春の膳

安良巻祐介

 

 ひとつ鯉こくが食いたくなって、川を遡り、貯水池の向こうまで車を走らせた。

 そぼ降る春の雨を見つめながらハンドルを握っているうちに、何だか頭がぼんやりしてきて、よくわからない道に出る。

 車を止めて、外に出ると、林のようなところにぽつんと一つ、東屋がある。

 その下の卓に、お膳が出ていた。

 ぼやけたままの頭でそこへ座ったが、お膳の上には、白い皿があるきりで、そこに何も載っていない。

 その皿も目の前にあるはずなのに、柄や何やの印象がぼやぼやして、うまくものが言えない。

 そんな朦朧とした状態のまま、何となく箸を取ると、頭の後ろからはらり、と花びらが降って、目の前に落ちてきた。

 白い皿の上に、一片の桃色が滲んでいる。

 朧な頭にさらに霞がかかり、腹からふう、と息が出て、そのまま鯉ではなく春を喰い始めた。

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春の膳 安良巻祐介 @aramaki88

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