。
誰もが悩んでしまう「オリジナリティ」に対する一つの答えが簡潔に示されていて素晴らしいと思いました。
作者からの返信
コメントありがとうございます♪
いろいろ吸収するにしても、ちがうジャンルから幅広く、がいいんではないかと思っています。赤塚不二夫は漫画を描くために映画を観まくったというし。
それら全部ひっくるめて「読書量」と呼んでかまわないと思います(活字よりも漫画や映画が好きな自分をそう言ってなぐさめています 笑)
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
8年書いてますが、すでに向上をあきらめてました。
ちょっとがんばろうかなと思いました。
ちょっとですがね。
実は、毎日「うずいてます」。
作者からの返信
うずきに気づいても、それに手を出すのは勇気が要りますよね。
しかし、言い訳して逃げずにきちんと直そうとしたら、だれでも向上できるはずだと思います。
結局決めるのは自分ですけれど。
コメントいただきうれしいです。ありがとうございました♪
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
確かに「面白ければ良い」のだと思います。
自分は役者として活動もしていますが、演技には明確に違うと分かるものはあっても正解は無数にあります。
小説も正解はひとつではなく、答えは無数にあると思うんです。共通しているのは何かしらの「面白さ」が明確にあること。
自分なりのそれを見つけるためには、色んな人生経験が必要になることもあれば、自分のこだわりのようなものを追求していかなければならない。つまり書き続けることが必要なんだと思います。
個人的にこの作品の考えは的を射たものだと思いますし、正解のひとつだと思いました。
作者からの返信
「数打ちゃ当たる」ではありませんが、「数をこなす」ことは経験則を養うためにも大切だと思います。
ルールに縛られすぎて身動きできなくなっちゃ元も子もありませんから、まずは下手でも書きまくって自分なりの面白さを追求できたらいいですよね。
コメントありがとうございました。
小説を書くのが好きな人へへの応援コメント
自分では自分が書いたものの正体がわからないというのは、残念なことです。もし自力で自らの文章の本質がはっきりとわかれば、そもそも他人に読んでもらう必要などないのかもしれません。だからこそ、読者が全てだと自分は思っています。自分は今まで頑張って文章を書き続けてきましたが、あなたのエッセイを読んで、自分が書いたものを色々な人に読んでもらって、文章の本質について伺うというのも大事だと思いました。とても参考になるエッセイでした。ありがとうございました。
作者からの返信
ありがとうございます。
人に見てもらうのは大切だと思いますが、趣味と割り切っているのであれば、無理する必要もないと思っています。文章って、自分の心を救う道具でもあるので、大切な文章は自分のためにとっておいてもいいと思うのです。
私の場合は信頼できる人から、じりじり少しずつ、見せられる相手を開拓していきました。いきなり処女作を投稿サイトに上げる現代の学生たち、見ていて恐ろしいです。いいのか。黒歴史を上げていいのか。怖くないのか?!
ともかく、ご健筆を!(o^^o)