僕の青空列車
アマネ
僕の青空列車
しわしわになったブレザーの制服に身を包み、背中の歪みそうなくらい思いカバンから本を取り出して開く。
電車通学は楽だ。
夏は涼しいし、座ることが出来れば勉強もできるし。
眠ることも出来る。寝過ごすと大変だけど。
ただ、満員電車は大変だ。
痴漢と間違われるし、暑いし痛いし。
朝は最寄り駅始発の電車だから座れる。
でも、お年寄りが近くに来ると譲らなければならないから嫌だ。
譲らないと周りの目が白くなるのもうざい。
断られると周りの人間が嘲笑うようにみてくるのもうざい。
譲った時のごたごたで周りが嫌な顔をするのもうざい。
「優先席へどうぞ」と言いたい気分だ。
そんなひねくれたことを考えながら、僕は今日も電車に揺られる。
雑多なビルやマンション、お店に背を向けて。
周りを見渡す。黒や紺のスーツ身につけた暗い顔の人間達が狭い空間にひしめいている様子はさながら戦時中の兵士といったところか。
僕もいつかはこうなってしまう。いや、もうなりかけている。
ふと、若い女性と目が合った。
怪訝な顔をされたので、僕は慌てて本に目を戻した。
まったく、人間とは自意識過剰な生き物だ。
僕の降りる所の四駅前の駅に着いた時、僕の隣の人間は戦場へ赴いていった。
人間達がいつもより少しだけ大きな隙間を作った。
僕は顔を上げた。
迷惑そうな顔に囲まれた道から、おばあさんが出てきた。
僕はおばあさんの事がとても気になった。
そのおばあさんは、全身青色だった。
エリザベス女王のような気品ある青いスーツに身を包み、同じ色のピルボックスを被っていた。
朝の通勤ラッシュ時の黒や紺ばかりの車内にその色が浮いているのも一つの理由だが、
僕は気になった。おばあさんの目が白くにごり、白い色の杖を持っていることに。
おばあさんはチケットを握っていた。
ぐしゃぐしゃにならないように、落とさないように、しっかりと握っていた。
おばあさんは白く濁った目を細め、僕の少し上を見ながら、手探りしながら、「隣、いいですか?」と訊いてきた。
「どうぞ。」
と僕は言って、そっとおばあさんの腕に手を添え、手伝った。
「ありがとう。」
おばあさんは言った。少しだけ息が切れていた。
電車が静かに動き始めた。
僕は本を閉じて、密かに隣を窺った。
おばあさんは、微笑んでいた。
「青、好きなんですか。」
僕は思わず口を開いた。
おばあさんは動かない。
しまった。と思った。
すると、おばあさんがゆっくりと僕の方を向いた。
「ええ、昔から。」
「そうなんですか。」
気まずい。
周りの人間が、僕とおばあさんを一斉に見つめた。
感情のない、虚ろで疲れたような目で。
興味が無く、ただ音がしたからそちらを向いた。そんな感じがした。
つかの間の沈黙が続いた後、おばあさんが口を開いた。
「あなたの、好きな色は何かしら?」
「僕は、緑です。落ち着く色ですので。」
周りの人間に僕の好きな色は緑だ。と知られ、すこし恥ずかしい。
「そうね。私も緑、好きよ。」
そう答えて、おばあさんはまた微笑んだ。
そして、僕が気になっている一番の理由を、僕が訊くまでも無く話してくれた。
「私はね、目が見えなくてね。しばらく見てないの。青も、緑も。」
「しばらくというのは…」
「40年ほどかしら。」
40年。経験したことのない膨大な時間を目の当たりにし、僕は思わず息をのんだ。
「私が夫と結婚して間もない頃ね。高熱が出て、目が見えなくなったの。」
「それから40年も。大変でしたか。」
「そりゃ、もうね。でも、いい事もあるわ。私の夫は私の中ではまだ若いハンサムな男のままなのよ。」
そう言っておばあさんはいたずらっぽく笑った。
笑顔の中に、若く美しい女性の面影が見えた。
次の駅に着いた。人間の出入りはそれほど無かった。
僕はふと、疑問を抱いたので訊いてみた。
「青い洋服は、いつも着ているのですか。とても素敵ですね。」
「あら、ありがとう。照れるわね。そうね、目が見えなくなった時からずっと。青は思い出の色なの。」
「思い出?」
「そうよ。それは内緒。」
「気になりますね。」
僕の顔は不意に緩んだ。
車内の雰囲気が少し和んだ気がした。
「もし、青じゃない色の服を渡されたら?」
「無駄よ。分かるの。青だけはね。」
「すごいですね。」
「目が見えなくなると、色々なものが見えるようになるの。」
「僕はきっと、まだ何も見えないのでしょうね。」
彼女を羨ましく思った。
「そうかもね。でも今に見えるようになるわ。」
電車が次の駅に止まった。
電車がまた動き出し、ざわざわとした音が収まって、彼女はまた口を開いた。
「君は目が見える。でも、見えないことも見えるようになるわ。だって、とても優しいもの。」
「ありがとうございます。少し照れますね。」
ふと顔を上げると、乗客の顔が穏やかになっていた。
「僕も、おばあさんみたいに素敵な人になりたいです。」
「応援しているわ。」
それから少しして、僕の降りる駅に着いた。
席を立ち上がり、僕はおばあさんに別れを告げた。
そして、最後に僕は言った。
「今日は、とても綺麗な空ですね。あなたの服のようだ。」
彼女は少し驚いた顔をしたが、白く濁った目を細め、チケットを握った手を振りながら、
「そうね。」
と言った。
それからは2度と彼女を見かけることは無かった。
今でも、電車に乗る度に、青いスーツに身を包み、杖とチケットを大事そうに持って僕の隣にやってくるおばあさんの姿が見える気がする。
その時はきっと。僕にも見えるだろう。
青い空の美しさが。
終わり
僕の青空列車 アマネ @KKMorita
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